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羅生門

 終業のチャイムが鳴り、掃除当番以外の生徒が一斉に教室の外へ出る。俺と薬師さんは混み合う廊下で、当番の智慧が掃除を終えるのを待った。その間に、宝生さんと龍樹がこちらへ合流してきた。

「愛染くんが加わり次第、早速旧校舎へと向かおう。引き続き、(くだん)の七人から話を聞きたい」

 改めて今後の方針を告げる宝生さん。

「三階の物理準備室にミステリー部の部室があるんだっけ?」

「ああ。そこに部長の法水大我、そして部員の東方るり子が居る(はず)だ」

「あの校舎では美術部や声楽部が活動しています。うまくいけば、美術部部長の鳥羽さんや声楽部部長の西連寺さんにもお会いできるかもしれませんね」

 薬師さんが言い添えた。美術部に入部するつもりだけあって、そういうことは把握しているらしい。

「その四人に会えれば、残るはミステリー部顧問の神月先生と、生徒会長の斯波さんの二人だけだね。文芸部部長の伊勢さんにはもう会ってるし」

「……旧校舎といえば、結局、屋上に忍び込む話はどうするんだ?」

 龍樹が、昼休みに伊勢さんから聞いたことに触れる。

「大江嬢の述べていた通り、侵入が発覚した場合の不都合がある。全員に強制はしない」

「……じゃあ、やるつもりはあるってことか」

 気だるげに頭をかく龍樹。宝生さんに実行の意志があるという時点で、彼に断る選択肢はなくなるのである。するとそこへ、

「いやー、おまたへおまたへ」

 掃除を終えた智慧が、軽く手を振りながらこちらに歩いてきた。

「出席番号一番はなんでも最初で困っちゃうよ」

「何かの当番にしろ発表するときにしろ、いつも智慧からだもんな」

 彼女はこれまでの人生で出席番号一番しか経験したことがない。まあ、それも仕方ないだろう。〈あいぜん〉より名簿が早い名字なんて、俺には〈あいかわ〉ぐらいしか思いつかない。

「お疲れ様、愛染くん。だが、本番はこれからだ。捜査に出発するぞ」

 宝生さんに続いて、俺たちは廊下を歩き出した。


 旧校舎は校内の敷地の最果てにひっそりと建っている。立地の問題で新校舎とはかなり離れており、上履きをわざわざ手に持って屋外を移動しなければならないのが面倒なところだ。古い建物であるだけに、もともと七不思議などの怪談話には事欠かなかったようだが、松田先輩・蔵間さん両名の死によりいよいよ呪われているということになったらしい。

「なんかドキドキしてきたなー。どんな人が旧校舎にいるんだろうね?」

「収集した噂によれば、ただでさえ少なかった人間が誰も寄りつかなくなり、一筋縄ではいかぬ(つわもの)だけが残った梁山泊(りょうざんぱく)と化しているようだ」

 歩を進めながら智慧に応じる女帝。

 旧校舎内には特別教室が多く、音楽室が声楽部、美術室が美術部、生物準備室が文芸部、物理準備室がミステリー部の部室になっている。七不思議に関連した場所で人が死んでいるというこんな状況でも、今までの部室で同じように活動を続けているのなら確かに猛者(もさ)だ。

「……にしても、結構歩くな」

 エネルギー消費を嫌う生き方を貫く龍樹が億劫(おっくう)そうにこぼした。

「もうそろそろだ」

 扱い慣れた我が子へ対するように宝生さんが答えると、前方に徐々に旧校舎のシルエットが見えてきた。建物の周囲には(もち)の木だろうか、背の高い樹木が何本も植えられている。

 自然と沈黙する俺たち。薬師さんの表情をちらりとうかがうと、緊張の糸で()いつけられたように張り詰めていた。まるでこれから鬼殿(おにどの)へでも乗り込むかのような、ピリッとした空気が漂う。

「……なんか、雰囲気あるな」

 ぼそりとつぶやく龍樹。

「確かに。あの壁の感じとか」

 旧校舎の外壁はくすんだ白い塗り壁だった。経年によって生み出された渋い色合いが、時の流れを取り込んで自らのものとしているような森厳(しんげん)さと、内からにじみ出る神秘を感じさせる。そこへちらちらと重なる枝葉や黄緑色の小さな花を見ながら、そういえば黐の木の花言葉は〝時の流れ〟であったと思い出した。

「龍樹、あの校舎の壁ってなんていう壁なんだ?」

「……白漆喰(しろしっくい)。古い土蔵とか、城とかによく使われてるやつ」

「へえ。やっぱり詳しいな」

 なんだかんだ言っても、龍樹はこの手の方面に関して知識が豊富だ。

 やがて、正面に例の昇降口が見えてきた。上方に目をやると、屋上を囲う()びた金網に一部分補修の跡が残っており、事件の爪痕(つめあと)が生々しかった。離れた位置には水道タンクが確認できる。

