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幻のマイクロフォン(改稿)  作者: 古森史郎
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第一六話 店の女将

 耕太郎たち三人は、焦げ茶色の古い座卓の周りに座布団が敷かれた六畳間に通される。奥の床の間のそばに海斗が、その右手側の列に耕太郎と恵子が座った。店員がお茶を配って下がって行ったあと、女将がやって来て耕太郎の前に座った。


「どうぞ、お楽にして、お茶でも召し上がってくださいね。私はここの女将の丸山真奈美と申します」


 耕太郎と恵子はひざを崩したが、海斗は正座のままである。

「私は、自衛隊の柴田海斗です。隣は調査協力をして頂いている冬菇屋さんの片桐耕太郎さん、その隣は奥様の恵子さんです」

 耕太郎と恵子は頭を下げるだけで、何も話さなかった。ここは、海斗に任せようと考えたようだ。

「自衛隊の方がお出でになるなんて、どのようなお話ですか」


 海斗は背筋を伸ばしてから、節子を探している訳を話し始めた。

「私は自衛隊の装備技術の所属で、研究官をしております。先週甲府の山奥で、戦時中の武器に関する貴重な道具が土に埋まっていることが分かりまして、耕太郎さんと一緒にその道具を回収しに行ったんです。その道具が埋められたすぐそばで、終戦前に、ある重要な部品を製作している男の方がいたことが分かりました」


「その方が作った部品の構造は、現在でも自衛隊に継承されている大変貴重な物です。しかしその方のお名前は資料にも残されておらず、完成された部品も見つかっておりません。我々はどうしてもその方の行方と、完成した部品を見つけたいのです」


 真奈美はじっと海斗の話を聞いている。耕太郎は海斗の説明を聞かず、この部屋の奥でつげ櫛を作っていると思われる音に聞き耳を立てて、襖を開けて見てみたい自分を我慢しているようだ。恵子は何度も足を組み替えてしびれを我慢し、手持ち無沙汰にしていた。


「発見者の祖母にあたる方にお話を伺いに行ったとき、このつげ櫛は山奥で重要部品を製作している男の方から頂いたというお話をしてくださったので、お借りしてきました。それで、このつげ櫛に書いてあった節子さんを探しに来たのです」

 それを聞いた真奈美は、つげ櫛をぎゅっと握ったまましばらくうつむいていた。


 真奈美が顔をあげると、その目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


「母がこのつげ櫛に触れたら、泣いて喜ぶと思います」

 と言って泣き崩れてしまった。耕太郎と恵子は真奈美の泣き声とその姿に動揺する。

 海斗はハンカチを取り出して、それを真奈美に渡す。

「このつげ櫛に触るとは、どのような意味ですか?」

「実は、私の母は目が見えないのです。戦時中に爆弾が落ちて以来」

 真奈美はハンカチで涙をぬぐいながら、母、節子のことを静かに語り始めた。


「母は、この丸山つげ櫛屋の一人娘で、お店の看板娘と言われていたようです。若いときから働き者で、ここでつげ櫛を作っている職人さん達の仕事も手伝っていたと聞いております。その頃に、このつげ櫛を母が自分で作ったのだと思います」

「けれど、終戦の直前にある不幸に見舞われてしまいました。それは、今はありませんが、隣町の足山旅館へ行っていた時です」


「え、足山旅館! その旅館のことも調べに来たんです」

 海斗も耕太郎も足山旅館の名前が出てきてびっくりした。真奈美はさらに話を続ける。


「終戦の十日くらい前のことで、母が足山旅館に手伝いに行っていたとき、アメリカ軍の一発の爆弾が旅館を直撃したそうです。母はかろうじて命は助かりましたが、その時から目が見えなくなってしまったんです。その頃、母のお腹の中には私がいました。母の話では、私の父とは爆弾が落ちるまえから結婚の約束をしていて、目の見えなくなった後も、母の心の支えとなっていたようです。しかし、ある時を境に二度と来なくなってしまったそうです」


