-13『出る杭は』
ドレスはどうにか着られる程度には戻すことができた。
水気を絞ったそれは、生地が滑らかな絹ということもあって余計なしわができず、多少のグラデーションはあるものの、もともとワインレッドの色をしたドレスとも見えなくはない。
最初はぶどうジュースの臭いがきつかったが、水で何度かゆすぐことである程度マシになった。色はまったく落ちなかったがもう仕方がない。時間だってもうない状況だ。
最低限乾かしたドレスをもう一度羽織り、私はまた舞台袖に戻った。
衣装のすっかり変わった私を見て他の生徒たちは驚いていたが、かまわず準備をする。
「ユフィ……そのドレス……」
舞台袖で出番を待っていたフェロは、私がやって来たことでやっとドレスのことに気付いていた。驚いたように目を丸くしていた。
「ちょっとジュースをこぼしちゃってね。ま、こういう色も似合っているでしょう?」
「これってもしかして」
「さあ、出番よフェロ。貴方が一足先にスコッティと出るんだから」
何かを言おうとするのを遮り、私は彼の背中を押した。
フェロはやはりバツが悪そうな、苦悶気な表情を浮かべて私の顔を見つめていた。けれどもすぐに他の生徒に出番の合図を送られ、後ろ髪を引かれながらもスコッティと共に舞台へと飛び出していったのだった。
なんとも無理やりに話をそらしてしまったが、間違いなくフェロは気づいているだろう。誰かによる過失に違いない、と。
長ネギから助けてからというもの、フェロはずっと、それを気にかけたように沈み調子だった。何かを気にしているのだろう。だからそんな時に心配させたくなかったから深くは言わないでおいたけれど、こんなところは察しがいいらしい。
「なんでもないわよ、ってまた適当に上塗っておかないとね」
でないと余計な心配をまたかけてしまう。
「それよりも、今は舞台を成功させないと」
意識を壇上へと戻す。
物語は佳境。
事件の黒幕として、主人公ガルドヘクトが悪役モンタージュの邸宅へ駆けつけるというシーン。
これまで起こった事件の真犯人がモンタージュだとわかり、悪の根城を絶やすためにガルドヘクトは単身でそこへと乗り込んできたところだ。
『ここが……モンタージュの住処』
屋敷の内装を模した背景の中、ガルドヘクト演ずるライゼが立ち尽くした。直後、舞台袖付近にライトがあてられ、召使のフェロと魔法使いの格好をしたスコッティが現れる。
『出たな、悪党ども。モンタージュはどこだ』
『ガルドヘクト、まさかこんなところまでやって来るとは。しかし我が主のお力を借りるまでもありませんっ見習い魔法使いスコッティよ。モンタージュ様の一番弟子として、しっかりと働いてもらうぞ』
『お任せあれ。モンタージュ様より授かった我輩の高度な詠唱魔術をやろうぞ。ふっはっはっー』
緊張の顔色を見せてはいるが、フェロもスコッティもどうにかしっかりと役を演じられているようだ。
大物らしくライゼの前に立ちはだかるが、しかしいざ戦いが始まると、スコッティはあっという間に切り捨てられ、フェロは泣き言を吐いて逃げ出してしまった。という筋書き通りに進んでいく。
『も、モンタージュ様ぁ!』とフェロが舞台裏で待つ私を呼び込み、ついに出番だ。
「ユフィーリアさん、行って」
「ええ」
他の生徒の指示にあわせて私は舞台へと躍り出ていった。
ライトが当てられる。
煙幕が張られる。
そのおかげで眩しさはあまりなかった。会場一杯に見える黒い陰。顔はわからないけれど、目の前に多くの観客がいるという事実だけはよくわかった。
衆目の元で下手な失敗はできない。
さすがの私も緊張感が込み上げてくる。
私が登壇すると、先にいたライゼは私を見て一瞬だけ驚いたように言葉を失っていた。主人公として出ずっぱりで舞台裏の一件をまだ知らなかったのだろう。
しかしさすがのライゼだ。
すぐに平静を取り戻し、私の変わり果てた姿もなかったかのように芝居を再開させる。
『モンタージュ、ついに追い詰めたぞ。お前の悪事はわかっている。もう観念して大人しく捕まるんだ』
『あらガルドヘクト。よもや貴方がここにたどり着くなんてね。しかしばれてしまっては仕方がないわ。いくら貴族様であろうと私は容赦しない』
私が天井に指をかざす。
それと同時に、効果音とあわせて落雷を模した明滅が雰囲気を醸し出す。
『私には最強の魔法がある。貴方一人で私を倒せるものか』
『くっ……。それでもお前のような悪党を放っておくことはできない』
『何が悪党か。私はただ努力を重ねてこの地位を築いてきた。所詮は市民の出自。何をしようにも貴族には敵わない。暗然たる明確な壁があるからだ。ほとんどの者はそこで泣き寝入りし、甘んじる。しかし私は認めなかった。この私が下々に落ちつくべきではないとわかっていたから。だから一層の努力をし、並の人間には到達できぬほどの力を得ることができたのだ。
