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第四話:マリシア家

王都にてメカニカル・ウォーリアを使い、破壊工作を行ったとして、バステア監獄に幽閉された赤城ケンジ。

御前裁判にて、辛くも冤罪を証明できた彼は、晴れて無罪放免となる。釈放された赤城ケンジを待っていたのは、マリシア家一同。そこで、赤城ケンジはマリシア家使用人として生きることを決意したのだった。

「さて、改めてだが、マリシア家へようこそ。アカギケンジ君」


俺は、あの御前裁判で冤罪を認められ、直後に釈放された。そこで、行く当てもなかった俺を使用人としてまた拾ってくれたのが、このマリシア家である。


ぶっちゃけ、自分一人だけでも、この世界で生きていくことはできた。だが、彼らの家族という形を見て、遠い昔の記憶を刺激されたのか、それを有り難く頂いたのだ。


「君には、使用人(セルヴェント)としての仕事を一から知ってもらう必要があると思う」


彼らの後ろ姿を見ていると、本当の日常とでも言うような雰囲気がする。


多分、あっちの世界で消え去った日々というものが、この世界にはあるということに惹かれたのだろう。


「彼女が、君の指導係になる、エリン・クウェーチェだ」


そこには、一人の黒髪の少女がいた。彼女は、かまどに空気を送るためにうちわのようなものを仰いでいた手を止め、こちらを向いた。彼女の目は、真っ黒で、かつての日本人を彷彿とさせるも、どこか冷めているかのような感じがした。


冷めている、と言うよりかはクールで感情の起伏が少ないような感じだった。


「エリン、彼が例のアカギケンジだ」

「…………。」


彼女は、無言のまま警戒するかのようにこちらをじっと見据えている。その間、まったく身動きしない。しかし、こちらを冷静な顔でじっと見られ続けるというのも、気恥ずかしいもので、つい目をそらしてしまう。


真顔でずっと見られるのである。その気恥ずかしさは半端では無い。


「……あ、あの、ウェランさん。さっきから一言も喋らないんですけど」

「うむ、恐らく君のことをマリシア家当主である私をそそのかし、傀儡にしてマリシア家を乗っ取るつもりではないかと疑っているのだろうな」

「少しストレートに具体的すぎません?なんですか、過去にそういう事例があったんですか。家乗っ取られたんですか?」

「いや、なに。よくある話だということだよ」


嫌だなァ、貴族社会。


「旦那様。そちらの異国の姿形をされた御仁は?」


冷静で、あまり抑揚の少ない声が聞こえる。それが、俺に対する、エリン・クウェーチェの第一声だった。


「さっきも紹介した通り、今日からこの家の使用人の一人となるアカギケンジ君だ」

「旦那様をそそのかして、傀儡にしてマリシア家を乗っ取ろうとしている、カルギス家の間者ではないのですか?」


カルギスとは、マリシア家と仲の悪い貴族なのだろうか。


しかし、さっきのウェランさんが話した内容と一語一句違わない疑惑が帰ってきた。すごく、示し合わせたような感じがするのだが、彼女の目は依然としてこちらに疑念を送ってきている。


「それについては問題ないだろう。なにせ、アリスがタジスタン草原で倒れていた彼を拾ってきたと言っているんだ。どこかの貴族の間者というわけではあるまい。それに、彼はアキュナスを動かしたのだ」

「…………。」


彼女はさっきよりも強い疑念をこちらに向けてくる。そろそろ、その疑念を虫眼鏡越しに見たら、黒い紙が燃え始めそうだ。


彼女は、俺に対する疑惑が中々晴れないらしい。そこで、ウェランさんが言う。


「彼は、今日から君の部下だ。しっかりと、教育を頼むよ。

 それに、彼はいささかワケありなんだ」


ウェランさんが、最後に小声で付け加える。


「……わかりました。アカギ…と言いましたか。彼を使用人として、いちから教育させてもらいます」

「頼むよ」


そう言って、ウェランさんは炊事場から出て行く。それを、エリン・クウェーチェは立ち上がって礼をしながら見送った。


そして、俺と彼女だけがこの炊事場に取り残される。


元々、彼女は言葉数が多い方ではなく、すぐにかまど炊きに戻ってしまった。俺はすっかり取り残され、気まずい空気が流れる。


しばらくして、かまどの上の鍋がグツグツと言い出すと、彼女はヘラで鍋の中をかき混ぜ始める。それが終わると、鍋を移し、皿に盛り付ける。その後、野菜を切ったり、炒めたりなんなりして、あっという間に十人前のフルコースを作り上げた。恐らく、夕食なのだろう。


