第二話:Began from the night.
異世界に転生してしまった平凡な男子高校生の赤城ケンジは、貴族のアリス・マリシアに拾われる。そしてその夜、この世界の人型ロボット『メカニカル・ウォーリア』の中でも奇抜な、アキュナスと出会う。アキュナスは、武士に鬼を掛け合わせたかのような姿をしていた。そして、赤城ケンジがアキュナスに触れた瞬間、アキュナスが独りでに動き出す。実は、アキュナスは零式歩兵機装特型というアトランティス帝国の兵器であり、武蔵という名が与えられていた。赤城ケンジが武蔵を起動させたのと同時に、バーバリアンと呼ばれる巨大な猿の怪物が現れた。そして、赤城ケンジは陰謀と、人々の思惑が入り混じった戦いの世界へと踏み出すのである。
長く伸びた手足を着きながら、猿のようなその怪物は、熱源センサー越しに俺と目を合わせてきた。その怪物は、この武蔵と視線が同じ高さであったから、視線が大体8メートルの高さだろう。それを基準に考えると、身長は15メートルくらいはあるだろう。
ゆうに、武蔵の倍くらいはある。それに伴って力も強いだろう。だが、それにさえもこの『零式歩兵機装特型』武蔵は打ち勝てるのだという。そんなことを分析できるAIも含めて一体全体、どんな超技術がこのロボットに詰め込まれているのか不思議でならない。
『アカギ君、アキュナスをこの部屋から出してみてくれ。目の前の壁は壊してもかまわない!』
『旦那様、それはなりません!壁をを壊したら、この部屋の天井が崩落して生き埋めになってしまうでしょう⁉』
『う、うむ、それもそうだな、カイン。アカギ君、今から大扉を開けるからそれまで待っていてくれ!』
モニター越しに何かウェランさんとカイン・ストレイウスが言い合っていたが、要するにこの『武蔵』を格納しているレンガ張りの部屋の外に出ろということらしい。
『後方六時の方向の鉄扉が稼働しています』
武蔵のAIの報告によると、背後の鉄の扉が開いているらしい。ウェランさんとカイン・ストレイウスがこの部屋の扉を開けているのだろう。
『旦那様、本当によろしいのですか?』
『ん?どうしたんだい、カイン君』
『彼は、メカニカル・ウォーリアの操縦に関しては全くの素人です。彼をこのまま行かせれば戦闘になりますよ!』
『問題ない、カイン君。アキュナスは百三十年前の、何という国だったかは忘れたが、王城の崩落に巻き込まれても無傷でこの姿のままで見つかったのだからな。アカギ君が死ぬことはないだろう。それよりもアカギ君、君はアキュナスを動かしてみたくはないかい?』
ウェランさんは、俺の方を向いて、問いかけてきた。俺は、嘘偽りなくこの高揚感を伝える。
「はい、動かしてみたいです」
ウェランさんが、したり顔でカイン・ストレイウスに振り向く。
『アカギ君がこう言っているんだ。良いのではないか?』
『まったく。分かりましたよ、旦那様』
そう言って、カイン・ストレイウスは、大きな鉄扉を開けるためのハンドルを黙って回す。
俺は、操縦席についている小さなモニターに映し出された映像を見る。そこには、背後の様子が映し出されていて、大きな鉄扉がゆっくりと開いていく様が見えた。
そのゆっくりと開いていく様を見ながら、俺は不思議な興奮を覚えていた。戦いに赴く、戦士のような興奮。かつてない敵との戦いに、武者震いをするような感覚。
俺が、こんな感情を持つとは思えなかったが、何故だか俺は興奮を覚えていた。背筋が震えるような恐ろしいまでの高揚感。
一体、この感情はどこから湧き上がってくる?
