気に入らないというキャラクターメイキング
カクヨムで投稿してるエッセイ
気に入らないって思うことは普通で誰でも思うことだけど、それを発信する前にちょっと待ったってお話。
1.気に入らないという感情の設計ツール
「気に入らない」という一言では済まされない。
だからこそ人は、その感情を言葉で装飾し、理屈で包み込んで正当化する。
だが、その装飾こそが、他者の人格を勝手に設計する第一歩となる。
何かが引っかかる。
違和感がある。
しかしそれを単に「気に入らない」とだけ言うのは、あまりにも幼稚で感情的に見える。
それが幼稚と思えてしまうのだ。そして、もっと幼稚な行為に出る。
私たちは、その感情をもっと"まとも"に見せようとする。
理性的で、客観的で、正当な理由があるように装う。
「あの人は自己中心的だから」「空気が読めないから」「常識がないから」
――これらはすべて、本質的には「気に入らない」という感情を覆い隠すための言葉にすぎない。
本当はただの生理的な違和感、説明のつかない不快感かもしれないのに、言葉を重ねることで"理由のある嫌悪"に変えてしまう。
そうすることで、自分の感情に正当性を与え、他者にも説明できる形に整えてしまう。
これが自分の立場だったならば、もっと複雑に説明して結局伝わらなかったと、後悔するくらい手間を掛けるのにだ。
こうして相手の性格や価値観、背景までを勝手に設定し始める。
まるでゲームのキャラクター作成画面のように、「嫌な人」としてのパラメータを調整していく。
協調性が低い、配慮が足りない、プライドが高い――そうした属性を一つひとつ割り振り、その人物像を完成させていく。
そして、その設計図は他者の実像とは関係なく、あなたの中で完成されてしまう。
ここで問いかけたい。
あなたが使っているその言葉は、相手を説明しているのではなく、あなた自身の感情を飾っているだけではないだろうか?
「気に入らない」を隠すために、もっともらしい理由を後付けしているだけではないか。
その言葉は本当に相手のものなのか、それともあなたの感情が生み出した虚構なのか。
2.嫌なキャラクターの完成と人格のすり替え
「気に入らない」という感情から始まった人物像は、やがて"嫌なキャラクター"として完成する。
そのキャラクターは、実在の人物とは異なるにもかかわらず、あなたの中では確定された存在となり、相手の人格をすり替えてしまう。
「気に入らない」という感情を正当化するために、私たちは相手の性格や背景を勝手に設定していっては、自分が満足するまでなんども反芻する。
そしてその結果。
あなたの中で"嫌な人"として完成されたキャラクターは、もはや好きになる余地がない。
それは当然のことだ。
これをここまで読んだ人の殆ども、今更なにを言っているんだと思っていることだろう。
だが、感情に支配された時というのは、当たり前が当たり前じゃなくなるのだ。
だから、嫌いな人を作り上げたら嫌いになるのは当然のことだ。
なぜならそのキャラクターは、あなた自身が「嫌だと思いたいがために」丁寧に作り上げた存在だからだ。
何度もわかりやすく言おう。
好かれるために設計されたキャラクターではなく、嫌われるために設計されたキャラクターなのだから。
作られたキャラクターは、実際の人物とは異なる。しかしあなたの中ではその虚像が実像を上書きしてしまう。
相手がどんな価値観を持ち、どんな人生を歩んできたか、どんな悩みや葛藤を抱えているかは関係なく、「嫌な人」としての人格が確定される。
そしてそのキャラクターとしての相手に接し、そのキャラクターとしての相手を評価し、そのキャラクターとしての相手を他者に語る。
ここで気づかなければならない。
他者の人格を勝手に設計してしまうのは、あなただけではない。
あなたが「嫌だ」と思っている人の8割は、あなた自身が作り上げたキャラクターかもしれない。
それは感情による創作物であり、理解ではなく拒絶から始まる関係性の証でもある。
私たちは誰もが、他者をキャラクター化する作者であり、同時に誰かによってキャラクター化される存在でもあるのだ。
その人は本当に"そういう人"なのか。
あなたが嫌っているその人は、本当にその性格なのか。
それとも、あなたが「そうであってほしい」と思って作り上げたキャラクターなのか。
この問いを立てることが、人格のすり替えを防ぐ第一歩になる。
相手を理解しようとする前に、自分の感情が作り出した虚像を疑う必要がある。
3.人格の所有権は誰にある?
人の人格は、その人自身が持っているはずのもの。
しかし「気に入らない」という感情によって、他者が勝手に設計したキャラクターが人格として扱われるとき、人格の所有権は揺らぎ始める。
私たちは、他人の目によって自分の人格を定義されてしまう存在なのかもしれない。
あなたがどんな人間かは、あなた自身が一番よく知っている――はずなのに、他人の目に映るあなたは、まったく違うキャラクターかもしれない。
「気に入らない」という感情を持つ人にとって、あなたは"嫌な人"として設計されたキャラクターでしかない。
あなたがどれだけ誠実に生きていても、どれだけ他者を思いやっていても、誰かの「気に入らない」という感情がその輪郭を歪めてしまう。
他者の感情や先入観によって、あなたの人格が勝手に定義される。
それは人格の所有権が、必ずしも自分自身にあるわけではないことを意味する。
人格は他者の中で勝手に編集される可能性があり、その編集版があたかも真実であるかのように流通してしまう。
現代のSNSで心がざわつく原因は、これのように思える。
自分の中の"自分"と、他人の中の"自分"は、まったく別の存在として存在しうる。
「気に入らない」と思ったときこそ、立ち止まって考えるべきだ。
その人は本当に"そういう人"なのか。
それとも自分がそうであってほしいと願っているだけなのか。
理解しようとする姿勢が、人格のすり替えを防ぎ、関係性を再構築する第一歩になる。
拒絶ではなく理解から始める関係性は、相手を一つのキャラクターに固定するのではなく、複雑で多面的な人間として受け入れることを可能にする。
そして最後に問いかけたい。
他人の人格を勝手に作り上げている自分がいる一方で、あなた自身も、そして自分にも言えることだ。
それは、誰かの"気に入らない"によって作られたキャラクターだということ。
誰かの感情によって設計され、誰かの都合のいいように編集され、本当のあなたとは異なる人物としてSNS上に流通しているかもしれない。
そして同時に、他者の人格を勝手に設計することの暴力性にも気づくことができる。「気に入らない」という感情は誰にでもある。
しかしその感情を、相手の人格を決定する権利だと勘違いしてはならない。




