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第五話:歩み方

辛くもバーバリアンを倒し、王都を壊滅より救った赤城ケンジ。


しかし、その裏で彼のせいで少女の母親はがれきの下敷きとなり死んだ。


勝利に対してあまりにも見合わなすぎる悲劇、そしてそれを自らが引き起こしたという残酷な事実に呆然とする赤城ケンジであった──

世界曰く。争いとは誰しもが通る道であり、思想、人種、国家、身体的特徴、その他互いに異なることでの対立は避けえない。


ならば、この世界のどこに正義があるのか。どれが正しくて、間違っているのだろうか。


守るには、他の犠牲が必要なのだろうか。


 × × ×


「どうだい、少し落ち着いたかな?」


目をさますと、そこは煉瓦造りの簡素な小部屋だった。ひどく狭いそこには家具などはなく、あるのは一つの机と椅子。その机上に乗っている設計図らしき紙と今俺が寝転がっている粗末なベッドだけだった。


まだ、ショックで頭がクラクラする。心はひどく沈み込み、会話をする気力は無い。アレースもここには居ないようだ。


「何があったか……話せるかい?」

「…………。」

「……そうか」


目の前にいるこのマリシア邸の主、ウェラン・マリシアは一つ納得したように呟く。


「君は、この前アキュナスで猿の怪物と戦った。あの事については感謝しているよ。君があそこで戦ってくれなければ王都は壊滅。この国も崩壊しかねなかったからね」

「…………。」


今更そのようなことを言われても、反応は出来ない。


「だけど、そこで我々がまだ知らないことが起きたわけだ。それも、あまり喜ばしく無いことが。違うかい?」


俺はその推理に顔をしかめ、俯かせる。自分の膝小僧をじっと見つめるその顔には傍らで揺れるランプの灯が深い影を落としている。


それが、俺の無言の答えだ。


「それは辛かったね。君は王都を救った英雄だ。だが、悲劇を生み出してしまった……」

「…………ッ!」


軽い同情は止めろ。そう思って目の前の男を睨めつける。だが、その視線を遮ったのは厳しい表情をした男であった。


「だが、そう甘いことばかり言っていられない」

「……ど、どういう事だよ……?」


ようやく出た声は、ひどく嗄れていて、震えていた。


「あの怪物は新種だ。今まであのような魔獣も目撃されていない。ましてや、メカニカル・ウォーリアに匹敵するほどの巨大なものはどの文献を漁っても見つけられなかった」

「…………ッ⁉︎」

「ということは、奴らはまたやって来るかもしれない。奴らの情報は何一つ無いから、今度はあれ以上の大きさの奴が来てもおかしく無いんだ」


あの時でさえ、苦労したというのにそれ以上の奴が来る。そして、そいつらと戦えるのは俺のみ。そこから導き出される答えは一つだけだ。


また、またやらなければならないのか?そんな疑問が恐怖と絶望と激しい重圧とともに襲いかかってくる。あの時は興奮していたものの、後から思い返せばかなりグロテスクでそのシーンを再現しようとするだけで吐き気がしてくる。


「だから、その時は君の力を借りるしか無いんだ」


予想した通りの返答が返ってくる。すると、ウェラン・マリシアは両膝に手をついて深く頭を下げる。


「身勝手な願いだとは分かっている。だが、その時は戦ってくれ。頼む」

「……そ、そんな……」


無理だと言おうとした俺を右肩に乗せられた色白の華奢な手が遮る。


「諦めなさい。あなたにはやるしか無いの。闘うしか、あなたに残された道は無いわ」

「…………ッ」


アレースの静かな一言が、俺に課せられた期待と義務を物語っていた。


俺は、逃げたくても逃げられないのだ。あのバーバリアンとかいう怪物と戦うことはともかく、自分のせいで悲劇を生んでしまう事からは逃げさせてもらえない。


俺は逃れられない。死肉を喰らい、血を啜り、誰かが死のうと構わずに、さながら鬼のごとき闘いをしなければならない。一度アレに乗ってしまったら終わり、俺の人格は反転し、極端に好戦的になる。その闘い方は見たものを震え上がらせるものだ。


