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プロローグ『ピンク色』

「いらっしゃいませー!」


 扉に付けた鈴が、『リン』と小さな音を立てたのを皮切りに、僕は腹からしっかりと声を出す。バイトをする人としての、必要最低限の心がけだ。

 一人で来たらしい、どこか熊を連想させる立派な体をした客は、僕の声に少しギョッとしていたようだけれど、しばらくすると置いてある品物をゆっくりと見回し始めた。


「ね、ねえ、サトルくん。そこまで大きな声、出さなくてもいいんじゃない?」


 レジの傍らで、品出しをしている少女の小さな声に、僕は神妙な顔をして応える。


「いいや、万事やりすぎが丁度いいと聞きます。ハキハキとした声にピンと反った姿勢、引きつったような笑顔。これくらいは、レジ係に求められるには当然のことです」


「サトルくんの表情筋が悲鳴を上げているんだけど……。そんなに真面目でも、給料は上げないわよ?」


「自己満足でしていることなので、構いません」


 ここ私のお店なんですけど……と言いながらも、非常に慣れた手つきで商品を前へ前へと手繰り寄せる姿は、流石はこの店の主という風格が漂っている。

 うーん……。

やはり僕はレジ担当と言っても、ただのしがないバイト生だから、店長の言うことを聞かないというのはやっぱり――、


「兄ちゃん、コレ、とコレ、欲しいんだけど」


「は、はい! ありがとうございます!」


 あるかもしれないと思っていた矢先に、いつの間にか目の前にいたさっきの熊の人に話しかけられ、反射的に大声を上げてしまう。

 はぁ……とこれみよかしに溜息を吐く店長の視線が痛い。


「ええと、こちらは……」


 狭い癖に、多くない棚に所せましと並べられている商品の数は意外と多く、更には見たことのない横文字がずらっと並んでいるため、全てを覚えきるのは中々に大変だ。

 しかしこれらの商品たちの名前は、僕がこのバイト先へ向かうようになった次の日になんとか全部覚えている。ただ詰め込んでいるだけだと批判されがちな義務教育も、偶には役に立つようだった。

 客の目を見ながら、できるだけにこやかな顔で暗唱する。


「ボトルガルの卵お一つと、ヘニャトゥーリ聖水五つでよろしかったですか?」


「お、おう……。そう、だが」


「それでは、32ハンクになります」


 すかさず合計金額を言う。一つ10ハンクになる銅色の硬貨が、熊さんの手に四つ落ちるのを見るや否や、8枚の黒ずんだ硬貨を用意する。


「ありがとうございましたー!」


 少し不思議そうな面持ちで、その熊さんは帰って行った。。



 店にいた客が全て捌けたのを見計らって、暇つぶしに辺りを見回してみる。

 この店の一番奥にあるのは、煌びやかなビンに詰められた、得体の知れない液体たちだ。これを飲めばたちまちに痺れがなくなって、傷が癒えたりするのだから信じられない。一度興味本位で舐めてみたことがあるけれど、とても娯楽で飲めるものじゃなかった。

 レジの右手に陳列されているのは、店長が朝早くから仕入れてきた野菜や果物達。子連れの親やふくよかな人が昼夜を問わず買い求めてくるのだけれど、なにやら様子がおかしい。 いや、客の方ではなく野菜の方――例えば、林檎……のような形をした黄色の何か。大根……のような形をしていて、皮はいたって普通だけれど、白いそれを捲ればたちまち黒色の身が現われる。。まかないだということでそれらを店長から頂いた時はどうしたものかと悩んだけれど、食べてみると意外においしかった。というか、普通に味はただの林檎だし大根だった。

 逆に左側にある窓際に置いてある椅子に座って、優雅に眠りこけているのは店長だ。

 桜色のきれいな髪を腰まで下ろして、耳にペンを備え、ふわふわしたブラウスを身に付けている、自称僕と同い年の17歳。因みに、僕はアニメ以外でピンク色の髪をした人を目にしたことがない。普通は、コスプレイヤーのように違和感が目立ってしまうものらしいけれど、彼女はそれに誂えたような身なりと、年不相応の幼い顔立ちをしている。しかしまあ、僕が来るまでこの店をイチから作ったと彼女の口から聞かされた時は流石にびっくりした。確かに、彼女二つ分くらいはありそうな背丈をした強面の客を毅然と対応する姿は、その童顔の裏にある強かな姿が垣間見えた。

 そんな平和そうにうたたねをする店長につられて、少しだけ眠気を感じながら、僕は窓の方に目を向け、外の景色をうかがう。

 路を闊歩しているのは、服なのか布なのか分からない、ボロボロの布生地を羽織っているおっさん、背丈ほどの大剣を担いだ若い人、髪からもう二つの耳が生えている少女……。どちらも地球で見かければ一発で職質される身なりをしているけれど、行き交う人は目もくれず、ただただ憮然と足を進めている。そこで寝こけている店長だってそうだ。ピンク色の髪の毛なんて、どういう過程を踏んで生えてきているのか分かったもんじゃない。

 はぁ、と大きくため息をついて、机につっぷした。


「どこだよここ……」


 こんなヘンテコな場所に来てから何回したか分からない自問をする。どこだよここ。何にも分からない。手がかりがない。

 そのまま寝てしまいそうな脳内が、「リン」と澄んだ音に反射的に起こされる。


「いらっしゃいませー!」


 ただ、ただ一つだけ分かっていることがあった。


 どうやら僕は、異世界にいるらしいということ。


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