鬼哭転生.2
「幽霊や妖怪が人間の目に見えるケースは、四つに大別できる――。これは推理小説作家の高田崇史氏が、自著の〈QED 百人一首の呪〉で述べていることです。しかし、明治時代の仏教哲学者で、妖怪研究の祖としても有名な井上円了が述べたこととも酷似しています」
宝生さんは例のごとく、しなやかで細長い人差し指をぴっと立てる。
「まず一番目は、『目の前に何も居ないにも関わらず、幽霊や妖怪が見える』と云う場合です。――人間の目は、角膜から光を取り入れることによって物を確認しています。その角膜から入った光は、前房、水晶体、そして硝子体と通過していき、やがて網膜に達します。フィルムカメラに置き換えると、水晶体がレンズで、網膜がフィルムですね。そこから更に、光は電子信号に変換されて視神経を伝わり、大脳から後頭部の視中枢に行き着きます。ここで伝達された情報を処理――フィルムの現像をして、初めて我々は物を見ることができるのです。よって、この過程に何らかの支障が生じれば、当然物を見ることは物理的に不可能になります。
と云うことは、換言すると、この伝達系に何らかの物理的な要因が加わることによって、そこに存在しない筈の物が見える、と云うケースも発生するのです」
「病気や事故による損傷で、視神経や視中枢に異常が起きたり……ってことかな?」
慎重な声音で鳥羽さんが尋ねる。
「ええ。一例を挙げれば、脳幹を走っている神経繊維が侵された結果として起こる〈中脳幻覚症〉や〈脳脚幻覚症〉、〈橋出血〉等の脳出血に伴う幻覚、自己免疫がニューロンの髄鞘を攻撃して発症する〈多発性硬化症〉に伴う幻覚、中枢神経を中心に分布しているNMDA受容体に対し、自己抗体が出現して発症する〈抗NMDA受容体脳炎〉による幻覚等がそうです。この抗NMDA受容体脳炎は、キリスト教圏で古くから言い伝えられ、映画〈エクソシスト〉にも登場した〝悪魔憑き〟の正体ではないかとも云われていますね。
また、キリスト教に関連させて云うと、〈側頭葉てんかん〉が、宗教的な恍惚を伴った幻覚を引き起こすことで知られており、使徒言行録九章のパウロ(サウロ)の回心のシーンを始め、ジャンヌ・ダルクが屡々語っていた光を伴う天使の声、ドストエフスキーが友人との議論中に教会の鐘を聞いて感じたと云う神秘体験も、側頭葉てんかんの発作なのではないかと指摘されています」
「異常が脳に到達する以前の場合もあるの?」
宝生さんはうなずく。
「ごく身近なもので云うと、飛蚊症がその典型ですね。眼球内は透明なゲル状の硝子体で満たされているのですが、加齢や近視による萎縮で硝子体に濁りが発生すると、網膜に小さな影ができ、それが視界に現れます」
「……黒目を動かしたときとか、明るいところとかで、ボウフラみたいなのがゆらゆら見えるやつか」
と龍樹。
「龍樹はゲームのやりすぎなんだよ」
俺が言うと、
「……実生活に支障はない」
彼は全く気にしていない様子で応じた。まあ実際、飛蚊症は多少なら誰にでもあるものだし、深刻な病気というわけでもないらしいが。
「なるほどね。一番目のケースについてはよくわかったよ。じゃあ、二番目は何なのかな?」
小首をかしげるようにして鳥羽さんが問う。宝生さんは凛とした所作で二本目の指を立てた。
「二番目は、高田崇史氏の表現をそのまま引用するなら、『空間の歪みや揺らぎが、幽霊や妖怪に見える』と云うものです」
「空間の歪み……?」
唐突に飛び出したSFチックな表現に、俺は思わず戸惑ってしまった。なんとなく、物理準備室の光景と妖狐が連想される。
「……幽霊や妖怪の正体は、ブラックホールだったってことか?」
少し冷やかしを込めた調子で言う龍樹。宝生さんは首を横に振り、
