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人間解体

 ゴロゴロゴロという、木と木が(こす)れ合う低い音とともに、室内の光景が徐々に姿を現わす。

 壁際(かべぎわ)に置かれたガラス戸の棚が最初に目に入り、そこには振り子、滑走台、梃子(てこ)天秤(てんびん)、ばねばかり、音叉(おんさ)、磁石、コイル、レンズ類やプリズム、車のスピードメーターのようなものがついた何かの計測器など、様々な実験器具がずらりと並んでいた。

「遅かったじゃない。成道くん」

 突然内耳(ないじ)(おか)す、異様に(なま)めかしい声。

 十(じょう)ほどの、奥行きのある部屋の一番後方。窓を背にしてこちらに向かい合うように置かれた座席。そこにハードカバーの本を片手に、脚を組んで座っている白衣の女性がいた。

「あ、あなたは……?」

 いったい何者なんだ? まるで古馴染(ふるなじ)みででもあるかのように呼び掛けられたが、見覚えのない顔だった。

 常に他人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる口元。サディスティックな目つき。たぶん二十代後半ぐらいだろうか? まだ若く見えるが、人の皮を(かぶ)っているだけで中身は数千年生きた妖狐(ようこ)であるかのような、強烈な魔性が内から(にじ)み出ていた。頭には〈玉藻前たまものまえ〉という言葉が思い浮かんだ。

 油断ならない、気を許してはならないと全身の筋肉が強張(こわば)る。脳内でけたたましく警鐘が鳴り響く。俺はなぜ、初対面の人間にこんなただならぬ感情を抱いているのだろう?

「面識があるのか?」

 戸を開き切り、宝生さんが意外そうに尋ねてきた。

「いや……そんなはずはないんだけど」

「ああ、こっちじゃ初めましてだったわね」

 大きく手を広げ、肩をすくめる白衣の妖狐。手にした本はどうやら洋書であるらしい。ドイツ語か何かが並んだ表紙がこちらを向き、著者は〈Erwin Schrödinger〉とあった。

「なんだか、妙な言い回しですね」

「そんな仔猫(こねこ)みたいに警戒しなくてもいいわよ。あなた達が追ってる事件とは別に関係ないことだから」

 彼女は黒いストッキングに包まれた長い脚を挑発的に組み替えた。

「既に御存知(ごぞんじ)のようですね。我々の名前も、我々が松田主の転落事件について調べていることも。……ミステリー部顧問の神月(こうづき)先生」

 と、落ち着いた女帝の声。

「この人がミステリー部の顧問?」

 俺は改めて、まじまじと妖狐の顔を見た。

「我々はなにも、極秘裏に事件について調べていたわけではありません。松田主の後輩五人が事件を嗅ぎまわっていることについて、伝聞で情報を得るのは容易だったはずです。生前の松田主について我々が調べているのなら、いずれここを訪れるであろうことも予想はつきます」

「そっか。それで私たち五人が部屋に入ってきた瞬間『遅かったじゃない。成道くん』って言ったんだね。ミステリー部の顧問の先生なら、つかっちゃんから聞いてしょうちゃんの外見の特徴も知ってただろうし」

 うんうんとうなずく智慧。

 予言者よろしく、俺の何もかもを見(とお)されているような気がしていたが、種が明かされてしまえば呆気(あっけ)なかった。考えてみれば、ミステリー部の部室にいて、なおかつ俺の名前を把握しているという時点で、簡単に彼女の正体は見当がついたはずである。だがなんだ? この釈然としない感覚は。先ほどから暗雲のように胸を(おお)い尽くしている、この得体の知れない不安感はいったいなんなんだ? 旧校舎やこの部屋自体が持っている〝場の力〟のようなものが影響しているのか?

