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 -9 『嘘つきな鳩と素直な少女』

 それから私たちは、まだ昼休みだったことを思い出し、次の授業のために一緒に動くことにした。マンドラゴラことどらごんちゃんは、今日は曇る時間も多かったせいもあってややご機嫌斜めらしく、またリリィによって植えなおされていた。


 私にはまったくわからないが、長年の付き合いである彼女には通ずるものがあるのだろう。それこそ友人のように。


「毎日お水をあげるんですが、マンドラゴラにもお水の好みがあってですね! どらごんちゃんは少しぬるめな軟水じゃないと元気に育ってくれないんですが、前にマンドラゴラ研究会の知り合いの方に見せてもらったマンドラゴラちゃんは塩水を少し混ぜた冷水じゃないと喜ばないっていう不思議な事実が――あ、ごめんなさい。……興味ない、ですよね。こんなこと」


「いいえ、そんなことないわよ」

「本当、ですか?」

「ええ」

「や、やったです!」


 普段は奥手だというのにマンドラゴラのことになると前のめりに早口で喋るリリィは、ギャップもあって面白い。

 しかしふと我に返って縮こまったりするものだから見ていて飽きることはない。


 話を聞いてくれることに気をよくしたリリィは、それからもマンドラゴラについての多くのことを話してくれた。育て方や、どらごんちゃんの個性についても。


 鈴の音色を耳元で聞くように彼女の声を耳にしながら、私はフェロと一緒に次の教室へと足を進める。その道中、校舎を渡る廊下脇の花壇に腰掛けて本を読んでいるルックの姿を見つけた。


「やあ」と細目を更に細長くしてにこやかに微笑んでくる。やはり頭には何故か鳩が乗っていて、円らな瞳が私に目を合わせてきた。


「やっぱりいるのね、鳩」

「実はこの鳩の方が俺の本体だからね。脳みそも頭蓋骨じゃなくて鳩の方に詰まってるのさ」

「あらそう」


 興味もなく返すと、ルックは寂しそうに肩をすくめてみせた。


「そんなところでなにをしているの?」とフェロが尋ねた。


 ルックはその細長の目を遠くへ向けた。

 つられて私たちも向けると、そこには全力で高速足踏みをしているスコッティがいた。ポニーテールを馬のたてがみのように上下させ汗を跳び散らしている。


「なにやってるのよ、あれ」

「面白いだろう?」


 私の質問にさらさら答える気もなくルックは微笑む。


 何もないその場所をひたすら地団駄でも踏むかのように足踏みし続けている光景は異常である。


「そこに池があるだろう」

「ええ、あるわね」


 貴族学園の校庭の隅に、まるで公園のように整備されたそれなりに広い池があるのは私もフェロに案内された。その畔は昼休みには生徒達がお弁当を広げたりと憩いの場として使われているという。


 それがどうしたのかと思ったが、ふとルックが降らなさそうな下衆い笑みを浮かべていることに気付き、私は聞くより先に呆れた。


「実はね。人って水の中だと体が沈んでいっちゃうだろう。でも、足が沈む前にもう片方の足を水につけて、それも沈む前にまたもう片方をつけたら、水の上を走ることができるようになるんだ――って教えてあげたんだよね」


 やはりまたか。

 まったくくだらない嘘だ。

 けれどもそれを素直に信じて実行しているスコッティもやはりどうなのか。


「この前も両腕ズボンで顔を真っ赤にして恥ずかしがってたのに、どうしてまた騙されてるのよ……」


 ――いやまあ、その時のようやく自覚した瞬間の羞恥の顔は、思わず部屋の額縁に飾って毎朝寝起きに眺めたいくらいには可愛かったけれど。最高だったけれど。


 じゅるり。

 また漏れ出そうになった心の涎を拭っていると、スコッティが動きをやめ、私たちの方を見やっていることに気付いた。


「ふんっ」と鼻息を噴出し、決まり顔で親指を立てている。


 なんだろういったい。

 いやまさか準備完了とでも言いたいのだろうか。


「本当にやる気じゃないでしょうね」

「どうだろね」


 ルックはルックで他人事とばかりに傍観して笑っているばかりだ。


 止めさせるべきか、なんて迷っているうちにスコッティが池へと走り出した。そして池の縁で減速して猛烈な早さで足踏みを始めると、そのまま池へと迷いなく飛び込んだのだった。


「――あぁ」


 もちろん結果はお察しだ。

 激しい水しぶきを上げながら、スコッティの体はそのまま池の底へと姿を消したのだった。しばらくしてびしょ濡れの彼女が這い上がってきて、本気の悔しそうな顔を浮かべて戻ってくる。


「じゃあ俺は先に教室行ってるから」といつの間にかルックが姿を消してしまったところに、へらへらと笑顔を浮かべたスコッティがやって来た。


「あははー、失敗だったよー。行けると思ったんだけどなー」

「……だ、大丈夫、ですか? あの、これ、ハンカチです」

「大丈夫だよリリィ。ありがとー」


 快活にスコッティが笑う。

 彼女は可愛らしい花柄のハンカチを受け取って水を拭うが明らかに足りていない。制服もすっかり濡れてスカートは重くへたりこんでいるし、上着やシャツなんかもひどく水が滴り落ちている。たまらず私もハンカチを出して拭ったが、どう考えても吸水しきれるものではない。