「電磁波や光線、磁場の乱れだ。蜃気楼の一種である逃げ水や浮島現象、不知火等が代表的なものだな」
「あー、砂漠でオアシスの幻が見えるとか、遠くの島が海から浮き上がって見えるとか、そういうやつね」
智慧がぽんと手を打つ。
「うむ。だが、幻と云うと少し語弊があるかもしれない。蜃気楼は空気の密度の差によって発生する、純粋な光学的現象だ」
宝生さんは智慧のほうに視線を向けた。
「空気は温度が高くなると膨張し、密度が低くなる。蜃気楼は、地面や海面の温度と気温との隔たりが大きい等、特定の条件が整うことによって、部分的な空気の密度に著しい差が生じたり、異なる密度の層が出来たりした際に観測される」
「空気の密度の差が、なんで蜃気楼を起こすの?」
女帝は「大雑把に云うと」と前置きし、
「光はそれを伝える仲介となる物質――媒質の密度が高ければ高いほど、抵抗によって進む速度が遅くなる。従って、光線が密度の高い空気と低い空気との境目に斜めに侵入すると、先に密度の異なる空気に侵入した部分だけ進行速度が変わることになり、屈折が起きる。この屈折によって、地表や海面とほぼ平行に走る筈の光線が真っ直ぐ進まず、虚像が見えるのが蜃気楼だ」
「あー、虚像かぁ。そういえば、中学の理科でそんなことも習ったね」
智慧は遠い目をしている。
人間の目(と脳)は、目に入って来た光線は全て、途中でどれほど曲がっていようが、反射したりしていようが、ダイレクトに光源から直進して来たものと認識する。そのため、実際には光線がその位置に集まっていなくても、目に入ってきた光線の角度から、真っ直ぐ逆に延長した線同士が交わる点に像が結ばれてしまう。これが虚像だ。鏡に映った像もその一例である。
といっても、これを幻覚や錯覚のように考えるのは正しくない。龍樹曰く、実際の物体から出た光線と、虚像から出た光線とを区別する方法は原理的には存在しないらしい。だから、鏡に映った像や蜃気楼は、人間の目に見えるだけではなく、写真に撮ることもできる。
「この現象は今でこそ、義務教育で学ぶ知識のみでも大掴みに理解できる。だが、その原理が解明されていなかった古代の中国や日本では、〈蜃〉と呼ばれる想像上の動物――一説では巨大な蛤や蛟――が〈気〉を吐いて〈楼〉閣を出現させるものだと考えられていた。蜃気楼と云う名はこれに由来している。
また、雲や霧の粒子による光の散乱で生じ、日本では阿弥陀如来の顕現とされていた〈ブロッケンの妖怪〉も、蜃気楼と同じく純粋な光学的現象だ」
宝生さんはここで言葉を切り、ぐるりと一同を見回した。
「そして、三番目だが……。ここで、先程話した幽霊と妖怪の成り立ちの違いが関わってくる」
「それそれ。ずっと気になってたんだよね」
うむ、と智慧に相槌を打ち、女帝は続ける。
「三番目は、『人間の心が、あらゆるものを幽霊や妖怪に錯覚させる』と云うものだ」
「なるほど」
鳥羽さんが口を開いた。
「〈幽霊の正体見たり枯れ尾花〉だね」
「ええ。やはり最も多いのは、恐怖心が引き金になるケースです。幽霊や妖怪がいるかもしれない。いや、いるに違いないという思い込みが、それらを見せているのですね。――高田崇史氏は、小説の中で〈忠盛灯籠〉を例に挙げていました」
「忠盛灯籠? なんだか、どこかで聞いたことがあるような……」
つぶやいて、こめかみに人差し指を当てる智慧。俺には一つ、思い当たる節があった。
「八坂神社にそんな灯籠がなかったっけ。確か、本殿や舞殿の東のほうに」
「ぴこーん、思い出した。先週しょうちゃんと、円山公園の枝垂れ桜を観に行ったときに見かけたんだ。神水が湧き出してる場所の近くだったよね」
彼女は俺と宝生さんの顔を順に見る。
「うむ。その通りだ。この忠盛灯籠に関する伝説は、〈平家物語〉巻第六に記述されている」
