洗礼
宝生さんの説明を非常にざっくりまとめるとこうだ。
赤い装飾の施された異様な雰囲気の部屋に、怪奇趣味のある人間たちが集まり、夜な夜な四方山話をしていた。ある日、一人の新入りの男が話手と定められ、その男が退屈しのぎに行なったという殺人の告白を全員で聞くことになる。そして男の告白を最後まで聞き終わった後、その場にいた全員を衝撃の結末が襲う。これが江戸川乱歩の赤い部屋の大まかな内容である。
「乱歩の作中で赤い部屋に集まっていたメンバーは給仕の女性を除いて七人。同じくこの須弥山高校の秘密クラブも、七人のメンバーで構成されていると文芸部副部長の大江女史に伺いました」
「では、『赤い部屋に殺される』という蔵間さんの言葉の『赤い部屋』の意味は……」
「ええ。秘密クラブの名前であるとも解釈できます」
「じゃあ、蔵間さんは亡くなる前日に、『秘密クラブの人間に殺される』って言い残してたっていうこと?」
智慧がぐるりと、俺たち全員の顔を見回すようにして言う。
「秘密クラブが実際にあるのかどうかはわからないけど、大江さんは、秘密クラブのメンバーが旧校舎のどこかの部屋で、夜な夜な奇怪な儀式をしてるらしいって言ってたな」
「たしかにそういった噂はありますね。黒ミサでサタンを呼び出しているのか、護摩壇で明王を呼び出しているのか、テスカトリポカの祭祀で太陽に心臓を捧げているのかはわかりませんが。……あるいは、フリーメイソンのような儀礼なのかもしれませんけれど」
そういえば、モーツァルトはフリーメイソンだったって昔松田先輩に聞いたな。音楽室にいるせいか、関係のないことを思い出してしまう。
「秘密クラブは大正時代から存在すると言われています。秘密クラブの歴代メンバーによって儀式の生贄になった人間の遺体が、七不思議の場所にそれぞれ隠されているという噂もありますね」
「遺体が旧校舎の七不思議の場所に……ですか」
俺は記憶を辿る。
「たしか、旧校舎裏の首吊り彼岸桜、旧校舎に増える四階、美術室の血を流す石膏像、音楽室から聞こえるピアノソナタ月光、生物室の這い回るホルマリン標本、トイレから伸びる無数の手、四十九番目の部活の七つでしたね」
「そ、それでは、蔵間さんが亡くなった桜の樹の下には、死体がうまっているんですか……?」
恐るおそるといった感じに上目遣いの視線を向ける薬師さんに、西連寺さんは静かにうなずく。
「他の七不思議に関しても、屋上に死体が埋め込まれている、トイレの壁や便器に死体が塗り込められている、美術室の石膏像に頭蓋骨が入っている、生物室のホルマリン標本が実はバラバラにされた人間の体の一部だっていう風に言われてますし、この音楽室の床下にも、ミイラ化した死体があるなんて言われてますね」
智慧が思わず足下を見る。
「松田先輩や蔵間さんも、そんな噂の遺体の一つにされてしまった……というわけですか。七不思議の残り一つの、四十八番目の部活に該当する隠し場所はどこなんですか?」
俺が問うと、西連寺さんは考え込み、
「う〜ん……それが謎なんですよね。秘密クラブが旧校舎のどこで活動しているかが誰にもわからないですからね」
「厳重に施錠されていて、誰も入ったことがない開かずの間が旧校舎にあるとか」
「さあ……そういった話は聞いたことがありませんね。でも、普段あまり使われずに、半ば放置されているような部屋なら、探せばいくつかあると思います」
「なるほど……」
「ちなみに、埋められている遺体の出どころに関しては、儀式の生贄以外にも様々な噂があります」
「儀式の生贄以外の噂? どういうことですか?」
隣にいた智慧が少し身を乗り出すようにして問う。
「昭和の戦時中のことです。この場所にはもともと旧日本軍の研究所があって、人体実験や、兵士の死体を蘇らせる研究がされていたとか。旧校舎の遺体はそのときのものだという噂があります」
「せ、戦時中の軍の研究所……ですか」
智慧はつぶやいた後「あれ?」と首をかしげ、
「でも、須弥山高校の旧校舎は明治時代からあるって聞きましたよ」
「う〜ん、そうですね……もしかしたら闇に葬られた歴史……なのかもしれません」
急に西連寺さんの返答の歯切れが悪くなった。