フルコースを作り終えた彼女は、別のメイドにそれをテーブルに配置するように言いつけ、調理場を後にする。


その後、部屋の掃除、風呂場の掃除、ゴミの回収、樹木の剪定、エトセトラエトセトラ……


そして、彼女は今、マリシア邸のカーペットが敷かれた廊下を無言でスタスタと早歩きをしている。俺も、それにおいていかれまいとして、同じく早歩きをしている。


ここまでで、すでに2時間は経っている。


「ねーぇ、なんなのよ。あの女。さっきから一言も喋らないじゃない」


ゆらり、と幽霊かのように宙に浮きながら、特徴的な緑髪を揺らして俺の視界に現れたアレースがぼやく。


昨日の夜から、彼女はこのように度々幽霊かのように現れる。最初の頃は飛び上がっていた俺も、たったの1日でもう慣れてしまった。


多分、お化け屋敷は平気だろう。もはや、本物の幽霊が出てもビビらないという自負さえもある。


「ムッツリとしちゃってさ。なーんだかいけ好かないわねェー」


アレースが口を尖らせる。俺は、彼女に念話で返す。もう、念話での会話などお手の物だ。


「まぁ、エリン・クウェーチェが言葉少なめっていうのは、分かるんだけど、その先がね……」

「仕方ないわね。あんた、少し話しかけてみなさい」

「えー、なんだよ、それ。それで無視されたりしたら、俺引きこもっちゃうけど」

「あんたが、そんなことでヒッキーになるわけないでしょー。それに、何もしなきゃ話が進まないじゃない」

「わかったよ……」


エリン・クウェーチェに話しかけたら、十中八九の高確率で場に気まずい空気が流れそうなので、腰が重たいが、ひとまず挑戦してみよう。とりあえず、当たって砕けろの精神だ。


「あの、エリン…さん」

「……はい、如何いたしましたでしょうか、アカギ様」


無視はされなかった。ひとまず、第一関門はクリアだ。


「そ、そろそろ、色々と話を聞かせてもらえたらなーって、ね……」


言葉が尻すぼみになる。どうも、エリン・クウェーチェの冷たい瞳を見ていると、こちらが悪い気分になる。叱られている子供のように、縮こまってしまいそうだ。


「………………。」


相変わらず、彼女はこちらを射抜くかのような冷たい眼光を送り続ける。そろそろ、怖くなってきた。


「ほ、ほら、仕事の後って言ってたし、その、仕事がいつおわりゅのかにゃってに」


最後の方は、緊張でガチガチになってしまい、嚙み噛みだった。アレースが、呆れたようにため息をついている。


「や、やばい。怒らせちゃったかも……」


念話でアレースに助けを求める。


「あんた、そんなに肝弱かったっけ……御前裁判の時の威勢はどこ行ったのよ……」

「だって、あの時は何が何だかよく分かってなかったし……騎士の目もよく見えなかったから……それに、相手は男だし……」

「女には弱いって……あんた、ちょっと軟弱すぎない?草食系?」

「草食系でも、なんでもいいけど」

「分かったわよ。取り敢えず、相手さんの出方を見ましょ。まずはそれからよ」


俺は、エリン・クウェーチェをじっと見据えて、彼女の出方を伺う。


「……そうですね。そろそろでしょうか」

「そ、そうそう、そろそろだよね!」


よかった、ようやくだ。と、ほっと胸を撫で下ろしていたのも束の間。彼女の次の言葉に耳を疑う。


「そろそろ、自己紹介に移ってもよい時間ですね。それなりに時間も経ってますし」


なぜ、あの時、あの場でしなかったんだ。という疑問で脳内が埋め尽くされる。俺の脳は、驚愕で処理落ちし、タスクは疑問で埋まっている。


どうやら、彼女は今まで、自己紹介のためだけにここまでの時間をかけたらしい。全くもって謎な女だ。エリン・クウェーチェという女は。


俺はしばらく、彼女の予想だにしなかった答えに静止していた。


 × × ×


俺は、アレースを左肩に乗せ(アレース本人が勝手に乗ってきた)、正面にいる冷静で、表情一つ変えない謎の少女を見つめながら、彼女が出した紅茶を飲んでいた。


当然、紅茶の味などわかるわけもなく、頭の中は彼女のことでいっぱいだった。


彼女の名は、エリン・クウェーチェ。このマリシア家に使用人として雇われた俺の教育係で、言葉数少なめ、クールで感情の起伏があまりないタイプ。職務に熱心のように感じられる。