だから、俺はアレに乗りたくはない。


だが、俺には戦いに踏み出したあの始めの夜から、闘う以外のこの世界での生きる道は無かったのだ。


 × × ×


昨夜の事があって、朝起きる体が重い。布団にくるまり、そのままぼーっとしていた所、いきなりその布団が引き剥がされた。


「いつまで寝ているんですか?セルヴェントの朝は早いのですよ?」


首を回すとそこにはマリシア家使用人の長エリン・クウェーチェが俺から引き剥がした布団のシワを取っていた。


「さ、起きてください。まずは着替えてそれから屋敷の掃除、それから朝食の準備です」


彼女はそう言うが、俺の体は言う事を聞かない。


「……、何故まだ寝ているんですか」

「…………。」


俺が無言でいると、彼女は一つため息をついて俺のベッドに腰掛ける。その瞬間、ベッドがギシリと悲鳴をあげる。


「何か、あったんですか……」


それは、赤子をあやすかのような穏やかな声だった。


「……俺は──」


彼女に昨夜の事とあの夜の事を含めて話尽くすと、彼女はどこか遠くを見るような目で天井を仰ぎ見た。


「そう、ですか。あなたがあの子の母親を殺してしまったんですね……」

「……ぁぁ」


彼女は、真剣な顔をしていた。


「なら、良かったですねそれは」

「……え?」


その発言の真意が分からず、聞き返す。すると、彼女は自嘲するかのように語り出した。


「あなたはその程度で済んで良かったですね。世の中には、もっと辛いことがありますから……」


そういった彼女の目は暗く沈み、口は歯噛みするかのように閉じられている。そこでようやく、俺は彼女の生い立ちを思い出した。彼女は元々、奴隷だったのだ。それならば、勤め先で様々な事を見てきたのだろう。幼い、無垢な少女の目で。


「母は、あのお屋敷の主様に勤めておりました。それは、朝も、昼も、夜も……母はあの人のお気に入りでした……」

「…………。」


朝昼晩ということは、それなりの事をやらされていたのだろう。それこそ、どんな事でも。


「ある日、母は身籠っていました。しかも、それに気づいたのは目に見えるようになってからです。母はずっと隠していたのでしょう。だけど、それでも主様は母にお休みを与えてくださらなかった。母は、日に日に弱くなって……」

「……やめろ」

「ある日、旦那様は私を連れて急流の川の橋までやってきて、私に母を落とせと言って……」

「……やめろよ」

「そして、私は彼が恐ろしくて……」

「……やめろって」

「母を……川へ。流れが、急でした。きっと、生きてはいないでしょう。だけど、あの人はそれを見てごみを捨てるかのように!だから、私はその人も落とした!」

「もうやめろって言っているだろ!」


俺は声を荒らげてベッドに彼女を押し倒していた。咄嗟に、黙らせようと思ってやった。だが、それでも彼女の怜悧な美貌と小さな口。漂う清潔な匂いに惑い、ゆっくりと上体を起こして彼女に背を向ける。


