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 -5 『演じる悪党』

 夏が近づき、暑さは日に日に増していく。


 町中では紫陽花や花菖蒲が花弁を開かせ、若干の雨季の訪れを告げていた。このしばらくの長雨が晴れれば、いよいよ星光祭の季節だ。


 教室に缶詰になるこの時期、私たちの学級では星光祭に向けた演劇の準備が着実に進められていた。


 空き教室では小道具の工作や衣装の裁縫が行われている。


 小物係であるリリィは、手提げ鞄や剣など、登場人物が持つ小道具などの作成担当だ。中でも――どこで使うのかわからないが――紙をひたすら丸めて固め、薄いゴム袋で肌地を覆わせたて作り上げたマンドラゴラは、本物と見間違うほどに精巧で瓜二つだった。周囲の生徒達はドン引きしていたが、リリィは頬をつやつや輝かせ、自分で思わず舌を巻くほどの力作だった。


 微妙に周囲から浮きながらも、好きなものに対してはマイペースに夢中になれるのはなかなかすごい。マンドラゴラに独りで何年も没入していただけのことはある。意外と心は強いのかもしれない。


「かっこいい悪役にしますから!」と私に言ってきていたが、果たしてそのマンドラゴラでどうかっこよくなるというのか。甚だ不安である。


 まあマンドラゴラを作る姿は図工の妖精のように可愛かったのでよしとしよう。


 そんな裏方の人たちを横目に、役を与えられた私たちもより一層の練習に励んでいた。


 練習用の教室には、じめじめとした土の臭いに、汗の臭いが少し混じっている。放課後になる度に役をもらった生徒達は集まり、台詞の暗記や演技の稽古などにいそしむ毎日だ。


「――主人公ガルドヘクトは悪役モンタージュの屋敷を突き止め、そこへ仲間達と共に乗り込む。ここで俺とネギンス、それとケリーが舞台に出る。」


 教室で円陣を組む生徒達の中央でライゼが取り仕切っている。今は話の流れを確認するための読み合わせの最中だ。ライゼが台本に書かれた通りに場面を説明し、その都度、登場人物役の生徒が自分の台詞を音読して確認していく。


 この物語の肝は主人公ガルドヘクトと悪役モンタージュだ。


 悪役モンタージュはとても身分の低い貴族の出身で、とても浅ましい生活を送っていた。そんな彼が手を出したのは黒魔術であった。それの研究を極めた彼は、やがてその魔法の力によって王都を我が物にようと企むのであった。主人公ガルドヘクトはそれに気付き、人の上に立つ上級貴族として悪を成敗するという流れだ。


 悪役モンタージュによっていろいろと事件が起こるが、主人公ガルドヘクトの財力やコネによって解決していく。


 ――なんというか、本当に面白いのかしら、これ。


 話の流れは終始、主人公の上級貴族を持ち上げる話になっている。彼の言葉にはみんなが魅了され、どんな謎も彼ならばすぐさま答えへと導き出す。完全無欠の完璧超人として描かれていた。


 ある意味では、容姿端麗で勉学も運動も優秀、おまけに人望もあるライゼにはよく似合ってる役である。


 そんな主人公がばっさばっさと事件を解決していく物語。どんな相手も主人公にはかなわず、主人公が手に入れられないものは何もない。


 爽快な物語で、とても評判の良い物だ。

 ただの上級貴族を持ち上げるだけのお話みたいで、私はどうにも好きになれそうになかった。


「――屋敷には悪役モンタージュを守る見習いの魔法使いと従者が一人ずつ。領地に入った主人公たちの前に現れる。ここで会話だ。二人とも、お願い」


 魔法使い役はスコッティ。従者はフェロだ。

 まだ棒読みのように演技の欠片もない声で、気恥ずかしさこらえながらフェロたちは台詞を読み上げていく。まだ本番ではないとはいえ、みんなの前で役になったつもりで言うのはまだ恥ずかしいのだろう。リリィなら間違いなく卒倒してたに違いない。


