第二一話 残された手紙
節子へ、
僕は君の前でどうしても話せなかったことを、手紙の代わりにこのレコードに録音します。
話は、四年前までさかのぼります。
僕は陸海軍合同の視察に同行してドイツへ行きました。
実は、学生の頃に電気工学の勉強のためドイツに留学していた時、あるドイツ人学生シャックマンと友達になりました。彼は趣味でバイオリンを弾いていたので、彼が演奏しているところを録音してあげました。
帰国後僕は、レコード會社へ入社し、彼はドイツ軍の技術将校になりました。そんなことがあり、軍人でない僕も通訳を兼ねて、四年前の視察に同行することになったのです。その視察はドイツ北部にあるペーネミュンデ兵器実験場へ行き、友達のシャックマンと再会し、色々な武器を見て回りました。
視察が終わり日本へ帰国する時シャックマンが僕の所へやって来て、日本の防衛に役立ててくれと、彼が大切にしている手帳をくれました。その手帳には、敵の戦闘機に向けて発射する誘導爆弾のことが書かれていたのです。日本に戻る途中で、僕はこの手帳に書いてある爆弾を作ってくれと軍の関係者に相談し、帰国したあと、京都にある軍の航空機製造工場へ出向することになりました。
その頃、日本軍も神風特攻隊により多くの若い命が無残に失われていくことに危機感をもっていて、敵の艦船や飛行機の音をマイクロフォンで感知して、迎撃する爆弾を作ろうとしていたのでした。そこで、この迎撃用爆弾のマイクロフォンを自分で作りたいと申し出て、ぶどうの木のある甲府の山奥でマイクロフォンを作り始め、京都と甲府を何度も往復していたのです。
確か、君と出会ったのは、その頃だったね。
ある日、やっと目的のマイクロフォンが完成したので、急いで京都の実験場へ持っていきました。
だけど、たった数時間だけ遅かったのです。
僕が作ったマイクロフォンが届く前に、ある事故が起こってしまいました。
その事故の原因は、爆弾に搭載した未完成のマイクロフォンが壊れ、爆弾が暴走したのです。僕は爆弾に付けたマイクロフォンが、自分で飛ぶ風圧や衝撃によって壊れる危険があることを知っていました。それで僕は甲府の山奥で、マイクロフォンを作ってはロケット花火に取り付けて実験して、試行錯誤を繰り返して、風圧と衝撃に強いマイクロフォンがやっと完成した。 ……と思ったのに、たった数時間だけ間に合わなかったのです。
もし、僕がマイクロフォンをもう二時間だけ早く持って来ていたら。
もし、あの爆弾の実験がもう二時間だけ遅ければ。
そう、君が居た『足山旅館』にあの爆弾が落ちないで、君の眼が見えなくなることもなかったのです。あれは、……アメリカ軍の爆弾ではありません。
僕はくやしくてくやしくて、マイクロフォンを早く作ることができなかった自分と、僕のマイクロフォンをたった二時間、待ってくれなかった軍の技術者たちを恨みました。 ……だけど何をしても、
僕のせいで君の眼は、何も見ることができなくなってしまった。
僕の顔を見ることも、生まれてくる赤ちゃんの顔を見ることも。
本当に、本当にごめんなさい。 節子。
だけど僕は、必ず君を幸せにすることを、
ここに誓います。 ……。
ああ、最後のほうは、涙声になってしまったから、もう一枚録直そう、
このレコードとマイクロフォンを持って、早く大阪行きの列車に乗らないと、
そして、早く節子に会いたい。
……ぷっぷつ……ぷっぷつ……。
次の日の昼過ぎ、海斗が冬菇屋へやって来た。
「こんにちは、耕太郎さんと恵子さん」
「やあ、海斗君。今日は何の用事?」
「はい、機密部品調査の最後の仕事を頼みに来ました」
「あら、やっと解放されるのね、私たち」
「幻のマイクロフォンの事が、全て分かりましたから、今回の仕事が終わったら契約を解除します」
「今回の仕事って何さ?」
「今朝、美咲さんに電話をしました。それは、甲府に住んでいる菊子おばあちゃんに旗島さんから貰ったつげ櫛を、京都の節子さんに返してあげることが出来ないかどうか、相談するように頼んだんです。その返事を待って、このつげ櫛を菊子さんか節子さんに返却してほしいんです」
海斗は、カバンからハンカチで包んだつげ櫛を取り出す。
「できたら、節子さんに返してあげたいな、このつげ櫛」
「そうね、あのレコードを聴いた節子さんも、このつげ櫛を返して貰ったらすっごく喜ぶと思うわ。昨日はあれを聴いてて、美咲ちゃんと二人で大泣きしてたのよ」
「俺たちもそうだよ、あの音響室で大声を出して泣いてた」