「戦時中でいうなら、空襲の被害者が誰にも発見されずに大勢埋まっている、という噂もありました。この学校の旧校舎が、空襲の避難場所として使用されていたとか。七不思議の場所に遺体が埋まっているという噂は、空襲の被害者が埋まっているという話が、時間とともに形を変えたものだということですね」
ここで歴史に詳しい宝生さんが口を開いた。
「確かに、西陣や馬町等の市内、軍港があった舞鶴や宮津、軍用飛行場のあった久御山、兵器工場のあった長岡京等、京都にも空襲はありました。ですが、旧校舎の建てられているこの場所が、過去に空襲を受けたと云う記録は今の所見聞きしたことがありません」
俺も生まれてからずっと須弥山市に住んでいるが、須弥山高校のある場所はおろか、須弥山市全域に関しても、空襲を受けたという話は一度も聞いたことがない。それに、この話が学校の秘密クラブや松田先輩の事件とどう結びつくのかもわからない。
宝生さんに呼応するように、龍樹も口を開いた。
「……遺体の出どころが何であるにしても、この校舎に本当に遺体が埋まっているなら、それが今まで誰にも発見されていないのは不自然でしょう。授業や部活で使われている以上、旧校舎にもそれなりに人の出入りがありますし、旧校舎は戦後に一度建て替えられて、地面を掘り返されています」
「たしかに……おっしゃる通りですね」
「そもそも、死体が埋められてるっていう、その噂の出どころはどこなんですか?」
と智慧。
「七不思議の場所に死体があるという噂は、いつどのようにして生まれたのかよくわかっていないんです。もしかしたら、七不思議の場所にはもっと別の秘密があって、そこに誰も近づけさせないように、秘密クラブのメンバーが噂を流したのかもしれません。
蔵間さんも松田くんも、七不思議について生前調べていました。七不思議に関する何か重要な秘密、あるいは秘密クラブに関する何か重要なことを知ってしまい、消されてしまった……。蔵間さんと松田くんを知っている今の生徒、特に三年生がそんな風に囁いているのはたしかです」
「なるほど……。そう考えると、死体に関する色々な噂が、秘密クラブや『赤い部屋に殺される』という蔵間さんの言葉に繋がってくるわけですか」
俺はうなずく。しかし、宝生さんは疑問が浮かんだらしく、
「七不思議の場所に殺人の動機となるような重要な秘密があり、その秘密を守る為に松田主と蔵間氏は殺されたのだと仮定しましょう。ならば何故、伊勢氏に転落が目撃されていた松田主はともかく、蔵間氏の遺体が七不思議の場所に放置されていたのでしょうか」
「う〜ん……言われてみればそうですね。七不思議の場所が警察に調べられてしまいますからね」
西連寺さんはうんうんと頭をひねっている。
「ただ、七不思議の謎については何とも言い難いですが、秘密クラブが須弥山高校の創立された明治時代ではなく、大正時代から存在すると云う点は興味深いですね。乱歩の赤い部屋も大正一四年に発表されています」
「そうなのですか……。両方大正時代ということは、やはり、赤い部屋は秘密クラブの名前であり、それが蔵間さんの死、ひいては松田くんの死に関係しているのでしょうか」
ここで松田先輩の名前が出てきたので、
「そういえば、松田先輩の転落死について、まだ西連寺さんの意見をうかがっていませんでしたね」
「私の意見、ですか?」
「ええ。松田先輩の死について、法水さんが犯人とされていることについてはどうお考えですか?」
俺は問うてみた。
声楽部の部長は少し考え込み、
「そうですね……。私も松田くんの死は自殺ではないと思っていますが、法水くんが犯人かといわれれば、それも違うと思います。私は法水くんは信頼できる人間だと思っていますから」
「信頼できる人間、ですか」
これまでに聞いたことのない人物評だ。
「すごく知的で、義理堅くて、しかも剣道の有段者でとっても頼もしいんですよ」
西連寺さんは頬に両手を添える。
「実際に剣道の実力も高くて、剣道部の練習にたまに参加したりもしてるらしいです。彼が竹刀袋と防具入れを持って登校しているのを見たことがありますしね〜」
「法水さんはよくここに西連寺さんの歌を聞きに来るんですか?」
