鬼哭転生.3
「それでは、蔵間氏の霊能力に話を戻します。私は先程、憑物について少し述べましたね。これは非常にデリケートな話題であるので、今まで敢えて口にしなかったのですが、私は蔵間氏の父方の家系が〝憑物筋〟であることが、彼の霊能力を語る上で最も重要な鍵だと考えています」
「なんだ……知ってたの」
鳥羽さんが驚きを含みつつも、沈んだ声で答える。俺も全くの初耳だった。
「蔵間さんの家が憑物筋だってことが、七不思議通りに人が死ぬっていう彼の予言――七不思議の呪いの噂が広まった要因の一つなのは確かだよ。誰もはっきりとは言わないけどね」
鳥羽さんの言葉の後、少々気まずい間がこの場に訪れる。智慧は憑物筋とは何なのか詳しく聞きたそうだが、軽々しく質問できるものではないということを察して黙っている。
自分からこの話題を持ち出した責任を取るつもりなのだろう。宝生さんはそんな智慧の様子を見て、説明を始めた。
「人間の生霊、死霊、動物霊等が人間の体内に入り、精神や肉体に影響を与えるとされる現象、及びその人間に乗移った霊のことを指して〈憑物〉と云う。憑物は修験者や巫女やイタコと云ったようなシャーマンが、託宣を得る等の目的で、意図的に自分に霊を憑かせる統制的なものと、意図せず憑かれた霊によって、人間が病や異常な精神状態を起こすような非統制的なものに分けられる。
後者の憑物に関する伝承には様々なものがある。徳島県那賀郡や岡山県備前地方に伝わる〈猿神〉、四国や佐渡島の他、青森県や岩手県等に伝えられている〈狸憑〉、西日本各地に伝承されている他、江戸時代の奇談集『絵本百物語』にも記述がある〈豆狸〉、福岡県久留米の〈蝦蟇憑(ワクド憑)〉、島根県邑智郡の〈蛭持ち〉、主に九州に伝わる〈河童憑〉、静岡県遠江地方に伝わる河童の近縁の〈コボッチ〉、西日本に広く伝わり、餓死者の怨霊とされる〈ヒダル神〉、そして、長野県や岐阜県・福井県に伝わる〈牛蒡種〉、この牛蒡種は人間の生霊であるが、岐阜県飛騨地方では例外的に、七十五匹の動物霊が憑いているとされ、〈七十五匹〉の別名で呼ばれている。
と、憑物は細かく種類を挙げていくと切りが無いが、伝承の数が特に多いものを選り分けると、日本全国に広く見られる〈狐憑〉、中国・四国・九州地方に広く分布する〈犬神〉や〈ゲドウ〉等の犬の憑物、中国・四国地方に伝わる〈トウビョウ〉等の蛇の憑物に大まかに絞られる。これら三者は地域によっては互いに混交していたり、その姿形も名称に反して小型の鼬や鼠・土竜のようであったりと複雑であるが、全国を通じて狐憑――狐の憑物に関する伝承が最も多いことは間違いない」
「蔵間さんの家系は狐の憑物筋だったんだよ。もっとも、離婚の影響で名字が変わってるから、蔵間家がそうだったってわけじゃないんだけどね」
鳥羽さんが言った。宝生さんはうなずき、
「ええ。では、狐憑やその背景について詳しく述べておきましょう。
――狐憑に於いて人間に取り憑く小獣の霊は通常〈キツネ〉と呼ぶだけだが、所によっては特殊な呼び名を持つ。例えば、関東から東北にかけては御先・御先稲荷・飯綱、関東西部から中部地方にかけては管狐・オトラギツネ、山陰の一部で人狐・トウビョウギツネ・ソンツル、九州の一部で野狐と云ったような具合だ。これらは七十五匹が一団を成しているとされるが、この七十五と云う数は、仏教の七十五法に影響を受けていると考えられる。先程、飛騨では牛蒡種が七十五匹の獣の霊とされていると述べたが、牛蒡種の名前の由来は、修験者が仏法の守護神である護法善神を憑依させる依代の〈護法実〉だと云う説もある」
「さっき、狐の憑物に関する伝承が一番多いって言ってたけど、なんで狐の憑物が一番多いの?」
智慧が疑問を呈する。
「うむ。――これは狐憑の生まれた背景にも関わることだが、日本では、狐は古くから霊威ある動物と認められていたんだ」
女帝は智慧のほうに視線を向けた。
「京都の伏見稲荷を中心に広まっている、狐を稲荷神の使いとする信仰や、その信仰から派生した、陰陽師の安倍晴明の母親を白狐である〈葛の葉〉とする伝承等は、狐の霊威を示す代表的なものだ。
