06 二ツ木陶治
俺は二ツ木陶治。
今俺は非常に機嫌がいい。
敬愛する我が師匠、空井先輩から貴重な書籍を譲り受けたのだ。
いたいけな女子の赤裸々な画像が収められているいわゆるビニ本だ。
エロ本ではなくビニ本だ。
そこにはこだわりがある。
インターネットの普及した今、その手の画像、動画はお手軽に視聴することができる。
一生かかっても全てを見尽くすことはできないだろう。
現に俺のパソコンのカートリッジ式のハードディスクはとりあえずダウンロードしとこうで落とした動画で満員御礼だ。
既にどこにどんな動画が入っているのか把握していない。
一人で楽しむのはそれはそれでいいのかもしれないが、そこには矜持がない。
俺は同胞達とお宝を共有し、趣味嗜好を語り合いたいのだ。
語り合うにはやはり書籍が適している。
しかし、その手の書籍を購入するのは勇気がいる。
レジに可愛い女子がいようものなら最悪だ。
その点、ビニ本自販機であれば周囲に人がいなければ何の問題もない。
ビニ本自販機のある場所は三箇所把握している。
今の時代、まだ残っているということに驚きだが、需要があるということだろう。
人の好みは十人十色。
同胞達は多種多様なこだわりを持っている。
実際、俺の全く興味の湧かないジャンルや属性もある。
だが、お互い決してそれを否定しない。
否定したところでそいつの好みが変わるわけではないからだ。
我々にとって否定は不毛な論争となる。
そんな同胞達の中、師匠である空井先輩とは趣味が合う。
語り合えば合うほど嗜好が同じであることに驚いた。
そんな師匠が至高の一品を見つけたと持ってきてくれた。
師匠のお眼鏡にかなった珠玉の逸品。
期待に胸が膨らむ。
思わず放課後にそのまま机で拝読してしまいそうになった。
その場はなんとか衝動を抑え込むことができたが、家に帰り着くまでは我慢できない。
そんな時のために俺には秘密の隠れ家的な場所がある。
体育用具室である。
体育の授業で使用するハードルやライン引きなどがしまってある。
放課後には誰もこない。
鍵は掛かっているが、古くなっているためか針金でちょっと引っ掛けてやれば簡単にシリンダーが回り開いてしまう。
意気揚々と体育用具室の前まで来た俺であったが、中から不穏な気配を感じた。
「本当に誰もこないのー?」
「大丈夫だって。」
俺の聖域に入り込んでいる男女がいる。
お宝の鑑賞はお預けとなってしまった。
しかし、これは男女のあれやそれやをリアル視聴するチャンスなのではないか。
確か小さな小窓があったはず。
俺はそっと体育用具室の裏手に回った。
体育用具室の小窓は明り採りようなのか高い位置にあった。
周りを見渡すと放置された机を見つけた。
風雨に曝され金属製の脚はところどころ錆びてはいるが、乗っても大丈夫そうだ。
その机を音を立てないようにそっと運ぶと軽やかに上にのぼった。
窓から中を覗くと男女が丸めたマットの上に並んで座っていた。
男は北倉、女は久米田だ。
何か話しているが内容は聞き取れない。
二人でコソコソと話している。
俺の貴重な時間を奪ったのだ。
最高のライブを見せてもらおうぞ。
北倉が久米田の肩に手を回し、グイっと引き寄せた。
二人の顔と顔がゆっくりと近づいていく。
その時、体育用具室内で何かが光った。
強烈な発光。
驚いた俺は机から落下し腰を強打してしまった。
声にならない痛みに蹲る。
まずい。
落下の音が聞こえたかもしれない。
壁越しに中の様子をうかがう。
「なんなんだ、今の?」
「爆発?にしては何にも壊れて・・・。誰かいるよ!」
中の声を微かに拾うことができた。
誰かいる?壁越しに俺が分かるわけがない。
腰をさすりながら机に再度のぼった。
二人は立ち上がって入り口側の隅を見つめていた。
確かに何かいる。
