第六話:騎士アカギ・ケンジ
王都を守るために闘ったあの夜。その裏で一つの悲劇が自らの手で起きていたことを知って茫然自失する赤城ケンジ。だが、マリシア邸の人々と触れ、戦う理由を見出すのであった。
命の尊さとか、死の尊厳とか、色々言われているけど、僕にはイマイチしっくりこない。
アリンコなら、毎日のように潰しているし、ハエや蚊だって躊躇いなく殺す。
だから、生きているものを殺すってどういうものなんだろう。
死ぬ瞬間って、どんなだろう。
見てみたい。
だから、──
× × ×
右足のペダルを思いっきり踏み込むと、連動して武蔵の右足の人工筋肉が収縮して、凄まじい力で地面を蹴った。その瞬間、機体は加速し、慣性制御が働いて機体は立ったままに走り出す。
背中の二振りの太刀『金重』を抜き、怪物の手前二十メートルのところで大きく跳躍する。
『グル……』
怪物が振り向くと同時に、逆手に持ったその太刀を思いっきり突き刺す。
が、怪物は瞬時に顔を両腕でかばい、刃は下へと逸らされて、地面にカアァァァンッという金属音を響かせながら突き刺さる。
怪物が敵に対して拳を振り上げたのを感じて、太刀を地面から引き抜き、地面を転がって回避する。
「やっぱ、硬いな」
『目標は興奮時に、筋肉を通常の80パーセント以上硬化させます。興奮時の目標への有効打は、腹部及び頸部、頭部への攻撃です』
「毎回思うけど、お前なんでそんなに詳しいんだよ」
『目標の諸元は、登録済みです』
「あら、そう」
AIの謎の博識は置いておき、目の前の怪物と向き合う。
やはり、奴の腕は硬いのだ。この金重が全く通らない。もっとも、それで折れない金重も金重なのだが。
しかし、それだと埒があかない。
だから、左手の金重を放り出した。
一振りに集中すれば、細かい裁きができるというもの。そして、両腕の力を渾身の一振りに込める。
「ェヤッ!」
また大きく踏み出し、構えた金重を振りかぶる。そして、一気に右肩から、左脛に向かって振り下ろす。
ガキイィィィンッ!という音がして、その一振りは弾かれる。
「こいつ、腕にチタン合金板でも入ってんじゃないか⁉︎」
あまりにも異質な手応え。まるで太刀で防がれたかのように硬質な手応えだった。もはや、生物の筋肉が出して良い手応えではなかった。しかし、それでは埒があかない。思うように埒を開けるために有効打を怪物と交えながら模索する。
ふと、一閃。峰で受け止めたその腕を、怪物が庇い始めた。よく見ると、その腕があらぬ方向へと曲がっている。
折れているのだ、奴の骨が。そう簡単に折れるものかと思うが、筋肉を固めすぎたせいで、衝撃がそのまま伝わったのだろう。
チャンスだ。これで奴の右に隙ができた。
一気に奴の右──機体から見て左──へと滑り込む。そして、腹へ斬りこむ。と、その時、機体が大きな力で引っ張られて、右腕を中心に時計回りに引き摺られる。
「野郎……妙に投げてくんだよなァ……」
なぜだか、連中は妙に武術の心得がある。今のは、合気道十七の形──相手の内側から右腕を取り、引き倒す技──が綺麗に決まった。かなりの勢いが出ていた武蔵は、慣性に従って地面を滑り、民家へと突っ込む。
「──ッ‼︎」
一瞬、またもや悲劇を繰り返すのかと思ったが、幸いにもそこには誰もいなかった。
ダダダッ、と音を響かせて武蔵左腕の1ファンブ重機関銃が牙を剥く。と言っても、奴のガチムチ筋肉に阻まれてダメージは与えられていない。だが、それでいい。重機関銃を奴の顔に向けて、弾をばら撒きながら、距離をとる。
「──ハッ!」
気合を込め、また踏み込む。走りながら、握り締めた金重を振りかぶる。そして、怪物に向かって一直線に突進。
「ヤッ‼︎」
左肩から、右腰に向けて薙ぐ──
ガッ、という衝撃が背中から伝わり、脳が揺さぶられ、息が詰まる。いつの間にか、押し倒されていた。モニターには、何時ぞや見たように異形の猿が広がる。
「……ぁ」
マズい、このままじゃ死ぬ。奴の筋力だと、このコックピットは簡単にこじ開けられるだろう。金重は、遠く手の届かないところに転がっている。
この前の戦闘の景色が蘇る。バーバリアンにのしかかられ、コックピットのハッチ越しに伝わる奴の拳。一つ打つたびに、機体が大きく揺さぶられた。