稲荷神は現在、商工業を含め産業全体の神として信仰されているが、元々は農業の神として信仰されていた。稲荷神の〈稲荷〉は〈稲成り〉から変化したものだとも云われている。そして、稲荷神が農業神であることが、狐が稲荷神の使いとして選ばれたことと深く結びついているんだ。
――稲作には、穀物を食べる鼠や野うさぎや鳥類、田の土手に穴を開けて水を抜く畑鼠等が与える獣害が付いて回る。日本人は狐がそれら害獣の天敵であることに注目し、田の付近に祠を設置して、油揚げ等で餌付けすることで、狐を信仰し保護する文化を創出した。
そして、民俗学者の柳田國男も指摘しているように、日本人には古くから神道の原形として〈山の神、田の神〉の信仰が存在する。これは春になると山の神が山から里へ下り、田の神となって稲の生育を守護し、収穫が終わった秋に山へ帰って、また山の神となると云う信仰だ。狐も同じように、農事の始まる初午の頃から収穫の終わる秋まで人里に姿を見せ、田の神が山へ帰る頃に山へ戻る。
このように、田の神と同じ時期に姿を見せる行動に加えて、稲荷神と習合した宇迦之御魂神の別名である御饌津神が、狐の古名〈ケツ〉と結び付き、〈三狐神〉と当て字されたこと、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていること等から、狐が稲荷の神使とされるようになったと云う訳だ」
「ふーん、狐が神の使いにされた理由はわかったよ。でも狐憑って、狐の霊が人間に取り憑いて悪さするんでしょ? 昔話でも、人を化かす悪い狐がけっこう出てくるし、神の使いの狐に、どうしてこんな悪いイメージがあるんだろ」
疑問を投げかける智慧。宝生さんはまた「うむ」とうなずき、
「確かに、日本人は狐に対して、神使の霊獣のみならず、人間を誑かす性悪の獣と云う二面的な印象を持っている。それが狐憑の迷信を広く浸透させる要因となった訳だが、このような二面的な印象が生み出された背景には、漢詩の千字文に由来する、狐が美女に化けて人間を騙すと云う〈九尾の狐〉の伝承が広まったことが一つ。さらに、元々人間を喰らう鬼神だった仏教系の〈荼枳尼天〉の信仰が加わって、狐の霊力がしだいに妖異なイメージを持つようになったことが挙げられる。
九尾の狐に関しては、中国最古の王朝である殷を滅亡に導いた妲己や、鳥羽上皇(崇徳天皇の父)の寵妃だった玉藻前の正体とされていることで有名だな。
荼枳尼天についてだが、荼枳尼天の起源であるインドのダーキニーは、血と殺戮を好む戦いの女神カーリーの侍女であり、尸林(墓場)に集う悪鬼の一種だった。それが大日如来の化身である大黒天の説法を受けて善神となると云う説話を伴い、仏教へと取り込まれた。
インドのダーキニーはジャッカルを眷属にしており、仏教が中国へと伝来した際にダーキニーは〈荼枳尼〉、眷属は〈野干〉と翻訳されたが、中国にジャッカルは生息していないため、野干は比較的姿の似ていた狐や貂と混同されるようになった。それがさらに、空海によって密教と共に日本へと伝わり、専ら野干は狐であるとされるようになる。この頃はまだ荼枳尼天ではなく、日本でも〈荼枳尼〉であり、胎蔵界曼荼羅にも恐ろしい姿で描かれている。
七九四年に都が平安京に遷されると、農業土木や養蚕・機械の技術によって、この地で元々栄えていた秦氏が政治的な力を持ち始め、秦氏の氏神である稲荷神を祀る稲荷社が各地に建立されるようになった。八二三年、空海は嵯峨天皇から東寺を賜り、そこを真言密教の根本道場とするが、この東寺建造の際、秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神と見做されるようになる。
そのため東寺では、真言密教に於ける荼枳尼と稲荷神が、双方狐を眷属とすることもあって同一視され、真言宗の全国への布教と共に、荼枳尼の概念も含んだ稲荷信仰が全国に広まることとなった。荼枳尼の姿も、半裸で短刀や血を入れる髑髏杯・屍肉を手にする夜叉から、白狐に跨る天女へと徐々に変化していき、〈荼枳尼天〉と呼ばれるようになった。こうして、日本の狐のイメージに荼枳尼天のイメージが加わったと云う訳だ。