 なるほど。確かにあの位置なら、塔屋が壁になって上履きの置かれていた地点は見えないだろう。そんなことを考えていると、

「あれ?」

 横で智慧が声を上げた。

「花壇の近く、誰か立ってる」

 彼女の指摘に従い、昇降口わきの花壇に視線を落とした。どうやら今まで、角度の関係で木に隠れていたらしい。

「ほんとだ。誰かいる……」

 一人たたずむその先客は、三つ編みのお下げ髪に眼鏡という女学生風の古めかしい出で立ちだった。まるで、後ろの旧校舎が建て替えられた頃から、この時代へタイムスリップしてきたかのようだ。

「なんだか()()()()っぽいねぇ」

 お下げ髪の彼女は沈鬱(ちんうつ)な表情で微動だにせず、じっと花壇を見下ろしている。左手に包帯を巻いているのが目を引き、どこか痛ましいような、影のある印象を与えた。

「宝生さん、あの花壇ってやっぱり松田先輩の――」

 俺が口走ったそのときだった。花壇の彼女がいきなりスーッと顔を上げ、こちらに視線を向けた。

 ふと目が合った気がした瞬間である。まるで背筋(せすじ)を冷たい手で()でられたかのように、突如として皮膚の粟立(あわだ)ちが襲い来た。身体の(しん)にまでまとわりついてくるような、どこまでも暗く、怨念おんねんに満ちた目だった。彼女は俺たちを避けるが(ごと)く背を見せると、ゆらりと消えるように歩き去ってしまった。

「な、なんなんだ……あの人は」

「彼女が見つめていた花壇は、松田主の遺体があった場所だ。我々と同じように彼を(いた)みに来たのだろうか。それとも……」

 どんなときも平生(へいぜい)と変わらぬ、落ち着いた女帝の声。

「にしては……あんまり穏やかな感じじゃなかったよね」

「うむ」

 宝生さんが腕を組み、再び沈黙が訪れる。

 さぞ薬師さんは怖がっていることだろう。俺はそう思い振り返ってみた。だが意外にも、彼女は(おび)えの表情をしてはおらず、そこには悲しげな表情が浮かべられていた。

 松田先輩の死を思い出しているというわけではなさそうだった。それはまるで、憐憫(れんびん)の面持に近いもののように見える。

 どういうことだろう? 色々と考えを巡らせながら歩いているうち、俺たちは花壇の前へと行き至った。

 ほどなく、注目していた薬師さんが、

「この花壇に松田さんが……」

 物悲しげな顔つきで、花壇の前にしゃがみこんだ。

 今度の彼女は、亡くなった松田先輩に思いを()せているように見受けられる。少々お下げ髪の彼女が気にはなるが、ここは先輩のことに意識を引き戻すことにしよう。

 旧校舎で事件があって以来、手入れがされていないらしい。花壇やその周辺にはナズナ、イヌノフグリ、シロツメクサ、カタバミ、春の七草ではない方のホトケノザといった種々の雑草が繁茂(はんも)している。俺はこの光景に、師匠の説いていた〝無常〟を強く感じた。

 やがて、隣でしゃがむ薬師さんが静かに両手を合わせ目を閉じた。自分も花壇の前にしゃがみ、先輩へ黙祷(もくとう)(ささ)げる。

 誰も、いつも(にぎ)やかな智慧さえ一言も発さなかった。おそらく皆も黙祷しているのだろう。粛然(しゅくぜん)とした空気の中で、一握りの白い灰になってしまった彼のことを想った。

 今の自分があるのは彼のおかげだった。あらゆる意味において弱かった俺に空手を始めるきっかけを与え、師匠の元で共に俺を(きた)えてくれた。学校の授業でわからないところを相談すればいつも丁寧に教えてくれたし、勉強以外の日常で目についた疑問をぶつけても、必ずちゃんとした答えを返してくれた。彼の家で刑事ドラマを観ながら犯人当てをしたり、神社の石段で一緒にランニングしたり、そんな何気ない思い出が次から次へとあふれてきて、胸がつまりそうになったとき、

「ありがとう」

 宝生さんの声で俺は目を開けた。

 それが松田先輩へ向けられた言葉なのか、黙祷を捧げてくれた俺たちに対し、彼に代わって述べた感謝なのかはわからない。だが、そのどちらでもあり、さらに多くの色んなものがそこには含まれているような気がした。

 彼女の言葉をきっかけに俺が立ち上がると、隣の薬師さんも立ち上がり、智慧や龍樹も黙祷を終えた。

 その後俺たちは、宝生さんの提案で花壇の煉瓦と校舎の距離を確認したり、屋上の縁がどれだけせり出しているかを確かめたりした。

「さて、そろそろ校舎の中へ入ろうか」

 検証が済むと、宝生さんが改まって切り出した。

「いよいよだね」

 俺はもう一度校舎を見上げた。そして、幾人もの命を喰らった妖魔か何かの腹中へ飲み込まれていくような心境で、みんなと昇降口の扉をくぐった。


 下駄箱で持ってきた上靴へ履き替え、五人でぞろぞろと廊下に進んだ。

「これが旧校舎の中か……」

「わー、なんかトトロの世界みたい」

 智慧は興味津々(きょうみしんしん)といった様子で辺りをきょろきょろ見回している。あえて明るく振る舞っているのか、本当に楽しんでいるのか、この校舎に恐怖や嫌悪などの感情は抱いていないように見える。