この部屋は彼女の自室だ。


そして、彼女は、初対面の人に対する自己紹介に、2時間もの長い時間をかける変人だということだ。もっとも、なぜ彼女がそのような行為をしたのかは、不明である。


「さて、あらためまして。私は、エリン・クウェーチェ。東方の瀧ノ守タキノカミという国の生まれ立ちでございます。齢は16。九つの時に、瀧ノ守が大凶作に見舞われ、貧困に喘いでいた頃、奴隷商人に売り飛ばされた私をマリシア婦人に拾っていただき、以来7年にわたり、このマリシア家メイドとして御使えさせていただいておる次第であります。そして、今では厨房を任され、使用人セルヴェントの頭を任されるまでに至りました。そして、何を隠そう、私こそが新人のあなたの教育係を一任されたメイドのエリン・クウェーチェです。以後お見知り置きを」


彼女は、息継ぎの間さえもなく、一気に生い立ちから現在までを変わらず淡々とした口調で言った。たぶん、俺がこれを真似しようとすると、息が続かないだろう。


「そ、そう……それで、エリン…でいいのかな?セルヴェントの仕事って、どんなのかな?」

「呼び名はご自由にどうぞ。エリン、エリー、クウェーチェ、エリーチェ、種々あり得ますが、私のオススメは、えーりn……」

「それ以上やったら、色々権利が面倒臭いからやめて」


彼女は、興奮のあまり、超えてはいけない一線を超えそうになっていた。著作権、大事。


彼女は、一口、紅茶を口に含む。


「…………、セルヴェントの仕事でしたか。セルヴェントの仕事とは、炊事洗濯掃除家事全般、その他にも植木の剪定や、庭の手入れ。その他雑用などです」


俺に料理の心得はなかったが、洗濯や掃除などの手伝いはできるだろう。やはり、雇われている身。使えなかったら、雇った意味がない。


「そうそう、あと一つ」


彼女が、急に思い出したかのように言った。俺は、視線を彼女の方に向ける。


「メカニカル・ウォーリアを使った作業もあります。勿論、操縦ができる者のみですが」


今、気になる発言があった。メカニカル・ウォーリアを使った作業?それなら、こちらのフィールドだ。なにせ、こちらは武蔵が動かせるのだ。そんな作業、余裕のよっちゃんだ。


「現在、このマリシア家使用人でメカニカル・ウォーリアを動かせる者は、カイン・ストレイウス。それと、旦那様のみでございます」


カイン・ストレイウス。あの憎き嫌味な気障やろうが、このマリシア家唯一のメカニカル・ウォーリアの操縦手だったとは。惚れもしないし、見直しもしないが、意外だ。


「しかし、このマリシア家が保有する、メカニカル・ウォーリアは、作業用のヲルケル一台のみ。しかも、操縦には2ヶ月の講習と免許取得が条件ですから、まだあなたには早い話ですね」


ヲルケルというのは、カイン・ストレイウスと初めて会った時、俺を指先で器用に釣り上げたあのメカニカル・ウォーリアのことだろう。


「待って、むさ…アキュナスは?」


アキュナスという機体のことを問いた瞬間、彼女の目が鋭く光った。


「アキュナス、ですか……。旦那様がかまけているあの骨董品ですね」


彼女のこの反応から察するに、アキュナスはマリシア家ではあまり歓迎されていないらしい。アレースの体がビクッと震え、緑髪が揺れるのが分かった。


「あれは、数に含みませんよ。あんな、100年以上前の機体、まともに動くわけがありませんし、あの機体構造からして、実用的ではありません。そして、旦那様も、カインもあの機体を動かしたことがないというではありませんか?」