その時、操縦席の背もたれが震えたような気がした。
「そうか、お前か。お前が興奮しているんだな」
『アカギ君、アキュナスが通れるほどに扉を開けた!』
武蔵の足元でウェランさんが叫んでいる。
「よし、行くぞ」
『了解。精密機動モードに移行します。落ち着いて、周囲に気を付けながら回頭をしてください』
「カーナビかよ、お前は」
『…………。』
俺は、足元のペダルを慎重に操作し、武蔵を後ろに向かせる。すると、真っ赤に燃え上がった民家や、逃げ惑う人々。その人々を片っ端から貪るように取っては食い、取っては食うを繰り返す巨大猿が遠目に見えた。
この悍ましい巨大猿を見て、俺は興奮を高めるだけであった。闘争の予兆に、燃え上がるような情動的な戦いの予感に、ただただ武者震いをしていた。そして、薄く笑う。
「やるぞ、武蔵」
『精密機動モードから戦闘モードに移行。前方に大量の民家と避難民を確認しました。被害を最小限に抑えながら、目標を討伐してください』
「わかってるって」
俺は、まるでカーナビのような注意をするAIに返事をしながら前方を見据える。そこには、例の巨大猿が居る。その巨大猿を睨みつけながら、機体の背を屈め…………ペダルを思いっきり踏み込ん
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「おおっ、速いっ速いぞ!見たかね、カイン君。あのアキュナスの速さを!!」
「ええ、見ました。あんなに速いなんて……」
カイン・ストレイウスは、驚きのあまりに言葉を失ってしまった。
「やはり、アキュナスはただのメカニカル・ウォーリアではなかったのだ!」
隣のウェラン・マリシアは喜びで踊りまわっているが、カイン・ストレイウスは、今見たことを理解することで頭が一杯だった。
第一、メカニカル・ウォーリアがあんな速さで走れるなんて聞いたことがない。通常のメカニカル・ウォーリアは、最新の機関を積んでいても、動けばガシャガシャと大きな音が発生するし、出力も従来の蒸気機関とは段違いなのに、人が歩くのと同じくらいの速さでしか動けない。しかも、こんな狭い空間で回頭を行うなんて芸当は素人には無理だ。
しかし、あの少年が触れた瞬間に動き出したあのメカニカル・ウォーリアは、機関の稼働音がしなかった上に、駆動音さえも聞こえてこなかった。
「一体、どうなっているのでしょうか、アキュナスは……」
その時、部屋の扉が開いた。
「ちょっとちょっと、何の騒ぎ?」
「おお、アリスか。聞いてくれ、アキュナスを、アキュナスをあの少年が動かしたぞ!」
「あの少年って、ケンジのこと?それってどういう⁉ねえ、説明してよ、お父さん!」
アリスお嬢様は、あの客人の少年がアキュナスに乗っているということを聞いて、パニックに陥ってしまったようだ。
「落ち着いてください、アリス嬢。外で今、謎の怪物が暴れまわっています。ここは危ないですから、屋敷の中に戻ってください」
「外で怪物が暴れている?ケンジがそこにいるの⁉」
「…………。」
「ねえ、お父さん、ケンジが外にいるの?」
「う、うむ。まあ、そういうことになるが……」
「どうしてそういうことになっているの⁉」
夜のマリシア邸の中に、アリス嬢の叫び声が響き渡った。
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その瞬間、武蔵の右足が思いっきり地面を踏みこみ、俺の体を強力な圧力が襲う。肺が圧迫されて息が出来ない。
「さすがに、スピード出し過ぎちまったか」
『先ほどの疾走で人体にかかる負担は、約2.5Gです』
2.5Gがどれほどの力になるのかは分からないが、さっきので迂闊にダッシュは出来ないということが分かった。
肺が酸素を求めてやまないため、大きく深呼吸をしながら息を整えていると、モニターに影が映った。
