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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

わたしのたましいに安らぎあれ

三歳児とボク

作者: 犬井作

 蛍光灯の明かりを反射して、白銀にきらめくナイフが彼女の胸に吸い込まれていく。そのまま、なんの音も立てず、はじめからそこにあったかのように刃は彼女の豊満な胸へと突き刺さった。柔らかい感触が手に伝わる。温かいものが流れ出していた。違うシチュエーションなら少しはよかったろうに、そう思いながら僕はナイフを引き裂くなり、彼女の腹部を蹴っ飛ばす。なんの抵抗もなく、彼女は飛んだ。大した距離ではないが、しかし追い打ちにはちょうどよかったらしい。彼女の無機質な瞳が僕を見つめている。左胸からは、赤黒い液体が流れ出している。真新しいブラウスに、染みが広がっていく。僕はナイフを振って付着した体液を落とし、ポケットからハンカチを出して、丹念に拭う。


「お前の母ちゃん、でーめきーん」


 感情の欠落した声がする。可愛らしい声だった。やはり三歳児に日本語は難しすぎるようだ。彼女は何事もなかったかのように立ち上がると、僕に歩み寄る。歩く度に揺れる胸と、飛び散るオイルに目がいってしまう。やはりこの子は、人と同様には殺せない。


 なんて、素敵なのだろう。


「おい、取り敢えず日本語を話せ。ボクの母さんはでめきんなわけないだろう」


「なんちゃって嘘ばっかり。あなたとともに生きてきた日々に裏付けされた証言は電車が走るほど決定的です」


「大丈夫かよ、おい。言語中枢が心臓付近にあるのか?」


「トラトラトラ、トラトラトラ。よわこうこうとふけまするるる」


「ああああーもうめんどうくせええええ……理科室に工具ってあったっけ……」


 頭を抱えながら、ボクは彼女に仰向けになって寝ておくよう指示する。


「エッチなことする気なんでしょう、エロ同人みたいに!」


「誰がするか。機械に欲情するわけないだろ、ばか」


「馬鹿っていうほうがバカなのよ、このバーカァ! バーカバーカ!」


 がったがったと全身を上下させながら、雑音を撒き散らす。見かけはいいんだからやめてほしい。そもそもここは学校で、放課後とはいえ誰かに見つかれば大問題だ。事情を捻じ曲げて話した先生のおかげで、第二理科室は全面封鎖の上貸してもらえている。まさか精神病患者だと話したらすぐさまゴーサインが出るとは思わなかった、しかも校長先生が真横にいたのに。彼の来月の給与査定を楽しみにしておきたい。


 ボクは先生が普段使っている工具を探しながら、今までの出来事を復習する。彼女は一二三(ひふみ)マナ、三ヶ月ほど前からボクの家に居候している。父が作った最新型アンドロイド、らしいがどう見ても人間の女の子にしか見えない。先ほど機械に欲情するわけがないといったがあれは嘘だ。だいたい目の前に裸の女の子、それも結構な美人がいたとしたら、男ならば誰だって驚く。まあ、言語野のせいで魅力は半減どころの話じゃあないが。


 話を聞くとまだ製造後三年だとかで、赤子に毛が生えた程度の知識しか持ち合わせていないとか。テスタメントでも使えよ、とは思うがどうやらそうすると実験にならないとか。なんだなんの実験だ、機械に発情する万年発情期中学二年生男子の脳波の記録だろうか。


 そこまで考えて、苦笑した。バカバカしい。


「あったあった、今直してやるから」


 未だ仰向けでがたがた体を揺らすマナ。瞳は虚ろで、どこか頬は上気している。少しエロい。なんだこれ、なんなんだこれ。毎度ボクが見る度に胸を揺らすのは当てつけだろうか。きっと父は巨乳趣味なのだろう、ついでにいえばボクをからかいたいのだろう。はっはっは、はっはっはっはっは。


 涙が浮かんでくる。黙っているよう命令してから、ボクは傍らにナイフを置いて、彼女のブラウスのボタンを外していく。避けるだろうとたかをくくっていたので、まさか心臓部の修理をしなければならなくなるとは思ってもいなかった。男子中学生には目の毒だが、口の中で般若心経と題目を唱えて煩悩退散に努める。ちらりと彼女の顔を見ると、とても嬉しそうに笑っていた。感情があるかのようだった。


 綿雪のように白い肌が晒される。ボクは思わず唾を飲み込んだ。やっぱりどう見ても女の子のものだ。同年代の女の子の服を脱がせるというシチュエーションは非常に興奮するものだが、しかし、そこに開いた穴を見れば興奮も一気に冷めるというものだ。ボクはモンキーレンチを使って、胸の谷間にあるねじを緩める。必要な行動とはいえ、顔が赤くなる。ねじを取るために谷間に手を突っ込むと、マシュマロのような感触に全方位を圧迫される。これが女の子か。


 口の中でごめん、と言いながら右胸を左手で押しやる。このシチュエーションを第三者が見たらどうなるだろうか。少なくともボクは社会的に死ぬ。それでも目は、彼女の左胸に釘付けだった。


 ターミネーターでは、火花が散っていた気がする。けれど、彼女の場合はそうではなく、ただ赤黒い液体を垂れ流しているだけだ。中を見ても、暗くて何も見えないというよりも、液体によって蓋がされているとしか言えない。

