第五話 お屋敷の音響室
そのお屋敷は、昭和初期に建てられた木造の二階建てで、焦げ茶色に塗装された横長の板が上から下に重なるように打ち付けられている。四つに区切られた白い枠のガラス窓は、一階と二階にいくつも並んで見える。黒い屋根の洋風の建物の周りには、あまり手入れのされていない木々が生茂っていた。
耕太郎は、黒い鉄の柵を支える古い赤レンガで作られた門に設置された、表札の【柴田征二】の名前を確認してからインターホンを押した。
「ドチラ様デショウカ?」
インターホンから低音のガラガラ声が聞こえてきた。どうやらインターホンが壊れかかっていて、きれいな音が出ないようである。しゃべり主が男か女かも判らなかった。
変な声に少し驚いてから耕太郎は、
「中古品店冬菇屋の片桐です」と答える。
「ハイ、オ待チシテオリマシタ。スグニ参リマスノデ、ソコデオ待チクダサイ」
またガラガラ声の返事が返ってきた。
お屋敷の中から六十才代の女性が出てきて、鉄の柵を開き耕太郎と美咲をお屋敷の中へ招き入れる。玄関まで歩く途中、
「今日は、お暑いところわざわざお越し頂きまして、ありがとうござます。うちの主人が待っておりました」この女性は柴田征二の妻の幸江であった。
「こちらのお嬢さんは娘さんですか?」幸江が聞くと、
「いや、あのこの人は……」耕太郎が言いかけるが、
「私は冬菇屋さんの所に真空管を持ってきた売り主です。このおじさんとは何の関係もありません」美咲が先にきっぱり答えた。
玄関の扉を開けると、グレーのズボンに白いワイシャツを着た柴田征二が立っていた。
「おお、やっと来たか、待ってたんだよ」
征二は真空管が来るのを心待ちにしていたようだ。
「この人、朝から音響室にこもってレコードを引っ切り無しに掛けていたんですよ」
「いや~、どの音で君の持ってくる真空管を確かめようか悩んでね、ようやくさっき決まったんだ」と言いながら小さく足踏みをして、まるで子供がおもちゃを開けるのを待っているような仕草をする。
「さあさあ、早くわしの音響室へ行こう」征二は耕太郎の腕を引っ張る。
耕太郎は靴のかかとの部分を反対の足で踏みつけながら脱ぎ捨てて、急いでスリッパを履き板の間に上がる。美咲は自分の靴をきれいに揃えてから耕太郎のあとに続いた。
音響室は八畳ほどの長方形の板の間で、窓は無い。白い壁の下半分は茶色く塗られた板が貼られている。白い天井には照明が無く、背の高い間接照明のスタンドが部屋の角に離れて二本立っていた。
部屋の左側にはオーディオラックの上に音響機器が載っている。中央には比較的新しいレコードプレーヤーが置いてある。その横には前面板がきれいな木目で施され、そこに黒いダイヤルが三つ横に並ぶアンプが置いてある。そのアンプの天板には剥き出しの大小五つの古い真空管が、ふきのとうのように立ち並んでいる。オーディオラックの左右端には、それほど大きくなく手作りをしたようなスピーカーが、どしりと置かれていた。
部屋の右側には、白い革張りの三人掛けの応接椅子、その左右には刺繍柄の背もたれの木製でできた椅子が壁から少し離れて並べてある。椅子の前には丸い木製のテーブルが置かれていた。部屋全体は無駄なものが無くシンプルに整頓されているが、床だけはレコード盤のジャケットが散乱していた。
「さあ、椅子に座りなさい」
征二はレコードジャケットを拾いながら、耕太郎たちを応接椅子に座らせる。
レコードジャケットを拾い終わった征二は、刺繍柄の背もたれの椅子を動かして、耕太郎たちと斜めに向かい合うように座った。
「片桐さん、早速だが真空管を見せてくれますか」
耕太郎に手を差し出した。
「このお嬢さんが持ってるんです」耕太郎が美咲の方に顔を向ける。
「初めまして、芦田美咲と申します。今日の朝、学校へ行って真空管の電気特性を調べてきました」と言いながら、カバンからテレベッケンの真空管が入った二つの紙箱と、A4のコピー用紙一枚を丸いテーブルの上に置いた。A4のコピー用紙には上下にグラフが二つある。そのグラフは二次元座標に十一本の曲線が、まるで鳥が羽ばたいたときの片方の羽を透かして見たように描かれていた。
美咲は得意顔でグラフの説明を始めた。
「このグラフは、この真空管のEP・IP特性曲線です。これはグリッドのバイアス電圧を固定して、プレート電圧EPを変えたときのプレート電流IPの変化をデジタル計測します。そのデータを表計算ソフトに打ち込んでグラフを作成しました。グリッドのバイアス電圧は〇からマイナス二〇Vで、二Vずつ変えて十一本の曲線をプロットしました」
耕太郎は目を丸くしながら驚いている。
「マジですごいね美咲ちゃん、こんなこともできるんだね。その年で表計算ソフトも使いこなしちゃって、頭いいなあ~」
「ほほう~、このグラフはビンテージ真空管の品質保証ですな、参考になる」と征二も感心したようだ。
「いえいえ、まだまだ未熟です」と言いながら美咲は顔の前で手をふっていたが、心の中では(やったわ、 完ぺき!)と叫んでいるようであった。