「ちょっと。ちゃんと乾かさなきゃだめよ」

「保健室ならタオルがあるよ、きっと」

「そこね。フェロ、取ってきてちょうだい」

「うん、わかった」


 そそくさと走っていく婚約者に任せ、私は呆れ調子にスコッティに問いかけた。


「あんな方法で水の上を走れる訳ないでしょ」

「ええっ、でもルックは走れるって言ってたよー。すごく説得力があった!」

「どこがよ」


 胡散臭さ百パーセントだったと思うけど。


「また嘘よ」

「ええ、嘘なの?! むきー、ルックのやつー!」


 ようやく気付いてやっと、スコッティは起こった風に眉を吊り上げて両腕を持ち上げた。しかしもうすでにルックの姿はどこにもなく、その振り上げた拳も行方を迷わす。


「次に会ったら絶対ぽこすか叩いてやるんだからー」


 なんと報復の可愛い規模のことか。


 しばらくして、膨れっ面を浮かべるスコッティの元にフェロが駆け戻ってきた。


「とりあえず小さいタオルならあったよ。もっとないか探してみるね」

「ええ、ありがと」


 やや小さめな白い無地のタオルを手渡し、フェロはまた校舎の中へと走り去る。


 私はタオルを広げ、解いたスコッティの髪を思い切りばさばさと拭っていった。タオルから漂うお日様の匂いと、シャンプーかなにかのスコッティの女の子らしい華やかな香りの中に、池の生臭さがない混じった独特の臭いが鼻を刺激してきた。


 なんというか、生臭さがなければ最高だった。

 私は一人娘だったから、まるで妹ができたみたいな感覚だ。こうして風呂上りかなにかで可愛い女の子の髪を拭いてやる光景を、私はプルネイの屋敷で何十回妄想したことか。


「ありがとー!」と目を瞑りながらされるがままに拭われるスコッティだが、私の方がありがとうと言いたいくらいだ。実直すぎる元気っ子だけど、それもまた愛嬌がある。


 ――この子も持ち帰りできないかしら。


 じゅるり。

 心の涎をまた拭い、私はそんな欲望を必死に抑えこんだ。


「それにしても、どう考えたってルックの話は嘘でしょう。この前も騙されていたし、おかしいと疑わないの?」

「そ、そりゃあ最初は『嘘でしょ!?』って驚くけどさー。よくよく考えたらありえないことだなって思うよ」


 あはは、と八重歯を見せながらスコッティは振り向き、言った。


「でも――どれだけ馬鹿げたことでも、思い続けていれば、いつかは本当になるかもしれないでしょ?」


 それは何か的を得ているような、それともただの馬鹿の一つ覚えとでも言うような、そんな彼女を表した言葉みたいだった。


「諦めたら何にもなれないよ! やってみないと!」


 その底抜けの明るさは、目を留めるには十分すぎるほどに眩しく感じた。


 そこがきっと、スコッティのいいところなのだろう。疑うくらいなら試してみる。その行動力。その実直さ。


 慎重になるせいで足踏みをして前に進めない人よりも、その斜め前の一歩は着実に前に進んでいる。とんだ的外れの成長だと馬鹿にされるかもしれないが、変化を忘れ、その場に足を停滞させてしまった人間よりも、スコッティのその動的な生き方のほうがずっと魅力的だと思った。


「むむ、ユフィさんも笑ってるー」


 言われ、私の口許が自然と持ち上がっていることに気付いた。


 まったくの素だった。


「ああ、違うの。ごめんなさい」

「ええー。じゃあなにー?」

「ちょっと向こうの方に逆立ちで歩いている犬を見かけちゃってね」

「ええ、どこ?!」


 やはり実直に顔を持ち上げ、スコッティは夢中になって彼方を探す。やっぱり引っかかるのかと呆れながらリリィに目をやると、彼女もちょっと視線をうろうろさせてこっそり探していた。


「ねえ。ルックにそんなに騙されてイヤだとは思わないの?」

「え? そりゃイヤだよー。あたしだっていっつも真剣だもん。でも、ルックは的外れなことしか言わないわけじゃないんだよー」

「そうなの?」


「すっごく博識なんだー。あたしがずっと小さな頃からいろんな本を読んでて、あたしの知らないいろんな世界を教えてくれるの。あたし馬鹿だから、そういういろんな知識を持ってるのってすごいって思っててさ。まあ、調子に乗るから本人の前では言えないけどねー」


「なるほど。貴女たちって仲良いのね」

「そ、そんなことないよ!」


 必死に言葉を強めて否定してくるスコッティだが、それからこめかみを掻いて口許を窄ませた様子から、どこかまんざらでもなさそうに思えた。


「貴女たちは凄いと思うわ」


 視界にリリィも含めて私は言った。


「あたしたち?」

「……ですか?」

「ええ、そうよ。だってちゃんと自分を持っているんだもの。そこらの生徒達よりはずっと好印象だわ。最初は変な子たちって思ってたけど、良い子たちね」


「やったー。……あれ、さらっと悪く言われてない?」

「言ってないわよ、スコッティ」

「わわっ、名前で呼んでくれた! じゃああたしも、ユフィっちー!」

「なによそれ」


 まだ乾かしきっていないのにスコッティが振り返り、抱きついてきた。そんな猫のようなじゃれつきに、私はやれやれと思いつつ、頬同士ぶつかった彼女の柔肌を堪能していたのだった。


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