紗綾花と家族
この日の夜、いつも通り一人で夕飯を食べ終え片付けた後、お父さんから電話が掛かってくるのを待った。家政婦さんが来る日は、必ずお父さんから電話が掛かってくる事になっている。何か困った事が起きてないか、私の様子はどうか聞いてくれるのだ。
リビングにあるソファに座りながら、スマホを見つめていた。
パッと画面に、お父さん、と表示され、コール音が響いた。
やっぱり、彼は家政婦さんだったんだ。
私は少し息を整えた後、明るい声で電話に出た。
「もしもし、お父さん」
「やあ……、紗綾花。今日も、変わりないかい」
お父さんの、少し暗い声に胸が締め付けられる。
暗い雰囲気を打ち消すかのように、私は明るい声を発し続ける。
「うん! 今日も変わりないよ~」
「そうか、良かった」
いつもの電話でのやりとり。次は家政婦さんについて聞いてくるはずだ。
頭の中に焼き付いた彼の事を思い出す。
マスクに黒いサングラスで覆われた顔。強盗犯のような家政婦さん。メモ書きに、これからもよろしく、と書いてくれた。
口元が少し微笑む。
「結衣、すまない」
「えっ!? あっ…… ど、どうしたのお父さん?」
予想外の言葉にびっくりした。何とか明るい調子を保ちつつ言葉を繋いだ。
「今日、また新しい家政婦さんが来ただろ」
「あっ、う、うん!」
「次々と変えてしまって……、すまない」
私は気持ちを落ち着けてゆっくり口を動かす。
「ううん、お父さんは悪くない。だから謝らないで。だって、私が悪いんだもん。透明人間の私が、家政婦さんを恐がらしてるせい。えっとね、何とか気付かれないように頑張ってたんだけど……、今までごめんなさい。でもね! もうこれで最後だから。家政婦さんを辞めさせたりしない。約束する」
「紗綾花……」
私の強い決意に、お父さんは言葉を詰まらせる。私は話題を変える事にした。
「お父さん。今日ね、新しく来てくれた家政婦さんなんだけど」
「えっ? あっ、そうか。どうだった?」
私は少し考えてから口を開く。
「とても、良い人だったよ」
「そうか、それは良かった」
お父さんの少し安心した様子に、私はホッした。
うん、良い人だった。言った事に間違いはない……と思う。家事をしっかりやってくれていたし。これからもよろしく、って返事も書いてくれたし。たとえ……、顔がマスクと黒サングラスに覆われていて、強盗犯と間違えそうな出で立ちだったとしても。
お父さんに、彼についてどの程度聞いて良いのか迷った。もう彼を含め5人目の家政婦さん。男性の家政婦さんは初めてだった。きっと、恐い思いもしても耐えれるような人を雇うとして、初めて男性を採用したに違いない。私がなぜ男性なのかと聞いたら、わがままと思われる可能性もある。だからそう、家政婦さんが男性である、という事はお互いに暗黙の了解にすべきだと思った。
「家政婦さん、家事すごく手際良かったよ~、見てて驚いちゃった」
私は少し大げさな雰囲気で話す。でも実際に彼は家事仕事がすごく手慣れていたのだ。
「今は家事手伝いをしているそうだよ。ちょっと前までは保育士として幼稚園で働いていたそうだ」
それで家事をテキパキこなしていたのか。それで今は家事手伝い。男の人で? ん~、でも別におかしくはないか。それよりも、お父さんの話しぶりを聞いていると、どうも彼と一度会っているような感じだった。彼の事をもう少し知りたくて聞いてみた。
「ねえ、お父さん。その家政婦さんと、会った事あるの?」
「ああ。雇う家政婦さんとは一度は会う事にしているんだよ。今日から来た家政婦さんは、明るくて笑顔が素敵でね。話していて楽しい人だなと思ったよ」
「へえ~、そうなんだ」
さずがに、マスクと黒サングラスの姿でお父さんには会わなかったんだ、彼。少し安心している自分に思わず笑いそうになる。下唇を軽く噛んで堪えた。笑顔が素敵な人、か。マスクとサングラスの下にはそんな表情が隠れているなんて、ちょっと想像しづらい。顔を見てみたいと思った。そして話もしてみたいとも思った。でも透明人間の私が、そんな事をするのは許されない。また家政婦さんを恐がらせて辞めさせるわけにはいかない。
あっでも、メモ書きとかでのやり取りなら良いのかな。頬がふわっと緩む。
「紗綾花、家政婦さんは良い人なんだけどね。もしも、何か困った事があればすぐに連絡しなさい」
「うん、わかった」
お父さんとの、いつもの決まったやり取り。もうそろそろ、電話が終わる頃だ。……今日もお母さんとしゃべれなかった。でもその事は言わない。それはきっと新しくできた暗黙の了解なんだろう。胸が息苦しく感じた。
「それじゃあまた電話するよ、紗綾花」
「うん、またね」
スマホの通話が切れる音が鼓膜に突き刺さる。
ソファに体重を預け、しばらく動く気にもなれず、天井を見つめていた。