女帝はすらすらと説明を始めた。曰く――永久年間(十二世紀)の頃、藤原道長から続く摂関家の勢力から政治権力を天皇に戻したことや、天皇三代にわたる長い院政を敷いたことで知られる〈白河法皇〉が、寵妃(今で言う愛人)の祇園女御に会うために祇園社を通っていた。そのとき、前方に鬼のようなものが見えたといい、白河法皇は供の平忠盛に討ち取ることを命じた。が、忠盛がその正体を見定めての上とこれを生け捕りにすると、油壺と松明を持ち、灯籠に灯明を捧げようとしていた祇園の社僧であった。折しも五月雨の降る夜であり、雨を防ぐために被っていた蓑が灯の光をうけて銀の針のように見えたのだという。この説話は忠盛の思慮深さを伝えるものとされている。
「余談だが、この出来事がきっかけで、白河法皇は祇園女御を忠盛に下賜――つまり、褒美として与えたとされている。
平家物語によると、その際、祇園女御は白河法皇の男児を身篭っており、生まれた子は忠盛の手によって武士に育てられたと云う。それが、後の〈平清盛〉だ。
尤も、清盛の出自については諸説ある。現在では、滋賀県の胡宮神社で見つかった文書によって、清盛は祇園女御の妹の子だとする説が主流になっているようだがな」
「その説によると、白河法皇の子供を身篭った状態で忠盛に下賜されたのは、祇園女御の妹なんだよね」
「ああ」
宝生さんが俺の目を見てうなずく。
ここで薬師さんが、複雑な面持ちでぽつりと口を開いた。
「褒美ですとか、与えるですとか……祇園女御の妹さんや忠盛さんは、いったいどんなお気持ちだったんでしょうか……」
「平安時代の常識では、貴人の子を身篭った女性を与えられることは、とても名誉なことだった。祇園女御の妹が内心で何を思っていたかは分からないが、忠盛に関しては、恐らく素直に喜んでいただろう」
宝生さんは薬師さんに応じると、さらに述べる。
「先程、日本三大怨霊として崇徳天皇の名前を出したが、彼は幼少期からずっと、白河法皇が本当の父親であると云う疑惑の所為で、父親の鳥羽天皇から酷く疎まれていた。彼は本来ならば皇位を継ぐ立場にあったのだが、延々と、鳥羽天皇や弟の後白河天皇の手によって、政治の表舞台から排斥されていたんだ。
鳥羽天皇の死後、逆転の賭かった保元の乱で、彼は後白河天皇と対決するが、結果は平清盛や源義朝(源頼朝・義経兄弟の父)も属していた、後白河天皇側の勝利だった。程なくして、崇徳天皇は讃岐へ島流しにされ、その上、乱の犠牲者の供養と自らの反省を表すため当地で写経した五部大乗経を京都に送るも、後白河天皇によって突き返されたことを最後の一押しに、妖怪と化してしまうことになるのだが……少し、話が逸れたな」
宝生さんは目を伏せ、ゆるゆると首を振った。
「では、話を戻そう」
「えっと確か……人間の心が、あらゆるものを幽霊や妖怪に錯覚させるって話を元々してたんだよね」
と鳥羽さん。
「ええ。心が人間に幽霊や妖怪を見せることについては、京極夏彦氏の著作〈姑獲鳥の夏〉に於いても詳しく述べられています」
彼女は一呼吸置き、続ける。
「一番目のケースの説明でも触れましたが、私達は割れ窓を素通しするように、外の世界を直接見ている訳ではありません。必ず、脳によって一度処理が加えられ、選別された情報を認識しています。我々は一人として、同じ世界を認識してはいないと云うことです」
「絵に関わってると、色の見え方に個人差があるっていうのはよく聞くよ。同じ赤色を見ていても、人は実はそれぞれ違う色を認識してるってね。特に異人種間ではこれが顕著だ」
「わ、私も、そういったお話は伺ったことがあります」
同じく、絵に関わっている薬師さんが言った。