彼女は、皮肉気な笑みを浮かべる。


アレースは微動だにしないが、なにやら激しいオーラを漂わせていた。どうやら、相当にご立腹のようだ。


「ですから、あれは数に入れなくてよいのですよ」


そう言って、エリン・クウェーチェは、紅茶を飲む。


先ほどの彼女の皮肉気な笑みとアレースの様子から、ビビっていた俺は、おずおずと告げる。


「あの……俺、アキュナス動かしちゃったんだけど……」

「…………ブッ」


彼女は、口に含んでいた紅茶を盛大に吹き出した。床の高そうなカーペットが紅茶で汚れてしまう。


そして、アレースは目にどこか勝ち誇った笑みを湛えて、どこからか出したお茶をすすっていた。


 × × ×


あの後、延々とアキュナスについての追求をされた俺は、所在不明のメイド長を探しに来たカインが部屋に入ってくるまで、何度も同じ事を繰り返し言うという拷問を受けていた。


結局、そんなことよりも夜食のほうが優先です。と言って、今日は制服の採寸をしただけに留まった。そして、明日から、セルヴェントとしての教育をしていくとのことである。


俺は、解放された後、自室に直行し、ベッドに潜り込んだのだが、中々眠りつけず、仕方なく夜のマリシア邸を徘徊することにした。


前に、腹の中のものを吐き出しそうになり、トイレを求めてさまよったことがあるが、まともな状態であらためてすると、かなり怖い。


月明かりのみで、それ以外の照明がない夜のマリシア邸は、まさに、ホラー映画に出てきそうな洋館と化していた。


その、真っ暗な中、窓から入る僅かな月明かりを頼りにして、うろうろとする。


トントンという、俺の革靴が床を打つ音が響く。


トントン。トントントン。トントントン、カツン。トントントン、カツンカツンカツン。トン、カツン、トン、カツン、トン、カツン。トントントン、カツンカツンカツン。トントン、カツンカツンカツッ。


いやちょっと待て、俺の革靴はこんな音を立てていたっけ?これはもっと、硬い、スキー用のブーツとか、ハイヒールのような……


誰か、いる?


そう思った瞬間、俺の背筋をゾゾゾっと悪寒が走る。明らかに誰かがいる。俺が歩けば付いてくるし、止まれば同時に止まる。


俺の脳内は恐怖に汚染され、あっという間に広がる。足がガタガタ震え、脳内が直接液体窒素を流し込んだかのように冷える。猛烈な吐き気がする。


誰もいない。そうだ、誰もいない。お化けなんていないさ。そう言い聞かせながら、ギギギと音を立てそうなくらいに固まっている首を、ゆっくりと後ろに持っていく。


「うぅ〜らぁ〜めぇ〜しぃ〜やぁ〜」

「ぎィィィゃぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁあああああああああっああああああああああ!!!」


白い、死人の羽織る着物を身につけ、頭に三角形の紙を貼り付けた緑髪の女がゆらりと現れる。


いや待て、緑髪?


