苦しみとの対話➉
1000文字エッセイシリーズ
苦しみとの対話➉
人生は苦しいものだ。そう悟って、またそこからスタートする。
僕自身、常に苦しんできて、三十半ばまで生きてきた。
死にたいと思う日々は慢性化してしまい、僕はまだ生きているのだ。
生きているだけで、人は不安にむしばまれて、苦しみを抱いてしまう。
どこに行けばいいのか?
どこを向いても、結局、罰せられてしまう。
そういった世界の中、息苦しさを感じてしまうのは無理のないことだろう。
何をしても、何を得ても、苦しみは変わらない。
むしろ、得ているものの重みに耐えきれないで、人は得ているものを殺そうとしてしまうのかもしれない。
どこを向いても、どこで生きても、人は苦悩を抱く。
ある苦悩、ない苦悩。
その苦悩の量は案外変わらないものかもしれない。
絵に描いた餅を食べている時が最も幸せで、そのものを得てしまうと価値は薄れて、むしろ邪魔なのではないかと思ってしまう。
そういったサイクルをクルクルと回転しながら、人生を生きることになるのだ。
そして、そのものを失った時だけ、「ああ、自分はそのものから沢山のものを与えられていた」と気が付くのである。
何かを失った時。
その時しか、人は感謝できなくなってしまっているのだ。
そういった輪廻の中。人は苦悩を抱いて、迷走して、何をすればいいのか分からなくなってしまっている。
何を得ても、何を失っても、結局、苦悩しか残らないのである。
人生の生きづらさはそこから発生して、人は迷走しているのだ。
完全にスポイルされて、何かを失って。
僕自身、もう何をしていいのか分からない。
良いことをすれば裏を読まれて、悪いことをすれば悪として裁きをくだされる。
そういった世界の中に自分たちは生きているのだ。
人は泣きながら生まれてくる。
それは一種の地獄に生まれてきて、ここから始まる世界に絶望しているからなのかもしれない。
どこに行けばいいのか、どこに向かえばいいのか。
お金も、心も危険な時代。
人は苦悩を抱き、僕も苦悩を抱き。
日々、迷走している。
果てしない欲望を持っているのが人と云う存在である。
幸せは慣れてしまえば、感謝できなくなってしまう。
何かを得ても、さらに欲しくなるだけ。
そういった中で、感覚は鈍化されて、まるで麻薬中毒者のように生きることになるのだ。
どこに向かえばいいのか。
何をすればいいのか。
それさえも分からないまま。
ただ、生きているということはそれだけで大変なことなのだ。
息をしているだけで、それだけで大変なことなのである。
僕自身、「ああ、生きるのを辞めたいと」と思っているのだ。
こんなサイクルを回転しても仕方ない。
ただ、きっと導かれているのである。
人は導かれている。
そして、役目があるのかもしれない。
ただ、それを信じて、僕は生きている。