「あれはたしか……海外に発注した商品が、見本とまったく違う色で届いたというケースでした。日本人には見本と商品が違う色に見えているのですが、発注先の国のかたにはどちらも同じ色に見えていたのですね。……ということはやはり、逆のパターン――日本人には同じ色に見えますが、外国のかたには違う色に見える、といった場合もあるのでしょう」
宝生さんは「うむ」とうなずく。
「鳥羽さんと薬師君の挙げた実例からも分かる通り、認識は最終的には脳の処理によって行なわれます。そして、その脳の処理に、心が大きく影響を与えると云うことが問題なのです」
「心が」と言うときに、彼女は右手の親指以外の指先を、そっと添えるように自分の胸に当てた。その仕草はとても上品だった。――たぶん、曲線的な動きと、指や手首、腕の作り出す柔らかなカーヴがそう見せているのだろう。
「今し方も述べましたが、幽霊や妖怪を見せる心理的要因は、大半が恐怖です。しかし、それが全てと云う訳ではない」
彼女は胸に当てていた右手をゆっくりと下ろすと、続けた。
「まず大前提として、心と脳は密接に関係し合っています。どちらかに異常が起きると、双方に影響が出て来ます。――その証拠に、脳や神経には投薬や外科手術で物理的な治療が施せますが、それらの器官が正常な状態であっても、心が異常な状態にあると、器官の働きの不調が治らない場合があります。
そこで、心理学も精神医学も無い遥か古代より、人類が心の救済として生みだし、現在まで連綿と受け継いで来たものが〈宗教〉なのです。姑獲鳥の夏の作中では、『脳が心を支配するべく作り出した神聖なる詭弁』と云った表現がなされています。――そして、幽霊や妖怪も、そのような側面を持ち合わせているのです」
「それって、幽霊や妖怪には、脳が心を救うために生み出した部分があるっていうこと?」
俺は問うた。
「ああ」
「幽霊や妖怪が、どう心を救済するの?」
「例えば、死んだ人間と会いたいと思えば、会わせてくれる」
「そうか……。それが幽霊か」
宝生さんは首肯した。
「これが、恨みを持った対象だけではなく、愛着のある対象にも幽霊が現れる理由だ」
「なるほど……」
そういえば昔、松田先輩にこんな話を聞いたことがある。
――推理小説の多くは殺人事件ばかりを扱うが、それはなぜか。もちろん、殺人を扱った方が刺激的で、問題に切実さが出るということもあるのだが、それだけではない。探偵の推理は、殺されて物言わぬ死者の声を聞くことに等しい。つまり、「死者の声を聞きたい」という人間の最も切なる思いを、推理が慰める点に普遍性があるのだ――と。
宝生さんは伊勢さんとの会話の中で、本格推理小説は夜の夢の要素を含んでいると言っていたが、幽霊と推理にはこんな共通性があったわけである。
「無論、現れた幽霊は、他者からすれば脳の作り出した錯覚――仮想現実に過ぎないのですが、当人にとっては現実そのものです。何度も繰り返し述べているように、我々は現実を脳によって認識しているのですからね」
宝生さんはこめかみを指でとんと叩いた。
「宗教はこの仮想現実を、教義と云う〝言葉〟によってある程度体系化し、集団性――共通の認識を作り出したものです。姑獲鳥の夏の作中では、吉本隆明の言葉を引用して〈共同幻想〉とも表現されていますね。――そして、この共同幻想は〈呪い〉ととてもよく似ているのです」
「呪い……?」
鳥羽さんが不思議そうな表情をする。
「ええ。呪いの正体も〝言葉〟であり、仕組みは同じですから」
宝生さんの弁はこうだ。
呪いとは、呪いをかけられた側に働く共同幻想であり、〈ノセボ効果〉と同じだと考えればわかりやすい。
薬効成分を含まない偽薬で患者の病状が改善する治療効果が現れることを〈プラセボ効果〉という。ただの小麦粉でも、これは薬だと医師に説明されて服用すれば、実際に治療効果が出る場合があるのだ。これは薬だという思い込み――心の働きが、身体に影響を与えるわけである。
