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ハイファイ新書

 淡い水色の()んだ朝空に薄い雲が美しく溶け合っていた。

 柔らかな陽射しを含む春の空気は肌触りが優しく、通学路を歩いている俺の体をふわりと温かく包み込んでくれる。

 民家の垣根からほのかに香ってくる芽吹きの匂いは、これからの高校生としての新生活を祝福してくれているようだった。

 あの角を曲がれば、彼女がいる。俺は(はや)る気持ちを抑えることができず、足を少し早めた。


 古い日本家屋の竹垣を右手に曲がり、遠くに児童公園が見えると、入り口のそばに植えられた大きな桜の樹が目に入る。彼女はその下に静かに佇んでいた。

 スクールバッグを女の子らしく体の前で両手で持ち、白日夢(はくじつむ)のように(かす)む満開の桜の花を彼女はじっと見上げている。

 優しく(うる)んだ二重まぶたのつぶらな瞳に、(まばた)きのたび長いまつげが落ちかかる。

 春風に清楚なボブカットの髪が(かす)かに揺れ、それに呼応するようにひらひらと花びらが舞っている。

 その姿はどこか物語然とした美しさがあり、まるで少女漫画に登場するヒロインのようだった。

 彼女は白い花びらの絨毯(じゅうたん)を歩いてくる俺に気づくと、こちらを向いてしとやかに微笑(ほほえ)んだ。

「おはようございます。成道(なりみち)くん」

「おはよう。薬師(やくし)さん」

 言って、こちらも微笑み返す。

 小学校の頃は何度か同じクラスになったものの、中学校のときはずっとクラスが離れてあまり喋るチャンスのなかった薬師真理(やくしまり)さん。その彼女とこうして一緒に登校ができると思うだけで心が弾み、胸はいっぱいになっていた。

「えっと……桜、綺麗だね」

「はい……」

 二人で並んで立ち、頭上に咲き満ちるソメイヨシノを何も言わず(なが)めた。

 枝という枝を(おお)いつくす花弁は静かに淡く、それでいて、目も(くら)むほどに春を(いろど)っている。

 緊張のためか、お互いにまだたどたどしさが残るものの、桜色に包まれたロマンティックな時間がゆったり流れていった。

「綺麗だ……」

「はい……」

 薬師さんはこちらを向き、最初に俺に挨拶したときのように微笑んだ。

「とても綺麗だよ……真理ちゃん。ああ……我慢できない。このまま君を食べてしまいたい」

 彼女はどう反応すればいいのかわからないのか、細い眉をハの字にして困ったような笑みを浮かべている。この発言の変態性を考えれば当然だった。

 やれやれ、やっぱりこうなるのか。俺はそう思いながら深く長いため息をついた。

 そして無言のまま背後に手を伸ばすと、()()()()()をした声の主をむんずと(わし)づかんだ。

「きゃー、痛い痛い」

智慧(ともえ)……わかってたぞ。俺と薬師さんが桜を見てるとき、お前が背後に忍び寄って来てたのは」

 変態の頭をつかんだまま、ずいと顔を近づけた。

「しょうちゃん、やめちくりー」

 そう言いながら彼女はガクリと(ひざ)をついた。まるでフリッツ・フォン・エリックのアイアンクローを食らったジャイアント馬場のような、大げさなリアクションだ。

 地毛である茶色がかった明るい色の髪に、ボーイッシュな印象のシャギーが入ったショートカット。首に掛けたJBLのワイヤレスヘッドフォンに、背負っているギターケース。この愛染智慧(あいぜんともえ)も薬師さんと同じ小学校からの同級生ではあるが、こちらの方は腐れ縁という言葉がぴったりであった。

 ロック音楽と格闘技マニアの彼女は、いわば俺の宿敵である。その因縁は海溝のように深い。

 ――あれはまだ俺が小学生の頃。当時、男子の間で放課後にタイマンと称したプロレスごっこが流行っていた。

 ディフェンディングチャンピオンに(から)くも勝利し、念願の新チャンピオンとなった俺は、飛び入り参加の彼女にあっさりスリーカウントを取られ(またた)く間にその座を引きずり降ろされてしまった。短い天下だった。

 リベンジのために挑戦状を叩きつけるも、それすらあっさり返り討ちにされてしまった。あの年代だと、男子より女子のほうが体力が上なのだ。

 その事件以来、俺は彼女と給食の早食い対決をしたり、テストの点を競い合ったり、何かと張り合っていた。

 小学三年生のとき、マット運動の授業の自由時間中にリストクラッチ式エクスプロイダーを食らったことは(いま)だに根に持っている。

「うにゃー、しょうちゃん許してー」

 こんな俺たち二人を、薬師さんはやはり困ったような笑みで眺めていた。

 今日は朝から気分を少女漫画の主人公モードにして、脳内でそれっぽいナレーションをつけていたのに、結局いつものように台無しになってしまった。

 この春から新しく始まる高校生『成道証悟(なりみちしょうご)』のスクールライフは、昔から何一つ変わっていなかったのであった。

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