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I Sing the Body Electric

 美術室を出た俺たちは、音楽室を目指し廊下を歩く。音楽室の場所は智慧が知っているらしい。

「旧校舎の音楽室は一階にあるんだよ。音楽室って音()れするから、普通は高い階にあるものなんだけどね」

「へえ。やっぱり、昔に作られたからか」

「たぶんね。新校舎の音楽室は三階にあるし。でも、大きい楽器運ぶときは一階のほうが楽だけどね」

 俺と智慧のそんなやり取りの後、

「音楽室には、声楽部の部長の西連寺さんがいつもいらっしゃるんですよね」

 薬師さんが問いかけてきた。智慧はうなずき、

「音楽室は声楽部の部室で、放課後はたいてい西連寺さんがいるみたい。前の三年生が卒業して、部員は今その人だけになっちゃってるらしいよ」

 部員が一人だけというと、声楽部が大したことのない部活であるように聞こえるが、実際は長い歴史のある〝すごい〟部活らしい。西連寺さんの実力も高く、法水さんを筆頭に、音楽室まで西連寺さんの歌を聴きに行く生徒は多い。

「既に文芸部部長の伊勢大輔、ミステリー部顧問の神月夜子、美術部部長の鳥羽総司の三人には話を聞くことができている。音楽室で声楽部部長の西連寺鳴、ミステリー部部長の法水大我に会うことができれば、残りはミステリー部副部長の東方るり子、生徒会長の斯波蓮の二人だけだ」

 宝生さんが言った。

「でも、美術室から法水さんが出て行ってから結構時間が経っちゃってるよね」

「……宝生の話が長かったせいでな」

 智慧の言葉の後に、龍樹がぼそりと付け加えた。さらに、

「観月鈴児のファンにいいとこ見せたかったんだろ。大方、〝先生〟って呼ばれて舞い上がってたってとこか」

 と指摘。

「そ、そこまではっきりと云わなくてもいいではないか」

 宝生さんはなんと、図星な様子である。頰をほんのりと染め、恥じらいの表情を浮かべている。

 そういえば、宝生さんが鳥羽さんに先生と呼ばれたとき、『先生は止してください』と硬質的な声で返していたことを思い出した。あの声に硬質的なものを感じたのは、嫌がっていたからじゃなく、喜びを悟られないようにしていたからだったのか。……さすがに、龍樹は俺よりも宝生さんのことをよくわかっている。

「たえちゃんかわいい〜」

 冷やかす智慧。宝生さんは咳払いし、

「節度や慎ましさは日本的な美を構成する重要な要素だ。自重しよう」

 いつも超然とした宝生さんがこんな顔を見せるのは、龍樹が絡んだときだけだろう。

 ――それにしても、俺たちはいつになったら法水さんに会うことができるのだろうか。松田先輩とのことはもちろんだが、美術室に入る前、彼と鳥羽さんがしていたという話の内容も、俺はなぜか無性に確かめたくなっていた。鳥羽さんは『プライヴェートな話』とだけ言っていたが……。それに、『赤い部屋に殺される』という言葉について、鳥羽さんが何か知っている素振りがあったことも気になる。