「もしかすると、このつげ櫛を持っていた方が私の父ではないかと思うと……」


 真奈美はまた泣き崩れる。海斗は真奈美の震える肩を心配そうに見つめ、耕太郎と恵子の二人はもらい泣きしていた。


「真奈美さんのお母さんは、さぞかしご苦労されたんでしょうね」

 耕太郎は手の甲で涙をぬぐいながら、真奈美に尋ねる。

「母は、目が見えなくなった後も、祖父と祖母のいるこのつげ櫛屋で一緒に暮らしておりました。私は生まれてすぐ祖母に育てられました。本来なら母がこの店を継いで女将となるはずでしたが、養子に来る人も見つからず、私が大人になるまで、職場で櫛の検品作業を手伝っておりました。私が大きくなっても、母は毎日できあがった櫛を手に持って櫛の歯を指で一本一本触りながら、櫛のささくれや、良し悪しを確かめていました。ですからこれに触ればすぐに分かると思うんです、このつげ櫛の持ち主を、うぅ」


 海斗は、真奈美が落ち着きを取り戻すのを待ってから、再び尋ねる。

「お父さんのお名前はご存知ですか?」

「いいえ、教えてもらっていません」

「明日、節子さんと直接お話がしたいのですが」

「もちろん構いませんよ、このつげ櫛を母に触ってほしいので、明日の朝十時ごろにここにお越し頂くということでどうでしょうか」

「はい、分かりました。明日またここへ来ます」


 海斗が席を立ち帰ろうとした時、思い出したように耕太郎が尋ねる。

「あ、ちょっと待って、ここのお店でつげ櫛を作っている所をどうしても見たいんです。女将さん見せて頂けないでしょうか?」

「はい、このすぐ奥に職場がありますよ、どうぞ見て行ってください」

 女将は耕太郎の後ろのふすまを開け、耕太郎たちを連れて職場まで案内した。


 そこは薄暗い部屋で、白熱球の電気スタンドに、つやつやした手を照らす職人があぐらをかいて座っていた。

「この人がうちのつげ櫛を一人で全部作ってるんですよ」

 その職人は七十才を過ぎている。眼鏡をかけ、頭に手ぬぐいをかぶり、女将が近づいても黙々と作業を続けていた。


 その職人は、木を組んで作られた辞書を立てたほどの大きさの台につげ櫛を挟み付け、左手で櫛を持ち、右手に細くて小さいのこぎりを持って櫛を挽いていた。職人の左側には、手作りのやすりやのこぎりなど数多くの道具が一列に並んでいる。右側には大小様々なつげの木の板が、箱の中に山となって積んである。職人の膝元には、つげの木の粉が散らばっていた。


 腕を組んで見ていた耕太郎は、『お年を召された方なのにこの職人さんの手は、こんなにつやつやしてる。毎日つげの木を触り、繊細な手作業をしていると手も若返るのかな。それにしてもこの職人さんの技はすごい、あんなに細い櫛の歯を数回挽くだけで出来上がってしまう』と感心しながら、食い入るように職人の手を見ていた。


「女将さん、こんな素晴らしいお仕事を代々続けてこられて本当に感服します。ここの職人さん、仕事を手伝っておられた節子さん、そして女将さんも伝統を守り続けるために大変ご苦労されたんだと思います。これからもこのつげ櫛屋をずっと残してください、明日節子さんにお会いできるのが楽しみです」

「ありがとうございます。きっと母も喜びます」


 帰り際、恵子がお土産用の四千円の櫛を買った後、つげ櫛屋の店先で見送りの女将に挨拶してから街中を歩き、耕太郎たちは近くにあったそば屋へ入る。そこで三人は同じニシン蕎麦を注文し、話もせずに黙々と食べていた。そば屋を出ると、タクシーを拾って京都駅近くのホテルへと向かった。


 耕太郎たち三人は、六階建てのビジネスホテルに着きチェックインを済ませると、明日の朝の待ち合わせ時間を確認する。エレベータに乗って海斗はシングル、耕太郎と恵子はダブルの部屋へと入って行った。


 その夜、耕太郎と恵子がいる部屋の外でプチプチと何かを潰すような音がした。恵子はすでにベッドで、いびきをかいて寝ている。耕太郎は今日会った真奈美と、明日会う節子のことを考えて中々寝付けないでいる。耕太郎はプチプチ音がどうしても気になり、ベッドから起き上がって部屋のドアをそっと開けた。


 ドアの前の廊下には、踏みつぶされた栗の皮が、あちらこちらに散らばっていた。


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