「…………。」

「…………。」


互いに、気まずい空気が流れ出す。こめかみを一筋の汗が流れ落ち、唾を飲み込む。心拍が高まり、背後を振り向けない。


「……あ」

「……だから、私の手は、四人の命を奪い去ったんです」

「…………。」

「もう、すでに私はあなた以上に汚れてしまっているんですよ。救いようがないくらいに」


俺の言葉は即座に打ち切られる。背後からは、 エリン・クウェーチェが衣服を正す布と布が擦れ合う音が聞こえる。


「さて、お見苦しいところをお見せしましたね。お仕事は朝から沢山あります。世間話をしている場合では無いですよ」


彼女が立ち上がり、再びベッドが悲鳴をあげる。


明らかに世間話じゃないだろ。彼女の仄暗い過去。過去にあった彼女の母との最悪な別れ。その後も彼女の中に残り続ける人殺しの感触。


最悪な朝だ。昨夜も最悪だった。


クソが。


ふざけんなよ、なんでこうなるんだよ。ただ、偶然に武蔵を動かしたってだけで。


なんで、俺だけがこんな目にあわなきゃならねぇんだよ。


 × × ×


柄にも無く、一方的にまくし立ててしまった。


彼は明らかに何かよくないことがあった顔をしていた。あのような顔を前に見たことがある。


そう、あの人だ。あの人は最後には気が違ってしまっていた。気が狂うその前に、屋敷の者が全て寝静まり、月が西に傾きかけた頃に部屋に戻ってきた母の顔だ。


それを知りながらも、彼に自分の傷をさらけ出した。それは、恐れだったのかもしれない。あの母の恐ろしい顔。生気を奪われ、まるで死者かのような冷たい顔をしていた。幼き頃に見た溌剌で、生き生きとした母は消え去り、目に重く沈んだ沼を宿し、足取りも重く全くの生気を感じさせない、ただの屍が居た。私を見る目はいつも必ず、お前のせいでと強く語っていた。


「……それでも、私は母に、……」


首を振ってそれを否定する。それを言ってしまってはいけない。自ら彼女を落としたあの日から誓った。


あの人に関する一切を否定しないと。あの人が生きた最後の瞬間を否定せず、あの人に対して感じたものをずっと残していくと。


そうすれば、自分が不幸に陥ることはない。


「……あら、お嬢様。お早うございます」

「ぁ……エリー、うん、お早う。おはよう……」

「如何なさいました?」


いつにも無く、言葉の歯切れが悪いアリス・マリシアのまだあどけなさを残す顔を覗き込む。


「……い、いや、何も…ない、けど……」

「ならば、私はこれで失礼させていただきます」

「あっ……」


立ち尽くすアリスお嬢様を尻目に立ち去る。やらねばならない仕事が沢山あった。


彼女は、顔を俯かせて中途半端に伸ばしかけている右手を握ったり閉じたりしていたが、やがて意を決したかのように両の手を握りしめた。


「ねえ、エリー。あなた、その、大丈夫?」

「はて、何がでしょうか?」


立ち止まって振り返ると、彼女は右手を左手で胸のあたりで握りしめている。


「あなたが、あの時みたいにならないか、心配で……ほら、ここに来た時みたいに……」


それを聞いた瞬間、電撃に弾かれたかのように右手がピクッと動く。聞かれていた。さっきの会話を。


「聞かれていらっしゃったのですね」

「ひぇっ、ごめんなさい!」


彼女は縮こまった子犬のように顔を俯かせて頭を両手で守る。私はその様子を見てふぅ、と一息ため息をつく。


「け、決して、エリーとケンジが仲よさげだったから覗き見してたとかそういうのじゃないの、そうじゃなくて、あの、」

「構いませんよ。別にこの屋敷に住まう方々は全員知っておられますから」

「え、あ、うん……。でも、本当に……!」

「大丈夫ですよ。私はいつも通り変わりません。では、私はお仕事がありますので」


立ち去ろうとする私の背中にアリスお嬢様の声がかかる。


「うん、でも、本当に辛くなった時とかは言ってね。過去は、一人で抱え込むといつか破裂するから」

「留意しておきます」


そう言って去る。


過去は、一人で抱え込み、溜めているといずれそれが自分の中で大きくなっていき、ある一点で破裂する。そうしたら、もう取り返しがつかない。


だが、私は大丈夫だ。過去から動かないと決めたから。


母だった人を殺めたあの日から、私は動いていない。動こうとしていない。


そうすることで、過去を抱え込むということをしない。


だがそれは、永遠に過去から逃れられないということを意味する。


だが、それでもいい。


それが、私にはお似合いだから。


 × × ×


「おや、遅い起床ですね。エリン」

「はい、少々用事がありまして」


マリシア家のセルヴェント(使用人)兼メカニカル・ウォーリア操縦士であり警備担当のカイン・ストレイウスが裏庭で洗濯物を洗っていた。その隣で持ってきた桶と洗濯板を使って朝の洗濯を始める。


