最近『切り抜き動画』をめちゃくちゃ見ています
悪いところを見せれば、人は良いところを探してくれる。
逆に、良いところばかり見せようとすれば、人は悪いところを探し始める。
これは、ある切り抜き動画を見ていて気づいたことです。
なんとなく鼻につくな、と感じる配信者や動画投稿者っていますよね。自分にも、正直います。
好き嫌いは人間の常なので、仕方ないとは思うんですが──「なぜ実際に会ったこともない人を嫌いになるのか」。その理由が、ずっと気になっていました。
自分の場合、その違和感の多くは「良い方向に寄せすぎた印象操作」によるものでした。
切り抜き動画では「すごいな!」と感じた人が、実際の配信を見てみると「ん?」と引っかかる場面があったりします。
配信から入れば、その人の良い部分も悪い部分もいっしょに見えるので、「ああ、こういう人なんだな」と納得できます。
でも、切り抜きや記事は“その人自身”というより、“ファンが見せたいその人”になってしまいがちなんですよね。
つまり、「どう見られたいか」よりも、「どう見せたいか」が先に立っている。
これって、創作にもそのまま当てはまる話だと思います。
たとえば、完璧なキャラクター。頭が良くて、イケメン(あるいは美女)で、強くて、優しい。
理想的ではあるけれど、物語の冒頭からそれを全部見せてしまうと、読者はどこかで「いや、でも……」と粗探しを始めます。
逆に、「こいつ、めちゃくちゃ性格悪いな」と思わせておいて、その中にふと見える“いい面”があると──それがものすごく光って見える。
この「悪さの先出し」は、共感や印象の操作にもとても効果的な気がします。
たとえば、「口が悪いけど根は優しい」キャラって、やっぱり人気が高い。
欠点を先に見せることで、「この人にも何か事情があるのかもしれない」と読者に思わせることができる。
そうすると、読者は自発的に“良いところを探してくれる”状態になるんです。
キャラクターというのは、完璧さより“余白”が大事なのかもしれません。
その余白を、読者が想像や感情で埋めてくれる。そういうとき、物語や世界観とういうものが、いちばん光り輝く気がします。