因みに、荼枳尼天と稲荷神との習合に関しては、インドのダーキニーが元々持っていた、〈地母神・農耕神〉のイメージや、九尾の狐の妖艶さを彷彿とさせる〈愛欲の女神〉のイメージも影響したのではないかと云われている。荼枳尼天の愛欲の女神のイメージを前面に押し出したものとしては、特異な教義で知られる、髑髏本尊を信奉した日本の密教集団が有名だな。
九尾の狐と荼枳尼天のイメージが狐に加わった頃から、狐に悪狐が登場し、狐憑の俗信が広まるようになった。それに伴い、狐憑のような状態変化を意図的に齎す呪術者や、狐憑の原因を説明し、〈狐落とし〉と呼ばれる除霊を行なう祈祷師の活動も広まっていく。康富記によれば、室町中期に〈狐仕〉と称する職業的祈祷師が都市にいたことが分かるし、梵舜日記からは、吉田神社の社務である吉田家から、近世初頭に〈野狐鎮札〉と称する符が出されていたことが読み取れる。因みに、この吉田家と同じく、卜部氏の流れを汲んでいる著名な人物に、徒然草の作者である兼好法師がいる。祈祷師の中には神職だけではなく、真言宗の僧や陰陽師を始め、飯綱使い等の民間の宗教者も多かった」
ここで宝生さんは息をつき、
「狐憑の生まれた背景については、此の位で良いだろう。それでは問題となっている、憑物筋の説明に移っていく」
俺たちの顔を順々に見回した後、再び口を開いた。
「憑物には、一時的に霊が乗移る〈憑き〉の現象と、守護霊のように家系に代々伝わる〈持ち〉の現象とがある。憑物筋は後者だ。
憑物筋は西日本を中心に近世に出現したとされる新たな憑物の形態であり、自らに霊が〝憑く〟のではなく、周囲に〝憑かせる〟ことを特徴とする。憑物筋はその家に伝わる憑物を使役し、他の家から富を奪ったり、様々な不幸を齎すとされた。
既に触れているが、憑物筋発生の原因は、京極夏彦や郷土史家の速水保孝が述べているように、享保期の貨幣経済浸透による経済格差だと見られている。他にも、動物霊を通じて神託を受けるような特殊信仰や修験道と云ったような、仏教の隆盛によって廃れた古い信仰を続ける家に対する、異質なものへの不安が要因の一つだと云う説もある。
共同体内部で憑物筋と見做された家筋の者は、嫉妬深い、意地が悪い等と謂れの無い人格攻撃を受けたり、憑物筋の血統を受け継がぬよう、婚姻を忌避されると云った強い差別に晒されてきた。山陰や四国の一部では、戦後にまでその痼を残した例も実際にある」
そうなのだ。この問題があるので、憑物筋の話を軽々しい気持ちで行なうことはできないのである。俺は緊張感を強めるが、宝生さんは淡々と説明を続ける。
「戦後復興期を終え、高度経済成長期に入るにつれ、それらの地域にも憑物筋に対する差別の無根拠さが認知されるようになった。婚姻の忌避と云う伝統が、跡形もなく拭い去られるとまではいかないにしても、かなり薄くなったと想像することができる。そして実際に、霊を憑けられたとして憑物筋を差別していた人々と、憑物筋との混血が起こった」
「蔵間さんの御祖父母のことだね」
と鳥羽さん。宝生さんはうなずく。
「喜田貞吉が早くから指摘していたように、ここで注目すべきなのが、憑物筋とされていた家系の血筋ではなく、憑物筋を差別していた家系の血筋です。医学の透徹した分析は、憑物に付随する肉体的・精神的に異常な状態の原因を、〝霊を憑けられたと主張する人間〟の形質にあると露呈させました。具体的に云うなら慢性身体疾患や精神疾患です」
「ちょ、ちょっとそれって……」
宝生さんは再びうなずき、言った。
「蔵間氏が遺伝により、妄想や幻覚・幻聴を伴う精神の病を発症していた可能性があると云うことです。
――例えば、〈統合失調症〉や〈精神病性大うつ病〉、強烈なストレスにより発症する〈PTSD〉、若年発症であることから疑われる〈双極性障害〉等が挙げられます。これらの病の原因については、現代の医学でもまだ完全には解明できていません。ですが現状では、遺伝性・心因性の両方を含んだ様々な要素が複雑に絡み合って発症するとされています。心因性の病の代表格とされているPTSD(心的外傷後ストレス障害)でさえも、遺伝的な要因が発症の確率を高めていると指摘されていますからね。中でも双極性障害の場合は、特に遺伝的な素因の占める割合が多いと見られており、患者の親族や両親にも、この病気の発症者がいる可能性が高いと聞きます」