「何か、ありましたか?」

「…………。」

「顔が、あまり浮かれていませんよ」

「……いつも、同じです」

「そうとも限りませんよ。いつも見ていれば微妙な表情の変化は分かるものです。例えば、眉とか」

「……いつも自分の顔を殿方にじろじろ見られているのは気持ちの良いものではありませんね」

「……別に他意があるわけでもなく……」

「……知っています。からかっただけです」

「……そのようにすっぱりと切り捨てられるのも気分が良いものでもありませんね」

「……ならば、少なからず他意があったとでも?」

「…………。」

「…………。」

「……まあ、少しは……無かったと言えば嘘になりますが、というか、なんといいますか……」

「変態」

「…………。」

「…………。」

「……今のは失言でした。訂正させていただけますか?」

「……良いでしょう」


最後の洗濯物を掛け終わり、洗濯道具一式を片し、倉庫に入れる。


「では、私はここで。カイン、あなたはメカニカル・ウォーリアで中庭の松の剪定と屋敷の壁の掃除をお願いします」

「分かりました。お大事に」

「…………。」


 × × ×


「あら、あなたは……?」


洗濯物を洗っていると、後ろから呼ばふ声あり。振り返れば、人なし……というような怪談的な何かは起きず、一人の銀髪のメイドの作業服に身を包んだ10代の少女がいた。背丈、見た目上の年齢は俺とほぼ同じ。


