第七話 思わぬ再会
耕太郎と美咲の二人は冬菇屋に戻る。
耕太郎は店の前で車から美咲を降ろして、駐車場へ向かった。
「あら、お帰りなさい芦田さん。外は暑いから中へどうぞ」恵子は店から出てきて、美咲を出迎えた。
美咲を椅子に座らせた後に、恵子はストローをさした二つのアイスコーヒーを持ってくる。アイスコーヒーをテーブルの上に載せると、お盆を持ったまま隣の椅子に座った。
「あの真空管いくらで売れました?」
「一個十五万円です」
「え、そんなに高く売れたの!」恵子はびっくりしてお盆を落としそうになる。
「あの柴田さん、ずい分と真空管を探してらしたからねえ、でもあの方コワかったでしょ?」
「ええ、まあ」
美咲は恵子と二人だけだと、少し控えめな返事になる。恵子が自分に少し嫉妬していることを感じているようだ。
「うちの人、変なことしなかった?」
「何もなかったです、よ」
「あの人、車の運転中にわざと揺らしたりしたでしょ?」
「は、いいえ……」
美咲は慌ててアイスコーヒーを飲み始めるのだが、ストローがコップの中の氷の穴に刺さっていた。……ズルズルっとする。
「やあ、今日はうまくいったよ」
耕太郎が店に戻ってきた。
「柴田さん、だいぶ気に入ってくれて、自分から値段を言ったんだ。あの美咲ちゃんが作った資料が良かったのかな、ねえ美咲ちゃん」
「あなた! 芦田……」
「おばさんも、美咲って呼んでください」
また夫婦喧嘩を見せられてはたまらない、と美咲は思ったようだ。
「あれ、俺のアイスコーヒーは?」
「自分で作りなさいよ」
「今日一日で、六万円も稼いだんだから、もっと優しくしろよ」
「はいはい、分かりました」
恵子はアイスコーヒーをしぶしぶ作りに行くのだった。
「美咲ちゃん、お父さんの銀行口座番号持ってきた?」
「はい、持ってきました」
美咲はカバンの中のメモを耕太郎に渡す。
「それじゃ、柴田さんからの入金が確認出来たら、すぐに二十四万円送金するよ」
「お願いします」
美咲はぺこりと頭を下げた。
恵子が戻ってきて、耕太郎はお屋敷での話を始める。
「柴田さんのところで、あの真空管をつけて音楽を聴いたんだ、すっごい音だったよ」
「はい、あのおじ様の音響室、あっちこっちから音が"かけっこ"するんです」
美咲はお屋敷での興奮がよみがえり、店の天井を見上げている。
「だけど柴田さんに宿題も貰っちゃってさ、ねえ美咲ちゃん」
「はい」
「宿題ってどんな?」
「美咲ちゃんが真空管を見つけた場所へ行って、同じものを探してきてくれって言うんだ」
「どこで見つけたの、美咲……さん」
「お父さんの実家のおばあちゃんちの近くです。甲府の山奥なんです」
「美咲ちゃん、俺と一緒に行ける?」
「わたしは行きたいんですけど、お父さんやお母さんが何て言うか……」
「そうよ、美咲さんのご両親だって、心配するわよ。あなたみたいにいい加減な人と一緒じゃ」
「今日中に返事するって言っちゃったから、今、電話で確認できるかな?」
「はい、電話してみます」
美咲はスマホを取り出して電話をかけ始めた。
「あ、お母さん。今、冬菇屋さんの所にいるんだけど」
「うん、高く売れたよ」
「二十四万円」
「お父さんの銀行に振り込むって」
「それで、真空管を買ってくれたおじ様から頼み事があったの」
「甲府のおばあちゃんちの近くの穴に、残りの真空管がないか探してくれって、お金出すからって」
「ううん、冬菇屋さんのおじさんと一緒に」
「今日中に返事しないといけないの」
「うん、わかったわ」
美咲は電話を切った。
耕太郎は、電話の内容が気になっているようだ。
「で、どうだった? 美咲ちゃん」
「お父さんに電話して聞いてみるって、あとでまた電話かかってきます」
三人は、美咲にかかってくる電話を待つことにした。
ポロロ~ン、ポロロ~ンと美咲のスマホが鳴る。
「あれ、お父さんからだ!」
どうやら、美咲の父が直接電話をしてきたようだ。
「もしもし、お父さん」
「うん、まだ冬菇屋さんの所にいるよ」
「え、だめなの?」
「まだ切らないで、真空管を買ってくれたおじ様、すごく欲しがってたから」
「⁉ あ、ちょっと待って」
耕太郎は美咲の肩をたたき、ひそひそ声で話し始めたのだ。
(美咲ちゃん、話の内容聞きたいから、スピーカーにしてくれない?)