「蔵間さんの両親は喧嘩が多くて、父親が母親に手をあげることはしょっちゅうだったらしいけど……。まさか、その病気が原因だったかもしれないってこと?」
少し狼狽しながら智慧が投げかける。
「あくまでも可能性の一つであって、こうと断定するものではないが」
彼女は答えを濁した。相当にセンシティヴな内容であるので、それも当然だろう。
「うーん……たしかに、憑物云々は抜きにしても、精神の病による幻覚が蔵間さんの見た妖怪の正体っていうのは、かなり現実的な判断だと思うけどね」
鳥羽さんが言った。
「視神経や視中枢の正常な機能が失われて幻覚を生じるケースは、初めに述べた病気や外傷の他にも、細かく挙げればまだ色々あります。例えば、眠りの前後で脳が完全に覚醒していない場合に生じる〈半眠時幻覚〉や、アイソレーション・タンクの中と云ったような、五感からの刺激の少ない状態が継続した場合に生じるもの、薬物を摂取した場合に生じるもの等です。また、視覚情報に対する脳の正常な処理が結果として誤っていたり、人間の眼球運動が引き金として生じる〈錯視〉と云ったものもあります。ですが、今回の蔵間氏のケースを情報から合理的に判断した場合、精神の病が有力な原因として挙げられるのは確かでしょう」
ここで宝生さんが言葉を切った。
しばらく誰も口を開かず、重苦しい沈黙が生じたので、
「迷信や民間信仰には良くも悪くも文化と歴史の厚みがあります。それらは我々に無意識のレヴェルで染みついているかもしれません。今まで悪い側面に焦点を当てて話してきましたが、良い側面についても話しておきましょう」
彼女は再び語り始める。
「宗教と、幽霊や妖怪を始めとした民間伝承や迷信は、根本的に同じなのです。〈雪女〉〈耳なし芳一〉等の怪談を広めたことで有名な作家の小泉八雲は、一八九三年四月、チェンバレンに宛てた手紙でこう記しています。
『宗教は迷信を精巧にしたものにすぎない、そして両者の根底には真理がある』と。そして、迷信は〝神話〟とも、多くの共通点を持っているのです」
迷信も神話も、人々の絶え間ない営みが積み重ねられて生まれた、普遍的な構造を持つ世界の捉え方であり、世界の捉え方とは即ち、人々の心そのものであるという。
「迷信や神話は、昔の人々の心が形になったものってことだね」
「ええ。そして、迷信や神話に触れると云うことは、古から現代の我々にまで脈々と受け継がれる、民族の〝魂〟に直に触れる行為であり、小泉八雲はそれによって齎される感情の震えを〝霊的な(ゴーストリィ)共振〟と表現しました。長く語り継がれてきた幽霊や妖怪達にも、我々の〝ゴースト〟を揺り動かす力が有ると云うことですね」
「なるほど。ゴーストって、八雲の文学によく出てくるキーワードだったね」
辞意を汲み取った様子の鳥羽さん。それに対し、いまいちピンときていない表情の智慧。女帝はその両者を意識しつつ、再び語り始める。
「現代の日常でゴーストを特に実感しやすいのは、年中行事に於いてではないでしょうか。身近なものを挙げれば、端午の節句(こどもの日)、七夕、盂蘭盆、初詣、人日の節句(七草の節句)、節分、桃の節句(ひな祭り)辺りですね。
――小泉八雲は元々ギリシャ生まれのイギリス人なのですが、一八九○年、出版社の通信員として来日し、やがて日本に帰化しました。彼は著書の〈日本の面影〉の中で、初めて見た盆踊りに深い感動を覚えたと書き記しています」
盆踊りは元来〈念仏踊り〉といって、盆にこの世に帰って来た精霊を慰め、そして再び無事あの世へと送り返すのが目的の踊りである。だが、当時の八雲は、まだそういった知識を得てはいなかった。それでも、輪になって踊る素朴な村娘達の合唱や祭囃子、ゆったりとした幻想的な動きに感じ入るものがあったということらしい。
「八雲の云うゴーストは〈霊性〉に近いものがあります。スピリチュアリティと云う言葉は、二○○○年代のスピリチュアルブームで安易に用いられるようになりましたが、それが真に意味するところは深遠にして微妙です」
「スピリチュアリティ……?」
またしても、智慧が顔に疑問符を浮かべたので、俺は彼女に投げかけた。
