遠慮とわがまま
前回のあらすじ:日傘で相合い傘しました。
「ねぇ、交通費返すから今からでも帰っていいかな?」
「お店の前まで来て何言ってるの?本物の下着に見て触れて学ぶ。きっとこれは博樹くんにとってもいい経験になるはずだよ」
「なんか、こう、直視できないというか。しちゃいけない感じがするというか」
「大丈夫、傍目から見れば私たちカップルにしか見えないから堂々としてればいいんだよ。ほら、あそこにもいるでしょ?カップル」
「あれは彼女の下着を選んでるんだろ?優華は僕の彼女じゃない」
「実は彼女じゃないかもしれないよ?それでもああいう風に堂々としてれば案外わからないものだよ。ね?」
「えっ、あっ、ちょっ!」
「何?まだ何か言いたいことがあるの?」
「いや、そうじゃなくて……手……」
「手……?」
手、手……あっ。
「ごめん!私、勝手に掴んじゃって……」
手ぇ繋いじゃったぁっ。そして勢いで離してしまった。
「ほんと、わざとじゃないから……」
好きって言ってもらうまで自分からこういうのをするのはナシにしようって思ってたのに……。こういうのはちゃんと付き合ってからゆっくりと堪能したかったのに。
「ごめん、本当にごめん……ごめんなさい……」
嫌だよね。好きでもない人にガツガツ触られたりしたらさ。私だって嫌だもん。反省しているつもりなのに手に残った感触に幸せを感じている自分がいる。嫌悪感がすごい。
「いやいやいや、そんなに謝らなくていいから。僕も突然でびっくりしちゃっただけでさ。たしかにあのままずっと、ってなってたらたいへんだったけど、ここまで渋ってた僕も悪かったわけだし……おあいこってことでいいかな?」
こういうときいつも虹村くんは優しい。嫌な思いをしているはずなのになんだかんだ理由をつけておあいこってことにしてくれる。毎度それで救われるわけだけど、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。このまま甘え続けていいものだろうか。
「いや、私が強引すぎた。気分が乗らないし今日は近所で適当に安いの買ってくから帰ろっか。しばらくそれでもつし。時間とらせてごめんね」
作戦失敗。まあ、自業自得だね。
「優華ってさ、結構面倒くさいよね」
「ごめん」
「わけわかんないこと言って無茶苦茶に僕を引っ掻き回して、そのくせ大したことないことで自責の念に駆られて落ち込んで空気は最悪。こっちは気にしてないっていうのに勝手すぎるよね。よっぽどそっちのほうが迷惑だ。そのことを覚えていてほしい」
「ごめんなさい」
「ああっ!もう!謝ってばっかでうっとうしい!」
私の手を取る虹村くん。
「え、ちょっ、待っ……」
「待たない。優華がどう思ってようとこの手は離さない。今日は、今日だけは優華の彼氏だ。僕のデートに問答無用で付き合ってもらう」
「え、いや、その……」
待って待って待って。整理が追いつかない。どういう状況?彼氏って何?手、繋いじゃってるんだけど?!
