08 九郎丸巌
君が代にあるさざれ石とは小さな石のことらしい。
さざれ石がある成分によって長い年月を掛けて凝結しあい、大きな岩、すなわち巌となるらしい。
そういった想いを込めて両親はこの名前をつけたのだという。
しかしその名前をくれた両親は既にいない。
母は僕が幼い頃に病気で他界し、父は二年前に通り魔に襲われ命を奪われた。
母が亡くなった後、父に育てられたのだが、事あるごとに衝突した。
なぜあんなに反抗したのか。
反抗しても母は戻ってこないのに。
行き場のない感情をただただ反抗という形で父にぶつけていた。
父は出張に行くと言っていた。
夜は冷蔵庫にあるものを温めて食べろと言っていた。
僕は「さっさと行けよ。」と悪態をついた。
父は小さく溜息をつくと家を出た。
それが最後だった。
父は出張先で通り魔に襲われた。
僕が駆けつけた時には父は既に冷たくなっていた。
日本刀のようなもので背後から斬りつけられたらしい。
早くに妻を亡くし、男手一つで僕を育てた。
父は母を亡くした僕の心の傷をどうにか癒したかっただろう。
だけど僕は反抗することしかしなかった。
母を失った喪失感をそうすることで紛らわしていたのだ。
僕は冷たくなった父の体にすがりながら何度も謝った。
その声はもう届かない。
後悔してもしきれなかった。
犯人は未だに捕まっていない。
その後も同様の犯行を繰り返している。
犯人には強い憤りを感じた。
しかし当時中学生であった僕にはどうすることもできなかった。
叔父に引き取られた僕は忸怩たる思いから自分を戒め必死に勉強した。
両親が遺した名前に見合う、大きな人間にならなければ。
それまでろくに学校に行っていなかった僕の急激な成績の向上に周囲は驚いていた。
そして無事、受験に合格し高校へと通うことができた。
運の悪さは親譲りかもしれない。
何故か危険そうな人たちによく絡まれる。
さっきも絡まれたばかりだ。
幸い今回はすぐに解放された。
そしてそのまま彼らが行ってしまうまでその場に留まった。
視界に入れば気が変わってまた絡まれるかもしれない。
暫くしてそろそろ行くかなと思った時、ガラスの割れる音が響いた。
そして羽生さんとその取り巻きたちが階段を駆け上がってくる。
「はひっ!」
先頭のにいるのは羽生さん。
僕に気づくと、
「逃げろ、早く!」
と怒鳴った。
「はひっ!」
僕は硬直した。
「急げよ!」
更に怒鳴られた。
「はひっ!」
何が何だか分からないが踵を返して四人と共に三階への階段を慌てて掛け上がった。
これってガラスを割った共犯にされるんじゃあ・・・。
踊り場で女子二人とすれ違った。
駆け上がってきた僕たちに驚いて端に避けている。
その女子にも「逃げろ!」と言っている。
女子はわけが分からず立ち止まっている。
踊り場をから三階へと上がりかけていた羽生さんは「ちっ!」と舌打ちすると踊り場に戻り二階の方へと向いた。
僕たちも立ち止まり二階へと視線を送った。
下から誰かが駆け上がってくる。
三人だ。
男子二人は顔面にガラスが突き刺さっており、女子は口が裂けている。
えっ!?これもしかして羽生さんたちがやったのか?
だとしたら酷すぎる。
羽生さんは先頭を上がってくる男子生徒に向かって体を横に向け構えた。
男子生徒は羽生さんに向けて手を伸ばしている。
その手がもう少しで届くというところで羽生さんは蹴りを放った。
水平に撃ち抜かれた蹴りは階段分低くなっている顔面に突き刺さった。
頭部が後方に大きく仰け反り、体が後方に吹き飛ぶ。
吹き飛びつつも男子生徒は羽生さんの足を掴もうとしたが、既に羽生さんの足は元の位置に戻っており腕は空を切った。
そして後ろの二人を巻き込みつつ階段を転げ落ちた。
いくらなんでもこれはやり過ぎではないのか。
女子二人もひいている。
だが、羽生さんとその仲間たちは不安げな表情で落ちていった三人を凝視していた。
僕も階段下の倒れている三人に目をやる。
巻き込まれた二人はどちらも右足が不自然な方向へ折れ曲がっていた。
明らかに骨が折れている。
蹴りを受けた男子生徒は首がありえない方向へ向いていた。
首の骨が折れている。
あれで生きているわけがない。僕はそう思った。
血の気が引くのが分かった。
羽生さんが殺した。
しかし、次の瞬間血液が凍りつくのではないかという程の寒気を感じた。
首が折れている男子生徒が立ち上がったのだ。
壊れた人形のように首が後ろに倒れ込んでいる。