「音響室だから、外に声が漏れなくて良かったですよね、ははは」
「ところで、あの旗島さんが作ったマイクロフォンには、どんな細工がしてあったんだい?」
「あのマイクロフォンには、特別な暴風対策が施してあって、ある特定の周波数の音を拾うために風の音をキャンセルする工夫があったんです。ですから今でも対潜水艦ヘリに搭載されているソナーのマイクロフォンにも活用されています。中国の諜報員もあのマイクロフォンが検知する周波数特性を知りたかったんだと思います。諜報員のアジトも判りましたから毎日監視してます」
「なるほど、すごい物を作っていたんだね、旗島さんは」
「でも、終戦の日に空襲に遭うなんて、本当にかわいそうな人ね」
「だけど、こうして今でも役に立つものを作ったんだから偉い人だよ」
「確かにそうですね」
そこへ、美咲が自転車に乗ってやって来た。
「こんにちは、あら、皆さんお揃いですね」
「美咲ちゃんわざわざ来てくれたんだ」
「ええ、大事なことをお伝えするために来たんですよ」
「美咲さん、ご苦労様です。甲府のおばあちゃんにつげ櫛のことを聞いてくれましたか?」
「ええ、もちろん」
「美咲ちゃん、何て言ってました、菊子おばあちゃんは?」
「はい、おばさん。昨日のレコードのことを話したら、どうぞ節子さんに返してあげてくださいって言ってました」
「おお、それは良かった。節子さんきっと喜ぶよ」
「美咲さん、どうもありがとう」
「どういたしまして、海斗さん。ところで、あのポーチの値段交渉の購買担当者は厳しい方ね」
「弾薬盒の値段は決まりましたか?」
「千円しか値段を上げてくれないから、ポーチを返して下さいって言ったら、上野の専門店で別の物を買ってくるって言うのよ。仕方なく三万千百円で決着をつけたわ」
「はは~、美咲ちゃんもこの夏は、いい社会勉強したね」
「でも美咲ちゃん、ちゃんと学校の勉強をしないと、またお父さんに怒られますよ」
「学校の勉強は、授業中だけ集中すれば大丈夫ですよ」
「ところで美咲ちゃんは、将来何になりたいんだい?」
「う~ん、自衛官にでもなろうかな。……うそですよ」
「いやいや、ぜひ来てくださいよ、美咲さんなら自衛隊の女性司令官になれますよ。それから耕太郎さん、これも節子さんの所へ持って行ってください」
海斗はカバンから、例のEP盤レコードを取り出した。
「節子さんへの手紙だね、七十年ぶりに旗島さんの思いが節子さんへ届けられるって訳だ」
「随分時間が経ってしまったけど、ちゃんと届けられたら旗島さんも喜ぶわね」
「耕太郎さんと恵子さんの二人で今日中に京都に移動して、明日の午前中にこのつげ櫛とレコードを渡してください。丸山真奈美さんには私のほうから連絡しておきます」
「ああ、分かったよ。最後の仕事をしっかりやり遂げてくるよ」
「よろしくお願いします」
「おじさん、おばさん。また遊びに来ます」
海斗と美咲はそれぞれ帰って行った。
「あなた、また京都に行けるわね」
「ああ、この間泊まったビジネスホテルに予約を入れなくちゃ」
耕太郎と恵子は、夕方になって新幹線で京都へ向かった。
次の日の午前十時ごろ、介護施設の玄関で待ち合わせをしていた真奈美に会い、耕太郎と恵子は節子の部屋へ案内される。
「お母さん、東京から片桐さんと奥さんの恵子さんがお父さんの遺品を持って来てくれたのよ」
それを聞いた節子は、ベッドから身を起こして語り始める。
「まあ、片桐さんと恵子さん。ようこそお出で下さいました。先だっては本当にありがとうございました。あのレコードを聴いてから、胸のつかえがいっぺんになくなって安らかな気持ちになって、真さんへの思い出が次から次へと出てくるんです」
節子の顔は、耕太郎が前に見た時と打って変わり、目じりが下がり頬は膨らんで見えた。
「節子さん、真さんの最後の言葉が入ったレコードを持って来ました。いつでも聴けるようにカセットテープに吹き込んだものも持って来ましたよ」
耕太郎は真奈美に封筒に入ったEP盤とカセットテープを渡す。
「どうもありがとうございます」真奈美はそれを受け取ると、大事そうに胸に当てた。
「節子さん、甲府の菊子さんというおばあちゃんから、これもお返し下さいって」
恵子はハンカチで覆ってあるつげ櫛を取り出し、節子の手を取って直接つげ櫛を握らせた。
それを両手で受け取った節子は、笑みを浮かべて、つげ櫛をきつく握りしめる。
そして、それを頬にあてがうと、こらえきれず涙がとめどなくこぼれてきた。
「ああぁ、真さん。……お帰りさない」 (了)