よく見ると、アレースだった。


「なんだよ、お前。脅かすなよ……心臓に悪いだろ……」


俺が、未だにドクドクと音を立てて振動している胸に手を当てながら、息も絶え絶えに言うと、アレースは勝ち誇ったかのような優越感を顔に浮かべる。


「フフ、大成功」

「大成功じゃねぇよ、お前。一体、これで寿命何年縮んだと思っているんだ……」

「気にしない、気にしない。人間、死ぬ時に死ぬんだから、寿命なんて関係ないわよ」

「ていうか、何。お前、こんなことして、何が、したかった、んだよ……?」


俺が、まだ上下を繰り返す胸を収めようと必死に努力しながら問うと、アレースは一瞬キョトンとした表情になる。そして、少し考えるそぶりを見せて、


「さあ? 自己満足、嫌がらせ、いたずらのため……?」


と、あっけからんと言って見せた。


「手前ェ……!」


これには、いくら寛大な俺でも、怒る。


「そんな自己欲求のために、人の寿命数年分を奪っていいと思っているのかァ‼︎」


俺は、声を荒らげる。が、アレースはそんなものどこ吹く風と、右から左に流している。


「ま、なんでもいいんだけど。とりあえず、私の目的とやりたいことは果たせたから、じゃあねー、おやすみ。クワァ……」


最後に大あくび一つ残して、アレースは消えてしまった。すると、辺りに再びの沈黙が訪れる。


「やべ……また怖くなってきたかも……」


アレースとドタバタ劇を繰り広げているうちは、恐怖はそっちに向いていて、感じることはなかった。だが、いきなり暗闇に一人残されると、言い知れない恐怖感が湧いてくる。


しかし、それも悪くないかもしれない。ひとつのお化け屋敷みたいなものと思えば、自然と楽しくなってくる。それに、さっき驚いたせいで完全に覚醒してしまった。


俺は、孤独の中、廊下をうろうろとさまよう。すると、見覚えのあるところに出た。ここは確か、


「武蔵……」


アキュナスと俺が最初に出会った場所である。煉瓦造りのその壁は、10メートルの高さを誇り、部屋の幅はざっと5メートルはある。ぱっと見の目測であるが、5×7×10の直方体をしている。アキュナスで全速力で飛び出した大きな出口は、重厚な鉄扉で塞がれている。


そして、中央に、その存在感とともに凛と立つ、武士のような黒き鬼人。メカニカル・ウォーリア『アキュナス』もとい、零式歩兵機装特型『武蔵』。


この機体には、嫌な記憶しか詰まっていなかった。残酷で、無慈悲で、余りにも冷酷な記憶。人々の阿鼻叫喚と共にこの機体に眠り続ける、その記憶は、一体どうやって育まれたものなのだろうか……


「それは、あなたの前の操縦手の話よ」


いつの間にか、アレースが隣にいた。彼女の目には、いつものおちゃらけた笑みは消え去り、鋭い光をたゆたえている。


「あなたの前の、歴代の操縦手たちは、一人残らず、PTSD、心的外傷後ストレス障害を引き起こしているわ。なぜだか、分かる?」


PTSD、心的外傷ストレス障害。極度のストレスに晒されることにより、物音に敏感になったり、不眠などに陥る精神病だ。


この病は、主に戦場で常に死の恐怖に晒される兵士などに多い病気である。


そして、俺の前の操縦手が、例外なくPTSDを発症した理由は、何となく察しがつく。武蔵のあの記憶を見た者なら、特に思うだろう。


「そ、あんな感じに、操縦手は例外なく修羅になるわ。私自身が鬼人であるように、彼らも、鬼人になる。死に対して無感動になり、闘争に対して異常なまでの興奮を示す。それが、武蔵の正体よ。操縦手の心理さえも乗っ取る。それが、武蔵の闘争の歴史の正体」


武蔵に乗った時の高揚感は、そういう訳だったのか。そして、興奮した操縦手は、興奮が覚めた時に、自分がした行為を目の当たりにする。まともな精神を持っている人間なら尚更、その差に耐えることができないのだろう。


その結果、心的外傷後ストレス障害を発症する。


「少し、荷が重すぎたかしら?」


アレースが問いてくる。俺は、しばし考えてみた。


俺が、この後、この世界で生きようとする中で、この前のような化け猿などが出てくるであろう。その度に、俺はまた、戦わなくてはならない。そして、その度に精神を少しづつ削る羽目になるということである。


割に合わない。余りにも、割に合わない。ひょっとすると、この世界を救って、英雄になってハッピーライフを送るなんていう、安い小説のような、子供じみた願望が湧いてくる。が、それを理性が強力に押しとどめてくる。


割にあっていないのだ。戦うことで、自らの精神を削るということが。


戦えば、報酬は出るだろう。もう少し自由になるだろう。ひょっとしたら、名誉も入るかもしれない。


だが、その度に精神病へと一歩近づく。精神の崩壊へと近づいていく。


そんなことにも御構い無しに、戦うのは、権力や金に憑かれた者のたどる道ではないのか。


そんなの、馬鹿だ。絶対に、したくない。


しかし、俺がここにいる価値というのは何だ?俺は、マリシア家に雇われた使用人だ。ならば、有事にはこの家の住人を命がけで守る義務がある。


だから、戦わなければならない。


そうだ、俺は戦う。守るために。決して、壊すためではない。


それが、あっちの世界で静かに朽ち、果てようとしていた俺が出来る、唯一のことではないだろうか。何もせず、何もしようとせず、ただ、日々をダラダラと生きて、世界を高いところから見下ろし、呆れながら、脱力感の中で無意味に生きる日々。


