行き場のない気鬱
「男に生まれたからにゃ、人生と命を懸けて求め続けるってもんだ。金と権力をな!」
いつかの気まぐれで立ち入った酒場で酔っぱらった年老いた男がグラスを片手に確言した。
そして、ニヤついた笑みを見せるとさらに大きな声で言った。
「そして飛びっきりのいい女!」
お世辞にも良いとは言ない所々、破れた服を着て、髪もひげも生やし放題の男だった。
すでに大分出来上がっているせいか、男の声は騒がしい酒場の中でよく響く
「金と権力を手にした俺は、次はいい女を求め、あの“娼婦が客を選ぶ”という娼館の一番、ルティシアの元に行った。あの世界一の美姫の美貌に並ぶ女、誰にも落とせない高嶺の花だとも言われた女だからな。そして俺はたったの一晩で落としたのさ!」
男の話に酒場がさらに沸いた。
「どうやったか?簡単さ、あいつの目の前にな?俺は黙って金貨を一枚、二枚と一枚ずつ積み上げて行ったんだ。始めは見下した目をしていた。そして困惑の目、期待の目、恐れの目、そして金貨が小さな山になったときアイツは媚びた笑みで、自ら股を開いてベットに誘ってきた。アイツは堕ちたのさ、あとはもう発情したメス猫の如くもっと、もっとって一晩中俺の息子を放さない。避妊どころか中に種を欲しがっていたさ!いい女だった。体だけはな。気高い、清廉潔白の女は、積み上げられた金貨の前では、ただのペニスと金に目がないただのメス豚だった!」
その男の下品な話に耳を傾けながら、目の前に置かれたつまみ料理を口にした。
男の話は続いた。語ったのは、自身の人生譚。
スラム街で生まれ、一歩大通りに出ただけで多くから汚物を見るような目で見られ時には殴られる。そして気まぐれを起こした偽善者が目の前に僅かばかりの小銭と残飯を落としていくガキの時代。社会の闇で奴隷の如く過ごした青年時代。そこから這いずり上がり多くの金と権力と女を手にした人生の黄金期、そしてそこからの転落。
話している最中にも男は多くの酒を飲んでいたが、自身が誰なのかを決定づける核心は濁していた。
スラム街でのどん底の生活の話も、各地を旅した先々での話も、使用人を雇うほどの屋敷を手にし、人の上に立った時の話も
そして、すべてを失った今
男が渇望するものは変わらなかった。
酒場の亭主に頼んだ”一番いい酒”は荒っぽい強烈なアルコールと安っぽい乱雑な果実の味だった。
権力と金と女。要らないと思っていても勝手にそれは呪いのように絡み付いて来ては、自分の人生を狂わせていく。
亭主の“一番良い酒”は、痛みを一時消してくれるいい酒だった。
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「チッ、何だってこんな山の上に国を作った?おかげで隣国だってのに道がとんでもなく長いじゃねーか。こんな田舎の小国の祝い事ごときに、帝国の皇子が4人、おまけに宰相・・おかしいだろ、適当に使者と祝いの品を送っとけばいいものを、めんどくせぇ」
「全く、出立する前は誰よりも一番楽しみにしていたのはどなたですか。今では、口を開けば文句ばかり。あと数日のご辛抱ですから頑張ってください。」
キュアノエイデス帝国の皇太子、ベルトランが悪態つき、第3皇子のユリウスが宥めた。
一行はすでに国から出発し、10日目が経っていた。決してちんたらゆっくり進んでいたのではない。むしろ急ぎ目に休憩もそこそこ寄り道もせずまっすぐ進んできた。
目的地のヴェルメリオ王国の王城には、この進行速度だとまだあと5日ほどかかるだろう。
ベルトランの悪態もその人格を知るものは、ただ詰まらない道のりに飽きたが故の悪態だと分かった。
「めんどくせぇもんは、めんどくせぇ、ちんたら進みやがって。大体、俺は一人でいいと言ったんだ。祝儀の品々はしょうがないとしても明らかに要らないもんがの方が多いだろ」
「それは宰相と太子の近衛隊に向けて言ってほしいですが、ああ、言わなくて結構です。それよりもこうして景色を堪能しながら行く旅も良いではありませんか。ヴェルメリオ国は、不思議ですね。山を登った後からでしょうか、雪もなくもう春の新芽が木々についている。」