「はい。週の半分くらいはいらっしゃっいますし、今日は法水さんの前に伊勢さんと大江さんもいらっしゃいましたよ〜」
――あの二人もここに来ていたのか。思い返せばこの人はさっき、『今日はお客様が多いですね』と言っていたな。
「そういえば、みなさんがいらっしゃる前のことを考えていて思い出したんですが、法水くんにちょっと気になることを言われたんですよね」
「気になること……?」
「ええ。『鳥羽には気を付けろ』と言われました」
さらりと口にする西連寺さん。
「えっ! 『とば』って……美術部部長の鳥羽さんですか?」
彼女はうなずく。
俺の脳裏にはこの時、『赤い部屋に殺される』という言葉について、鳥羽さんが何か知っていそうだったことがよぎり、電流のように駆け巡った。
「気を付けろ、とは具体的にどう云うことでしょうか」
冷静に聞き返す宝生さん。
「それが、私にもわからないんですよ。考えてみても思い当たることは何もありませんし」
「他には何も詳しいことを仰っていなかったのですか?」
「ええ。他にはあと……『今日は一人で帰るな』ともおっしゃっていましたが」
「『今日は一人で帰るな』ですか。『鳥羽には気を付けろ』と云う言葉と合わせると、まるで鳥羽氏が貴女を付け狙っているかのように聞こえますが」
「つけねらっている……」
西連寺さんは視線を落とし、しばらく思案した後、
「そう言われてみればたしかに、ただの気のせいかもしれませんけど、最近誰かに後をつけられているような気はするんですよね。
でも、鳥羽くんとは会えば普通に会話しますし、そういったストーキングめいたことをする人には思えないのですが……」
「クリエイターはみんな、常識外れの執着心や思い込みがあるものじゃないですか」
と冗談めかして言う智慧。
「う〜ん……そういうことなのでしょうか」
腑に落ちていない様子の西連寺さん。
ここで皆の言葉が途切れたので、陰口を叩いているようで嫌だが、思い切って胸の引っ掛かりを吐露してみることにした。
「実は俺も、鳥羽さんについて少し気になることがあるんです。さっき、俺たちは鳥羽さんと美術室で事件について話していたんですが、そのときに鳥羽さんの様子を少し怪しく感じる瞬間があったんですよ。『赤い部屋に殺される』という蔵間さんの言葉が話題になったときです」
「ほ、本当ですか?」
西連寺さんが驚きの表情を浮かべる。
「本当かと問われると、お恥ずかしいんですが、確信があるわけではないんですよね」
智慧が「おいおい」という目でこちらを見る。
「でも、鳥羽さんの細かな仕草や表情、声音、間の取り方や呼吸――そういったものの積み重ねが、『赤い部屋に殺される』という言葉について彼が何かを知っていて、それを俺たちに隠しているように感じさせたんですよ」
「なるほど」
と、ここで、
「あ、あの……」
薬師さんが口を開いた。俺と彼女の目が合う。
「今のお話を聞いて、思い出したことがあるんです。美術室にあった、マティスの『赤のハーモニー』を覚えていますか?」
「吉山さんと一緒に観た絵だね。あれがどうかしたの?」
「あの絵を描いたのは、クオリティから考えておそらく鳥羽さんです。教室のまんなかあたりの壁に、あの絵だけ特別凝った細工の額縁に入れられていました。問題は、その特別扱いされている『赤のハーモニー』の別名が、『赤い部屋』だということなんです」
「えっ……赤い部屋?」
たしかに、言われてみれば、あの絵の内容は赤い部屋としか言いようのないものではあったが。
――薬師さんはあの絵を見たとき、「あれは……」と聞こえるか聞こえないかの声でつぶやいていた。あの絵を見たことで、蔵間さんの『赤い部屋に殺される』という言葉や、彼が七不思議の通りに亡くなっていたことを連想してしまったのだろう。美術室には七不思議の一つである石膏像もあったのだ。これは全て偶然の付合なのか……?
「美術室には『赤い部屋』の絵があり、成道くんは、『赤い部屋に殺される』という言葉について、鳥羽さんが何かを知っていると感じました。そして宝生さんは、『赤い部屋』は秘密クラブの名前だという仮説を立てました」
ということは……?
