二話『超展開』
目が覚めると、何やら古風な、知らない街の路地裏に横たわっていた。
自分がここに居る理由を必死に探したけれど、特に修学旅行などで海外へと飛ぶ予定はなかったし、人生に早くも諦めがついて、日本から逃げてきたということも記憶にない。ただ、明日が学校の定期テストの当日だったということは覚えている。
取り敢えずこれは夢の中なのだということにして、見晴らしの良いところへと出ていくことに決めた。夢の中なのに意識があるのはちょっと珍しく、確か……なんといったのかは思い出せないけれど、これを楽しまない理由はない。まだ行ったことのない海外を思う存分観光しようじゃないか。
と僕としては割とそれなりに意気込んで、第一歩を踏み出そうとした。
けれど。
その前へと出した右足が、何かとてつもなく弾力のあるものを蹴り飛ばし、躓いてしまう。はっとして振り返ると、そこには仰向けに寝転がった、制服を着た女子高生の姿があった。
まずは僕以外に人がいるという事に安心し、更には彼女がとても見知った人だったということに安堵し、最後に僕が蹴りを入れたのは一体なんだったのだろうと考えた。
顔面。引き締まった腹部。何か入っているのかと疑ってしまいそうな隆々としたふともも、靴。たわわに実った胸部。
……。
激しく盛り上がったソレを、腫れ物のように触り、人体から引きちぎれていないかどうかを確認する。
……。
…………。
よし、どうやら繋がってはいるよう――、
「なにさっきからおっぱいばっか触ってんだ、てめー……」
首をギギギと45度回すと、真っ赤に腫れあがった、僕の幼馴染である柊真の表情が見えた。
少し開けた場所から見渡してみれば、そこにはローマ風の建築物がズラリと並ぶ外観が広がっていた。その圧倒的な建物諸々に、自分の夢ながら息をのんでしまう。
「すげー!!」
そう叫んだのは僕ではなく、隣で目を輝かせると同時に、どこかへ走り出してしまったマコトだ。別に悪気はなかったのだと苦し紛れの主張はしたけれど「へるもんじゃねーけど、そんなにずっと揉まれていると反応に困る」という至極真っ当な意見を言った彼女である。どうして夢の中にマコトがいるのかは不思議だけれど、とりあえずは僕が知り得る限りの彼女の人格とはほぼ同じの反応をしている。なんにせよ、本当によく出来た夢だ。僕はそれほど想像力のある方だったとは……。
前時代的ではあるけれど、どこか趣のある服を身にまとった通行人をなんとなく目で追っていると、マコトが全速力でこちらに戻ってきた。疾走してきたはずなのに息一つ乱れていないのは、生徒の間で厳しいと言われているテニス部の活動の賜物だろう。
「そこらへんの人に訊いてみたけど、ここ来て初めての人はあそこに行くといいらしーぜ」
そう言ってマコトは、遠目でも分かるかなり大きな建物を指で示した。
「なんでも、シャブ? というのをキメるらしいーぜ」
「ここは犯罪者が蔓延している国なのか、マコト」
「とにかく、どこの職業に就くか決めれるんだってよ」
「ああ……」
ジョブを決めるのな。
ゲームを触ったことはあまりないのだけれど、所謂主人公が初めに行きつくであろう、お決まりの所だ。ファンタジー版ハロワといったところか。
「早くいこーぜ!」
「いや、僕は――」
一瞬だけ考える。
「――今はいい。もう少しこの町も散策したいし」
魅力的な職業を眺めてうんうん唸るのにも惹かれるけれど、どうせ目が覚めれば意味がなくなってしまう。じゃあ、このリアル過ぎる景色を眺めて、目の保養にした方がいいと思った。
マコトは首肯して、また全速力で走り去り、姿が点になってゆく。
あいつは、そうと決めたら行動がすさまじく早い。
北で友人に遊びに誘われたなら二つ返事で行き、南で深く悩んでいる友達がいるのならば、自身が計画した遊びの約束を反故にして、自転車一つでそちらへ向かうほどの決断の早さ。著名な詩人が当惑してしまう程の、即断即決を体現したような人なのだ。
かという僕は、一体どこへ行こうかと、優柔不断に迷っていた。
それにしても、変だ。
皆が皆、自然すぎる。威勢の良い声で魚をたたき売りしている市場の店主のへんてこな言い回しも、ふと裏路地を見た時にいた猫の退屈そうなあくびも、今手に取っている可愛らしい置物の質感も――。
「ねえ貴方、冷やかしなら帰ってくれない?」
……明らかに苛立っている、この店の人の態度も。
ずっと続いている街並みを歩くことに少し疲れた僕は、『ブランク』という看板が小ぢんまりとさげられいる、ビルの一階に埋め込まれたコンビニのようなお店に入ることにした。もちろん一面ガラス張りではなくレンガ造りの建物で、そこに割と大きめのガラスが等間隔に並べられているだけなのだけれど、店内の様子が外からでも十分に確認できる作りになっていた。
こうして店内の品々をじろじろと見ていたら、窃盗犯だと疑われたのか、この店の長に声を掛けられたのだ。
振り返ってその姿を伺ってみれば、なかなかどうして若い。声を聴いた時は若い大人を想像していたのだけれど、そこに居たのは僕より年が三つ下くらいの背丈と幼い顔をした、少女だった。