少女は、俺の体をじろじろと奇妙そうに見回すと、手をポンと叩く。


「あなたがエリンの言っていた新人君ね。確か、アカギ君だったかしら?」

「……ええ、よろしく、お願いします……」


昨夜と朝が最悪だったため、今日1日のテンションは最低である。


「お隣失礼するよ」


そう言って彼女は俺の隣に樽を置き、洗濯板で洗い物をゴシゴシと洗い始める。


「私、ユーリ。ユーリ・ミシェル。よろしくね」

「……はい」


作業に集中しながら彼女が言う。


「あー、後輩君。後輩は先輩をぞんざいに扱っちゃダメなんだぞー?」


そう言って、彼女は俺を小突く。それが鬱陶しくて、しつこくて、少し照れくさかった。


「……やめて下さい」

「ほれほれ、観念しなさい」


何度も突いてくるユーリ・ミシェルがしつこく、適当に返してやる。


「……すみませんでした」

「心がこもってないなー。やり直し」

「…………。」


やり直しを命じられた。だが、要望に沿わないとこの鬱陶しいちょっかいは治らないらしい。


「……最近入ったばかりの若輩でありながら、先輩に対して無礼な口を利いてしまい僭越至極候」

「なんだか、よく分かんないけどやっぱり気持ちが入っていないからやり直しねー」

「…………。」


さすがにしつこい。俺の腹の虫がだんだんと荒くれだってきた。


「はい、はっやっく、はっやっく。私が納得するまでやり直しだよ?」

「あんた、いい加減にしろよ!」


最悪な朝を迎えてしまったために、精神がささくれ立っていた。そんな些細なことで気が立つようになっていた。


が、その俺の反応を見たユーリ・ミシェルはにっこりと嬉しそうに微笑んだ。俺は、訳が分からずに目を見開く。その表情を見たユーリが満足したように頷く。


「うんうん、やっと感情が見えた。そうそう、やっぱり何でも感情があった方がいいよ。ムスッとしているのはやっぱり体に悪いって。うん」

「…………。」


俺はあんぐりと口を開けて呆けていた。何を言っているのだ、この女は。


「君、何か思いつめてたみたいだったから」


つまり、彼女は俺をわざと怒らせたということか。呆れを通り越して呆然とする。


「ふう、じゃあ、改めまして。私、ユーリ・ミシェル。17歳よ、よろしくね」


その笑顔はひまわりのように眩しかった。その眩しさの意味がわからず、俺は顔を背ける。


「……赤城ケンジ、17歳」

「うん、よろしく」

「よ、よろしく…お願い、します……」


俺が困惑しつつ言うと、彼女は不満げに口を尖らせる。


「もう、せっかく少ない同世代の同僚なのに他人行儀なんてつまんない」

「……え、でも、君が後輩だって」

「そんなの知らないわよ!」

「え……ええぇ⁉︎」


訳がわからない。何なんだ、この女は。自由奔放にも程があるだろう。


「でもまあ、何か抱え込むのもよくないよ」


そう言って、ユーリ・ミシェルは洗濯作業に戻る。


「どういう意味だ?」

「だって君、明らかに何かありましたよっていう顔してたもん」

「…………。」


それに答えない俺を放っといて彼女は続ける。


「何でって顔してる。ここはね、少し孤児院みたいなところもあるから」

「……孤児院?」

「ここで働いている人たちには少なからず過去に何かあって、流れ流れてここにたどり着いた」


過去、という言葉に頭を刺激される。エリン・クウェーチェ。彼女の仄暗い、汚れた過去。


「だけど、今はマリシア家使用人っていう立場と、居場所を与えてもらえた。全て旦那様たちのおかげだよ」


ウェラン・マリシア。彼の性格を鑑みれば、分からなくともない。


「だから、新入りが来れば何かあったんじゃないかって疑ってかかっちゃうんだ。あ、でもそれをほじくり返すようなことはしないから安心して」

「……はぁ」

「でもね、私はここに来てから思ったんだ。暗い気持ちは、自分をどんどん泥沼にはめていくだけだって」

「…………。」

「だから、笑っているのが一番!」


その眩しすぎる太陽のような笑顔はそういう訳か。


「ほら、君も笑って見て」

「いや、俺はいいよ」

「遠慮せずに、ほれほれ」

「いいよ、そんな」

「いいから、黙って笑ってみる」

「……じゃあ、少しだけだぞ」




「──うん、それでいいよ。君はそっちがいいよ」

「……そ、そうか」


何だか、それは少しもぞもぞとした。


 × × ×


今日一日の仕事を終え、ベッドに入ろうとしたところをウェランさんに呼び止められた。そして、俺は何の因果かまたこの場所に来ている。


だが、その胸にあるのは昨日とは少しだけ違った。ソレを見上げるその視線も、どこか柔らかなものになっている。


「アカギさん、そこのレンチを取ってもらえますか?」

「……ん?あ、ああ。分かった」


そばにあったレンチを引っ付かんで傍の足場の梯子を登る。


「ほれ、カイン」

「ありがとうございます」


傍の金髪の気障男にレンチを渡す。すると、その男はそのレンチでナットを締め始める。


「何をやっているんだ?」

「これまでの研究で、アキュナスには両腕に機関銃、腰に大砲が接続されていた痕跡がありました。なので、今は1ファンブ機関銃を取り付けているところです」

「1ファンブ?」

「定規は……ありました、これですよ」


どうやら、1ファンブは目測1.3センチメートルぐらいである。現実のブローニングM2重機関銃と同じような位置づけだろうか。と、それよりも


「この世界にも銃ってあるんだな」

「当たり前ですよ。この国の騎士団が剣だけで戦っているのだと思っているのですか?」

「いや、そうじゃないけど」

「剣なんて、銃と相対すれば直ぐに打ち破られてしまうものなのですよ」

「ふーん、あ、そう」


その声には、どこか深刻な響きがあった。だから、俺はそれ以上踏み込むのを止める。何となく、してはいけないような気がした。


俺は、何とは無しにコックピットに入る。


「……ここで、俺は殺したんだよな」


自分で言うだけでも、柔肌をヤスリで撫でられるような気がした。


「そう、ここであなたが殺した」


するり、とアレースが現れる。


「だけど、ここで俺がこの王都を守ったんだ。うん、そう、信じたい」

「そう、あなたがここで守ったの」

「……ありがとう」

「でも、どうするの?あなたはまた闘う?ここで」

「…………。」


その問いには、少し答えるのに時間を要した。俺は、コレに乗れば鬼と化す。それは、とても恐ろしいことだ。自身の人間性が自分によっていきなり否定されるからだ。だが、乗らなければ死ぬ人がいる、守れないものがある、壊れてしまうものがある。それは、最も恐ろしいこと。