「まさか、鳥羽さんが赤い部屋のメンバーだとか」
智慧が言った。
「俺たちが美術室に入る前、法水さんは鳥羽さんと会って何かを話していた。その話の内容を、鳥羽さんは『プライヴェートな話』とだけ言って、俺たちに明かしてくれなかった」
「それってもしかして、鳥羽さんが赤い部屋のメンバーだってことに法水さんが気づいたとか……。『鳥羽には気を付けろ』って法水さんが西連寺さんに言ってるのもそういう……」
確証の薄い推論である。だが、筋がそれなりに通っている。
「『鳥羽には気を付けろ』という言葉には何も思い当たらないとのことでしたが、鳥羽さんが秘密クラブの一員だということにも何も思い当たりませんか?」
「ええ……そうですね。お役に立てず済みません」
西連寺さんは申し訳なさそうに首を振る。
「ふむ。何れにせよ、鳥羽氏にもう一度話を聞いておいた方が良さそうですね」
宝生さんが結んだ。
「――では西連寺さん。先程の法水氏の言葉以外で、何か事件について思い当たることはありませんか?」
女帝が問う。
「ええと……他に何か、ですか」
「貴女以外で事件についてよく知っていそうな人物に心当たりはありませんか?」
巧妙な容疑者の聞き出し方である。
「事件を知っていそうな……あっ、声楽部の顧問の武佐七音先生がいます。武佐先生は松田くんが亡くなった当時のクラス担任でしたし、鳥羽くんとも仲がいいんですよ」
「クラス担任、ですか」
松田先輩のクラス担任だったということは、すなわち鳥羽さんや伊勢さんや西連寺さんのクラス担任でもあったということである。だが、武佐先生は宝生さんのいう、話を聞いておくべき七人のうちには入っていない。
「担任の先生はあまり松田先輩と深く交流があったわけではないと聞きましたが」
と俺。
「う〜ん……たしかにそう言われてしまうと、高校は小学校と違って、担任の先生と生徒の関わりがそこまで密ではありませんが」
「それに、松田先輩は当時二年生でしたからね。受験生ではなかったので、クラス担任との関わりはより薄かったと想像できます」
「そうですね……ただ、そのかわりに先生は鳥羽さんと仲がいいですからね。芸術観、というんでしょうか。二人の芸術に対する観方に近いものがあるのかもしれません。それに、武佐先生は旧校舎にもよく出入りしていますしね。私が放課後音楽室に来るときは、必ず武佐先生も音楽室に来ることになりますから」
「どうしてですか?」
「音楽室に入るときは、武佐先生に直接南京錠を開けてもらわなくてはいけないんです。生徒が南京錠の鍵を持ち出すことはできないんですよ」
「大変ですね。旧校舎は遠いのにわざわざ」
「たしか、生徒が以前に美術室の鍵をなくしたとかで、そうなったらしいです。それに、武佐先生は四角四面なんて揶揄する生徒がいるほどルールに厳しくて、自他共に認める神経質な人ですからね」
西連寺さんは左手をピアノの鍵盤の上にそっと乗せると、軽くポロンと音を出した。
「武佐先生は声楽部の顧問であると同時に、吹奏楽部副顧問でもあるんです。吹奏楽部の部員の方にとても尊敬されているすごい人なんですよ」
「この高校の吹奏楽部員に尊敬されてるって、たしかにすごい人ですね」
須弥山高校の吹奏楽部は、過去に全国大会でゴールド金賞を獲得したこともある超強豪である。大阪の万博記念公園で開催されているブラスエキスポにも毎年出場しており、高い評価を得ている。
「武佐先生は須弥山高校吹奏楽部のOGなんです。しかも先生が在籍していた期間に二度も全国大会出場を果たしています」
「えっ、二度もですか」
「はい。しかも、ゴールド金賞の獲得には至っていないものの、二度目の出場時に演奏した自由曲のダッタン人の踊りで、武佐先生が担当していたオーボエのパートは、冒頭のソロも含めて審査員の方に完璧だったと評されています。私も武佐先生の吹くオーボエはとっても好きです。ただ……」
西連寺さんは鍵盤の上に視線を落とす。
「かなりこだわりの強い人ですから、敵も多いんですよね。このあたりの事情も、松田くんが武佐先生と深い交流を持たなかったことに関係していると思います」
「こだわりが強い……? どういうことですか?」
智慧が問う。
「あれはたしか……学園祭シーズンでしたから、蔵間さんが亡くなる一週間くらい前のことです。一度、大勢の生徒の前で、武佐先生と軽音楽部の顧問の先生が大激論したことがあるんです。このときの内容を話すとわかりやすいかもしれません」
曰く、軽音楽部の顧問の先生は、音楽を聴いて良い曲と感じるかどうかは個人の好き好きや思い入れで決まる――より具体的に言えば、その曲を聴いたときの年齢・環境・精神状態というような背景に左右される――のであって、曲に優劣はない。世間で評価されている芸術家の作品は表現が新しいが、その手法も時代を経ると陳腐化していく。時代によって良いとされる音楽は常に変わっていくのであって、絶対的に良い音楽というものは存在しないと主張したが、武佐先生はそれを断固として否定したらしい。相対主義は単なる思考停止に過ぎない、と。
「へえ。面白いですね。それで、議論はその後どうなったんですか?」
智慧が先を促した。
正直事件にはまったく関係のなさそうな話だが、軽音楽部に入ろうとしている彼女からすれば、重要な話題ではあるのだろう。
西連寺さんは再び語り始める。