表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/39

 -8 『土まみれの少女』

 貴族学園において、私はどうやら相当異質な存在のようだ。


 まあそれもそうだろう。

 廊下で生徒とすれ違う時には、たとえ相手が並んで歩いていても位の低いほうが避ける。教室に入ってからの挨拶は位の高い前列の人から順番にする。


 そんな誰が決めたのか暗黙の了解を私は悉く無視し、廊下でもとにかく譲る気はなかったし、教室に来たら一目散に最後列へと向かい、迎えてくれるリリィたちにだけ挨拶した。


 私も、前列に座る彼らも、人としてなにも変わらない。ただ少し生まれた場所が違うだけであり、それによって何の力を得ている訳でもない彼らを敬う理由がわからなかった。


 ただ親の、先祖の威光を袈裟に着てふんぞり返ってる赤子同然だ。

 ただやはり彼らからすれば私のような人間は目の上のたんこぶらしく、特に編入初日に席の指摘をしてきた緑髪の男を中心に陰口を叩いてくるようになっていた。


 彼の名前はネギンスというらしい。

 細身で色白、髪も緑ということで私は内心で長ネギと呼んでいる。


 長ネギは王都でいう上流階級の出身で、それなりに良いところの出だ。それでいてライゼに日ごろからくっついて腰巾着となっている。どうやら幼馴染で古くからの付き合いらしく、ライゼとはそれなりに仲が良いようだ。


 学級においても比較的上位であることもあって、長ネギの学級への影響力はなかなかのものがあった。


 長ネギの機嫌を損ねれば居場所がなくなる。そう思っている下位生徒も少なくないのだと、フェロは私に詳しく教えてくれた。


「だからネギンスくんには悪く思われないほうが良いよ」

「あー……それはたぶん無理ね」


 なにしろつい今朝のこと、フェロと登校中に校門で彼に出会い、蹴躓いた上に片足をぐにゃっと捻って転げそうになっているところを見かけてしまったのだから。フェロは気付いていないようだったが、私はばっちり目が合い、ついほくそ笑んでしまっていた。以前あれだけ偉そうにしていた長ネギの滑稽な姿に耐えられなかったのだ、仕方ない。


 長ネギは恥ずかしそうに紅潮して睨んできたが、私はそのまま無視して去った。そのからというもの、彼からの視線が敵対的にぎらついているのは言うまでもない。


 まあ今更良き関係を、なんて不可能だろう。

 そもそも長ネギにとって私はそこらの雑草程度に地位が低いと思われているのだ。その時点で対等になどなれるはずがない。


「あれ?」


 ふと、フェロと一緒に放課後の公舎を歩いていると、中庭にリリィの姿を見つけた。その瞬間、私の頭の中から長ネギのことなどすぐに消え去っていった。


 彼女がいるのは中庭の温室だ。

 日の光を通す透明ガラスの天井の下に、二つの区画に分けられている。一つはガラスも汚れ一つなく、整備の行き届いた区画。もう一つは全体的に薄汚れていて、日の当たりもやや悪い区画だ。


 リリィがいたのは後者のほうだった。

 制服姿のまま屈み込み、レンガで囲われた花壇のようなところで土いじりをしていた。


「なにしてるのかしら」

「あそこは授業で使うほかに、生徒が自分でいろんなものを栽培していいんだよ。たぶんリリィも何か育ててるんじゃないかな」

「へえ」


 よほど楽しいのだろうか。リリィは一人で土をいじりながら笑っている。たまに大きく肩を震わせては、独り言のように口を動かしていた。いつも寡黙な雰囲気のある彼女とは大違いで、気になった私は吸い寄せられるように温室へと足を向けていた。


「――でね、新しい編入生の人が来たんだよ。とっても綺麗な人なの。私もあんな風にしっかりした女性になれたらなあ。え、私も良い女だって? そ、そんなことないよお」

「失礼するわよ!」

「ひゃうっ?!」


 無遠慮にいきなり温室に足を踏み入れた私に、リリィはそのまま飛んでいくのかと思うほど大袈裟に驚いて見せた。尻餅をつき、慌てて顔を向けてくる。やって来たのが私とわかると、リリィは途端にいつものように口を塞いで静かになってしまった。