だから、俺は決めなければならない。自分の人間性か、他の何かを守るのか……


「ケンジー!」


その時、下から幼さを残した声が聞こえた。


「アリス、どうしたの?」

「えへへ、ちょっと、ね」


アリスは言葉を滲ませる。なにか話しにくいことがあるのだろうか。俺は、梯子を下り、彼女の元に行く。


「で、どうかしたの?」

「まあ、ね……ケンジのこと、お父さんから少し」

「……ああ」


ということは、昨夜のことだろう。


「ケンジの体験したことは、本当に大変で、辛くて、自分を責めちゃうかもしれないけど……」

「気休めならやめてくれ」


俺がそう言うと、アリスの体が一瞬ビクッと震える。


「あ、そうじゃなくて。ここにいるのは、色んな過去を持った人たちなの。だから、私はケンジよりひどい過去を知っている」

「だから?」

「……だから、ケンジにはそれほど落ち込んで欲しくないの。人一人殺しておいて無理だよね、そんなの。だけど、それでも、私はケンジにはみんなみたいにせめて明るくして欲しいって……」

「今朝、同じことを言われた」

「え?……あ、そう。もう言われちゃってたか」


アリスはたははと笑う。


「だけど、アリスが入っているのとあいつが言っていたのはどこか違う気がする」

「ほぇっ?どういうこと?」

「なんか、説明しづらい」

「あ、そう。……でも、私は、ケンジには笑っててもらいたいな。ずっと、明るくいて欲しい」


はははと、困ったように笑う彼女のその姿は輝いていて、眩しくて、直視できなくて。俺は、目を逸らしてしまう。


だけど、それは目を逸らしてはいけないんだと思う。逸らしてしまったら、その分見えない物がある。


だから、俺は逸らさない。今は無理でも、直視して、真正面から向き合えるようになりたい。


「乗るよ、アレに。君を守るために。君の笑っている顔が見たいから」

「ふぇっ?な、なに、それどゆこと⁉︎」

「そのままの意味だよ。俺も、アリスが明るくいて欲しい」

「あ、うん……」


アリスの俯かせた顔は紅潮し、胸の前で手がもじもじと動かされている。


「だから、俺は乗る。あの、武蔵…アキュナスに。乗って、闘う。だって俺にはそれしかないから」

「そんな、ケンジには……」


何かいいかけたアリスを遮って言う。


「だけど、そこに何かを守るためっていうこじつけもあっていいと思うんだ」

「うん、そうだね……いいと、思うよ」

「ありがとう」


しばらく、俺は武蔵を見上げていた。その真っ黒な武士のような雄姿は、まるでお前に俺が乗りこなせるのかと嗤っているように見えた。


ああ、乗りこなしてみせるさ。それが、守るための方法だからな。


この世に、争いというものは尽きない。そこで起きる悲劇も大量にある。


だから、俺のそれはその幾千万もの中のたった一つに過ぎないのかもしれない。


確かに、人一人の命は軽視してはいけない。


だが、そこで止まって進まないのは死者への冒涜だ。


俺は進む。そこに悲劇があろうと、乗り切ってみせる。


だって、そこに守りたいものがあるじゃないか。




日常があれば、非日常がある。


続くものもあれば、壊れるものもある。


感傷に浸っていられる時は、無慈悲にも強制的に終わりを告げる。


「アリス様、ここにいましたか!」

「ユーリ、どうしたの⁉︎」


焦った様子のユーリ・ミシェルが飛び込んできた。


「魔獣が、巨大な猿の魔獣が街に出ました!」

「な、なにっ……⁉︎」


恐れていたことだが、いずれ起きると言われていたことだ。何も予想外ではない。


「ケンジ……」

「分かっている。行ってくるよ、アリス」

「あ、ケンジ!」


武蔵を起動させるために梯子に駆け寄った俺の背中にアリスの声がかかり、振り返る。


「必ず、帰ってきてね」

「ああ、必ず」


今度こそ、梯子を駆け上り、コックピットに駆け込む。


「さっきも言った通り、機関銃を取り付けました。このスイッチで撃てます。それと、太刀は回収済みです」

「ありがとう、カイン」

「お気をつけて」


コックピットのハッチを閉め、起動の前に息を整える。


「もう一度聞くわ。本当に、いいのね?」

「ああ、もう迷わない」

「……分かったわ」


アレースがどこかに消え去り、操縦桿に手をかける。息を吸って吐き、気持ちを落ち着かせる。


そして、叫んだ。


「零式歩兵機装特型武蔵、起動!」

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