「知らないね。問答無用だと言ったはずだよ。まずはアニメショップに来てもらう。下着は後回しだ」
「えと、あ、はい……」
手を引かれるままにランジェリーショップをあとにする。手を引かれた状態だと特に手に強い力が加わって意識が集中する。強く握られた手からは絶対に離すまいという強い意思を感じる。握り返してもいいのだろうか……?今の虹村くんの意思を汲むなら握り返すべきなのかもしれない。ただ、どうなんだろう。今演じてくれている私の彼氏としての虹村くんではなく、本来の虹村くんとしてはやはり握り返されたら嫌なんじゃないだろうか。このまま虹村くんの優しさに甘えてしまうのはやはり違う気がする。
「離して……」
「離さない」
「離してよ……」
「断る」
「離してって言ってるでしょ!」
「今日は僕が彼氏だ!何も遠慮することなんてない!」
「いらないよ!そんなの!私がほしいのは優しさじゃないんだよ!本物なんだよ!本物がほしいの……優しい嘘なんて要らない!演技じゃなくて本物の……愛が……ほしいんだよぉ。ほしくてほしくてたまらないんだよぉ……。ねぇ、わかってよ。苦しいよ。優しくしてもらうとここが痛くなるんだよ。だいたい気を遣ってるのは虹村くんのほうじゃん!遠慮の塊みたいなことしながら遠慮するななんて言われても無理だよ!気持ちはうれしいけど素直に喜べない。ありがたいけど迷惑だから……。こういうことをするのは、私を本気で好きになってからにして……。もしその日が来なくても……そっちのほうが私はいい」
緩んだ虹村くんの手を振り払う。
「じゃ、私もう帰るから……もしかしたら部活しばらく休むかも」
「そういうのが迷惑だって言うんだ……たしかに悪かったよ。好きでもないのに手を握って、彼氏のふりをして……。でもわかってくれよ……僕には君しかいないんだよ……。また、遠くへ行っちゃうのかって不安で不安でしかたないんだよ……。君との関係を保ってられるなら僕はなりふり構ってられなくて……こっちも必死なんだよ。好きって言ってもらってるのに応えられなくてつらいよ。表には出さないけど申し訳ないなって常に思ってる。それでも!僕は君と、優華と一緒にいたい!一緒にいる人には笑っていてほしい。僕のわがままだ。わがままだってわかってる。わかってるけど、だからこそ僕は思いやりや同情なんかで優しくするわけじゃない。恣意的に、己の意思でそうあってほしいからそうしてるんだ!勝手に僕の理想を決めつけて離れていかないでよ……お願いだから……僕をひとりにしないで……」
考えもしなかった。虹村くんが私に優しくする理由。ただ、優しいからだと思っていた。そういう人なんだと。そういう人だから嫌なことがあっても他人のために何かしてあげられて、我慢ができる人なのだと。ただ、それは私の勘違いだった。彼の言葉が、目に浮かぶ涙がそれを物語っている。申し訳なさがこみ上げてくるが、ここで謝るのはたぶん求められてない。言葉を、特に第一声は慎重に選ぶ必要がある。
たぶんここはわがままをいうべきなんだろうが、正直今は帰りたいって気持ちが一番強い。ただ、それだとやることっていうのはさっきと変わらなくて、虹村くんからすれば私を止めることができなかったということになる。虹村くんの言葉が私の胸に響いたということを伝えるためにも何か行動は変えたいところではあるけれど、それはいわゆる遠慮になるわけで……。
「正直、私は帰りたい。雰囲気最悪だし、とても一緒に下着を選ぼうなんて思えない。別のところだとしても一緒に歩き回る気力なんてない」
これが私の正直な気持ち。
「そうか、そうだよね……」
「だけど、もしも……私の気が済むまで、気が変わるまでハグしてくれたら考え直すかもしれない」
パッと思いついたのを言ってみる。思いつきだからこれ以外でもいいかもしれないし、考えが変わらないかもしれない。だけど、こういう思いつきっていうのは感情の根本に近いような気がする。私が彼を特に理由もなく好きになったように、感情には根拠も整合性もないのだろう。だから私は私の口からついて出た欲求を信じ、彼の答えを待つ。
「ありがとう。でも背中側じゃ寂しいよ……」
後ろから抱きしめられた。肩と背中に強い力が加わる。ただ、私の抱きしめてる感が足りないのでさらに要求する。
「わかった。これでいい?」
虹村くんが私の両肩を掴んで回転させる。正面を向くか向かないかくらいで抱き寄せられ、密着する形となった。今度は背中全体に手が届いたこともあってか先ほどよりもさらに虹村くんに包まれている感じがする。温かくて気持ちいい。ふわふわした気分になる。
「うん。しばらくこうさせて……」
虹村くんの抱擁に応えるように、私も彼の背中に手を回す。深呼吸をして息を整える。ああ、幸せだ。使い古された表現ではあるけれど、たぶんこういうときに使うんだろうなぁ。このまま時が止まってしまえばいいのに……。