「あ?」
ダッシュをしてきたまま、前傾姿勢で止まっている機体の上半身を起こして、影の正体を探る。
「お、おいおい、ちょっと待てよ。今、息、上がってんだよ……」
そこに居たのは、あの巨大猿だった。
『ガルルルルルルルルル』
『目標との距離1.2。危険です、直ちにこの場から離脱してください』
巨大猿が唸り声を上げるのに被せるようにAIが警告してきたが、たぶん、間に合わない。
よし、ここは平和的に話し合いで解決しよう。ウン、ヘイワガイチバン。
「よーしよし、まず落ち着こうか。俺はお前の仲間だ。そう唸るなって。大丈夫大丈夫。怖くない怖くなっ……」
『グワァッ』
必死の対話むなしくも効果を成さず、俺は機体ごと右に巨大猿の大きな右腕で吹き飛ばされた。
「ですよねー」
『バーバリアンは、我々と共通の言語を介しての対話は不可能です』
「知ってた……」
さらに、いつまでもどこまでも冷静なAIのどこか馬鹿にしたような声が追撃をかける。おかげで、俺の精神はズタボロだ。
「くっそう、こっちが平和的に解決しようとしていたのに……」
『現在の武装は、対物刀”金重”が二振りです』
「お前はせいせいするほど冷静だよな」
『…………。』
こっちに細かくそれこそカーナビのごとく注意をしてくるのに、こっちが何か質問しても答えてはくれないらしい。
俺の目の前に浮かんでいる仮想のディスプレイに機体の青い三面図がポップアップしてきた。それには、背中の二振りの長い刀が黄色に光って強調されていた。
「ま、刀が二本あるってんなら、十分だ!」
目の前の怪物をしっかりと見据えて、俺は口に笑いを浮かべる。恐らく、今の俺は殺人狂のように、瞳孔を見開いて、邪悪な笑いを浮かべていただろう。
俺は楽しんでいた。目の前の怪物と戦い、殺しあうことを。一方的に切り、傷つけて、沢山の苦痛を与える。そんな、悪魔のような嗜虐的な、禁断の果実に手を出そうとしていた。
『ガグルルルルル』
巨大猿は唸り声を上げてこちらを威嚇してくるが、それは、俺の興奮を高めるだけであった。
「武蔵、金重っ!」
『対物刀金重、ロック解除』
その瞬間、機体後部の二振りの刀を腰で留めていたロックが外れ、刀が機体の背中とつながっているL字の鞘と一緒に跳ね上がってきた。武蔵がその刀を手に取ると、鞘が縦に割れた。それを確認すると、刀を腰のあたりまで振り下ろす。
「さあ、行くぞっ!!」
『グルワァッ!!』
俺が叫ぶのと、巨大猿が吠えながら突っ込んでくるのは、ほぼ同時であった。
「はっ!」
『グワッ』
俺は、右手の刀を振り下ろす。巨大猿は、それを自身の右手で受け止める。数秒の拮抗の後、右腕が押し返される感覚が伝わってきた。
「おっ、と」
俺は、咄嗟に後ろに飛び退る。巨大猿の右腕が押し返してくる力を失って、空を切る。
(なんて馬鹿力だよ、あの化け猿。あのままだと、押し返されちまってたかもな)
「まっ、考えていても仕方がねぇよなぁ?」
俺は、巨大猿に向かって突っ込む。そして、左腕の刀を切り付ける。
『グワァッ!』
巨大猿が先ほどと同じように腕で防ぐ。
「それは予測済みだ。もう一丁!」
俺は、右腕の刀を振り下ろす。さすがに巨大猿でもこれは防げまい。そう思って、巨大猿の首元を狙って刀を振り下ろす………が、それは巨大猿が両足で立ち上がってもう片方の腕で防いだ。
「た、立てんのかよ⁉」
『グゥゥゥワァァアアッ!!』
両手をクロスさせながら、巨大猿が刀を受け止める。そして、両腕を思いっきり振りほどいて刀を押し返した。そしてそのまま、機体胸部に向けて正拳突きを繰り出す。
「うっ、わっ!」
それをまともに食らって、武蔵は尻餅を着く。倒れる瞬間に手放してしまった刀が傍に落ちて、石畳に突き刺さる。
『興奮状態のバーバリアンの筋肉は、歩兵機装用小銃や対物刀をも弾きます』