ノセボ効果は逆に、偽薬の暗示によって望まない有害反応が出現することを指す。医師に、この薬は副作用として吐き気を起こすことがあると説明されれば、たとえ服用したのが小麦粉であっても、吐き気を起こし得るのである。
このノセボ効果は、脳が身体を守るため、アドレナリンや副腎皮質ホルモンなどの脳内物質を多量に分泌し、交感神経が常に興奮した状態になることで引き起こされる。いわゆる、自律神経の乱れである。人が呪いにかかった状態も、この自律神経が乱れた状態なのだ。
――つまり、宝生さんの述べた呪いのメカニズムを簡単に要約すると、〝自分は呪いをかけられた〟と認識することで、心に暗示が与えられる。それが脳へと作用し、延いては身体にまで影響を及ぼす――ということであり、心への暗示が脳を通じて五感や体調に影響を与える共同幻想と共通しているのである。
「蔵間さんは、七不思議通りに人が亡くなるという言葉を残して、自身も亡くなったんですよね……」
上目遣いで、女帝に不安げに視線を送る薬師さん。
「うむ。その言葉を信じる人間に対しては、呪いの効果を発揮するだろうな」
「悪いことが起きるに違いないって思い込んでると、実際何をやっても悪い結果になりがちだからね。それに、旧校舎で起きた悪いことは、些細なものでもぜんぶ呪いのせいになるし」
軽く握った手を顎に当てて、鳥羽さんが言った。
「日本には神代から言霊の信仰があり、発した言葉がそのまま現実に影響を与えるとされてきました。それは今鳥羽さんや私が述べたような要因が元になっているのでしょう」
「なるほどね。呪いの仕組みについてはよくわかったよ。それで、幽霊や妖怪が見えることにも、言葉が大きな役割を果たしてるんだったっけ?」
「ええ。それによって私が述べたかったのは、宗教に於ける信仰と同じように、幽霊や妖怪を欲する社会集団の中では、これらは確かに存在すると云うことです。受け入れ難い、現実と心の矛盾や齟齬を埋めるために、社会がそのような存在――共同幻想を作り出しているのですね」
「じゃあ、縊鬼も望まれたから生まれたってこと? なんで社会が縊鬼の存在を求めたの?」
智慧が首をかしげる。
宝生さんは「それはな……」と、視線を彼女のほうに移すと、しばしそのまま真っ直ぐに見据え、告げた。
「皆が、人間の自殺した理由を、縊鬼の所為にすることを求めたからだよ」
女帝のこの言葉に、智慧ははっとした表情を浮かべた。
鳥羽さんは重々しくうなずき、
「全ては縊鬼の仕業だと考えることで楽になっただろうね。自殺の原因を作った人間も、残された人たちの悲しみも。そして、それが言葉により、共同幻想として広まった」
宝生さんはゆっくりとうなずく。
「幽霊と妖怪の違いについては、既に丁寧に説明しましたね。共同幻想とは云っても、幽霊は故人に纏わるパーソナルな性格が強いもの、妖怪はオフィシャルな性格が強いものと云った点で異なっており、それらが見えるようになるまでの、人間の心理の過程に微妙な差異があるのです。
幽霊は、死者に会いたいと云う強い願い……或いは、恨みを飲んで死んだ者が、因縁のある生者に危害を加えるのではないかと云う恐怖によって、目に見えるようになります」
「妖怪は、災害や疫病、戦乱等で大勢亡くなるといったような不条理な出来事や、日常生活で見聞きした不可解な出来事への恐れが、自然や物事に対する普遍的な畏怖の念と結びついて具体化されたもの――だったよね?」
と鳥羽さん。
宝生さんは「ええ」と肯定し、
「妖怪は、民俗社会に於ける一つの装置でもあるのです。共同体内に不条理な出来事や不可解な出来事が発生した場合、それを解決する手段として設定されている民俗装置です。村内の不幸や不可思議は、全て妖怪の仕業だと云う訳ですね。勿論このことは、装置を生み出している当人たちには自覚されていません。