隅の暗がりからゆっくりと出て来たのは金髪の少年であった。
ボロボロの服、というより布切れを纏っている。
眼球は灰色に濁っており、口は半開きで涎を垂らしている。
両手を前に伸ばし久米田に向かってギクシャクと歩いている。
「な・・・何?この子。」
「おい、どこから入って来たんだ。」
北倉の問いに何も答えない。
「おい!聞こえてるのか!」
北倉の声が大きくなる。
少年は北倉の方に進路を変え近づいていく。
「なんなんだ!お前は!」
動揺した北倉が左手で少年の肩を押した。
突き飛ばすほどの強さではなかったが、少年はヨロヨロと尻餅をついた。
「ちょ、ちょっと、乱暴は・・・。」
久米田が窘める。
「あ・・・ああ。暴力を振るうつもりは・・・。」
北倉が久米田の方に視線を送った。
その時であった。
立ち上がった少年が北倉の左手を掴んだ。
そして、手首に噛み付いた。
「いっ!?」
北倉が反射的に振りほどこうとするが少年は噛み付いたまま離れない。
「は・・・離せ!」
北倉は少年の額を右手で掴むと必死に引き離した。
少年はその勢いで後ろによろめき転倒した。
「くそ!何なんだ!」
「大丈夫!?」
久米田がハンカチを取り出している。
北倉がそのハンカチを受け取ろうと手を伸ばした。
しかし、ハンカチを受け取る寸前で北倉はその場に倒れ込んでしまった。
「え?ちょっと!北倉くん!?」
久米田が北倉の側にしゃがみ込み肩を揺さぶる。
しかし、先程の少年が立ち上がり近づいて来ていることに気付くと彼女の動きは止まった。
恐怖による硬直。
ペタンと座り込み動けなくなってしまった。
「あ・・・ああ・・・・。」
声すら出す事もできない。
少年はゆっくりと壊れた人形のように歪な歩き方で近づいてくる。
久米田と少年は倒れている北倉の体を挟んで対面する形となった。
その時、北倉の体がピクリと動いた。
久米田に安堵の表情が見えた。
「北倉くん!北倉くん!」
北倉はゆっくりと起き上がった。
久米田を見下ろす北倉の眼球は灰色に濁っていた。
久米田の束の間の安堵の表情は消え失せていた。
北倉は両手で久米田の頭部を掴むとガブリと噛み付いた。
久米田が北倉の腕を掴む。
「・・・き・・・たくら・・・く・・・。」
北倉は久米田の頭部に噛み付いたまま離れない。
久米田の腕がダラリと落ちるとようやく噛むのをやめた。
北倉が手を離すと久米田はズルリと上体を倒した。
しばらくすると久米田も起き上がった。
その眼球は灰色に濁っていた。
俺は今何を見ているのだろう。
ただ呆然と光景を眺めていた。
全身が汗でぐっしょりになっている。
動揺、混乱、恐怖、色んなものが混じりすぎて動けない。
金髪の少年が北倉を噛んだ。
北倉が倒れ、起き上がったら久米田を噛んだ。
久米田も倒れ、起き上がった。
それが全て。
ほんの僅かな時間に起こった事象。
だが、ありえない異常なことが起こっている。
少年、北倉、久米田が同時に同じ方向に視線を向けた。
体育用具室の入り口のドアだ。
ドアの磨りガラス越しに誰かがいるのが分かる。
まずい。
誰かがドアの鍵を開けようとしている。
なぜ今日はこうもここに人が集まるのか。
危険を知らせなくては。
しかし、声を出せば中のこいつらに俺の存在を知られてしまう。
悟られる前に逃げろ!本能がそう警告する。
逃げろ!逃げろ!逃げろ!
「やめろおおおおお!あけるなあああああ!!!」
はち切れんばかりに叫んだ。
本能に逆らった。
今ドアを開ければ開けた奴は同じように襲われるであろう。
俺の中のほんのちょっとの正義感が声を出させた。
中の三人が一斉にこちらを向いた。
皆灰色の恐ろしい目であった。
俺は今まで体験したことのない程の恐怖心に襲われた。
俺のほんのちょっとの正義感は報われなかった。
叫ぶと同時にドアは開けられていた。