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次は、お前の番だ

作者: 神月大和

 ふと通りかかった横断歩道で、小柄な老人を見かけた。

 いや、小柄と言ってしまえば語弊がある。

 彼は小柄どころではない矮躯だった。

 背丈は腰までもない。

 それは腰が曲がったとか、病的な様子で小さいのではない。

 頭身はそのままに、スケールを縮小したかのような小ささだった。

 そんな彼が、横断歩道の真ん中に、ポツネンと立っていたのだ。

 そんなところにそんな彼に居られたら、人目を引きそうなものなのに、誰も彼に眼を止める者はない。


 ああ、

 と僕は思った。


 彼は見てはいけないモノだ。

 僕は別段そうしたモノが見える人ではなかったはずだけれども、どうしてだか、彼は僕の視界の中にクッキリと浮かんでいた。

 そうしたモノを信じていたかと言われれば、それには半々、と答えるしかない。

 何せ、僕には見えなかったのだから。

 見える人もいるのだろうな、というくらいで。

 しかし今。

 今僕は彼限定だとしても、僕にしか見えないモノ、というモノに出くわしてしまった。

 そうしたモノに出会ったときは、“こちらが見えていることを悟られない方が良い”とはよく聞く話だ。見えない人こそ大多数だと言うのに、人は議論の出来ないものをこそ得てして語りたがる。

 だからと言って、見えたから、と別段語ろうとも思わない。

 ただ、


 ああ、見えてしまった、と思うくらいで。


 そして、どうしてだか、僕には彼が恐ろしいモノだとは思えなかった。

 それは、彼のその姿が、どことなく、亡くなった祖父を思わせるものだったからかも知れない。




 祖父は、僕の物心がつくかつかないかくらいの頃に亡くなった。


 ――交通事故だった。


 飲酒運転だったか居眠り運転だったか、それともわき見運転だったか、時折訊()き返さなくては忘れそうになってしまうのだけれども、飲酒運転の暴走車に轢き殺されたそうだ。

 轢き殺されたとは剣呑な物言いだが、人が人を死に至らしめているのだから、それはたとえ故意であろうがなかろうが、立派な“殺し”だ。


 人殺しに、立派もクソもないのだけれど。


 自動車とは人の身に余る力だ。そいつを非万全の状態で操るなど正気の沙汰ではない。ワザとではなくとも故意に含まれる。とは言う僕も、毎回毎回万全とは言い難いけれども。


 そしてそんな剣呑な物言いでも、僕がその犯人を恨んでいるかと言えばそれもまた違う。危険運転の殺人犯には憤りを覚えるけれども、それは身内を殺された憤りと言うよりは、テレビや新聞を見て憤る程度の具合に留まってしまう。

 何せ彼は僕の祖父だけれども、身内だと実感を持てるまでの関わりを持てなかった。祖父というものと過ごす経験を奪われたという憤りを覚えなくはないけれども、それは被害者の身内という憤りとはまた別種のものだ。

 菊池寛の時代小説にあるような、江戸時代の武士であれば先祖の仇として奮い立てるのかもしれないが、現代日本に生まれた僕には、二代前の近しい先祖でも、ワザワザ奮い立とうという気概が浮かぼうハズもない。


 ただ、祖母や両親からは口を酸っぱくして言われた。


 車は恐ろしいものだ。いつ被害者になるかわからない。

 そして、加害者にも。


 それだから僕が車の免許を取るときには、教習所よりも家の方で、車の危険性についてはクドクドと刻み込まれた。

 そのしつこさを思えば、犯人に対して新たな憤りを覚えなくもない。

 と、僕が信号待ちしながらハンドルを握っていれば、その、横断歩道に立つ老人と眼が合った。


 反射的に、会釈をしてしまった。


 すると彼も微かに頷いて、そして薄れて消えてしまった。

 信号は赤から青へと変わり、止まっていた車線が動き出す。まるで怪獣の化石が眼を醒ますかのようだ。僕もアクセルに足を乗せ、老人の消えた横断歩道を四つの車輪で通り越す。


 ちなみに、この横断歩道は祖父が轢き殺された横断歩道だったというオチではない。


 しかし、それならどうしてあの老人と祖父の姿が重なるのだろうか。

 僕がこれまでに祖父だと言って見せられてきた写真は、横断歩道の老人よりも随分若々しい。僕は、なぜ彼に祖父の面影を見たのだろうか?




 ――それは仕事帰りのことだった。


 今日は随分と精神にクる日だった。

 イチャモンとしか思えないクライアントのクレーム。メールで何度も依頼内容をやり取りし、そうして納得していただいたハズだった。だと言うのにデザインがイメージと違った。メールで画像も送り確認していただいたハズだった。

 念のためプリントアウトしてもらい、画像だけでなく紙面でも確認していただくように念押しもした。それを怠ったというのが、相手方の言動の端々からは滲み出た。


 どうにも、それを指摘すれば道理をおして感情で無理を通そうとする輩だったから、応対にも骨が折れた。

 そんな顧客は切ってしまいたいところが本音だけれども、如何(いかん)せん、こちらもこちらで勤め人だ。こちらの上司こそ、説得することが億劫になるような、説得を試みればその方がデメリットを負いそうな、そんな輩だ。