最も特徴的な民間信仰として、座敷童子が居る家は栄え、座敷童子の去った家は衰退すると云うものがあります。これは〈憑物〉の一種と考えられるのですが、憑物について、姑獲鳥の夏の登場人物である中禅寺秋彦は、作中でこのようなことを語っています。
『自分は、共同体に経済という新しい価値が導入されたことが要因となって発生した民俗装置が憑物だと思っている。それまで〈富〉はイクォール収穫だったから、共同体はそれこそ良いも悪いもその名の通り運命共同体だった。しかし貨幣の流通が一般的になると、共同体内部の〈富〉の分配が均等でなくなる。つまり同じ身分の中で貧富の差が発生してしまう。するとその差をなくす装置が必要になる。
そこで人人は、大昔から連綿と伝えられてきた神憑りの方式をそっくり戴いて憑物というものを創り出した。そもそも神憑りというのはこの世のものでない仮想現実を擬似的にこの世のものに置き換えるためにあるシステムだ。受け入れがたい現実、非日常を理解するには格好のものだった』。
江戸時代には貨幣経済が全国的に普及し、閉鎖的な農村の住民であっても、商業的才覚を発揮したり、好機さえ掴めば、急速に富を蓄積することが出来るようになりました。しかし、農村は自給自足の伝統によって成り立ってきましたから、殆どの住民には、新しい貨幣経済のシステムを理解することが出来ません。その為、急速に栄えた家が、憑物を使役して村内の共有財産であるはずの富=収穫を他の家から奪っていると云う、共同幻想が生まれることになったのです」
「なるほど。でも、座敷童子には他の家から富を奪うだとか、そういうマイナスのイメージはないね」
「ええ。憑物は通常、共同体外部からの新しい移住者が何故栄えているのかを説明する装置です。しかし、座敷童子は逆に、共同体内部で古くから栄えていた家が、何故没落したのかを説明する装置なのです。事実、座敷童子は旧家に出没するとされ、成り上がりの家には決して現れないとされていますし、家に居るときは気配だけで、出て行くときに目撃されると云う性質を持っています。〈ツキ〉を引き寄せる存在が居なくなったことで、それまで栄えていた旧家の急速な没落が説明づけられるのですね」
宝生さんは一呼吸置き、周囲の俺たちを見回す。
「幽霊や妖怪が人間の目に見える第三のケースについては以上です。人間の心が幽霊や妖怪を見せること、それらに幽霊と妖怪の成り立ちの違いが関わっていることを御理解いただけたでしょうか」
「うん。とてもよく」
鳥羽さんがにこやかに答えた。
俺も目から鱗だった。一神教の他教排斥という、この国とは異なる要素があるものの、東ヨーロッパの吸血鬼や人狼、中国のキョンシー、アラブのジンやグールなど、日本以外で言い伝えられているその手の存在にも、彼女が話した幽霊や妖怪が見えるメカニズムは当てはまるのだろう。
「じゃあ、心が望みさえすれば、その仮想現実は俺にも見えたり、聞こえたりするものなのかな?」
俺は問うた。
「見ようとして見られるものではないよ。〝見よう〟と思った時点でその気持ちは意識されている。つまり、〝これは仮想現実だ〟と云う自覚が存在していることになる。それでは仮想現実は見られない」
「ということは……無意識に望んでいるか、仮想現実を現実だと完全に信じ込んでいなくてはいけないんだね」
と、ここで、
「そうか――」
何か閃いたらしく、鳥羽さんが弾かれたように背筋を伸ばした。