「おいおい、マジかよ……やっぱ、化けモンは一枚岩じゃ行かないってか⁉」
興奮した人間は、ライフルの銃弾をも弾くことができるというのを聞いたことがあるが、それはこの化猿にも通用するらしい。
その時、ピピピという警告音が鳴って、左モニターの一部が、仮想のディスプレイに浮かび上がってきた。そこには、地面に蹲って頭を抱えている一人の小学生ぐらいの少女が、武蔵の指と指の間に居た。
『避難民です。救助を最優先してください』
「うー……分かった」
この戦場から離れるのは、心苦しかったが、いたし方がない。俺は、外部スピーカーのスイッチを入れて、その少女に話しかける。
「君、この手に乗れ。ここから逃げるぞ!」
『ぇ……ぁ…』
差し出された武蔵の手と、巨大猿を交互に見ながら、その少女は固まってしまった。
「大丈夫、俺は君の味方だから」
『ぅ……うん、わかった』
そう言って、少女は武蔵の手に乗る。それを確認した俺は、その手をそっと閉じて、巨大猿を向きながら後ずさる。
「おい、逃げるぞ」
『了解、戦闘モードから緊急離脱モードに移行します』
「せぇぇぇのっ!」
そう叫んでから、俺は思いっきりペダルを踏みこむが、行きの経験を生かして、控えめに踏み込む。負担がかからない程度を感覚で調整しながら、王都の家と家の間を走り抜ける。
背後のカメラをモニターで確認すると、どうやら巨大猿はこっちが逃げたことで興味を失ったらしく、追ってはこなかった。
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巨大な猿の魔獣が出てきて、家々を壊して、沢山の人をその大きな手で次々につまんでは口の中に放り込んで咀嚼した。その口からはみ出た手足が、幼かった私に何が起きているのかを本能的に理解させた。
「ぁ……ぃ、いやっ」
その瞬間、私は死に対する恐怖で動けなくなってしまった。周りの民家はすでに出火して火事が起きていた。私の家も、周りの民家の火を貰ってしまったせいで、焼け落ちてしまった。その前に家の外に出ていたから、私は助かった。
「……ェ、リス…」
「お、お母さん……」
目の前で私の家の瓦礫に下半身を挟まれているのは、私の母である。瓦礫に下半身を挟まれてしまっているせいで、身動きが取れなくなっている。
「お母さん、ど、どうすれば……」
「……ッ、逃げて、早く!」
お母さんは、一瞬迷ったような顔をしてから、言った。
「で、でも、お母さんが!」
「…いいのっ!早く行きなさい。エリスッ!!」
「嫌っ、お母さんがいなきゃ…」
「いい加減にしなさい、エリス!早く、早く行って…そして、永くい…」
その時、真っ黒なメカニカル・ウォーリアが焼け落ちた家の瓦礫を踏んだ。
『君、この手に乗れ。ここから逃げるぞ!』
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武蔵で行きの道を帰ることたった5秒ほど。マリシア邸に着いた。
『ケンジ、アキュナスに乗っているの⁉』
屋敷の外に出たアリスが、武蔵の下で叫んでいる。
「アリスか!この子を頼む!」
『えっ、何?ケンジどういうこと?っていうか、なんでケンジがアキュナスに乗っているの⁉』
「今はどうでもいい。とりあえず、この子を頼む!」
武蔵の右腕をアリスの目の前に降ろす。その手を開く。
「さ、降りて」
『ぅ、うん…』
少し酔い気味の少女が武蔵の手からよろよろと降りる。
『ちょっと君、大丈夫?』
それを、アリスが抱き留める。
『ねえ、ケンジ。一体何がどうなっているの?早く説明してよ!』
「アリス、今は話している暇はない」
『え?何言っているの、ケンジ…』
「じゃあ、なっ!」
アリスの話をまともに聞かずに、俺はペダルを踏み込む。