 彼の機嫌を損ねず、クライアントにも納得してもらう。クライアントに納得してもらうことこそが上司の機嫌を保つ必要条件ではあるのだが、すでにクレームをいただいた時点で、機嫌を損ねる十分条件は揃っていた。


 体力的によりも、精神的に、キた。


 そうした多大な付加は疲労となって積み重なり、目蓋の重みとなって作用した。

 僕はそんな有様でハンドルを握っていた。


 整備不良も甚だしい。


 日は――落ちていた。


 まばらな街灯、深海探索船のような車の明かりを闇に走らせ、闇に潜む獣のような唸り声で家路を急ぐ。


 と、僕は知らず、うつらうつらとしていた。


 そうしてあの横断歩道へと通りかかった。


 信号は――青だったのだと()()

 それは、ドライブレコーダーが、()()()()


 (ぼう)、と突如現れた老人に、僕は咄嗟にブレーキを踏みつつ、ハンドルを切っていた。


 途端、闇夜をつんざくけたたましい金属音が、辺りを騒然と満たした。大質量の物体が、蓄えに蓄えた力学的エネルギーを、その一瞬にも満たない刹那に解き放った。


 ――僕ではない。


 僕の車が急停止をしたその鼻先すれすれを、大型トラックが通りすぎ、対向車線の軽自動車を、まるで紙屑みたいにひしゃげさせ、吹き飛ばしていた。


 それは本当に鉄で作られていたのだろうか。


 そう思ってしまうまでに、軽自動車は原型も留めずにぺしゃんこで、トラックの顔面も、潰れたカニの甲羅のようになっていた。

 軽自動車に乗っていた人間がどうなったか、それは語るまでもないことで、一部始終を捉えていた僕の車載カメラが、誰が悪くて悪くないか、それを証明してくれた。


 トラックの運転手は、飲酒運転だった。


 飲酒運転の信号無視。速度超過。罪状は累々と積み重なった。

 後々、彼にはしかるべき判決が下された。


 僕はよくあのギリギリで気がついて、九死に一生を得たものだと、少しの間だけ、時の人となった。


 どうして気がつけたのか。


 もちろん僕は気がついてはいなかった。

 しかしあの老人のことを話せるわけなどなかった。


 何せ――、


 ――おじいさんが守ってくれたんだね。


 と祖母は言ったが、そう言って彼女が持ち出して来た祖父の写真は、あの横断歩道の老人とは似ても似つかない顔立ちだった。僕の記憶も曖昧なもので、自分の実の祖父の顔だと言うのに、うろ覚えもイイところ。

 雰囲気にすら共通解は見つけ出せそうにない。


 しかし、祖母が持ち出して来た祖父の事故の資料を何気なく見ているうちに、僕は愕然とした。

 面影のある人物は――いた。

 それは、よりにもよって、犯人の方だった。


 ――犯人。


 僕の祖父を飲酒運転によって轢き殺した犯人は、祖父を轢いた勢いのままに電柱にぶつかって、そこで即死していた。


 僕の見た老人と新聞の報道にある犯人の顔写真は、年齢に大きく離れがある。それでも僕の祖父同様、新聞の写真で時が止まったはずの彼が、そのまま年を重ねればあの横断歩道の老人になっただろう。

 そう、確信を抱けるほどに似通っていた。


 とするならば、僕を助けてくれたのは、亡くなった祖父ではなく、祖父を轢き殺した犯人の方だったとなる。

 ならば彼は、飲酒運転で祖父を殺してしまった罪滅ぼしとして、死んだ後も年を重ね、僕を助けてくれたように、交通事故の被害者となる人を助けていたのだろうか?


 …………いや、

 偏見かもしれないが、飲酒運転で人を殺してそのまま死んでしまったような人間が、自主的に改心して人助けをするとはどうしても思えない。その論理は罪滅ぼしではなく、罰という名こそふさわしく思える。

 それに、今回の事故で、確かに僕は助かったかもしれないけれども、トラックにぶつかられた対向車は……。


 人の命をこう数えては不謹慎だろうけれども、命に貴賤がないと言うのなら、こう言うしかない。僕を助けたところで、彼の罪は±(プラマイ)0(ゼロ)だ。


 ――助けられておいて、本当に何だけれども。

 それは彼の罪が死んだ後も許されないと言う暗喩なのだろうか。


 そう――つらつらと考えてみたところで、それらは語り得ないことだ。


 あの後、何度もあの交差点を通るけれども、見えるようになったのは真新しい花束ぐらいで、あの老人の姿はトンと見ない。

 見えないモノについて、見えない人が議論したところで、空回りの空論にしかならない。

 しかしそんな稀有な体験をした僕は、九死に一生を拾ってしまった僕は、空論に過ぎずとも見えているモノの裏に潜む(と思えてしまう)、見えないモノについて気にかけるようになった。

 そして安全運転には、よりいっそう気をつけるようになった。


 それは、僕に届いた、いや、届いてしまった、聞いてしまったあの声が関係している。


“次は、お前の番だ”


 あの、九死に一生を得たあの瞬間、つんざくような大質量の金属音の最中、その言葉が僕の鼓膜には届いていた。


 その次と言うのが何を指すのか。

 僕は、いつも怖ろしさと隣り合わせでハンドルを握る。

お読みいただきありがとうございます。

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