どうすればいい、どうすれば、嫌だ、死にたくない、まだ、まだ、死ぬわけには行かない、あいつと約束したんだ──
──念のために、重機関銃を取り付けておきました
十数分前の、カイン・ストレイウスとの会話を思い出す。すると、自然に機体右腕を持ち上げていた。
ダダダッ、という轟音がくぐもって響き、奴の腹から13ミリ機関銃弾が背中を突き抜ける。鮮血と、血肉が飛び散って民家に掛かる。
奴は、両手を腹に当てる。その隙に、転がって馬乗りになり、怪物の顔に照準を持っていく。
「この猿野郎が。手こずらせやがって」
俺は、右レバーに取り付けられたトリガーを引いた──
× × ×
白く細い、綺麗な指が俺の胸をまさぐって──ではなく、胸のネクタイをいじっている。
「うん、これでよし」
「……なあ、アリス。帰っちゃダメか?」
目の前の少女が、眉を顰める。
「何言ってんの、ケンジ。国王陛下直々のお呼ばれなんだから、しっかりしてなきゃダメだよ」
そういわれて、自分の体を見返してみる。白のモーニングコートと革靴に鮮やかな赤のネクタイという派手な出で立ち。太陽が照り返して眩しい。
「それでもこれは派手すぎだろ……」
「大丈夫ダイジョウブ、ケンジは英雄なんだから、もっと目立った方がいいんだよ」
「そういうもんか?」
「そういうもん!」
アリスが胸を張ってこたえる。どうでもいいが、アリスはそれなりに胸があるようで、胸をそらすとその双丘が──クソどうでもいいな。
ともかく、断言されてしまった。もう後戻りはできない。俺は、このこっぱずかしい格好で衆目の元、国王陛下から勲章を賜るのは、激しい抵抗感がある。やだ、おうちに帰りたい。
「さ、行くよ。王様が待ってる」
「ぁ、うん……」
まだ渋っていた俺を、アリスが手を引いて連れて行く。王城の煉瓦造りのどこか冷たい感じもする廊下をしばらく歩くと、傍にサーベルを下げ、赤い儀礼用であろう軍服で見を包み、黒い羽根付きの帽子を被った兵士二人が直立不動で立っていた。
「お待ちしておりました。『月桂樹の間』はこの先です」
彼らは黙って、俺らの横に付いて歩き出す。すると、赤い豪勢な絨毯の先に月桂樹の冠が大きく彫られた立派な木の両開きの扉が見えた。この先が、月桂樹の間。この国を統べる王と貴族諸氏が俺を待っている場所。
正直、国王陛下に会うのは初めてではない。この前の御前裁判の時に居たはずだし、声も聞いた。だが、面を拝んだことはない。
「行くよ、ケンジ」
俺の左手を引くアリスの右手に力が込もる。アリスも緊張しているのかもしれない。なにせ、この国の最高権力者に会うのだ。それも、大量の観衆の中で。だから、アリスの手をそっと握り返してやる。それを返事と捉えたのか、アリスが小さくうなづいて一歩踏み出す。
ガラリと重い音がして豪華絢爛な扉が開かれる。その瞬間、俺は幾千もの槍に身を貫かれた──気がした。コツコツと音を立てて進む赤いカーペットは無限の長さがあるような気がした。種々のドレスやコートに身を包んだ貴族連中の視線が俺を容赦無く串刺しにする。
大丈夫だろうか、やはりこの出で立ちは派手過ぎではなかろうか。貴族連中にどのように見られているのか気になって動悸が激しくなる。心臓がバクバクと爆音を発し、こめかみをツッ、と汗が垂れる。口の中に溜まった唾をゴクリと飲み込む。
世界が遠くなっていくようだ。頭がスッと冷たくなって、足がガクガクと震える。何とかして踏ん張って体がつんのめらない様にする。なんだか、この光景がどこか遠くの世界のことの様に思えてきた。あ、世界が白く──
ヤバい、倒れそう。
だが、ふとした時に現実はどっと押し寄せてくるわけで。気付いたら、アリスが膝をついて傅いていた。俺も、急いで見よう見まねで傅く。
「ドリタニア王国マリシア公、その使用人アカギケンジ」
「……ぁ、ハッ!」
緊張のせいで、事前にアリスからレクチャーされていた授与式の流れが頭からすっ飛んでいた。危うく、大恥をかくところだった。書類を読み上げる役人が怪訝な顔をしたが、問題なく式は進む。
「先の魔獣襲来に際し、二度も王都を守りおおせた功、ここに称し──」
式場の空気は冷ややかで、尚且つ刺す様に痛かった。だから、その瞬間に俺はそこには居なかった。どこか、高い、遠いところからそれを眺めていたんだと思う。だから、急に引き戻された時に、現実が分からなかった。