「急にごめんなさいね。声が聞こえてたけど、誰かと話しているの?」


 尋ねてみるが、リリィは顔を俯かせたまま赤くなって動かない。


 ふと彼女が弄っていた場所を見ると、そこに植えられているのはなにやら大根のようだった。青いぎざぎざの葉に、頭の端だけ見えた白く太い根。


 返事もこないので「大根を育ててるの?」と私が尋ねてみた矢先、


「大根じゃないです!」


 途端に声を張ってリリィは言ってきた。


「あ、ご、ごめんなさい……」

「いや、いいけれど」


 びっくりした。

 まあ可愛い声に鼓膜を破られるなら本望だと受け入れてもいいかもしれないけど。


「マンドラゴラだね」


 後についてきていたフェロが言うと、リリィはお淑やかに頷いた。


「へえ、マンドラゴラね」


 王都から遠く離れた森でたまに自生しているわりと希少な植物だ。その見た目は大根のようだが、人のように四肢があり、口や目も簡易ながらついている。その根を煎じれば万能の薬になるとされているが、人工での栽培は難しいとアルフォンスの授業で教わった覚えがある。


「まさか、それを育ててるの?」

「う、うん……いろいろ試行錯誤して。六年位前から、ちょっとずつ」

「凄いわね」


 万能薬とは言われているが効能は何一つ実証されているわけでもなく、希少とはいえ金銭的価値は低い。そのためあまり栽培方法も確立されていないはずだが、そこに植えられているマンドラゴラは、たった一株だがしっかりと成長しているようだった。


「六年前というと十歳くらいからになるのね」

「う、うん……。私の、数少ない、大切なお友達なの。ね?」


 リリィがマンドラゴラに微笑みかける。

 気のせいか、隙間風を受けて頷くようにマンドラゴラが葉を気がする。


「あ。……紹介、するね」

「え?」


 ふとリリィがマンドラゴラの葉の根元を掴み引き抜こうとする。それを見て私は思わず後ろに引き下がってしまった。


 マンドラゴラは引き抜く瞬間に大きな叫び声を響かせるという。それを直接耳にすると命を奪われるという話だ。それを思い出し、私は咄嗟に身構えた。


「…………っ! あれ?」


 リリィが引っ張ると、その根はすんなりと抜け、寸胴な四肢を持ったマンドラゴラが静かな呻き声だけを漏らして姿を現した。


「……私の一番のお友達。マンドラゴラの、ごらごんちゃん、です。えへっ」


 引き抜かれたマンドラゴラを私に掲げ、リリィがそう照れくさそうに言う。非常に可愛らしい顔の隣に、埴輪のような表情の汲めない能面顔のようなマンドラゴラが並ぶ。それはうねうねと髭の生やした四肢を動かし、時折呼吸をするように低い唸り声を漏らしていた。


 ――う、ちょっと気持ち悪いかも。


 うねうねとひたすら動き回る様は蛇みたいでやや奇妙だ。けれどリリィはそんなマンドラゴラに頬ずりまでしてじゃれついていた。


「本当に仲が良いのね」

「……マンドラゴラは、ちゃんと思いを込めて、敵じゃないよ、って伝われば、こうやって静かに引き抜かれてくれるんです」

「へえ、そうなの」


 つまりそれが伝わってなかったら、私は今死んでたと。こ、怖すぎる。


「それに、土の中にいることは、この子たちにとって寝るようなものらしくて。だからたまにこうやって引き抜いては、鞄の中に入れて、一緒に授業を受けたりしてるんです」

「……まさか、いままでたまに鞄の中に話しかけてたのって」

「はい。どらごんちゃんです」


 ――ごめんなさい、私勘違いしてた! てっきりイマジナリーフレンドだとか、ボッチのあまりいないはずの友達に向かって話しかけてる寂しい子って少し思ってた!


 いや、マンドラゴラに話しかけるのも変ではあるけれど。


「いっぱい愛情をそそぐと、この子も、いっぱい応えてくれるんです」

「へえ。そういうものなのね」

「はい」


 マンドラゴラを触れ合うリリィは普段の消極的な彼女とはまったく違い、活発であどけない女の子のように生き生きとしていた。


 きっと余程の愛情を注いでいるのだろう。


 私もよくわかる。

 可愛い女の子を眺めているとつい表情は砕けて笑顔になるものだ。


 そう、今のように。


 ――ああああ、可愛い。私もマンドラゴラになってリリィに掴まれたい。


「ユフィ?」

「なんでもないわ」


 フェロに横顔を覗かれ、私は心の涎を拭って平然と返した。


 ――こほん。ふう、いけないいけない。


 余程愛情を注ぎ、頑張って育ててきたのだろうとよくわかる。ああ、尊い。


「良い趣味ね」


 私が心からそう言うと、リリィは嬉しそうに顔を持ち上げ、


「はいっ!」と笑ったのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