あんな日々に比べれば、こちらの方が何十倍も、何百何千倍も格好がつく。だから、俺は──



「戦うよ、何かのために……今はまだ見つかっていないけど、いつかは見つける。命をかけたいと思う、何かのために」


アレースは、何も言わなかった。その表情は、長い緑髪のために隠れて見えない。


「そう、いいんじゃない」


その声は、余りにも淡泊で、冷淡で、拒絶的で……どこか、羨望が混じっていた。


「……………………ッ⁉︎」


その、声にもならない小さな絶叫は、静かなこの空間にとっては大きすぎた。


俺は、その声の主を探す。すると、入り口に、一人の幼女がいた。その幼女の足は震え、目は見開かれ、恐怖に彩られている。


「……あ、あ…あ、あ、あッ‼︎」


開いた口からは、声になっていない小さな悲鳴が漏れ出ている。その見開かれた目の先には、武蔵がいる。


「あら、あの時の子じゃない」

「……どの子だよ」

「バーバリアンと戦った時に、助けた子よ」


そう言われて、思い出す。武蔵で化け猿と戦ったあの日、AIに言われて、救助した幼女である。マリシア家に預けてきたが、その後も預かられているようだ。


「そうか、君、良かったな。無事で」

「……………………。」


こちらの呼びかけにも答えず、その幼女は相変わらず武蔵をじっと見据えている。その目は、驚愕と恐怖に見開かれていた。


「どうした?」

「…………ぁさんが……」

「…………?」

「……お母さんが、お母さんが、お母さんがッ‼︎」

「おい、どうした、大丈夫かッ!」


彼女の様子が明らかにおかしい。


「お母さんが、お母さんが、お母さんが、お母さんがお母さんがお母さんお母さんお母さんお母さん」

「君のお母さんがどうしたんだ!」


さきほどから、彼女は仕切りに母親を呼び続けている。そう言えば、あの時、彼女の母親らしき人物はいなかった。


はっ、と気付く。


「お母さん、お母さんお母さんお母さん、お母さんが、お母さんが、あの、あの黒いのの、下敷きにッ‼︎‼︎」


やはり、そうか。


「ィィィィィィイイイイイイヤァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアア!!!!!」


彼女は、これでもかというほどに叫び、目を見開き、涙を流し、口を顎が外れんばかりに開け広げる。母親の死、そしてそれの元凶となった黒い悪魔。それだけで十分だ。


人は、それだけのストレスを受けると、タカが外れてしまう。普通なら、ここまでにはならないだろう。もう少し、まともだったはずだ。だが、幼いがゆえに、ここまでのストレスを受けてしまった。


そして、壊れた。


彼女は、ひとしきり叫ぶと、がくりと気を失ってしまった。急に力が抜け、倒れる彼女の体を受け止めながら、俺は呆然とする。頭は、ハンマーで殴られたかのような衝撃でまともに働かない。


「どうした、何があった⁉︎」


ウェランさんが駆け込んでくる。だが、それすらも俺の脳は知覚しなかった。


「こういうこともあるわ」


その、アレースの言葉が止めだった。止めどない怨嗟の記憶が湧き出てくる。それを押しとどめることもできず、俺は息がつまる。


そうだ、そうなのだ。何を忘れていたんだ、俺は。馬鹿なのか?


いくら、守ろうとしても、壊れるものは壊れるのだ。そして、一気に何個も守ることは出来ないんだ。


だって、そこは戦場じゃないか。命をかけて戦い、血みどろの闘争を繰り広げ、己の生死をかける場所。相手を壊してでも、生きのこらねばならない場所。守る、何かのためだけに戦うなんて綺麗事が通じない場所。


俺が生きる場所は、そんな闘争の渦じゃないか。


その瞬間、俺も意識を失い、倒れてしまった。


ウェランさんが俺に呼びかける声が遠く聞こえる。


ああ、そんな目で見るなよ。お前だって同じだろ?


結局、俺だって、お前だって、この世界で生きるしかないんだ。


そうだろ、化け物同士なんだから。


なあ、ミカエル。

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