 ……まあいい。そっちのほうはまた今度、美術室で改めて鳥羽さんに話を聞けばいいだけのことだ。

「宝生さんは法水さんに会ったことあるの?」

 俺は思考を切り替えると、女帝に投げかけた。

「いや。人伝(ひとづて)に容姿を漠然と聞いているだけだ」

「あの人写真嫌いらしいから、スマートフォンで撮られた画像とかもないんだっけ」

「うむ。間接的にも、私は法水氏の顔を見たことが無い」

「そういえば私、生徒会長の斯波さんの顔も知らないんだよねー」

 と智慧。

「名前はよく聞くのにな」

「うんうん。なにせ、あの有名な()()()の中でも、斯波家は特に有名だからねー」

 智慧は宝生さんのほうに視線を向けた。

 四天王の一角は別段動じる風もなく、いつも通りのクールな表情で彼女の視線を受け止めている。

 ――この須弥山市には、俗に〈須弥山すみやま四天王(してんのう)〉と呼ばれる四つの名家が存在する。一つは公家くげ華族かぞくの流れを汲み、古くから代々政治にたずさわってきた〈宝生家〉、次に由緒ある武士の家系であり、警察官僚や法曹関係者が大勢いる〈三荊さんばら家〉、三つ目に御典医ごてんい蘭学らんがく者を先祖に持ち、徳洲とくしゅう会事件によって徳洲会グループが力を落としたため、同グループを上回る組織力と医師会への影響力を現在備えている〈増長ますなが家〉、そして最後が――五綿八社ごめんはっしゃに名こそ連ねていないものの、それに匹敵する繊維財閥を背景に持つ、財界のゆうの〈斯波家〉である。斯波生徒会長は、この四名家の一つである斯波家の跡継ぎなのだ。

 京都人で斯波家について知らぬ人間はまず居ない。また、京都以外の人間でも、一度はその名を聞いたことがあるだろう。

 斯波生徒会長の父の斯波しば創真そうま氏は、大阪に本社がある〈INDRAインドラ〉という巨大な総合商社を中心とした異業種複合企業体(コングロマリット)――いわゆる〈斯波グループ〉の現総帥そうすいだ。総合商社は『ラーメンからミサイルまで』といわれるほど多様な商品を扱うことで知られるが、斯波グループもその例に漏れず、系列会社を通じて、IT関連、銀行、証券、クレジット、保険、不動産、建設、食品、衣料、放送、出版、芸能マネージメント、アニメーション制作、福祉、教育、電気通信、ゲームなどのハードウェア分野、重化学工業、運輸、旅行業、アミューズメントその他、事業内容はかなりの広範囲に渡る。五大商社と同様INDRAの歴史も古く、始まりは明治時代にまでさかのぼることができる。

 ――斯波家の先祖は、塵劫記じんこうきの著者である吉田よしだ光由みつよしに師事していたという、京都の和算家の一族だった。室町幕府の三管領だった斯波氏とも関係があるといわれているが、定かではない。

 算聖と称えられたせき孝和たかかず――冲方うぶかたとうの『天地明察』では主人公渋川しぶかわ春海はるみのライヴァルだった――の流派や遊歴ゆうれき算家の活躍で、和算は江戸後期に最盛期を迎えていた。が、明治に入り、『和算を廃止し、洋算をもっぱもちふるべし』と、西洋数学の導入を政府が強力にし進めたことで、衰退を余儀なくされる。

 また、明治初期には殖産しょくさん興業こうぎょうが打ち出され、機械紡績による製麻事業が各地で始まっていた。そこで、角倉すみのくら家を通じ、多くの商人と繋がりがあった斯波家の人間は、その流れに乗ることを決断する。

 大阪では江戸時代から綿作が盛んであり、明治一五年に渋沢栄一らの設立した大阪紡績(現在の東洋紡)を始め、最新鋭の機械を導入した紡績会社が数多く起こっていた。この産業革命により、生糸きいと綿糸めんし・織物などの生産量が爆発的に増加したが、国内需要は小さく、海外市場の開拓は不可欠であった。そこで、原料の綿花の輸入とともに、製品の輸出ルートを仲介する繊維商社が生まれてくる。丸紅・伊藤忠商事・日綿実業・東洋綿花・江商の〈関西五綿〉と、又一・岩田商事・丸栄・田附・竹村綿業・竹中・豊島・八木の〈船場八社〉を合わせた〈五綿八社〉、そして、斯波グループ創始者とされている〈斯波多聞たもん〉の創業した〈紗蔵しゃくら〉は、当時の関西の繊維商社で特に有力な存在だった。

 明治三七年に日露戦争が始まると、軍や海外からの注文が押し寄せて、繊維商社を含む紡績業界は活況を続ける。

 大正三年、第一次世界大戦による特需で日本中が沸き立つと、紗蔵は取り扱い品目数を飛躍的に向上させ、総合商社へと変貌を遂げる。京都・神戸・東京と次々に支店を開設し、戦後恐慌に際しても安定した収益を上げて、より独占資本を強大化させた。