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「本当に、何がどうなっているの?」
「アリスお嬢様」
「何?カイン」
「それが、私たちにもわからないのです」
「どういうことなの?」
「あの少年がアキュナスに触れた瞬間に、アキュナスが動き出したのです」
「何それ、どういうこと?」
「アリス、そう興奮するものじゃないよ。それより、アキュナスが動き出したんだ。あのアキュナスがだぞ!」
「お父さん、そんな悠長にしている場合じゃないでしょ!」
そう言っても、父は興奮していて、話を全く聞いてくれない。
なんか外が騒がしいと思ったら、外で巨大な猿の魔物が暴れているということを使用人から聞いた。それで父を探してみれば、異世界から来たというケンジが、なぜか父がずっと構っていたアキュナスにケンジが乗って、魔物と戦っている。
目が覚めたら、こんなとんでもない状況に陥っていた。
意味が分からない。
「っていうか、なんで客人をアキュナスに乗せてあの魔物と戦わせているの⁉」
「ア、アリス嬢、だから、アキュナスが勝手に動き出して……」
「しかしアリス。彼は遠い国から来たというが、一体どこで拾ってきたのかね?あんなにメカニカル・ウォーリアの操縦が上手いだなんて、驚きだよ」
「私も、分からないわ。ケンジの国でもメカニカル・ウォーリアは無かったって言ってたけど」
「じゃあ、彼は一体どこであんな技術を身に着けたと言うのです⁉こんな狭い部屋で回頭するなんて芸当は、初めて見ましたよ!」
「それを聞きたいのは、私の方よ!」
ケンジが、メカニカル・ウォーリアを動かせるとは思えない。だって、彼はメカニカル・ウォーリアを見たときに本当に驚いていたのだ。操縦なんてできるはずがないのだ。
「一体、どうなっているの⁉」
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武蔵を走らせて、また道を戻る。今度は、誰もいないため、スピードを出して走ることができる。
「おい、あの化け猿はどこかわかるか?」
『正面1時方向に目標と思われる熱源を感知』
「オーケー」
仮想のディスプレイに映し出された矢印の方向へと武蔵を走らせる。
途中、民家の屋根を伝っていく。火が燃え移っていた家屋のいくつかを踏み抜いた。その民家の壁を崩して抜け出すと、またAIの案内に従って巨大猿を目指して走る。
『正面0時の方向距離30に目標を確認』
「見えたっ!」
モニターに、たった今一人の男を口に放り込んだ、例の巨大猿の姿が見えた。幸いなことに、向こうはまだこちらに気がついてはいない。
その隙に、大きく跳躍して、巨大猿の背後から、両手の刀を一気に背中めがけて振り下ろす…………が、巨大猿を切ることはなく、何も握っていない武蔵の両拳が思いっきり振り下ろされただけであった。
『現在の武装は、ありません』
「そうだったぁぁぁあああ!!」
AIに戦いを中断させられて幼女を救助したせいで、刀を二振りとも無くしていたのを忘れていた。着地の振動を感じた巨大猿がこっちを振り向く。
『グワッ!』
俺は、咄嗟に右腕で振り向きかけている巨大猿の顔を殴ろうとする。が、巨大猿は武蔵の右手首を掴んで武蔵を前のめらせてから、左腕を武蔵の胸部に当てて思いっきり吹き飛ばす。その力は絶大で、武蔵は軽々と20メートルは吹き飛んだ。
「ぐっ、う……」
大きく吹き飛ばされてしまったが、そのまま倒れているわけにもいかない。巨大猿がすぐに追撃の姿勢に移ったからだ。足を折り曲げて、足裏を支点としながら、片腕で地面を強く起こして素早く起き上がる。
巨大猿が四足でこっちに向かって走ってくる。俺はそれを見ると、半身の姿勢をとって攻撃に備える。
『グヮァッ!』
