09 日辻真夜
朝から憂鬱だ。
良くないことが起こりそうな予感をヒシヒシと感じている。
虫の知らせだとか胸騒ぎだとかそういった類のものだ。
今日は学校を休もうかとも思案したのだが、生徒会長たるものこんな根拠の乏しい理由で欠席するべきではないとの結論に落ち着いた。
私は小さなころから本能的に危険を察知する能力に秀でていた。
超能力というほどの鋭敏な感覚ではない。
第六感とでもいうのだろうか。
祖母がハンガリー人であった。
祖母は自分が魔女の末裔だとこっそり教えてくれていた。
ということは私も魔女の末裔というわけで、幼い頃には自分もいつか魔法が使えるようになるんじゃないかとワクワクしたものだ。
今となっては眉唾ものだと思ってはいるが、期待を捨てきれていない自分が微笑ましい。
生まれ持った勘の鋭さは魔女の力の一端なのかもしれない。
朝からこの感覚に苛まされながら何事もなく放課後となった。
単純に体調が悪いとかなのだろうか。
とりあえず生徒会室まで来たのだが、重要な案件もなさそうなでの他の生徒会役員達に任せて早く帰らせてもらおう。
帰ろうとしたところ、放課後に屋上で喧嘩が行われるとの情報が入ってきた。
風紀委員長の板井川君に行ってもらうこととした。
彼ならうまく治めてくれるだろう。
「真夜ちゃん、大丈夫?」
心配そうに私の顔を覗き込んだのは、二人いる副会長の一人、岸花恋だ。
私の幼馴染であり、半ば強引に副会長に任命した。
「朝から調子悪くてね。今日は早く帰るよ。」
「アンニュイな真夜ちゃんいい!
いつにも増してエキゾチックでクールビューティー!」
花恋はいつもこの調子だ。
カタカナを並べ立てて褒め称える。
「日辻君、体調が悪いのなら今日は僕達に任せて帰るといいよ。
なんなら会長職ごと僕に譲り渡してはどうだい?」
彼はもう一人の副会長小宮山創志。
会長選挙で私と争った男だ。
生徒会長になりたくてしょうがなかったようだが、ハンバーガーショップのクーポン券を配って不当な票集めを行なった結果、その行為が広まり生徒達からの信頼を失い大敗した。
落選者は生徒会執行部にという慣例に従い副会長に任命したが、意外と行動力がありよく働く。
「小宮山君はいつも言い方がトゲトゲしているなぁ。
選挙で負けたことまだ根に持ってるのかい?」
彼は書記の雲井直行。
成績優秀で人当たりも良く周囲からの信頼も厚い。
悪意があってかなくてか、たまに人の傷を抉るようなことを言うのが玉に瑕だ。
小宮山君に対してしかそう言う事を言わないので恐らく故意でやってるのだろう。
「そんなこと僕がいつまでも気にしているわけないじゃないか。」
否定しながらも小宮山君はプルプルと小さく震えていた。
「流石にあんな事した上で十倍以上の得票差は笑えたねぇ。」
ケラケラと笑いながらトドメを刺したのは庶務担当の佐久間桐香だ。
歯に衣着せぬ物言いで男女共に人気のある姉御的な存在だ。
「ぼ!ぼ!僕は不正なんかしていないぞ!
あれはただ友達におすすめのハンバーガーショップを教え広めていただけだ!」
怒り心頭といった感じに語気が荒くなっている。
「誰もそんなこと言ってないじゃない。
バリバリに加工した写真使ったポスター何十枚も校内に貼りまくってってことよ。
加工入りすぎてて最初見た時、小宮山君って分かんなかったよ。」
桐香はそう言うと更にケラケラと笑った。
さっきまで真っ赤になっていた小宮山君は青ざめて黙ってしまった。
生徒会執行部は他に会計の植芝春日がいるが今日はまだ来ていない。
更に各委員の委員長も生徒会長直轄となっている。
「じゃあ今日は帰らせてもらうね。」
そう言って立ち上がろうとした時、突然言いようのない悪寒に襲われた。
胸騒ぎとかそういうのと比較にすらならない。
危険が逼迫していると確信できるほどの悪寒。
体に力が入らずヨロヨロと椅子に座り込んでしまった。
「ちょっ!真夜ちゃん!?」
花恋の問いかけに返答が出来ない。
冷や汗が滲み出る。
これは本当にヤバいやつだ。
「真夜、本当に大丈夫かい?」
桐香も心配して声を掛けてくれた。
「保健室行って汐見先生呼んでくるよ。
まだいるかなぁ。」
雲井君が先生を呼んでこようとする。
そこまでしなくて大丈夫と伝えようとするも声が出ない。
いつもは悪態をつく小宮山君も心配そうな表情を浮かべている。
ガッシャーーン!!!
