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 -15『変わるもの、変わらないもの』

 私はまだ、壇上でフェロの言い放ったことが理解しきれずにいた。


 まさか、私の幼少の記憶にいたあの金髪の子がフェロだとでもいうのか。


 まったく気づかなかっただなんて。

 いや、しかしそれなら色々と説明が付く。


 田舎の下級貴族が王都の上級貴族と縁談を結べるなんてそうそうあり得ないことだ。この町が位を重んじる社会であるように、より位の高い家柄と結ばれることを誰もが望むし、それが当然だった。自ら進んで下級貴族を選ぶ意味などない。むしろ下級貴族の血を交えたことで、王都で相手を見つけられないほど落ちぶれたのだと、より立場を低く見られかねないのだ。


 最初、私の父が縁談を申し込んで受け入れられたのも、よほどフェロの相手が見つからず、藁をもすがる思いで私を招いたに違いないと思っていた。


 けれど、私たちがずっと前に出会っていて、それを彼が覚えているのだとしたら――。


 どきり。


 私の鼓動が一瞬だけ早くなったのがわかった。


 プルネイという何もない片田舎にやってきた貴族の子供。あまりに気弱で、町の男の子たちにいじめられていたあの子供。


 その彼が、いま、いじめっ子を相手に果敢に立ち向かっている。他でもない、私を守るために。


『フェロも、是非ともキミなら良いと言っていたんだ』


 フェロの父親の言葉が頭の中によみがえって響いた。


 なんだろう。

 私の心がざわざわしている。こんなの初めてだ。


 熱い。

 空調の整った体育館だというのに、なんだかのぼせたみたいに体が熱い。


 どうしたの、私。


「下っ端は下っ端らしくやられてたらいいんだよっ!」


 再び長ネギが、フェロへと思い切り剣を振りかぶって襲いかかる。


 フェロはその横薙ぎを杖で受け取めようとするが、踏み込んで力の込められたそれの勢いに押され、体ごと私の方へと倒れ込んでしまった。


「……うわぁっ!」

「フェロ!」


 横になって顔をしかめたフェロへと私は急いで駆け寄った。


 どうやら長ネギの一撃は思ったよりも深く鳩尾を抉っていたようで、フェロは気丈に立ち上がろうとしながらも、息を詰まらせて体を持ち上げられなくなっていた。


「ごめん……僕、やっぱり弱いままだ。ユフィを守れるくらいになりたいって思ったのに、全然変われなかった」

「そんなことないわ。貴方は本当に、とても変わってる」

「でも、結局ユフィを守れなかった。こんな頼りない僕じゃ、ユフィが言った通り、僕に剣の稽古だなんて最初から間違ってたのかな」


 フェロの声は震えていて今にも泣き出しそうだった。懸命に堪えているのがわかり、私は罪悪感に胸を打たれた。


「失望されるべきなのは私のほうよ」

「ユフィ?」


 ふとフェロが小首を傾げる。

 私はそんな彼の肩に手をあて、間近に目を見やって言った。


「私はずっと、考えを方を変えられないこの貴族社会に辟易してた。馬鹿みたいだと嫌ってた。けれど、何も変わろうとしなかったのは私も同じだったわ。貴方が頑張ってる姿を見て、そのままでいい、男らしくなんてならなくていい、なんて浅慮に物を言ってた。不変を嫌いながら、変わろうとする貴方を否定してた」


 それは、私が嫌った貴族社会に固執する不変の連中と同じ。自分達の勝手な枠に相手の価値を押し込めてしまう、相手を蔑ろにした最低の愚行だ。


 そう思っていたはずのものと、私は同等にまで町ていた。そして仕舞いには変化することを諦めてしまっていた。


 長ネギに襲われて、私がどう生きようがやはり世界は変わることなんてないのだと、自分は非力なのだと感じてしまっていた。


 そんな諦めた私と違って、フェロは自分で自分を変えようと努力をし続けていた。それがどれだけ尊いことか。そして、どれだけ難しいことか。


「ごめんなさい、フェロ……」


 なにが男らしくならなくていいだ。

 なにが女装のほうが似合っているだ。


 女の子が大好きだから婚約者のフェロも女の子になって欲しい。私はただ、そんなくだらないエゴを押し付けていただけだ。


 これほどフェロが、他でもない私のために変わろうとしていたのに、私はそんな彼の気持ちを無碍に蹴り飛ばしてしまっていたのだ。


 ああ、なんて愚かなのだろう。

 こんなもの、婚約者失格だ。


「ユフィ、泣いてるの?」

「……え」


 言われ、私の頬に一筋の雫が流れたことに気付いた。横たわりながら腕だけをどうにか持ち上げ、フェロがそっと私のそれを拭ってくれる。


「ユフィは強い子だから、涙なんて似合わないよ。とっても強い、僕の憧れの存在。どんな相手にだって立ち向かって、強く、一歩も引き下がらない気丈な人」


 違う、そうじゃない。


「そんなユフィになりたくて、僕はずっと、これまで頑張ってきたんだ。僕は根がすごく弱虫だから難しいけれど、絶対に曲げないことを一つは持とうって誓ったんだ」


 もうやめて。


「だから、ユフィみたいに強くなって、いつかユフィを守れるようになろうって、そう決めたんだ。それが、僕の、小さい頃からの夢だった」

「駄目よ……やめて……。私はそんな人間じゃない」


 私はそんな憧れられるような立派な人間じゃない。彼のそんな願いすらも省みずに一方的な我侭を押し付けようとしていた、ただの自己中心的な女だ。


 私の背に浮かぶスポットライトを反射した、フェロの輝いた目が私を見つめてくる。心の奥底までも覗き込まれそうなほどに眩しくて、目を逸らしたくなる。そんな私の手を、フェロはそっと握ってきた。


「この学園に来てからも、自分を曲げないユフィがずっと凄いって思ってた。あの時の正義のヒーローは、変わらず今でも強くて、決して挫けない格好良い人だった。だから、僕もなおさら強くなりたいって思えたんだ」

「……それも勝手なイメージの押し付けよ」


「そうだよ」

「え?」


「他の人の本心なんてわからない。でも、僕がユフィにそう感じた事は本当だもん。だから、僕にとってユフィは凄い人なんだ。格好良くて、誰にも屈しない、とっても強い人」


 見開いた私の瞳に映るフェロが、一切の曇りなくふっと微笑む。


「だから、僕が勝手に思ってる通りに、ユフィには強くいてほしいんだ。それじゃあ、駄目、かな?」


 それは無邪気な子供の我侭のようだった。

 女の子のような可愛らしい顔で、けれど涙を流す少女に泣くなと無茶を言ってくる。なんて私泣かせなのだろう。


「ずるいわよ……」


 そんなことを言われたら――。


 顔は俯かせたまま、言葉をこぼし、フェロを寝かせてぬらりと立ち上がる。


「そんな風に言われたら、私を曲げないわけにはいかないじゃない!」


 私は強く目を見開くと、モンタージュの杖を拾い上げ、長ネギへと向き直った。

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