「仏教徒ってわけじゃなくても、道ばたのお地蔵さんを見たら不思議な気持ちになったり、キリスト教徒ってわけじゃなくても、教会に行くと、厳粛な空気や神聖な何かを感じる気がするだろ? スピリチュアリティっていうのはそういうことだよ」
「なるへそ」
腑に落ちた様子の智慧。
日本人は自分のことをよく無宗教だと言うが、では何の躊躇もなく墓石を蹴り倒したり、お守りをハサミで切ったり、ロザリオを金槌で叩き壊せるかというと、必ずしもそうではない。また、日本には目上の人間を敬うという習慣や先祖崇拝の文化があるが、それは儒教の影響だったりする。
海外の人に自分は無宗教だと言うと妙な顔をされるのは、墓石やロザリオを破壊するような行為が平気ででき、年中行事に接しても何の感慨も湧かず、道徳心もない人間だと思われるからである。
――日本人の民族性には和を重んじるということが刷り込まれており、〝恥〟の文化も根強く残っているので、道徳と宗教は感覚的には別のものである。だが海外では、〝罪人は地獄で永遠に火に焼かれ続ける〟〝汝の隣人を愛せよ〟〝産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ〟といった具合に、道徳と宗教が一体となっていることが多いのだ。
俺の説明に女帝もうなずき、
「うむ。そして、その〝崇高なもの〟を感じ取る感受性に論理や分別を超越した〝信仰心〟が加わったとき、人間は幽霊や妖怪――或いは〝神〟や〝仏〟の存在を認識すると云う訳だ」
そう応じると、彼女は小泉八雲について話を戻した。
曰く、小泉八雲の文学は、この世のありとあらゆる存在物の内に宿る霊的なものと、彼の魂との響き合いによって生み出された。彼は日本の面影の中でこうも記述している。
『そもそも、人間の感情とはいったい何であろうか。それは私にもわからないが、それが、私の人生よりもずっと古い何かであることは感じる。感情とは、どこかの場所や時を特定するものではなく、この宇宙の太陽の下で、生きとし生けるものの万物の喜びや悲しみに共振するものではないだろうか』。
これはユングの〝集合的無意識〟に近い考え方だという。
――著名な精神医学者に、二十世紀最大の発見とされる〝無意識〟の発見を行なったフロイトがいる。彼は人間の心の深層には広大な無意識の領域があり、そこに抑圧され蓄積された性衝動が、人間のあらゆる行動のエネルギー源になっていると考えた。この主張は〝理性〟に基礎を置く伝統的な西洋思想を根底から揺さぶるものであり、心理学や社会学、人類学、教育学のほか、芸術や哲学の分野にも多大なる影響を与えた。ユングはそのフロイトの弟子だった人物だ。
フロイトと同じく精神医学者であったユングは、精神分裂病者に対する治療の過程で、分裂病者の幻覚や妄想が、正常者の夢や空想、世界各地の神話、伝説、昔話などときわめて類似性の高いイメージや主題を持つことに気づいた。そして、このような類似が時代や文化の差を超えて普遍性を持っているのは、フロイトの言う個人の無意識領域のさらに深層に、個人を超越した全人類共通の普遍的な無意識領域――つまり、〝集合的無意識〟が存在するからだと考えた。
「先程、『宗教は迷信を精巧にしたものにすぎない、そして両者の根底には真理がある』と云う小泉八雲の言葉について触れました。私は世界各地の宗教や神話、迷信や民間伝承に共通するものには、真理へと近づく手掛かりがあるのではないかと考えています」
「言われてみれば、観月さんの小説には、色んな宗教や神話からの引用とか考察が出てきてたよね」
と鳥羽さん。二人によってさらに話が続くかと思われたとき、
「あの……」
薬師さんが申し訳なさそうに口を開いた。
全員の視線が彼女に向き、彼女はおずおずと続ける。
「お、お話をさえぎってすみません。でも、ずっと気になっていたんですが、〝四番目のケース〟はいったい何なのでしょうか。……幽霊や妖怪が人間の目に見えるケースは、四つに大別できるんですよね」
「あっ」
たしかに。そういえばまだ、三つのケースしか聞かされていなかった。
「ああ、その事か」
宝生さんは落ち着き払った様子で、思わず声を漏らした俺と薬師さんとを交互に見る。
「このケースであった場合、もはや我々の手には負えない」
そしてさらりと言った。
「『幽霊や妖怪が本当に居た』と云う場合だ」