歩こうとするのだが足元が見えていないせいか他の二人に躓き倒れ込んだ。
そしてまた立ち上がろうとしていた。
他の二人も立ち上がろうとしているが足が折れており立ち上がれないようだ。
三人とも痛がっている素振りはない。
何が起こっているのか理解できない。
ただただ異様であった。
「なんだこりゃあ?」
二階の廊下から誰かが来た。
あれは嘗て最強と言われていた時坂さんだ。
こちらに気づくと、
「お前たちがやったのか?」
と怪訝そうな表情を浮かべた。
倒れている人たちを心配している様子はない。
どうしてこうなったという困惑の表情。
「逃げろ!馬鹿!」
羽生さんが叫んだ。
「あ?馬鹿だぁ?」
羽生さんを睨みつける。
「足元見ろよ!」
羽生さんが更に怒鳴る。
「ん?」
足元に目をやると、我先にと這いずってくる三人。
最も近い女生徒が右足に掴みかかろうとしているところだった。
「おわっ!?」
慌てて右足を下げたが、女生徒は残った左足に掴みかかった。
左足を引き寄せられバランスを崩し尻餅をついた。
「痛ってぇ。何すんだ!」
女生徒は左足を更に手繰り寄せる。
そしてふくらはぎに噛み付いた。
「ぐぅっ!」
痛みに呻く。
他の二人も時坂の下半身にしがみつく。
首が折れている男子生徒はうまく噛み付けないようだ。
もう一人の男子生徒は右足に噛み付いている。
「うぎぃぃいい!」
悶絶しながらもがいていたがすぐに動かなくなった。
動かなくなると下半身にしがみついていた奴らは噛むのをやめた。
「時坂!大丈夫か!」
羽生さんが問いかけるが反応がない。
「時坂ぁ!!」
もう一度呼びかけた。
ピクリと反応した。
そしてゆっくりと起き上がった。
様子がおかしい。
呆然と二階の廊下の方を見ている。
その眼球は灰色に濁っているように見えた。
突然、目を見開いたかと思うと口を大きく開け廊下へと走り出した。
廊下から悲鳴が聞こえた。
ここからでは何が起こっているのか見えない。
だが、誰も動くことができなかった。
しかし何が起こっているのかは想像できた。
階段を追って来た三人のように誰かに噛み付こうとしているのだろう。
噛まれると痛みなど感じず次の犠牲者を探し追い求める、さながらゾンビとなる。
助けないと!
僕の中で何かが弾けた。
この名に込められた思いにそぐう大きな人間となるため、トラブルは避けてきた。
だけど、これは避けちゃいけない。
僕は階段を一歩降りた。
「お、おいっ!」
呼びかける声が聞こえたが、そのまま勢いをつけ駆け降りた。
そして、必死に手を伸ばし僕の足を掴もうとしている三人を飛び越えた。
着地すると振り返らずそのまま廊下へと走った。
ゾンビと化した時坂さんは女生徒を押し倒していた。
女生徒は悲鳴を上げながらカバンを時坂さんの顔に押し当て必死に抵抗していた。
良かった。間に合った。
すぐそばで別の女生徒が「時坂!こんなとこで何してんだよ!」と声を上げている。
おそらく事態を正確に把握していない。
勘違いしている。
僕は時坂さんの側面に走り込みそのまま体重を乗せて側頭部を思い切り蹴った。
時坂さんが勢いよく転がる。
二人の女生徒は唖然としている。
そして驚きと非難の入り混じった複雑な表情で僕を見た。
確かにこんなことすれば大問題だ。
だけどこうしなければもっと大変な事になっていた。
時坂さんが起き上がった。
顎の付け根が砕けたようだ。
輪郭が歪に変形し、口はだらしなく開けられ涎を垂らしている。
普通なら激痛で直ぐに起き上がるなんてできるはずもない。
灰色の瞳を大きく見開き、僕と女生徒達を睥睨している。
さすがに異常を悟ったのか女生徒たちは青ざめ硬直している。
時坂さんは硬直したまま起きあげれないでいる女生徒に再び襲いかかった。
女生徒は恐怖に慄いている。
くそっ!
女生徒との間に入りもう一度蹴りを放つ。
先程の蹴りは助走による勢い、相手の無警戒と最高の条件が揃っていた。
しかし、今回は噛まれる事への恐怖による躊躇、小柄な上に助走なしと条件は最悪であった。
胸元を狙って蹴り上げた足はあっさりと掴まれてしまった。
「うわぁぁぁっ!」
足を掴まれ僕はバランスを崩した。
そして歪な顎が僕の足に噛み付こうと迫っていた。
だめだ!逃げられない!
目を閉じ覚悟を決めた。
その時、大きな音と共に僕の足は解放され、僕の体は床に落下した。
恐る恐る目を開けると時坂さんが倒れている。
頭部が大きく陥没している。
「根性あんじゃねぇか。」
消火器を持った羽生さんが僕にガッツポーズを送っていた。