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幻のマイクロフォン(改稿)  作者: 古森史郎
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第一二話 大地の暁

 一九四二年二月のある朝、柳田部長の机の電話が鳴った。


「はい、録音技術部の柳田ですが」

「陸軍技術本部の向井だ」

「向井中佐殿、その節はお世話になりました」

「君の所で作ったあの収音マイクは重宝してるぞ」

「ありがとうございます。今日はどのようなお話でしょうか?」

「君の部下の旗島君だが、一カ月程貸してくれないか」

「え、何ですか? 何か装置に不具合でもあったのですか?」

「いや、今度私と海軍技術研究所の研究官が特務でドイツへ視察に行くんだが、先方の技術将校のシャックマン大佐が通訳に旗島君を指名してきたんだ」

「彼がドイツへ留学していたからでしょうか?」

「その様だ、その大佐は旗島君と同じ大学に通っていたそうだ」

「分かりました、海外出張という形で対処いたします」

「良し、それでは旅程などの書類を郵送する。旅費は負担するが、出張の見積書を提出してくれ」

「書類が届き次第、早急に提出します」

 柳田部長は電話を切る。


「おい旗島君、ドイツへ行けるぞ、羨ましいな」

「私がですか?」

「向井中佐が特務でドイツへ視察に行くのだが、その同行通訳者に訪問先のドイツ軍技術将校のシャックマン大佐が君を指名してきたそうだ」

「シャックマン大佐? ホルストだ!」


 ホルストにまた会える。彼は技術将校で大佐になった、随分と偉くなったな。


 数日後、旅程表が届いた。軍用機で調布陸軍飛行場から満州の奉天飛行場へ行く。奉天からシベリア鉄道に乗ってソ連のモスクワへ行き、一泊してから陸路でスウェーデンのストックホルムへ行く。レニングラードはドイツと激戦中の危険区域なのでモスクワから北に迂回してフィンランドを横断し、スウェーデンの東海岸を南下する順路だ。ストックホルムからドイツへ行く手段は不明となっている。


 日ソ中立宣言のおかげで、何とか査証が下りるらしいが、ドイツとソ連は戦争の真っ最中なのだ。無事にドイツへ辿り着けるだろうか? とにかく十日後に控えた出発の準備に取り掛かることにした。


 出発の朝、私は多摩鉄道の多摩墓地前から歩いて調布陸軍飛行場に着いた。広い飛行場の管制塔の近くで向井中佐と一人の男が待っていた。


「やあ、旗島君、待ってたぞ」

「向井中佐殿、この度はお世話になります」

「こっちこそ、今回の視察は君のお陰で意外と早く話がまとまったんだ、感謝する」

「こちらの方は?」

「俺は海軍技術研究所で研究官をやっている山本だ、よろしく頼む」

 その男の襟章を見ると少佐であることが解った。

「あそこに待機している陸軍の一〇〇式輸送機に乗って行くぞ」


 格納庫を出た所に一〇〇式輸送機がプロペラ・エンジンを掛けて待機している。整備士が操縦席の近くに梯子を掛けて操縦士と話をしていた。三人は整備士の合図を待って輸送機に搭乗した。機内は座席が左右に五脚ずつ並んでいる。三人は左後方の座席に並んで座り安全ベルトを装着した。その後、四人の兵士が乗り込んできた。


 輸送機は、けたたましいプロペラ音を立てて滑走路入口へ侵入する。そこで右に旋回した後で加速すると、間もなく輸送機は翼を揺すりながら離陸した。上空で水平飛行になる頃、向井中佐が話を始めた。


「今回の視察は特別な任務だ、絶対に他言しないでくれ」

「柳田部長からも聞いております」

「我々とは別に、陸軍中尉が団長の正式な視察団は既にベルリンを訪問している。我々は彼らとは別行動で視察する」

「その視察団の話は新聞に書いてありました」

「向井中佐、なぜあの中尉が団長に選ばれたのですか? よりによって日米開戦という重要な時期に、あの中尉は米国との戦争に反対していましたよね」

 山本少佐は怪訝そうな顔をする。

「派閥争いがあったのだ。二二六事件の前、陸軍の重要人物が暗殺されてから主導権争いが激しくなった、内部の情報戦もだ」

「それって、この間納品した集音マイクも関係あるんですか?」

「まあ、それだけではないが。それより、今回の目的地はスウェーデンのストックホルムという事になっておる」

「え、ドイツでは無いのですか?」

「ソ連を通行する建前上、ドイツへ行くと言えないからだ。ソ連にいる間はそう答えてくれ。今回の任務の詳細は、ストックホルムに着いてから話をする」

「了解しました」


 約四時間後。輸送機が奉天飛行場に着陸した。タラップを降りると車が待機していて三人は直ぐに車に乗り込んだ。奉天駅に到着し、二時間ほど列車の到着を待ってからシベリア鉄道へ乗車する。列車は満州里を過ぎたところで停車し、暫くするとソ連軍の兵士二人が車内に入って来た。兵士は各乗客の旅券と査証を調べるだけで、直ぐに隣の車両へ移動した。


「意外と簡単に入国できるんですね」

「ああ、行きは問題ない。帰りは色々検査されるかも知れないが」

「どうしてですか?」

「ドイツなどから、何か持ち出していないか調べる為だろう」


 十日後、列車はモスクワ駅に到着した。二ヶ月前まで戦場に近かったこの地は今でも装甲車が行き来し、兵士がそこら中に銃を持って待機している。物々しい雰囲気の中、三人は駅の近くにあるホテルに宿泊した。

 次の朝、ホテルの通用口で待っていたスウェーデンの大使館職員が運転する車に乗り込む。モスクワ市内を出ると延々と続く草原地帯の雪道を北上し、係争区域を避けながらフィンランドへ入国した。今の戦況はドイツ軍がモスクワ攻撃に失敗して膠着状態が続いている。ソ連とフィンランドの国境地帯も戦闘は行われず、お互いににらみ合っている状況が続いていた。フィンランドを横断して中立国のスウェーデンに入国したのは、夜が明ける暁時だった。


「銃を向けられながら車に乗っているのは緊張するなあ、いつ弾が飛んでくるか分からん」

 向井中佐は詰襟を外しながら話す。助手席に座っていた山本少佐は、

「ソ連とフィンランドの国境で車を止められて五、六人の兵士に囲まれた時はびびりましたよ」

「向井中佐殿、スウェーデンは本当に安全なのですか?」

 私は不安になって、中佐に尋ねた。

「一応、中立国だからな。しかし、各国の諜報員が暗躍しているんだ、ここは」

「諜報員? スパイってことですか」

「そうだ、英国、米国、ソ連、ドイツや近隣諸国も入り乱れて戦況の情報収集が盛んに行われているんだ、もちろん日本もだ」

「ドイツへ入国する手段が決まらないのは何故ですか?」

「我々の動きも監視されているからだ、連合国のスパイどもに」

「ここも危険な場所ってことですか?」

「危険な場所でもあるが、重要な場所だ。とにかく色々な情報が入ってくるからな」


 車は海岸沿いを南下して、ストックホルム市内に到着した。

 私たちは港の近くの古い集合住宅が立ち並ぶ狭い路地を通り、右に左に何度も曲がりながら進み、黄色く塗られた建物の前で止まった。


 そこは、日本の諜報員たちが利用する隠れ家だと聞かされた。


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