「勲二等桜花紋賞を与え、マリシア家騎士を任ずるとともに、彼岸花ノ騎士団団長を命ずる」
ん?なんだって?今、聞き捨てならんことが聞こえたぞ。
書類を読み上げた役人とは別の役人が立ち上がった国王陛下に華美な装飾が施された儀礼刀を渡す。それを受け取った国王陛下は、俺の首筋にそれを当てて言う。
「アカギ・ケンジ。王立彼岸花ノ騎士団団長を命ずる。王国の忠義に戦え」
「……ハッ、ありがたき幸せ」
取り敢えず、アリスから教わった文言を言っておこう。俺が今この瞬間、何になったのかは置いておいて。
「やったじゃない、ケンジ!騎士だよ、騎士!しかも、いきなり騎士団長なんて!」
控え室に戻ると、アリスが跳ねて興奮をその身で表していた。
「ハ、ハハ……」
正直、ことが大きすぎて乾いた笑いしか漏れ出ない。いきなり騎士になれ、しかも騎士団長だと言われても普通は困惑する。平凡なサラリーマンがいきなり部長クラスに昇格する感じだ。
「ケンジって、やっぱり凄かったんだね!」
「凄いっていうか……」
あれは、ほとんど機体性能によるところが大きい。俺だって、戦場に出ろと言われれば、たぶん渋る。だって、死ぬのは嫌だ。殺すのも嫌だ。それは、いつか自分に跳ね返ってくるから。だから、自分が命というものの重さを知るまではそういうのは、やりたくない。
第一、武蔵のことをろくに知っていないのだ。アレにどんな機能が搭載されているのか、真の性能はどの程度のものなのか。まだ、何も知らない。そんな役立たずに用があるのだろうか。
「大丈夫。ケンジなら、大丈夫。だって、ケンジ強いから」
「強くないよ。俺は、人一人だって殺せやしない」
すると、アリスがふるふるとかぶりを振って言う。
「違う。強さっていうのは、それだけじゃない。優しいのも強さだよ」
「でも、それがここで何の役に立つっていうんだよ」
今度は、むむむと悩みだす。
「うーん、私にはわからないなぁ。でも、ケンジに出来ることはきっとある。だって、戦うんでしょ。
守りたいと思える何かのために、って」
それを聞いた瞬間、俺の顔がカァッと熱くなる。そうだ、そんなことも言ったっけ。あれは、アレースとかにいろいろ言われていたから、自然と言ったが、改めて思い返すとこっぱずかしい言葉だ。こんなことを言った俺は絶対に頭がどうかしていたんだと思う、うん。
「わ、忘れろよ、そんなの」
「えー、なんでー?本当に嬉しかったのに」
その言葉を聞いて、アリスから顔を背ける。その純粋すぎる思いが、ただただひたすらに眩しすぎた。
だけど、そうなんだろう。俺は、この世界にきたからには、武蔵に出会ってしまったからには、闘わなければいけないのだと思う。
なぜ、そうなったのかは知らない。だけれども、それが運命のいたずらだとしても、俺は闘わなければいけないのだ。なぜなら、守らなきゃいけないと思うものがあるから、守るための力があるから。
「だからさ、ケンジ。君が、明るく生きていたら、それだけで良いかなって、私は思う」
「そうだな、うん。俺は、闘う。そう、守るべきもののために」
「迷うことも、見失っちゃうこともあると思う。悲しいことも、あると思うんだ。だからこそ、明るく、笑顔で元気に!」
本当に、アリスは眩しいよ。心からそう思った。彼女という太陽がいる限り、俺は輝き続ける。
その輝きは、絶対に失っちゃいけないものだ。
× × ×
ピアノと弦楽器、管楽器も混じって奏でるクラシック調の優雅な音楽と共に、身なりも身のこなしも一流の男がこれまた一目で高貴だとわかる女性の手を取ってゆっくりと踊っていたり、ワインを片手に談笑していたりする。
彼らは皆一様にピシッと背広やドレスを極めていて、スッと伸びた背筋が身分が高いことをその身のオーラからも漂わせてくる。その中で唯一の庶民代表の気分の俺は、このパーティが俺のために開かれたことも忘れて縮こまっていた。ヤバい、あの雰囲気の中に入って行けそうにない。やっぱり、こんな所にでしゃばってきたのがいけなかったんだ。王様からの招待状なんて破り捨てておくべきだった。いや、それだと首が飛んでいるな。
「すみません、私はカトー家長女、メリア・カトーと申しますの」