 その後は、関東大震災、昭和恐慌、日中戦争や第二次世界大戦による欧米との貿易の停止などの逆境が続くが、軍需のさらなる増大と、数字を重視した合理的な経営によりこれを乗り切っている。

 第二次世界大戦後はGHQの財閥解体により打撃をこうむるが、朝鮮戦争による対日占領政策の転換(逆コース)で、独占禁止法の緩和や過度経済力集中排除法の廃止が行なわれたことにより、立て直しに成功する。戦後の激動の時代をなんとか生き抜き、日本の経済復興にも寄与した。

 昭和三〇年頃から日本は高度経済成長期を迎え、しばらくは順調な状態が続くのだが、やがて再び、会社は存続の危機に瀕してしまう。〈商社冬の時代〉への突入である。

 昭和四八年に第一次オイルショックが起こった頃から、日本の企業は仲介料が発生する商社を挟まず、独自に貿易を行なうようになった。商社そのものの存在価値が揺らぐ状況の中、生き残りをかけた戦略が模索され、目をつけられたのが事業投資だった。

 原料が製品となり、販売されるまでの過程には様々な会社が関わっている。川上・川中・川下と呼ばれるやつである。総合商社は〈扱う商材の幅広さ〉〈カバーする地域の多さ〉を活かして、川上から川下全体を自社のネットワークで繋いだり、事業投資をして一元管理することにより、無駄なく安定した利益の創出(バリューチェーンの構築)を行なうことができた。経営資源の投入や経営への参画で投資先の企業の価値が上がれば、取込利益やキャピタル・ゲインを得ることもできるし、グループ企業が増えることで、企業同士の相乗効果シナジーも期待できる。

 こうして、商社は以前にも増して様々な分野への進出を行なうこととなった。三菱商事が日本ケンタッキーやローソンの筆頭株主だったり、三井物産が医療分野に投資しているのも、この流れの延長線上にある。紗蔵も様々な分野への進出を行なっているわけだが、特に言及しなければならないのがITビジネスへの投資だろう。

 近年では、社会の構造がガラリと変わるほどデジタル化が進んでいる影響もあり、IT系のヴェンチャー投資に力を入れている総合商社は珍しくないが、斯波創真氏はとにかく行動が迅速じんそくだった。

 マイクロソフトが一九九五年に〈 Windows95〉を発売する前から、いち早くインターネットの将来性に気づいた嗅覚。上場もしている株式会社なので、株主が経営に対して発言力を持つ中、未踏の領域に資本を投入できる決断力と実行力。商社の存在意義が問われ、改革を迫られていたということを加味しても、伝統を持つ大企業でこのようなヴェンチャー精神を持った人間はかなり異質であっただろう。いわゆる、イノヴェーションのジレンマというやつである。

 様々なIT企業を子会社にし始めた頃から、〈紗蔵〉の社名は〈INDRA〉へと変わる。もはや今では、INDRAは時代の先を行く企業だというイメージが世間にすっかり浸透している。グループ全体がすでに、IoT、ビッグデータ、ブロックチェーン、AI、ロボティクス、第五世代移動通信システム(5G)などを想定したビジネスモデルで動いているという話だ。

 ――そして、そんな進取の気性に富んだ斯波グループの急先鋒が、若きサラブレッドの斯波蓮さんなのである。高校生にして、早くもグループの一部の会社経営を任されており、とんでもない額の利益を上げているというのは広く知られている。

「斯波蓮氏と云えば、自身が経営に関わっている民間宇宙ヴェンチャー企業による、宇宙開発事業への本格的な参入が記憶に新しい。日本のイーロン・マスクやジェフ・ベゾスと称され、ちまたでもかなり話題になっていた」