巨大猿が吠えながら飛びかかってくる。俺は、その動きを冷静に見ながら、巨大猿の右側に体を滑り込ませる。
生き物なら、血管が通っている。それも哺乳類で人間に近いサルだ。首に沢山の神経や、太い血管が通っているはずである。
「ここだっ!」
首筋が見えた瞬間に、両腕を伸ばしてそれを握りしめようとする。が、突然、武蔵は真横に倒れてしまった。それと同時に、激しい衝撃がコックピットを襲う。もう、慣れてしまったものだが。それでも辛いものではある。しかし、この時、俺は頭をモニターに強く打ち付けてしまった。
「いてて……これってまさか、血⁉」
モニターは無事だったのだが、その後に顎から滴った赤い液体を見てしまった。幸いにも痛覚は麻痺して消えてしまっていたが、血が与えた原始的な恐怖は絶大なものだ。
その隙に、巨大猿が武蔵に馬乗りになっていた。そして、コックピットを何度も何度も強く殴り始める。その度に、コックピットを強い衝撃が襲い、俺は喉の奥から込み上げてくるものを感じた。
「うっ、ぐっ、はっ!」
(くそっ、このままじゃ吐いちまう)
ここでコンディションが万全でなかった反動が来た。何しろ、数分前まで酒を飲んで猛烈な吐き気に襲われていたのだ、このままだと一分ともたずにコックピットの中で吐き出してしまう。その不快感も相まって俺は軽いパニックに陥っていた。
「っていうか、これヤバくね⁉このコックピットがこじ開けられたら、俺食われる⁉」
さっきまで頭の片隅にも無かったことだが、今俺は、一歩間違えれば死に関わることをしている。今も、俺の目の前のモニターの外側の装甲板を興奮状態の巨大猿が何度も何度も殴り続けている。
やがて数分もしないうちに、装甲板はひしゃげ、巨大猿の拳がコックピットを貫くだろう。
(ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……)
「死にたく、ないっ!!」
そう、涙と嗚咽交じりに叫んだ。
その時であった、シートの背もたれが震えて頭の中に少女の声が響いた。気がした。
『大丈夫、あなたは死なない。死なせないわ』
ギュイイイイイイイイイイ
甲高い音がして、武蔵の機体の緑色のラインが、血のような赤に変わる。目のような頭部カメラも赤く光りだし、武蔵全体のグラデーションが、漆黒と緑から、漆黒と赤に切り替わった。
コックピットの中でも、仮想のディスプレイやモニターなどが赤く変わる。最後に、仮想のディスプレイに『最終制限解除』と出てきた。
俺は、おずおずと指を伸ばしてそれに触れる。
『零式歩兵機装特型全機能制限解除。鬼人化します』
AIがそう告げる。
「鬼人化?……ぐっ!」
俺の体を一瞬、激痛が奔った。その時、俺は見てしまった。修羅の道に入り、いくつもの生を殺して、生きてきた武蔵の記憶を。それがいきなり、一瞬の間に膨大な量が俺の間を駆け巡る。体中を無秩序に走り回り、行くべき場所を失って一か所に集まり始める。そして、全ての記憶が俺の頭に集まり切ったとき、弾けた。
ブシュゥゥゥウッ。勢いよく、鼻血が噴出した。
「ぐはっ……!」
俺はその衝撃に耐えきれず、力なく肩で小さく息をする。数秒後、俺は勢いよく顔を上げた。そしてきっ、とモニターに映るまだ武蔵に馬乗りしてコックピットを殴り続ける巨大猿を睨み付ける。
「「全く、そんなにがっつくんじゃねえよ。引くよ?」」
馬乗りしている巨大猿を無視して、力任せに、ゆっくりと起き上がる。
『……グゥ…?』
ようやく、巨大猿も異変に気が付いたらしく、焦ったようにコックピットを殴る。が、それでも武蔵は無反応に起き上がろうとする。
『グ、グガァァァァ……』
やがて、姿勢を維持できずに巨大猿が尻餅を着く。そのまま、上から見下ろす武蔵から後ずさる。
『グ、グルルルゥゥゥ…』
そのまま、武蔵と巨大猿が対峙する。