「……まっくろくろすけでも出てきそうだな」

 そう言って、廊下の壁をぺたぺたと()でる龍樹。

 根太ねだゆるんでいるのか、所々ふわふわと沈む床板を鳴らし、俺も廊下の真ん中に立った。

 廊下と教室とを隔てた壁や戸は木製で、焼け()げたように節や木目が黒っぽく浮かび上がっている。よく観察すると、先代たちがつけたであろう細かな傷がぽつぽつと(きざ)まれていた。床のフローリングはアンティークの家具のような色合いで、廊下と校舎の外とを隔てる壁は、外壁よりくすみが薄い白漆喰の塗り壁だった。

「こっちだ」

 宝生さんの呼びかけに振り向くと、彼女が俺たちを手招きしていた。どうやら階段を見つけたらしい。

 あれが目的地の三階へと続き、さらには屋上へも繋がっているのか。

「へえ。階段も木で作られてるんだね」

 階段は床と同様レトロな木製で、手すりも同じく木製だった。木の優しさとでもいうのだろうか、すべらかな肌触りと表情にどことなく温かみを感じる。

「すごーい。段の真ん中がちょっとすり減ってへこんでる」

「それだけ多くの生徒がここを通ってきたと云うことだな」

 智慧の後を追うように宝生さんが段に足をかけた。俺もそれに続く。

 校舎内は古い建築物独特の匂いがしており、それに気づいた瞬間から、強烈に懐かしい感じがふいに湧き起こっていた。階段を上っている今も、依然その感覚は継続している。

「匂いのせいかな。なんだかすごく懐かしい感じがする」

 思わずつぶやくと、宝生さんが、

「それはプルースト現象だな」

 耳慣れない単語を口にした。

「プルースト現象?」

「フランスの文豪マルセル・プルーストの著作〈失われた時を求めて〉には、紅茶に浸したマドレーヌの匂いによって幼少時を思い出す描写が登場する。そこから、匂いをきっかけにして過去の記憶が想起されることをプルースト現象と称するようになったんだ」

「そうなんだ……。なんていうか、文豪が目をつけるのも納得できるくらい不思議な気分だよ」

「脳内で嗅覚の情報伝達を(つかさど)嗅内野(きゅうないや)は、記憶を司る海馬(かいば)、感情を司る扁桃体(へんとうたい)に近接している。その分、視覚や聴覚からの刺激よりも、嗅覚からのそれは関連した記憶と情緒を揺り動かしやすいんだ」

「宝生さんって、本当に何でも知ってるね」

「プルーストは三島由紀夫の敬愛する作家だからな」

 彼女は目を軽く細めるようにして、アルカイックな微笑を浮かべた。もし京人形を近代的にしたらこんな風になるのだろうか。

 と、そんなやりとりをしているうち、いつの間にか三階のフロアにたどり着いていた。一足さきに階段を上り終えた智慧は、新居を探検するサツキやメイのように相変わらずあちこちを見回っている。

「まっくろくろすけは捕まえたか?」

「んー、空き家じゃないからいないみたいだね」

 あごに人差し指を当て、唇をとがらせる彼女。

「でも、物理準備室は見つけたよ」

 そう言って指し示す方を見ると、屋上へと続く階段のわきにひっそりと部屋があった。くもりガラスがついた引き戸の枠からは〈物理準備室〉と書かれた表札が出ている。

「こんなにスムーズに来られるなんて、なんだか私たち、この部屋に引き寄せられてきたみたいだね」

「怖いこと言うなよ」

 やがてよいしょ、よいしょと階段を上り終えた薬師さんと、のんびり最後尾を歩いていた龍樹が合流して、全員が部屋の前に集まると、

「鍵は掛かっていないようだ」

 宝生さんが扉を(あらため)てささやいた。木製の引き戸には新校舎の扉にあるようなシリンダー錠はついておらず、南京錠(・・・)を通す掛金(かけがね)があったが、そこには何もぶら下がっていない。

 宝生さんが目配せし、扉をノックしようとしたそのときだった。一旦やわらいでいた緊張が(にわ)かに首をもたげ始めた。なんだ……? この嫌な胸騒ぎは。

 この校舎に入る前に感じていた、建物の発散する妖気のような圧迫感。その根源がいま目の前にあるこの部屋ででもあるかのような、言い知れぬ不安がなぜか俺を()(さいな)んだ。

 だがそんなこととは関係なく、ノックの数秒後に宝生さんは戸に手をかけ、ゆっくりと開いていった。

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