廊下から何かが割れる音が鳴り響いた。
「何の音!?」
皆が一斉に音がした方を向く。
そして何が起こったのか確認しようとドアを開けようとした。
「待って!!」
必死に声を絞り出した。
ドアを開けちゃいけない。
開けるととても悪いことが起こる。
私の特殊な感覚が警鐘を鳴らしている。
皆驚いてこちらを見ている。
良かった。
引き止めることができた。
ふっと安堵すると奪われていた体の自由が僅かながら戻ってくるのを感じた。
「どうしたの?
またリスキーな何かを感じたの?
真夜ちゃんのそういうセンシング鋭いからなぁ。」
花恋が不安そうに私の顔を覗き込む。
「すごく嫌な事が起こるような、そんな気がしたの。
こんなに強く感じたのは初めて。」
ようやく普通に喋ることができるようになった。
「真夜ちゃんのこういう感覚って百発百中なんだよ。
皆も今日は早く切り上げて帰ろう。」
花恋が皆を促す。
「霊感ってやつかい?ぼ、ぼ、僕は信じないぞ!」
「小宮山君、女の勘ってのは馬鹿にできないよ。
私も今日は帰るとするかな。」
「根拠云々は置いといて、100パーセントなら統計的に無視できない数字だね。
後は小宮山君に任せて帰ろうか。」
「待ちたまえ!僕も帰るぞ!一人で作業しても能率悪いしね。」
皆で帰ることとなったが、生徒会執行部としては音の正体を確かめずに帰るわけにもいかない。
雲井君がドアを開け、周囲の様子を確認した。
「東側の廊下にガラスが飛散しているね。
外側から割られたっぽいね。
先生が二人来ている。
今泉先生と前手先生だ。
他に女子生徒一人と男性生徒が二人いる。」
「君か。こんな状態なんだが、何か見なかったか。」
前手先生が雲井君に気付き問いかけた。
「いえ何も。何かが割れる音がして今様子を見に出てきたところです。」
そう答えながら廊下に出る雲井君の後に続き私達も生徒会室から出た。
多少治ったとはいえ、嫌な感じは継続している。
恐る恐る現場を見ると、廊下には砕けたガラスが散らばっている。
廊下の窓が割れている。
廊下にガラスが飛散しているということは外側から割ったということだ。
窓枠に目を移した時、私は目を疑った。
ガラス片の残る窓枠を掴む手があったのだ。
「あ・・・ああ・・。」
声にすることができず指をさした。
その様子に気付き皆一斉に窓枠に目をやり、そして言葉を失った。
その手の主は割れたガラスなど意に介さずといったように窓枠を乗り越えドサリと廊下に転げ落ちた。
そして小さく呻き声をあげるとヨロヨロと立ち上がった。
ボロボロの布を纏った金髪の少年の姿をしている。
私には分かる。
それはヒトではない。
禍々しい何かだ。
「なに?外国人?」
皆がどよめく。
「なんなんだお前は。
もしかして、これを割ったのはお前か?」
今泉先生が少年の肩を掴む。
「離れて!それは人じゃない!!」
私は絶叫した。
皆が驚いてこちらを振り返る。
少年は肩を掴んでいる今泉先生の腕を掴むとガブリと噛み付いた。
「うお!?何をする!」
今泉先生は腕を振りほどき少年を突き飛ばした。
「今泉先生、子供に暴力は・・・」
前手先生が突き飛ばした行為を謗ろうとした。
「すみません。突然だったんで反射的に・・・」
そこまで言いかけて今泉先生は倒れてしまった。
「今泉先生!どうしました?」
今泉先生は目を見開いたままピクリとも動かなくなった。
「死んだ・・・のか?」
そこにいた全員が事態を整理できず硬直した。
そして、呻き声を上げながらこちらにゆっくりと歩いてくる少年を危険であると認識した。
「取り押さえるべきだよな・・・」
前手先生が少年に対峙する。
その時、倒れていた今泉先生が呻き声を上げた。
「先生!大丈夫ですか!」
しかし、今泉先生は答えずゆっくりと立ち上がり、灰色に変色した眼球で周囲を睥睨した。
そして最も近くにいた男子生徒をガシリと掴むと肩口に噛み付いた。
男子生徒は低く呻くとズルリと崩れ落ちた。
「走れ!生徒会室だ!」
前手先生の声に我に返り皆一斉に走り出した。
生徒会メンバー全員、現場にいた女子生徒も走り込んだ。
廊下から男子生徒の悲鳴が聞こえた。
そして前手先生が走り込んでドアを閉め鍵を掛けた。
「先生!さっきの男子は!?」
「彼は今泉先生に捕まって噛み付かれていた。
助けることができなかった。」
前手先生が悔しそうな表情を浮かべる。
ドン!ドン!ドン!ドン!
激しくドアを叩く音がする。
そして複数の呻き声が聞こえる。
ドアが破られないことを固唾を呑んで祈った。
暫くするとドアを叩く音はやんだ。
そしてあちらこちらで悲鳴が聞こえ始めたが、誰も動く事も言葉を発する事もできなかった。