先に動いたのは、武蔵であった。獣のように、巨大猿に襲い掛かり、その喉元に両手を充てる。そして、思いっきり力を入れた。
『グワァァァァァァアアアアアアア!!!』
苦痛にもがき苦しむ巨大猿が咆哮を上げる。巨大猿は、がむしゃらにもがき続け、何とか武蔵を引きはがす。そして、後方に大きく飛び退って距離を開ける。
だが、武蔵は腰を落として重心を落としてから、大きく踏み込んで低く跳躍することで、その距離を一瞬にして詰めてしまった。
『グワッ!』
苦し紛れに巨大猿が武蔵を右腕の薙ぎ払いで飛ばそうとするが、武蔵はびくともしなかった。
『グ、グルルルゥゥゥ……』
それで完全に委縮してしまった巨大猿を確認すると、武蔵は巨大猿に襲い掛かる。
その後はまさに残虐な苦痛の嵐であった。まず武蔵が、巨大猿の腹に指を突き刺し、そのままもう片方の手も捻じ込んで、腹を思いっきり開く。
その時に真っ赤な鮮血が迸って武蔵の顔にかかる。
それから武蔵は、腸を引きずり出して千切り、肝臓などの臓物を何度も何度も殴って、原型すらもわからないくらいにまで殴り続けた。
先ほどよりも大量の血が、武蔵の全身にかかる。
次に、ろっ骨を砕き、肺を手で押しつぶす。
最後に、弱弱しくも、まだ鼓動を続ける心臓を手に取って、しばらく見つめた後、それを躊躇なく武蔵は握りつぶす。巨大猿には既に力は残っておらず、ビクンビクンと痙攣するだけであった。
鮮血が、雨のように民家にも降りかかる。
まるで、無垢な子供が、それと知らずに砂場で砂山を崩すかのようであった。
『目標の沈黙を確認。全制限を解除したことによる機体損耗、77.6パーセント。行動を維持できません。零式歩兵機装特型、機能停止しま…す……』
コックピットの中のすべての光源が消えて、真っ暗になる。俺は今自らの血で真っ赤に染まっているだろう。だがもう、深呼吸をする気力もない。
(眠い……)
『我々は、王立菊の騎士団である。今夜の貴様の数々の悪行…』
何か外から聞こえてきたが、それを聞き遂げる前に俺の意識の糸はぷっつりと途切れてしまった。
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燃える王都上空120メートル。漆黒の夜に浮かぶ一隻の飛行船の船橋で、一人の男が、口に微笑をたたえながら片手にワインが並々と注がれたグラスを持ち、ソファに頬杖を突いて座っていた。
その男の左斜め後ろに、ひょろ長いもう一人の男がいた。
「うぅーむ、ギト、あれは死んでしまったぞ?今夜は、燃えさかる王都に颯爽登場して自己紹介でもしようかと思っていたのだけれどねぇ」
「も、申し訳ございません。大宗主様」
ギトと呼ばれたその男は、長い背筋を丸めて、首を垂れる。
「まあ良い。今夜は面白いものが見れたからな。ギト、君も見ただろう?あの、とても嗜虐的なショーを!」
男は、興奮した様子で言う。その様子を見た、ギトが苦言を呈す。
「相変わらず、良い趣味をしておられますな。大宗主様」
「お褒めに預かり光栄だよ。それにね、ギト。僕は今夜このショーを見ることができて満足だよ」
「し、しかし、計画の遂行は…」
その副官の言葉に、大宗主と呼ばれた男が、相変わらず微笑をたたえながら首を振る。
「計画の一つや二つが失敗したところで狼狽えることはない。また、練り直せばいいだけの話さ」
「な、なるほど、そういうものなのですか。早速記しておきましょう!」
ギトが、自らの手記に今の言葉を記し始める。
「勤勉だね、ギト。だけど今夜の宴はここでお開きにしよう」
大宗主が、ソファから立ち上がり、後ろを振り向く。そこには、数人の豪華な軍服を着飾った人間がいた。
『リーク・エルナス!!』
その全員が一斉にそう叫んだ。
「さあ諸君。お楽しみはまた今度だ。諸君、おやすみなさい」
そう言って、大宗主は船橋から出て行った。