腰くらいの位置まで髪をおろして、なんと髪の色は薄いピンク色。散歩中に薄々感じていたことだけれど、どうやらこの世界の住人は、髪の色がかなり鮮やかだ。
その薄い色素の髪から時々見えるペンは、耳にかけているものらしい。
不思議な髪の色をした少女店員に「すみません」とだけ告げて、そそくさと出口へと向かう。その女性の隣を過ぎる時、微かに花の匂いがした。
……。
…………自然だな……。
「ねえ貴方、大丈夫?」
後ろから突然かけられた大人びた口調にハッとして振り返ると、そこにはさっきの少女がいた。どうやら僕は、扉の取っ手を握ったまま止まっていたらしい。
「すみません、ちょっと考え事をしていて」
幼いながら妙に老成した感のあるせいか、敬語を使ってしまう。
「いいえ、そうじゃなくて」
「はい?」
「とても顔色が悪いわよ」
そう告げられた瞬間、首筋に大粒の汗が一つ、スッと流れていく感覚があった。
僕は何も言い出せずに、やや走り気味でその場をあとにした。
どこに向かう訳でもないのに、足取りが早くなっているのが分かる。
おかしい、おかしい。絶対におかしい。いきなり別の場所に飛ばされたり、地面に底なしの穴が開いたり、赤の他人がいきなり辻褄の合わないことを言い出したりと、そういう不自然さがこの夢の中にない。さもこの世界の住民が生きているよな、ひいてはこの世界が生きているような、そんな錯覚を覚えてしまうくらいに。これが意識のある夢なのかと割り切ってしまうべきなのかもしれないけれど、理性の中にない、心の中から湧き出てくる得体の知れない不安が拭い切れない。
「おー、やっと見つけた!」
その不安を無理やり押し込めている、突然背後から聞きなれた声が聞こえた。言うまでもなく、ジョブを選んでいたマコトだった。
「もう決めたのか」
マコトは威勢よく「おう!」と言って、配られたらしい初期装備らしきものに早速着替えていた。赤茶色の髪と簡易につくられた布服が、中々に似合っている。
「――はまだ決めないのか?」
「……まあな。それよりさ、ここって――」
夢の中じゃないよな。と思わず口走りそうになって、なんとか飲み込む。
「とりあえず、僕の頬を抓ってくれないか」
「わかった」
マコトは僕の両頬を両手でもって力一杯にいひゃいいひゃい。
「……僕の頬を千切れとは言ってないぞ」
「俺のお、お……ぱいを蹴ったペナリティだ」
おおう、それを引き合いに出されると困る。
それよりも、両頬がジンジンと悲鳴を上げていることが問題だ。頬とか自分の体に衝撃を与えると目は覚めるはず、しかし目の前に広がるのは古びた景色とマコトの恥ずかし気な表情だけだ。
「……戻るぞ」
「は? 戻るって……ちょ、ちょっと!?」
マコトの腕を強引に引っ張って、ある場所へと走る。こちらを見てくる人がなんだなんだと変な目で見られているけれど気にしない。
マコトの手を引っ張る僕の足が遅すぎたのか、逆に僕がマコトに引っ張られる形になった状態で辿りついたのは、僕たちが目覚めた路地裏だった。
「俺を連れまわして、こ……ここで何をするつもりだ! こ……心の準備ってものが、あるだろう!?」
「戻んのに準備も何もあるかよ。確か、ここだったよな……」
「う……うぅ、やっぱりこの服に着替えたせいなのか……? この魅力的な装備でサトルを、誑かしてしまったのか……?」
「……? あぁ、確かに制服、もう一度買い直さないといけないな」
なにやら制服からそれに着替えて困っているらしいマコトの独り言を聞き流しながら、倒れていた場所を隈なく見る。しかし別に変ったところはなく、ただの道だ。一応そこに立ってみても、仰向けになってもうつ伏せになっても、何も起きない。
「……まじか……」
自然と声が出る。そこには喜びや哀しみなどはなくて、ただただ純粋な驚き。そんな空っぽになった僕の感情に、ない交ぜになった負の感情が瓦解したように押し寄せてくる心地があった。
恐怖。絶望。虚しさ。自傷衝動。困惑。悲壮……そんな自己防衛とも言える僕の嫌な思いが、ほぼノータイムで一気に――。
「なんかやべー顔してるぞ、サトル」
視界のすぐ近くにピントを合わすと、目と鼻の先で僕の顔を凝視しているマコトが写る。
「いや、だって……そりゃやべーだろ、この状況」
「ワクワクする状況だよな」
「は……?」
耳を疑う。コイツ今なんて言った?
「ワクワクしかねーだろ、こんなシチュエーション。だってあれだぜ? 異世界だぜ? ダンジョン魔法冒険……何でもし放題じゃねーか」
「何言って……!」
反射的に言い返したが、次の言葉が出ない。
分かってる。
「おかしいだろ……! 僕、僕は、僕は……?」
思考が回らない。けれど薄々感じていることがある。
狼狽する僕が、不意に抱きしめられる感覚があった。朦朧とした瞳で横を見ると、マコトが涙目で僕を全力で抱きしめもとい締め上げている。
「痛いん……だけど」
「ごめん……ごめん……!!」
泣いている。
謝っている。
その理由は、分からない。
けれど一つだけ、たった一つだけ悟った。
僕達は、とんでもないところに来てしまったのだと。