人の頂点に立つべきは、胡坐をかいた人間ではない。より高く、より高みへと目指している者こそ、人間をその下へと侍らせることができるのよ。私にはその資格があるわ。魔法の研究をひたすらに突き詰め、今や横に並ぶ者などいないほどの力を手に入れた』
再び私が指を別の方へ向けると、また雷鳴の音が鳴り響いた。重く響く音楽が場を盛り上げていく。私の愛嬌の少ない顔つきも相まって、ラスボスとしてはなかなかの迫力になっているのではなかろうか。
そんな私――モンタージュにガルドヘクトは一歩も退かず果敢に立ち向かう。
『そんな、力で人を牛耳るなんてあってはならない。それでは力のない人たちはみんな、誰かの手下のようじゃないか。どれだけか弱い人間でも、その人は一人の『人間』だ。決して他者に組み込まれるべきじゃない。そんな理不尽を押し通していては、誰もが実力行使で覇を競い合う血まみれの世になるぞ』
『それでいいではないかしら。より乱れ、より混沌とする。私をこのような、戦う前に負け犬として烙印付けられているような者であるかのように生んだこの世界への、最高の復讐となるだろう。その序章として、まずはこの町の市民たちをすべて私のシモベにして、憎き貴族どもを王都から追い出して見せよう。なに、私の力の前では非力な市民達は成す術もあるまい』
『なんということを……。世界の秩序は乱させない。必ず、俺が食い止めてみせる』
台本じみた説明調の長台詞をぶつけ合いながら、やがて二人は武器を構える。私は魔法を使う杖を。そしてガルドヘクトは装飾の綺麗な銀の剣を。
『消し炭にしてくれる!』
私が杖を振るうと、たちまち轟音が響き、ライゼの足元に白煙があがる。さすがに爆発などは実際におきないが、ライゼはしっかりとやられた体で『うわぁぁぁ』と苦痛の声を上げた。
倒れこみ、窮地に立たされる主人公ガルドヘクト。そんな彼の元に仲間達が駆けつける。長ネギと、彼の相棒のようにいつも一緒にいるケリーという男だ。走り寄り、ライゼに群がるように囲い込む。まるでいつもの取り巻きの光景みたいである。
『大丈夫か、ガルドヘクト! ガルドヘクトはこの町の宝! お前を失うわけにはいかない! ここは俺たちが助太刀する!』
『お前だけにいい格好はさせないぜ』
気合の入った声で長ネギたち数人は剣を構え、私と相対した。
そこからは練習したとおりの立ち回り。
長ネギたちは剣を払い、私は杖を使って組み合う。モンタージュは最初こそ二人を相手に互角に戦うが、接近戦は弱く、次第に追い詰められていく。魔法によってケリーは倒したものの、彼を犠牲に、長ネギが決死の突進で私を押し倒す。
尻をついて倒れこみ、からくも長ネギの一撃を受けそうになるところを、咄嗟に身を引いてかわす――。
「へっ」
「……っ?!」
明確な悪意を感じ、私は身の毛のよだつ思いで彼を見上げた。
模造の剣を振りかぶった長ネギの口許が歪んでいる。
またやる気だ。
練習の時みたいに、どさくさに紛れて殴りかかるつもりだ。
この前は紙を束ねただけで作った剣だったが、今回はしっかりと補強された模造品だ。ライトに当てられた切っ先がその鋭さを煌かせている。
すぐに後ろに退いて――。
「えっ?!」
腕で押して体を引こうにもまったくびくりとも動かない。どうしてかと思ったら、長ネギが私のドレスの裾を踏みつけていた。確信したようなしたり顔で長ネギは私に向かってその剣を振り下ろそうとしていた。
まずい。
これではよけられない。
――誰か。
そう声を上げようとして、しかし私はすぐに理解してしまった。
ああ、そうか、と。
彼の悪意は明確で、私を本当に攻撃しようとしていることは明白だ。けれど誰も止めようとはしていなかった。ケリーも、すぐ近くの舞台袖で見ている生徒たちも。彼の蛮行を止めようとはしない。
所詮ここは貴族の階級社会。お偉い貴族様には、田舎者は決して抗ってはいけないのだ。
私は馬鹿だったのだ。
そんなところで馬鹿正直に自分を貫いて。
大人しく猫をかぶって、彼らの取り巻きのように、機嫌を損ねぬようへいこら頭を下げていたらよかったのだ。
そうしたらきっと、こんなことにはならなかっただろう。
私が、おかしいのだ。
「ネギンス!」
ライゼが叫んだ。
それは唯一の、制止のための声だったのか。けれどそんなの、もうどうでもいい。
どうせ私はやられるのだから。
出る杭は打たれる。
貴族に逆らった者の末路。
悪党モンタージュとして、一足先に成敗されるだけなのだ。
長ネギはライゼの声にも一切の耳を貸さず、ただ不敵に笑んで、剣の切っ先を私へと振り下ろしたのだった。