 けれどもフェロはどうにか声に出して言えているようだった。女の子声で、悪役の従者にしては迫力もなにもないが。実際、まるでフェロのために用意したのかと思うほど、その悪役の従者もひ弱で逃げ腰なキャラクターだった。


 ずっと主人のために仕えてはいるが、気弱なせいでうまく仕事ができないおっちょこちょいな性格付けだ。


 スコッティにいたってはそれなりに強い魔法使いという設定ではあるのだが、どういう訳かライゼの演じる主人公を前にすると途端に初歩的なミスや低級魔法しか使わなくなる弱体化させられたキャラクターだ。どうしても上級貴族である主人公を強く見せたいのだろう。そのためにひどく落ちぶれさせられている可愛そうな奴である。


 この物語は基本的に、そういったご都合が多々ある。

 だがそれも上級貴族である主人公を万能の偉人にでも見せるべく仕組まれたものだ。そのため下級の貴族はまったく役に立たない無能扱いだし、市民に至っては道草に顔がついたような粗雑な扱いをされている。


 ――こんな物語の中ですら、地位に固執した貴族社会がはびこっているのね。


 確かにこれを見て、主人公――上級貴族に憧れを抱き敬意を払うように思う人もいるかもしれない。けれど私は逆に鼻について、やはりまったく好きにはなれない。


「わ、我が主のお力を借りるまでもありませんっ。見習い魔法使いスコッティよっ。モンタージュ様の一番弟子として、しっかりと働いてもらうぞっ」

「お任せあれ。モンタージュ様より授かった我……えっと、これなんて読むの。……え、わがはい? わ、我輩の高度なえい……えい、しょう? 詠唱まじゅつを、えっと……」


 フェロは上擦りながらも頑張って声を張っていたが、スコッティはどうも文字を読むのが苦手なようで、自分の台詞の番がやって来るたびにわたわたとしながら必死に読み上げていた。


 見るからに普段から元気一杯で体を動かしている体育会系だ。本などまともに読んだことすらないのかもしれない。そういえば、私がやって来てから何度かあった小テストではほとんど不正解だった。知能レベルは低そうだ。


 それでも何度も途切れながらどうにか読み続け、物語は進んでいく。


「――見習い魔法使いは倒され、従者は逃げてしまう。一人残された悪役モンタージュのもとに、主人公ガルドヘクトがついに相対す。ここで煙幕と効果音の演出。宿命的なものだし、いろいろと派手にしてもいいかもしれないね。最後の戦いだという雰囲気を盛り上げさせよう。さあ、ここからクライマックスだ」


 悪役の悪事を暴いた主人公は詰め寄る。

 罪を認め、謝罪して償うのだと求める彼に、しかし悪役は黒魔術による劣悪外道な手口で主人公へと襲い掛かる。主人公は窮地に立たされる。しかし同行していた仲間達に助けられ不利だった盤面はひっくり返る。


「――ここで仲間達が悪役と戦う。仲間達と悪役との熾烈な攻防。仲間達は善戦するも敗れてしまうが、それが主人公の手助けとなり、最後は主人公によって悪役は討たれてしまう、という流れだね。ちょっと動きを確認しながら台詞を読んでいこうか」


 ライゼの提案で、その場面に出る役者で実際にその動きをしてみることになった。私は悪役モンタージュ役なのでもちろんやらなければならない。


「ユフィ。キミはこっちに。そう、そこでいいよ。ネギンスとケリーは舞台袖で待機だから、まずは端っこに端っこにいようか」


 てきぱきとした指示に長ネギたちも従っていく。

 その頼もしさに、他の生徒達もライゼへと好意の満ちた眼差しを送っていた。一部の女子からはぼそぼそと小声で彼を褒め称える声が漏れ聞こえてきている。


「じゃあ確認、いくよ。俺がモンタージュと正面で向き合う。ここで俺の台詞だ。『モンタージュ、ついに追い詰めたぞ。お前の悪事はわかっている。もう観念して大人しく捕まるんだ』。よし、それで次はモンタージュだ」


