侍女の心と皇女の心
お姫様というものがどういう姿であったか、フアナ王女付きの侍女と近衛騎士が分からなくなり始め、シュヴァルツ帝国から留学でいらした皇女のメアリー様を見かけたとき、やっぱりうちの姫様が普通じゃないんだと改めて思った。
フアナ様と同じ年だという、メアリー様は、大人しくて、可憐で、可愛いドレスを身に纏い、ドレスを摘んで優雅に挨拶をなされた。ああ、これだ、これがお姫様なんだとフアナ様と接してきた者は、皆思ったに違いない。
フアナ王女は、王女様らしくない。と
メアリー様がいらしたのは五年前。
その頃のフアナ様は、よく騎獣のシルディと兵士の訓練場に出かけては、泥だらけになって帰ってくるようなお転婆さだった。
なんでも騎士に混じって、体を鍛えているとか、長距離を走ったり、剣を振るったり、兵士が皆、相手にしてくれないからと騎獣のシルディとつかみ合いの訓練。
真っ白な毛並みで美しかったシルディは、見るも無残で泥と砂埃で斑模様になっていて、洗っても洗っても綺麗にならなかった。
メアリー様を王宮に迎える当日も、フアナ様は、いつものように兵士の訓練場に行かれていた。
兵士の訓練所に居る王女に興味を持ったメアリー様が訓練所に出向き、そこで、騎士の服を身に着け、剣を振るフアナ様に一目ぼれするという騒動が起き、メアリー様が早々にドレスを脱ぎ捨て、フアナ様と同じ、騎士の服にズボンを穿いているのを見た者は、世の中の“王女様”の本当の姿は、これが正解では、思い始めただろう。
フアナ王女にはいつも困らされてばかり・・
王女と年も近いことから、幼い頃より王女の遊び相手として王宮に出入りが許され、3年前、正式にフアナ王女付きの侍女として命を受けた。
フアナ王女の朝の目覚めが早い。
だから、朝日が昇って間もない時間に、身支度を手伝おうと部屋を訪ねるが、もう既にどこにもフアナ様の姿は、なかった。
あまり、早すぎても、失礼に当たるため、どうしても日が昇ったときからが限度だ。
ベットの中に手を入れてみれば、そこは、とうに温もりを失っていて、王女が起床したのが、大分前だと知れる。
こんなことは、一度や二度じゃない。
「朝、ゆっくり散歩したいの」
そう言って、王女は、王宮の外へ出かけていく。
出かけるフアナ様に鉢合わせた騎士が、王宮の中の花園で散歩するよう進言したとき、
「貴方は、自分の家の中を歩いて、ああ、散歩した。と言える?」
と返されて、言葉を詰まらせたと言う。
護衛を連れて行かない王女の安否を心配して、警備の兵がどんなに留意していたとしても、出かけていく王女を足止め出来たことは、ほんの1、2回しかない。
勉学も疎かにせず、すべきことはしているそんなフアナ王女に国王様は、特に何も言わない。
王宮の外へ出かけて行ったとしても、国王様と王妃様が朝食を取る時刻には、戻って来て、一緒に朝食を召し上がられる。
王が注意しないものをただの侍女と騎士が注意できるわけがないし、王女がそれを聞くわけもない。
フアナ様がお強いのは、知っている。けれど、上には上がいるというものだ。
国王様の戴冠20周年の式典ががもう間近に迫っている。各国のゲストや観光者、国が今までに無いほどに混雑する。
どんな不逞の輩が入り込んでいるのか、分からない。
いつもこうして、王女の安否を心配しながら、部屋の掃除や換気などをして、主の帰りを待つしか自分には出来ないのだ。
「あら、フアナは帰ってきてないの?」
突然声をかけてきたのは、メアリー様だ。
「メアリー様、おはようございます。フアナ様は、まだこちらには戻ってきていませんが・・食堂にいらっしゃらなかったですか?」
「食堂にいなかったわ。だから部屋かなって・・まぁいいわ。ここで待ってるわ」
そう言って、メアリー様は、テラスの椅子に座った。
「メアリー様は、もう朝食を召し上がられたんですか?紅茶を入れましょうか?」
「ありがとう、シャルル。そうなの、せっかく今日は、早起きしたのにフアナが居なくて残念だわ。」
紅茶を準備していると、突然部屋のドアが大きな音を立てて開いた。
部屋に入ってきたのは、この部屋の主人のフアナ王女だ。
メアリー皇女と侍女のシャルルは、びっくりしてテラスで固まってしまう。
フアナ王女は、ドアを蹴破るように入ってきたかと思えば、室内をぐるぐると歩き回り、ソファーに腰掛けてたと思えば、テラスでは聞き取れない声でぶつぶつと何かを呟いている。
そしてまた室内をぐるぐると歩き始めた。
テラスに居るこちらには、気付いていないようだ。
帰ってきた部屋の主人の見たことも無い姿に驚いたまま挨拶のタイミングを見失った。
