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幻のマイクロフォン(改稿)  作者: 古森史郎
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第一七話 雨の施設

 翌朝は台風が接近していて外は弱い雨が降り、時折生暖かい風が吹いている。耕太郎たちは、ホテルのチェックアウトを済ませ、ホテルの玄関前でタクシーを待っていた。


「海斗君、昨日の夜プチプチと変な音がしてドアを開けてみたら、栗の皮が落ちてたんだ」

「え、それじゃあ、あの小太りのサングラスを掛けた男が来たんですか?」

「やだ~、あなた、こんなところまで私たちを付け回すの、あの男」

「あの男の姿は見えなかったけど、何か気になるな~」

「あの男の仕業かどうか分かりませんが、とにかく警戒しましょう」

「私、今日は介護施設へは行かないわ」

「なんでだよ?」

「せっかく京都に来たんだから半日観光にでも行っていい?」

「ああ、分かったよ。俺達二人で介護施設に行ってくるよ」

 恵子は一人傘をさして、ほんの少し腰を振りながら駅の方へ歩いて行った。


 耕太郎と海斗はタクシーに乗り、丸山つげ櫛屋へ向かう。耕太郎はタクシーの中で変な車につけられていないか、後ろばかりを気にしていた。

 タクシーがつげ櫛屋の前に着くと、海斗が店に入り、真奈美を連れてきて耕太郎の隣に座らせる。海斗は助手席に乗り込むと、運転手に真奈美から聞いた行き先を告げ、再びタクシーを走らせた。

 そこから五、六分程で住宅街の中にある介護施設の前に着く。先に車を降りた真奈美は、耕太郎と海斗を連れて介護施設の中へ入って行った。


 ここの介護施設は比較的新しく、四階建ての小さいマンションのような建物だった。真奈美たち三人は玄関を入ってすぐスリッパに履き替え、履物を小さいロッカーに入れる。真奈美は受付で名前を記帳し、紙でできたマスクを取り、二人に渡した。三人はマスクをしてエレベータに乗り込み係員を待った。ここのエレベータは係員が操作しないと動かない仕掛けで、介護施設にいる老人たちが勝手に外へ出られないように工夫してあるのだ。


 真奈美は、エレベータ近くの三〇三号室のスライド式ドアを開けた。

 その部屋は、五帖程の広さで入口のすぐ右横にはトイレが備え付けられている。奥には雨の降る南向きの窓が見え、左側の壁にはタンスとテーブルの上に古いラジオカセットが置いてあった。少し中へ入ると、トイレの奥側に一台のベッドがあり、薄い羽毛の布団を掛けた九十才を過ぎる節子が窓の方を見るように寝ていた。


「お母さん、今日はお客さんを連れてきたのよ」

 真奈美がマスクを外して節子の前に立ち節子の手を握る。

「ああ、真奈美。今日も来てくれたの、ありがとう。お客さんって誰なの?」

 真奈美は、節子を探しに東京から二人の男の人が来たことを伝え、海斗の手を握らせる。

「この方は柴田さん」

 今度は耕太郎の手を握らせ、

「この方が片桐さん」

「東京の方から、わざわざお越しになったんですね、ご苦労様です」

 節子は首を左に倒しながら耕太郎達をねぎらった。


 海斗もマスクを取り、節子に向って尋ねる、

「ご療養中のところ申し訳ありません、今日は節子さんのお話をどうしても聞きたくて参りました」

 海斗は早速カバンからつげ櫛を取り出して、真奈美に渡す。真奈美は、

「お母さん、これわかる?」

 と言いながら、節子の両手を取ってつげ櫛を握らせた。


 節子は櫛の歯の部分を触り始めるが、節子の閉じた目はつげ櫛ではなく天井の方を向いている。

「へただね~、これ作った人」

 と言うと、今度は葉っぱとつるの焼き印の部分を人差し指でなぞる。

「あら、これうちの櫛?」

 さらに節子と彫ってあるところをなぞったところで、指が止まった。


「おや……」

 節子の顔色が変わる。


 節子は指を止めたまま、自分の過去を探し回っているようだ。節子の口が僅かに動いている。


 少し "にこっ" とした次の瞬間!