「……ああ、たしか〈VIMANA(ヴィマナ)〉って名前の会社だったな」

 宇宙マニアの龍樹が宝生さんに応じる。

「……部品の性能が上がって、人工衛星の小型化ダウンサイジングが進んだ影響で、小型人工衛星の打ち上げ需要が近頃高まってる。VIMANAは安価で小回りのきく小型ロケットで、その需要を取り込んで収益化してるらしい」

「日本はもっと積極的に宇宙開発事業に投資すべきだって、斯波さんはよく言ってるよね」

 俺の投げかけに、龍樹はゆっくりとうなずき、

「……これまで日本の主要産業は自動車産業だった。だが、電気自動車普及による部品点数の激減、自動運転の普及(車のシェア)による自動車台数の減少で、自動車産業は必ず崩壊する。そこで宙に浮いたリソースを宇宙開発産業に回せばいい。工作機械、電子機器、特殊鋼やらの素材、サプライチェーン、人材、全てが揃ってるから、大きな主力産業になり得る。日本列島は広大な太平洋に面していて、東南海上にロケットが打ち上げられるから立地もいい――なんてことを、斯波蓮はSNSに書いてるらしい」

 斯波さんはこの通り、世事せじに全く興味がない龍樹にも、本人の名前もやっている事も知られているほど有名である。だが、TVや新聞などのメディアが好きではないらしいので、この五人の中では宝生さん以外だれもその顔を見たことがない。学校内では、博士号を取得できるほどゲーム理論に詳しいとか、十か国語以上を自在に操るとか、校内の半数以上の女子生徒からヴァレンタインデーにチョコをもらっただとか、凄い噂がバンバンと飛びっているので、事件の捜査を抜きにしても、ぜひ一度会ってみたいものである。

「私は、松田さんと斯波さんが対立するきっかけになってしまった、〝あの一件〟のイメージが強いです……」

 薬師さんが口を開いた。

「そうだな。松田主と斯波氏の因縁の始まりは、彼等について考える上で重要な事柄だ」

 宝生さんが龍樹から薬師さんのほうへ視線を移す。

 ――須弥山高校の特色の一つは、四十八もの多彩な部活動の種類にある。その顔ぶれは弓道部や合気道部、茶道部、華道部、百人一首部といった京都らしいものから、数学研究部、クイズ研究部、弁論部といった頭脳集団、卓越した運動神経を持つ者たちが集う体操部や水球部やセパタクロー部、マニアックな鉄道模型部やアマチュア無線部など多岐にわたる。これは古くからの須弥山高校の伝統であり、校風を象徴するものであり、それが大きな売りにもなっている。

 だが斯波生徒会長は、部や同好会の無駄な細分化が、支給する部費、顧問の負担などの問題から、全体の向上を阻害していると異議を唱え、五人以上部員が存在しない部と同好会を強制的に潰そうとした。そして、この計画に真っ向から反対し、ついには阻止するまでに至らしめた人物こそが――

「松田さんというわけですね」

「うむ。ミステリー部も部員が三人しか在籍していなかったからな。

 斯波氏はのスティーヴ・ジョブズ並みにプレゼンテーションやネゴシエーションに熟達していると評判だった。当時は校内の相当数の生徒やほぼ全ての教師陣を巻き込んで、かなり熾烈しれつな論戦が展開され、水面下での根回しの応酬があったらしい」

 この半ば伝説ともいえる大戦が終結して以来、松田先輩は方々(ほうぼう)で英雄としてあがたてまつられ、斯波さんは〝破壊神〟と呼ばれ畏怖いふされるようになったという。――この綽名あだなは恐らく、ヒンドゥー教の破壊神〈シヴァ〉とかけたものなのだろう。

 当時の須弥山高校の生徒は、斯波さんがいったん何かをこうと決めたときには、あたかも人知を超える不思議な運命の力が働くかのように、必ずそれは現実のこととなるのを知っていた。それだけに衝撃もひとしおだったという。

「松田主は何であれ、他人の意見には興味を持っていた。人間と云うものに関心があり、間違いなく人間観察の天才だった。何が人間を駆り立てるのかと云うことを、彼は恐ろしいほどに熟知していたんだ」

 宝生さんは渋い表情で腕を組んだ。

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