第四話 隣街のお屋敷へ
お昼ご飯を食べ終えてから、耕太郎は隣街のお屋敷へ行く準備を始めていた。
「あの柴田さん、いくらで買ってくれるかな」ノートパソコンと電卓をカバンに入れながらつぶやく。
「あらあら、今月の売上少ないんだから、がんばって稼いできてね、あなた」
恵子は耕太郎の尻を叩く。
そこへ、美咲がやって来た。
「こんにちは、今日はよろしくお願いします」と頭を下げて挨拶した。
「やあ、美咲ちゃん、こんにちは。今日も制服着て来たんだ、夏休み中なのに」
「あなた、ちゃん付けで呼ぶなんて! 馴れ馴れしいわよ、ねえ芦田さん」
恵子は耕太郎にはほっぺたを膨らませ、美咲には愛想笑いをする。
「朝、学校に寄ってこの真空管の特性を調べていたんです。えへへっ」
美咲は肩からかけたカバンをポンポンと二回叩いた。何か自信ありげな様子である。
耕太郎は店の近くの駐車場に止めてある車を取りに行き、店の前に車を止める。
「さあ、美咲ちゃん乗って」と言いながら、車の右側のドアを開けた。
「わあ~、この車、左ハンドルじゃないですか」
美咲はおどろいて、耕太郎の車を見渡した。
その車は二〇〇八年製のドイツ車クラインクーペの左ハンドル車だ。ボディー色はシルバーで、屋根の部分は黒である。
「この車いいでしょ、気に入ってるんだ~」
口をとがらせて口笛を吹くまねをする耕太郎を見て、恵子はムッとした表情になる。
「あなた、ドライブ気分で女子高生を乗せるつもり? まったくもう、スケベじじい」
「何言ってんだよ、仕事で行くんだからしょうがないだろ」
「あなたはいつも信用できないのよ!」
「だいたいお前が柴田さんのところに、あわてて電話するからだろ」
「なに言ってるのよ、あの柴田さんは、真空管を見つけたらすぐに電話してくれって言ってたじゃない!」
「客の前で話すことじゃないだろ~が!」
二人で口喧嘩を始めるのだった。
既に車に乗り込んで助手席に座っていた美咲は、時計を見る。
「おじさん、そろそろ行かないと約束の時間に間に合いませんよ」
催促された耕太郎は、口喧嘩を中断した。
「……じゃあ恵子、行ってくるよ」
車の左手に回り込むと、ドアを開けて運転席に座りドアを閉める。
シートベルトをしてから左足でクラッチを踏み、シフトレバーをローに入れる。エンジンスタートボタンを押してアクセルを踏むと、車は白煙を吹きながら走って行った。
県道に出る信号待ちのところでカーナビを操作し終わってから、二人は話を始めた。
「まったく、いつも恵子は俺に文句ばかり言って、あ、ごめんなさい。変なところ見せちゃって」
「おばさんは、なんであんなに怒ってるんですか?」
「美咲ちゃんのような可愛いお嬢さんとドライブするのが、気に入らないみたいだ」
「そうなんですか……。わたし右側の助手席に乗るのは初めてなんで、ちょっとウキウキしちゃったかな」
「ああ、そうなの」
「何か、自分が車を運転してるみたいな気がするんです」
と言いながら美咲は両手を前に出し、ニコニコしながらハンドルを操作する真似をした。
「この車はドイツ車で、中古の外車を扱う店で働いてる友達から買ったんだ」
「わざわざ、ドイツから取り寄せたんですか? この車」
「いや、韓国からだよ。その友達は韓国の中古車情報をネットで調べて、欲しい外車が見つかったら、その韓国の中古業者にメールして日本車と交換する交渉をするんだ。交渉が成立したら、日本車に乗ってフェリーで韓国へ行き、交換した外車に乗ってフェリーで帰って来る。もちろん輸出入手続きをしてね」
「ということは?」
「そう、日本車が左ハンドルの外車と交換されるってことさ、韓国は右側通行だからね」
「へ~」
「世の中、人と違うものを欲しがる人が多いでしょ、俺もそうだけど、日本の中古車が倍くらいの値段の外車に変身するって訳だ」
「ただ、うちの恵子はこの車に乗ると、いつもキムチ臭いって鼻をクンクンさせるんだ。おれはキムチが好きだから何とも思わないし、そんなに匂わないと思うんだけど」
「そう言われると、何となく……」美咲もクンクンと鼻をならして車の中を嗅ぎ出した。
「キムチの匂いする?」
「このクラインクーペは馬力は無いけど、ハンドリングが良くて気持ち良く曲がるんだよ」そう言いながら耕太郎はハンドルを小刻みに動かす。
「ほらね、」
「ひゃ~!」
美咲は思わずドアの上にある取っ手にしがみ付き、シフトレバーを握っている耕太郎の右ひじに触れるのを防いだ。
「それで、この車マニュアルシフトで六速まであるけど……」
「おじさん! そんなことよりも、お屋敷に住む柴田さんってどういう方なんですか?」
セクハラされそうになった美咲は、耕太郎のどうでもいい車の話よりも、朝早く学校へ行き、調べてきた真空管が売れるかどうかが気になっているようだ。
まだまだ車の話をしたがっていた耕太郎だったが、
「車の話はまた後でするとして、え~と柴田さんは、元海上自衛隊の潜水艦の艦長だったって言ってたよ。確か柴田さんのお父さんは旧日本海軍の軍人で、柴田さんの息子さんも自衛隊に入隊してるとか、いわゆる軍属一家みたいだ」
「そうですか、何かコワそうな人みたいですね」
「そんなこと無いよ、柴田さんはとにかく音楽が好きで、仲間を呼んでレコード鑑賞会などをお屋敷で開いてるらしいよ」
「この真空管、買ってくれるかしら?」
「きっと売れると思うよ。ああ、もうすぐ着くよ」
そんな話をしているうちに、柴田さんのお屋敷の前に着いた。