 つげ櫛を窓の方へ投げ付け、顔を壁の方に向けてしまった。


 投げ付けられたつげ櫛は、鈍い音がして窓枠の横に当たり床に落ちた。

 マスクをしたままの耕太郎は、じっと節子の肩を複雑な気持ちで見守っている。


 長い沈黙の後、真奈美はつげ櫛を拾い上げ、節子の肩を小さく叩く。

「お母さん、折角東京から来て頂いたんだから少しだけでも話をしてあげて」

「う~」

 節子は壁を向いたまま唸っている。

「柴田さん申し訳ないねえ、でも聞きたいことがあったら遠慮せずに聞いて下さい」

 真奈美は拾ったつげ櫛を海斗に返す。

「はい分かりました。節子さん、このつげ櫛を渡した相手の方のお名前だけでも教えて頂けませんか?」

「う~」

「お母さん、私からもお願い、話してあげて」

「う~、あまり話したくないのぉ」


「……だけど、よおく覚えていますから、話しますよ」

 節子はようやくつげ櫛の持ち主だった男の話を始めたのだ。

「私は、このつげ櫛を、私と結婚の約束をした人にあげました」


「その人と知り合ったのは、戦時中の足山旅館です。私は毎週土曜日の夜だけ足山旅館にお手伝いに行っていました。ある時、足山旅館で配膳の仕事をしていたら、あの人と偶然出会ったんです。あの人は軍人さんたちの会合で足山旅館に来ていて、たまたまあの人だけ先に帰るところでした。あの人が(お先に失礼します)と言ってふすまを閉ながら後ろへ下がり、頭を下げた時、私からあの人にぶつかって転んでしまったんです。あの人はえらく心配して、私が擦りむいた左の肘を見ると(ああ、すみません、怪我させてしまって)と言いながら、口をあけて私の肘に"ハー"と息を吹きかけ、(こうすると、早く治るおまじないなんだ)て、面白いことを言ったんです。そんなことがきっかけで、私たちは恋仲になり、結婚の約束をしたんです。その頃にこの真奈美ができました」


「そして、あの忌まわしい事が起きなければ、私たちは幸福な人生を送っていたかも知れません……」


「あれは、突然のできごとでした。私がいつものように足山旅館で配膳のお手伝いをしていた時、空襲警報も鳴らないのに、突然爆弾が空から降って来たんです」

「その爆弾は足山旅館のほぼ真ん中に落ちたんです。私は幸い庭沿いの廊下を歩いていたので、命は助かりましたけど、ご覧のように失明してしまいました」

「私が病院へ運ばれて、入院している時には、あの人は毎日お見舞いに来てくれて励ましてくれました」

「だけど、あの玉音放送の二日前、(ちょっと重要な仕事があって、東京へ行ってくる)と言って別れてから、それ以来全く来なくなってしまったんです」

「私は、あの人の身に何か起こったのかと心配しましたが、父に調べてもらっても一向にあの人の所在が分からなかったんです。そのうち私は、あの人は目の見えない私を捨てたんだ、と思うようになってしまいました……」


 海斗はうつむきながら、申し訳なさそうに質問する。

「その方のお名前とご職業を教えて頂けませんか?」

「あの人の名前は旗島真です」

「畑のはたですか?」

「日の丸の旗です。真は真奈美と同じ字です。だけど、あの人の職業はどうしても教えてくれませんでした、何か軍の機密に関わる仕事としか」

 海斗は、

「分かりました、どうもありがとうございます。このつげ櫛は持って帰りますが、もし、欲しくなったらいつでも私に連絡してください」

 耕太郎は、

「節子さん、今日はつらい話をしてくださって、本当にありがとうございました」

 耕太郎と海斗は静かにドアを開け、部屋を出る。しばらくしてから、真奈美も部屋から出てきた。

 介護施設の玄関前で帰り際、真菜美は海斗の正面に立って頼みごとをする。

「毎週ここに診察に来るお医者さんから、母はもう長くないと聞いています。もし、母の気が変わったら、そのつげ櫛をもう一度握らせてあげたいのですが」

「そうだよ海斗君、何とかこの櫛を節子さんの元に置いとけないかな」

「このつげ櫛は、借りた人に返しに行きますが、事情をお話しして戻してもらう交渉をします。その時の為、あなたの電話番号を教えてください」

「はい分かりました」

 真菜美はスマホを出し、海斗に電話番号を教えた後、

「よろしくお願いします」

 真奈美は耕太郎たちに深く頭を下げた。


 耕太郎と海斗は真奈美と別れてから、タクシーで京都駅へ向かった。外は雨が強く降るようになり、風も出てきている。耕太郎はタクシーの中で恵子に電話して、京都駅の新幹線改札口付近で待ち合わせすることにした。


「海斗君、節子さんも真奈美さんも大変な人生を送ってるね」

「はい、僕らも不自由なく暮らしていることを、幸せだと思わないといけませんね」

 耕太郎は節子の行動を振り返る。

「しかし、節子さんがあのつげ櫛を投げ付けるとは、思いもよらなかった」

「確かに、何か突然、悔しい思いが押し寄せたんでしょうね。とにかく、新しい情報を得たことは収穫です。東京に帰って、旗島真さんのことを調べてみます」

「名前だけで何か分かる?」

「困難な作業になるでしょうね」

 耕太郎と海斗は、京都駅で恵子を拾ってから、三人で新幹線に乗り込み、東京へと帰って行った。


 新幹線は豪雨の中、それぞれの乗客の思いを振り切る勢いで走っていた。


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