 頭の中でぐるぐると思考が巡るが、ミステリー部の顧問はそんな俺などには構わず、

「あなた達、法水を探してるんでしょ? なら、ここにはいないわよ」

 それだけ告げて、再び本に目を落とした。

「そのようですね。ですが我々は、神月先生からも事件についてお話を伺えればと思い、こちらへ参りました」

 宝生さんは、改めて簡単な自己紹介と俺たちの紹介をし、ここへ来た経緯について話した。

「ふーん。で、あなた、私に何を聞きたいの?」

 相対する妖狐をじっと見据え、女帝は抑制の効いた口調で問うた。

「先生はミステリー部の顧問として、部員の松田主の自殺に不自然な点をお感じになりませんでしたか?」

 顧問は本のページに視線をやったまま「はあ」とため息をつくと、

「私はその件に関しちゃ傍観者……いや、()()()って言ったほうが近い立場なのよね」

 またしても妙な言い回しで、人を食ったような受け答えをした。

「変人だとは聞いてたけど、こりゃ予想以上だね」

 こそりと俺に耳打ちする智慧。

 先輩と繋がりの深かった七人のうちの一人である、神月夜子(こうづきやこ)という人物について、俺たちは宝生さんから三つの情報を聞かされていた。ミステリー部の顧問であることと、担当教科が物理と化学であるということ、そして、他の教師陣からかなり()()()存在だということである。

 さすがの女帝といえども、この妖狐には攻めづらさを感じたらしい。(けわ)しい表情で腕を組み始めた。俺の斜め後ろに立っている薬師さんは「あわわ……」といった感じで、(にら)み合う妖狐と女帝を交互に見ている。

「仮に松田主が自殺したのだとすれば、在籍していた部活の顧問であった貴女にも、責任の一端があることになりますが」

 先に均衡(きんこう)を破ったのは女帝だった。

「あらら。松田が本当に自殺したとしたら、確かにそうなっちゃうわね」

 妖狐はこめかみを指で押さえる。まだどことなく、他人事(ひとごと)のような口ぶりに聞こえるのは気のせいだろうか。

「ま、その点に関しちゃ別に申し開きはしないわよ。HR(ホームルーム)でしか会わない担任よりも、私のほうが深いレヴェルで松田と関わってたしね」

「それではもう一度お聞きいたしますが、先生はミステリー部の顧問として、部員の松田主の自殺に不自然な点をお感じになりませんでしたか?」

 表面上はあくまでも慇懃いんぎんだが、明らかにそれとわかるような威圧を込めて、再び同じ質問をぶつける宝生さん。

「あっさり松田が死んじゃって驚いてるのって、あなた達よりもむしろ私のほうなのよね。松田の存在は〝系〟の一番重要な構成要素のはずなのに」

 全く女帝の揺さぶりに動じていないらしい。また、わけのわからない言葉を繰り返す妖狐。

「なら神月先生。松田先輩の自殺について、あなたも疑問を持っていると解釈していいんですか?」

「疑問、ねえ……」

 彼女は意味ありげな微笑を(ただよ)わせ、手の甲を(あご)へと添えた。その仕草は表面だけ見れば、とてもセクシーで蠱惑的(こわくてき)だった。

 どうやら、俺への返答の意志はないらしい。この部屋に来てからずっと、会話がうまく噛み合っていない。これは単に彼女が変人だからなのか、俺たちの知らない何かを知っていて、その優位性を楽しんでいるからなのか、判断がつかなかった。

 常にクールな女帝も、妖狐のこの態度には()れている様子だ。彼女が口を開きかけたとき、

「あら、何か気になる本でもあるの?」

 妖狐が俺の背後に投げかけた。振り向くと、龍樹が部屋の隅に置かれた本棚をじっと見つめていた。

「龍樹。今、皆で重要な話をしているのだぞ」

 龍樹がマイペースなのはいつものことだが、さすがに今回は目に余ったらしい。宝生さんがたしなめる。

「……()()()()()だ」

 親指で本棚を指差す龍樹。目をやると、大きな本棚いっぱいに、ぎっちりと隙間なく、著者名を五十音順にして本が詰め込まれていた。取り出すのがかなり大変そうだ。そして特徴的なのが、推理小説だけではなく、SF小説も結構な量が固めて置かれていることである。