(うん、わかった)
美咲はスマホをスピーカーモードにしてテーブルの上に置き、少し椅子の前にずれて体を前に倒す。
「ごめん、お父さん。ところで今どこにいるの?」
「あ~、今ね」
美咲の父の声が、美咲のスマホから聞こえてきた。
「出張先の仕事が終わって、帰るところなんだよ。とにかく"でんこや"だか"どんこや"だが知らないが、変な人と一緒に行っちゃだめだよ」
美咲の父の言葉に耕太郎は声は出さないが、口をパクパクして何か文句を言っているようだ。
「でもね、」と美咲が言いかけたとき、
(ピンポーン……マニア精工の芦田様、お車が参りましたので表玄関へお回り下さい。……ピンポーン)アナウンスが聞こえてきた。
「あああ! 美咲ちゃんのお父さんって、マニア精工の芦田部長だったのお」
耕太郎は思わず大きな声を上げた。それも無理はない、マニア精工は四年前に耕太郎がいた会社で、美咲の父、芦田雅史は直属の上司だったのである。
その大きい声にびっくりして美咲は、
「お父さんのこと知ってるんですか、おじさん」と耕太郎の顔を見上げる。すると、耕太郎は身を乗り出して美咲のスマホに話しかけた。
「もしもし、芦田部長、ご無沙汰しました片桐耕太郎です」
「ええっ? 会社を辞めたあの片桐君? またどうしてそこにいるんだ?」歩きながら話をしていた美咲の父、雅史は足を止める。
「冬菇屋の主人は私です」
「片桐君、ど、冬菇屋をやってるんだ」
「そうです、電気製品も扱ってますけど"でんこや"じゃありません」
車に乗り込んだ雅史は落ち着きを取り戻すと、
「いやあ~、こんなところで会うなんて、思いもよらなかった。しかし、片桐君が辞めてから会社はすごく困ってるんだよ。ほとぼりがさめたら開発部に戻そうと思っていたのに、どうして辞めてしまったんだ」
「部長、その話は長くなるので今度にします。ところで、あの件はどうなりました?」
「……」
耕太郎は雅史に何か貸しがあるようだ。
「まあ、いいです。ところで、娘さんの美咲さんと一緒に甲府へ真空管を探しに行ってもいいですか?」
「うん、そうだな……」
雅史が生返事をすると、恵子が話に割って入った。
「芦田部長さん、片桐の妻の恵子です」
「おお、恵子さんも一緒か」
恵子もまた、マニア精工の総務部にいたのである。
「主人と二人でお店をやっているんです。部長さん、私も一緒で三人で甲府に行きますから、了承していただけますか?」
「恵子さんが一緒に行くのでしたら安心です。分かりました、いいでしょう。美咲、片桐さんたちとおばあちゃんの所へ行ってもいいよ」
「ありがとう、お父さん」
「じゃあ、お母さんにも話しとくよ。もう電話切らないとならないから切るよ」
「うん、わかった。じゃあまたあとで」
美咲は電話を切った。
「美咲ちゃんのお父さんが、芦田部長だったなんて、ほんとにびっくりした」
「おじさんは、お父さんと同じ会社だったんですね」
「うちの人は美咲さんのお父さんの下で働いていたの、私も同じ会社にいたのよ」
「へ~、でもおじさん、何で会社辞めたんですか?」
「その話を始めたら美咲ちゃん、今日帰れなくなるよ」
「それより何でお前、口出しするんだよ。美咲ちゃんと二人で行こうと思ってたのに」
「だって、あなた誰にも信用されてないでしょ、昔から」
「まあまあ、おじさんとおばさん、おばあちゃんちへ行く話を進めましょうよ」
「……そうだな、こういう話は早い方がいい。明日は土曜日だけど、明日行こうかな。美咲ちゃんどう?」
「わたしは大丈夫です。家に帰っておばあちゃんちに電話してもらって、都合が良かったらおじさんに電話します」
美咲は店の前に置いてあった自転車に乗って帰っていった。
その夜、美咲からの電話で明日の甲府行きが決まり、朝の八時少し前に出発することになった。その電話の後、柴田征二に美咲と一緒に車で甲府へ行き、明日中に真空管を探してくることを電話で伝えた。
ひと段落すると、耕太郎は恵子に今日の店の様子を聞いた。
「今日、店にお客さん来た?」
「ええ三人も、日用品とあの汚れが中々落ちなかったクマのぬいぐるみが売れたのよ」
「全部でいくら?」
「え~と、六百五十円」
「……」