「へっ?あ、は、ハイ」
いつの間にか、目の前に藤色のドレスを着た女性が立っていた。それに気づかず、奇妙な声を出してしまう。
「騎士アカギ・ケンジ様。私と踊りでもいかが?」
「え、ええ、喜んで……心得はありませんが」
正直に言うと、メリア・カトーは上品に手で口を隠しながらくすっと笑った。
「構いませぬわ。さあ、行きましょう」
俺は、彼女に連れられて貴族の男女が躍っている中へと入る。その時に、たくさんの視線という槍が容赦なく降り注いだ。
「ケンジ様。あなたがこのパーティーの主役なのですよ」
「ハ、ハハ……そう言われても、こういうのは初めてですから」
「フフッ、慣れませぬか?」
「ええ、こんな世界、知りませんでしたから」
そうして、メリア・カトーはまたもや上品に小さく笑う。その所作、足取りどれを取ってもゆったりとしていて、優雅であり美しかった。仙姿玉質という言葉が似あうだろう。仙女のように優雅で、玉のように美しいという意味だ。だが少し、意識が高すぎただろうか?
「なら、一つ私から注意を」
「注意……?」
すると、一つ艶めかしくいたずらっぽくほほ笑んで、俺の唇に右人差し指をスッと当てる。その目が先ほどと打って変わってどこか危険な、深淵のような深い闇をたたえていた。いきなりの彼女の変化に戸惑い、目を見開く。
「この世界には、欲深い人がいるものですから。闇に取り込まれないことです」
「え……?」
彼女は人差し指を離し、一歩下がる。
「では、御機嫌よう」
そうして、メリア・カトーは一礼して去って行った。そしてその場に、ぽつねんと俺だけが取り残される。
なんだったんだ、今の。
「ケンジ」
背後からアリスの声がして振り返る。すると、アリスは不愉快そうに眉をひそめていた。
「メリアとどういう関係」
疑り深い彼女かおめーは。
「いや、さっきそこで誘われて」
「いい、カトー家はお金と権力にがめついの!関わっちゃダメ!」
「じゃあ、さっきのは……」
「さっき?」
俺は、アリスに先ほどあったこと、メリア・カトーに言われたことを洗いざらい話した。
「そうね、カトー家だけじゃなくて、貴族って基本的に貪欲だから。ケンジみたいな有名人をそばに置いておこうとかは思うかもね」
つまり、自分の見栄のために俺をそばに置く。その為には、誘拐拉致監禁どんな手段も厭わないとのことらしい。やっぱ、怖いな、貴族階級って。
人は、物を手にすると、変わってしまうのだろう。それこそ、人格が入れ替わるかのように。
いや、そんなものじゃないのかもしれない。一度、人間に触れ、踏み込み、見て知ってしまった人間は、闇を抱えることになるのだろう。
『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』ドイツの哲学者ニーチェの言葉だ。そしてそれは、言い得て妙というものだろう。
深淵をただの人間が不用意に覗こうものなら、自らもまた、深淵に取り込まれてしまうのだろう。だから、深淵を覗くには、深淵を、闇を知っていなければならない。そうすれば、深淵を見た所で飲み込まれることはないのだと思う。
それを、彼女は伝えようとしたのかもしれない。それは、俺の貴族界デビューへの賛辞であり、警告でもあったのだと思う。
だが、そんなものとうの昔に知っている。余計なお世話だ。
今の俺が思うことは、闇に飲み込ませたくない人たちがいる。それだけだ。変な気をつかうな。
ふと、桜を模った金属の勲章に触れる。これは、俺が闘って得たものだ。だが、得たものは多分それだけじゃない。大切なもの、守りたいものと一概に言い切ってしまうのはだいぶ気障な気がする。だけれども、俺は守ろうと思えたものができた。例えそれが、どのような傷の上に見出されたものだとしても、俺には守る義務があるのだと思う。
だけれども、それはただ単純に守りたいというものではない。傷ついて、あるいは傷つけられて。もしくはこれから傷つくかもしれないから、いくらか楽になるための言い訳に過ぎないのかもしれない。失ってしまった時に、自分を見失わずに済むから。
だけど、俺は決めた。俺は、あの夜、踏み出そうと決めたあの時に守ると誓った。
なら、俺はただひたすらに修羅として闘うだけだ。