「やっとわかったよ。先人たちが連綿と語り継ぎ、多くの文書や絵にも残されて、あれほど日本人の生活に密着していた幽霊や妖怪が、科学が発達したとたん、僕らの日常から綺麗さっぱり姿を消したのは、何も恐竜のように突然絶滅したからじゃない。幽霊や妖怪は存在しないという認識が人々の間に広まったことで、見ることができなくなったんだ。幽霊や妖怪は存在しないという認識が広まる前までは、実際に人々の目に幽霊や妖怪は見えていたんだね」
なるほど。そう考えれば、全てに辻褄が合う。
幼少期には霊能力があったが、成長するとともにその能力を失ってしまったと主張する人がたまにいる。これは年齢を重ねるにつれ、幽霊や妖怪は存在しないという常識が身についてしまったということだろう。
「なら、自分には幽霊や妖怪が見えると、ずっと強固に信じていた蔵間さんの目には、それらが見えていた可能性があるっていうことですね」
「たしかに……その場合、本当に見えているのですから、嘘をついているわけじゃありませんよね」
難しいテスト問題が解けたかのような表情で、俺の言葉に言い添える薬師さん。
そういえば、蔵間さんが自分にあると主張している霊能力については、彼が嘘をついているか、本当に幽霊や妖怪が見えているかの二通りに分けられ、今は後者の場合の話をしているのだった。
「蔵間氏の霊能力を第三のケースに当て嵌めて考えるならば、成道君の云った結論が導き出されます。また、東方氏と云う存在も、彼の霊能力に影響していたのかもしれません。彼女と交流するうちに、二人の間に仮想現実が生まれた可能性はあります」
「そうだね。東方さんは蔵間さんの話に完全についていけるくらい、オカルト関連に詳しかったから……」
鳥羽さんが宝生さんに応じる。
「でも流石に、多くの人が属する、一つの社会全体を巻き込むような仮想現実――共同幻想っていうのは、今の日本には存在しないよね。国家っていう概念がフィクションだっていうのはあるけど、宗教や迷信っていう意味に限定した共同幻想に関しては、科学が発達して影響力が弱くなってるし」
彼のこの問いかけに、一番最初に口を開いたのは、意外にも龍樹だった。
「……現代において科学が絶対的な信頼を獲得しているのは、他の思索と異なり、理論の成否の事後的な検証や再現が可能だからです。俺はキリスト教の信者じゃありませんから、物理現象の背後に神の意思が宿っているとは思ってませんし、創造論にも否定的です。俺を含め、今を生きる日本人には、この世の全てが科学だけで説明できると信じている人間も多いでしょう。
ですが、自分で確かめたわけでもないのに鵜呑みにしているあたり、この態度は科学という宗教を盲信しているのと変わりません。そのことについて自覚がある人間は、驚くほど少ない」
「なるほど……」
膝に置いた両手を見つめ、鳥羽さんはしばし考え込むと、顔を上げて再び口を開いた。
「僕も科学を信じてるけど、別にそれほど科学に詳しいわけじゃないからね。僕が科学を信用する理由は、突き詰めていくと、単にそれが〝常識〟だからっていうだけのことでしかない。その常識がすなわち現代の〝共同幻想〟にあたるわけか……。言葉と宗教の関係が、なんとなく実感できたよ」
「日本人の宗教意識の希薄さは、織田信長による仏教勢力の徹底的な弾圧や、徳川幕府の政策による葬式仏教化で仏教が形骸化したこと、そして、第二次大戦中の国家神道からの反動や、九十年代に某カルト教団が起こした大事件により、宗教に対するネガティヴなイメージが刷り込まれたと云う特殊な事情がある他、神道や仏教が日常生活に無意識のレヴェルで溶け込んでおり、キリスト教の祭事のクリスマスであっても違和感なく受け入れてしまえるような、多神教に根差した民族的気質がベースにあります。この気質については、心理学者の河合隼雄が〈中空構造日本の深層〉で、古事記に絡めて詳しく述べているのですが、長くなるので今は置きましょう」
宝生さんは鳥羽さんのほうに身体を向けると、さらに続けた。