 アーサー・C・クラーク、アーシュラ・K・ル=グウィン、アイザック・アシモフ、アンディ・ウィアー、ウィリアム・ギブソン、オラフ・ステープルドン、カート・ヴォネガット、カール・セーガン、グレッグ・イーガン、ジェイムズ・G・バラード、ジェイムズ・P・ホーガン、シオドア・スタージョン、ジュール・ ヴェルヌ、ジョージ・オーウェル、ジョン・ウィンダム、スタニスワフ・レム、ダン ・シモンズ、デイヴィッド・ブリン、テッド・チャン、ハーバート・G・ウェルズ、ハーラン・エリスン、バリントン・J・ベイリー、フィリップ・K・ディック、ブライアン・W・オールディス、ブルース・スターリング、ラリー・ニーヴン、レイ・ブラッドベリ、ロード・ダンセイニ、ロバート・A・ハインライン、冲方丁うぶかたとう神林長平(かんばやしちょうへい)小松左京(こまつさきょう)瀬名秀明(せなひであき)筒井康隆(つついやすたか)飛浩隆(とびひろたか)星新一(ほししんいち)……

 龍樹や松田先輩が読んでいるのを見た覚えがある名前が、ずらりと(つら)なっていた。

 さらに注視してみると、最近龍樹に借りて読んだことのある、森博嗣(もりひろし)の〈スカイ・クロラ〉や、昔先輩に借りて読んだコナン・ドイルの〈失われた世界〉もあり、〈シャーロック・ホームズの宇宙戦争〉なんていう、二次創作と(おぼ)しき変わったタイトルの本もあった。

 ――そういえば、先輩は生前、龍樹とSF小説についてしばしば語り合っていた。龍樹は龍樹で、先輩のことを思い出していたんだな。

「ああ、その本はご遺族の意向でそこに残しててね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のよ。彼女、本棚に隙間が空くのが嫌みたいで、ギチギチになるまで本が詰め込まれてるのはそのせいね」

 妖狐が説明する。

 東方るり子……確か彼女も、目の前の神月夜子と同じく、事件のことで話を聞いておかなければならない七人の一人だったな。

「東方さんはここへいらっしゃらないんですか?」

「さあ、帰ったんじゃないの?」

 素っ気なく言う顧問。

「彼女、図書室でスティーヴン・キングを読んでるところを法水が捕まえてきたんだけど、ミステリー部を推理小説マニアじゃなく、超常現象マニアが集まる部活だと思って入部したらしいのよね」

「そっちの〝ミステリー〟ですか」

「法水も松田も積極的に誤解を解こうとはしてなかったみたいね。なにせ、部員が二人しかいないんだから。……まあ、今はまた二人になってるわけだけど」

 本のページを()る妖狐。しばしの沈黙が流れる。なんとなく気まずさを感じ、次の言葉を思案しながらあてもなく視線をさまよわせた。そんなとき、ふと意味もなく、机の上のラジオメーターが目に止まった。

 ガラスの球体の中に黒く四角い板が四枚、まるで横向きにした風車のように取りつけられている。なんだかお洒落なインテリアみたいだ。後ろの窓にある、古びた換気扇の羽根が、それとは対照的に見えた。こんな、脈絡のないことを考えていると、

「あら、私が読んでる本も気になるの?」

 妖狐が再び、龍樹に言葉を投げかけた。どうやら、彼女が持っている本に龍樹が興味を示しているらしい。

「……量子力学ですか」

「へえ、知ってるのね」

 じっと見つめ合う二人。

「その〈りょーしりきがく〉ってなに? 魚のとり方?」

 と、智慧。

「あらあら」

 妖狐は「しょうがないわね」といった感じの笑みをこぼし、俺に視線を向ける。

「そういえば、あなたもまだ量子力学について知らなかったわよね」

「え、ええ」

 唐突な投げかけに、反射的に肯定の意を示してしまった。

 彼女は本のページを開いたまま、表紙を上に向けて机に置くと、

「あなた達、事件のヒントが欲しいんでしょう? 丁度いいから、ついでに話してあげるわ。量子力学がもたらす世界像と、()()()()()()()()()をね」

 俺たちをめるように見回し、たっぷりと間を取った。――そして、これまでとは打って変わって、急に饒舌(じょうぜつ)に語り始めた。

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