「そうだよね!なんかあったかいんだ!僕達の国は、まだ雪が残っているのにどうしてなんだろう!?」
数日の長い旅の道のりで八皇子のアレクサンドルだけが純粋に旅を楽しんでいた。
ヴェルメリオ王国へ行くことが決まってから、毎日のように騎獣に乗る練習をしていたほどだ。
「そうですね。わが国に限らず、他の国もまだ雪が積もっているだろう。どこよりもヴェルメリオ国が早く春季を迎えているのは、赤竜の加護というものじゃないのかな」
「赤竜って、本当にヴェルメリオ王国のどこかに居るの?見てみたいなー」
「やめとけ、アレクサンドル。赤竜は“赤い魔獣”だと聞いてことあるだろ。魔獣は、騎獣よりも鋭い鍵爪で獲物を活かしたまま腹を割いて心臓を抉り出して食うのが好きらしいぞ。きっと剣よりも鋭い爪だ。すぐに死ぬことも出来ず、自分の腹が引き裂かれ臓物が流れ出し、心臓が抉り出される様を見続けなくてはならないぞ。冬眠から目覚めた獣は凄く腹を空かせている。・・子供の肉はさぞ若く柔らかくて旨いだろうなぁ。今、まさにどこか林の中からその獲物を見ているのかもな」
ベルトランに真摯な態度で言われたアレクサンドルは、見る見るうちに顔が青ざめていく
「太子、アレクサンドルで遊ばない下さい。信じてはダメですよ、アレクサンドル。赤竜はヴェルメリオに加護を与えていると言われています。きっと緑や花を好いて食べるいい竜です。だからヴェルメリオ王国は、どの国よりも春を迎えるのが早いんです。」
早い春の訪れにそれらしい適当な理由をつけて、ユリウスが言った。
「フン。絵本の竜に幻想を抱く少年に現実を教えているだけだろ“竜”なんて空想の生物。その本当の姿なんて、今誰が語れる。赤い魔物もな。古い文献と古い昔話から言い伝えられるものを今、誰が信じている?誰も信じていないからこそ、祝儀に乗じ、こうして、ヴェルメリオ国に向かっているではないか。後ろに居るウィンチェスタ卿のような人が・・」
「兄上!少々しゃべりすぎですよ。」
いつも太子と呼ぶユリウスが、呼称を兄上と改めて、言葉の続きを制した。
ベルトランは、ユリウスを一瞥して再度鼻先で笑った。
「お前も真面目過ぎる」
これまで黙って兄弟たちの話を聞いていたフィリウスが口を開いた。
「太子殿下、ユリウス。先の道はもう分かる。俺は、先に王都に向かう。入城の日に合わせて合流するので問題ない。」
「え、ちょ、フィリウス?!待て」
そう言って、第4王子のフィリウスが、誰の返事も聞かず、ユリウスが呼び止めるのを無視して素早く駆け出した。
風のように去ってしまった弟に待てと言って上げたユリウスの手は、その影も掴めない。
ベルトランは、呆然としたユリウスの顔と駆け出したフィリウスのどんどん小さくなっていくその後ろ姿を見て笑った。
「全く自由だな、あいつは。まあ、よくも10日間我慢したと褒めてやるべきか。・・ハアッ!!ユリウス、俺も先に行く!後は、頼んだぞ!!」
「なに・・は?、、兄上!!!」
ベルトランもが急に駆け出した。それを後ろに離れていた太子の近衛隊が慌てて追いかけていく。
アレクサンドルもすぐに反応できず、追い越していく数頭の騎獣の後ろ姿を見て、また隣に居たユリウス兄様の顔を見た瞬間慌てた。
「あ、兄様たちっ待って」
「アレクサンドル!!」
アレクサンドルは、駆けて行った人たちを追いかけようと手綱を振り上げたが、その手綱をユリウスに掴まれて、振り下ろせない。
「あの人たちに追いつくには、あなたではまだ無理です。」
ユリウス兄様の言うとおりだ。そうは分かってはいても、頑張って走って行きたいと思ったかった。ユリウス兄様は笑顔だった。でもその笑顔に冷たさと怖さをアレクサンドルは感じたのだ。
大人しく返事をしてユリウスの隣を歩く。
太子兄様の言う魔獣も怖かったが、今は、隣で冷気を放つ兄がとても怖いアレクサンドルだった。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>to be continued.
一話