「はいはい。『あらガルドヘクト。よもや貴方がここにたどり着くなんてね。しかしばれてしまっては仕方がないわ。いくら貴族様であろうと私は容赦しない』」


 モンタージュはもともと男らしいが、私がするに当って女性に変更されているらしい。おかげで声を作る必要もなく、あまり感情を込めて演技もできない私だが、


「ユフィーリアさんはそのままでいいよ。ばっちり、イメージどおりって感じだから」と台本を作った女子生徒に言われ、ほとんど素のまま台本を読んでいるだけになっていた。思えばただの悪口のように思ったけれど、まあ良い。


 ――そう言えばあの子、前に私が廊下でライゼと二人で話していた時に遠巻きから見ていた子ね。


 私がプリントを職員室に運んでいた時のやつだ。

 なるほど。変に目をつけられたというわけだろうか。ライゼなんて私は興味ないのに。


 ライゼと私。

 主人公と悪役の会話がいくつか挟まり、戦闘が始まる。


 奇怪な魔法を使う悪役モンタージュに対し主人公ガルドヘクトは果敢にも剣で立ち向かう。もはや負けたかと思った矢先、そこに仲間達が現れ――。


「ネギンスとケリーがここで出てくる。二人は剣を操って、モンタージュの持つ杖と交錯する。激しい剣劇が繰り広げられ、二人は一撃を与えて追い詰めるも、魔法にやられて退場させられてしまう。そこにやって来た主人公は、彼らの一撃のおかげもあり、悪役に勝利する」


 ライゼの音頭にしたがって私と長ネギたちも動いてみる。台本を剣と杖に見立て、ゆっくりとぶつけあい、台詞を述べていく。そこで私がやられた体で倒れこみ、そこに長ネギが剣を振り下ろすという流れ。一撃を与えた体でわざと外すのだが、


「……へへっ」


 一瞬、長ネギの口許がにやついた気がした。

 不気味さを感じ、床に座り込んだ私は咄嗟に後ろへ身を引いた。


「いよっと!」


 直後、長ネギの握っていた台本が勢いよく、私がさっきいたところに振り下ろされた。紙が激しい音を立ててしなる。


 さすがに明らかに力を入れすぎているのは傍目でも一目瞭然であり、ライゼがすぐに駆け寄ってきた。


「おいネギンス、どうしたんだ」

「悪い悪い。練習とはいえつい力が入っちまってな。ははっ」


 わざとらしく笑う長ネギ。

 だがあの振りは、速さこそなかったものの、間違いなく私に当てるつもりだったに違いない。まささここまで直接的な嫌がらせをしてくるとは。


 しかしそれでひよる私ではない。


 キッ、と私は長ネギを見上げながら睨みつけた。


「大丈夫かい、ユフィ」

「ええ、大丈夫よライゼ。元気が有り余ってていいじゃない。野山のお猿さんみたいで」


 私が笑みを含ませてそう言うと、長ネギのこめかみがぴくりと震えたのがわかった。けれど長ネギはそれ以上反応せず、ライゼの前で落ち着きを見せていたのだった。しかしそれでも相当いらついていたのだろう。流れの確認が終わって円陣の元の位置に戻る際、不満そうに舌打ちを漏らして仲間のところへと戻っていっていた。


 長ネギもライゼと同じく最上級の貴族だ。地位を重んじている彼のことだ。王都外の下級貴族である私なんかに煽られたことがそうとう腹立たしいに違いない。いや、もしかすると格下の人間に反抗されたことすら初めてかもしれない。


「まるでじゃじゃ馬な子供ね」


 プルネイにいた頃にたまに見かける町中で遊びまわる幼い男児みたいだな、なんて思いながら、私は特に気にするでもなくまた台本へと視線を戻していた。


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