メアリー様も同じようで息を潜めてフアナ様の動向を伺っている。
「おはよう、フアナ」
メアリー様が思い切って声をかけて見るとフアナ様は、ビクッと驚くとようやくテラスにいる自分達に気がついた。
「お、おはよう、メアリー、来てたのね、気がつかなかったわ。」
「あなたどうしたの?変よ。」
「変、かしら、そんなことはないわよ。そんなことより、何か用かしら」
「いいえ、すっごく変よ。話を逸らす辺りが、あなた今、顔が真っ赤よ?具合でも悪いの?」
フアナ様が両手で頬を隠す。
「何!その反応!?フアナが赤面しているだなんて!!恋は許さないわよ!ああ、誰なの!!相手を始末しなくては!!教えて、フアナ!!」
「な、何言ってるの?か、顔が赤いのは、走ってきたせいよ!!」
「本当に!?うそは、なしよ!?」
「嘘じゃないわ。それより何?メアリー、何か用事?」
フアナ様に詰め寄っていたメアリー様がようやく落ち着いた。
「用事って、打ち合わせよ。お兄様は、3日後に入城すると言っていたわ。もう時間もないし、ダンスを合わせようと思って。」
「そうね、ちょっと待ってて、着替えてくるわ!」
フアナ様は、そう言って、メアリー様から逃げるように足早に寝室に入っていった。
「怪しい、怪しいわ。シャルル。どんな男にもなびかない、フアナの赤面!!貴重な顔を見れたのはいいけど、悔しいわ!!一体誰なの!」
「そうですね、私もあんなフアナ様を見たのは、初めてです。」
「ああ、忌々しい!!誰がフアナをあんな顔にさせたというの!!必ず見つけ出して、懲らしめてやるわ!」
メアリー様の目は真剣だ。どうやら、五年前のメアリー様の恋の炎は、今も燃えているようだ。フアナ様に婚約者が出来ない訳にメアリー様が裏で関わっているという噂は真実だったのかもしれない。
また、部屋のドアがバン!と音を立てて開かれた。
「お姉様!!」
第二王女のマリー様だ。
「あら、マリー」
「マリー様、おはようございます。」
「メアリー、シャルル、お姉さまは?」
「今、着替えてるわよ。一緒に待ちましょ」
「うん。」
そう聞くと、マリー様は、フアナ様の寝室のドアを見つめて、すぐに姉の姿を確認できないことにしょぼんと肩を落とした。
マリー様は姉のフアナ王女を凄く慕っていて、王城の中で、姉の在り処を尋ねる姿は、この城の中の一つのいつもの風景だ。
そして、フアナ王女もまた、マリー様を大切にしていて、良い姉上だ。
無事にこの部屋へ帰ってきたフアナ王女にシャルルの沈んでいた心が軽くなった。
さあ、今日は、フアナ様の好きな紅茶を入れよう。
メアリーは、マリーの手を繋いで一緒にテラスに出た。
今日もヴェルメリオ王国は、快晴。
暖かな日差しと小鳥の囀り、すっかり春だ。この国に来て、5年。
祖国のシュヴァルツ帝国内で、皇兄たちで権力争いが勃発し、自分の安全を心配した生母が同じの兄、エドワードがヴェルメリオ王国への留学を手配した。
それが五年前。初めてフアナに会った時のことをメアリーは今も良く覚えている。
騎士風の服を身に着け、剣をふるうその姿を目にした時の衝撃。一瞬で心を奪われた。
自分と同じ12歳の女の子、自分と同じ王の娘が、成人している騎士を相手に全く引けを取らない戦いを見せていた。その姿がとてもかっこよくて美しいと思った。
その力と勇気がどこから来るものなのか、フアナと多くの時間を共に過ごして、メアリーは、ようやく分かった。
守りたいものがあるから、どんなに辛くても努力し続け、勇気が出るんだと・・
だけど、強くなったフアナは、今もずっと努力し続けている。もっと強くなろうとしている。
そんなフアナを見て時々、怖く思う時がある。
シュヴァルツ帝国を知る自分からみれば、ヴェルメリオ王国は、どこからどう見ても幸せな国だ。
国王様と王妃様はあんなにも互いを愛し合っていて、小さな国ではあれど、帝国に負けないほどの国力も持っている。自分の国の様に父の沢山の妃が、寵愛を得るために毎日、醜い争いを繰り広げて、文官たちが権力と金を手に入れようと他をけり落とそうと躍起になっているわけでもない。
そんなヴェルメリオ王国で生まれ育ったフアナが、一体何と戦っているのか、メアリーには分からない。
けれど、いつかフアナが壊れてしまうんじゃないかと恐ろしく思うときがあった。
そして、そんなフアナの眼差しは、ひどく自分の兄と似ている。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>to be continued.