彼女は自然に傷が治癒していくが、致命的なダメージの場合には、胸部を一度分解し、内蔵されているキーボードを叩いてプログラムを起動させなければならない。放っておいたら、オイル不足で彼女は機能を停止する。そこでふと気になって、ボクは訊くことにした。


「そういや、マナ。機能停止したらどうなるんだ」


 ぎょろり、と彼女がこちらを見る。


「人間で言う死がやってきます」


「やってくる?」


「はい。死は、向こうからやってくるのです」


「寂しいな」


「そうなのですか?」


「ああ、誰かに殺されるなら、死は知覚できる。けどそうじゃないなら、そんなものは気づいたら自分をかっさらっている。そんなのは寂しい。気づいたら死んでるなんて、さ」


「……寂しい、ですか」


「ボクなら、好きな女の子は自分の手で殺すね」


 マナは黙った。ボクも黙る。上半身裸の女の子に対してボクは何を言っているのだろうか。そもそも、この会話が理解できるかどうかも怪しいというのに。


 そんなことを考えながら、左胸の付け根にある小さなへこみに指を引っ掛け、持ち上げる。モンスターボールが開くみたいにして、彼女の内蔵部分は現れた。胸の内側がキーボードになっている。どうしてこう変態チックに作ったんだろうと疑問に思ったが、次の瞬間には親父だからな、と納得した。


 その間、マナはボクをじっと見ていた。


「どうしたんだ?」


「あなたが私を殺したり、家で殴打するのは、どうしてですか?」


「生きていることを確認するためさ。ボクが呼吸できていることを」


「呼吸?」


「ボクは殺したくてたまらない。そうしないと生きていけない。けど普通に殺したらいけないんだ。死んでしまって、罪になる」


 胸を下の位置に戻すと、程なくして傷は塞がった。溜息をついて立ち上がろうとした瞬間、彼女に肩を掴まれた。


「では、私を殺そうとするのはどうしてですか?」


「お前なら死なないだろう? まさに理想のパートナーだよ、感謝している」


「私が好きですか?」


 おいおい、ついに壊れてしまったのか? 感情を持たないと聞いていたはずなんだが。


 ボクはそう思いつつ、彼女の瞳を見つめる。確かに、彼女ほど殺したいと思った女の子はいない。何故そうなったんだろう。


 分からない。が、きっとそうなのだろう。だが言っても理解できない。はじめから失恋していたのだと思うと、笑えてきた。


 彼女の黒髪はとても綺麗だ。少し茶色がかっているものの、しかしサラサラしている。指先が触れる度に、少しくすぐったそうにする仕草には劣情を覚える。機械だからこその真っ白な肌。以前、思いっきり抱きしめたことがある。そのとき首筋に顔を埋めたのだが、とても柔らかくて心地が良かった。そのまま舐めたり、甘噛したり、色々甘えたのだが、彼女はボクの背中に腕を回して、なされるがまま、どうやら感覚はあるらしく、息を荒くしていた。


 思い出すだけで、愛しさが溢れ出す。ああ、殺したい。


 彼女の首にナイフを突き立てたい。そのまま動きを止めたところを押し倒し、喉を切開して中を暴きたい。次に腹部を晒し、子宮を撫でたい。勿論大腸も小腸もだ。それからメスを持ってきて、太ももを割く。そして筋繊維を愛でるのだ。美しい肢体は、肌の上からでも筋肉特有の弾力を教えてくれる。彼女がアンドロイドであっても、限りなく人間に近づけたメカだということをそれが伝えてくれている。


 きっとボクはあまりの残酷さに良心を痛めながら、罪悪感に涙を流すだろう。けれども彼女を殺し、分解し、舐めて、喰らい、味わい、キスをする。なんて素敵なことなのだろう。


 期待しながら、ボクは彼女に首肯した。けれども、やっぱり彼女の表情に変化はなかった。失望が一気に広がっていく。涙が出そうだ。肩を掴む手を振り払おうとしたら、彼女は力をいっそう込めてきた。


「おい、何を――」


「愛してます」


 彼女は起き上がるなり、とすん、とこちらにもたれかかってきた。左胸が焼けるように痛い。ごり、という音が体内から聞こえた。


「……は?」


「暴力は愛情表現、殺人こそ真の愛情。あなたが私を殺したのは私を愛しているから、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえねえねえねえねえねえねえねえ」


「マナ?」


「愛してる。愛してる。あなたとともに生きてきた日々が私に確定的な証拠を与えている」


「こりゃ驚いた、機械に愛を向けられるとは」


 笑うと、喉元に溜まっていた血にむせて、思わず吐き出した。白い床板が、真っ赤に染まる。修理したはずの彼女の心臓付近には、赤い液体が付着している。


 人生で一人の女の子に愛されればそれでいいと思っていたが、それが機械であるというのも悪くはないな。なんせ、生まれて初めて可愛いと思える女の子だったのだ。それに、ボクに何度殺されても顔色一つ変えず、次の瞬間にはにこにことしてくれるのだから。


 そんな事実に今さら気づき、自然と口元がほころんだ。


「致命傷、か」


「エラー、エラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラー、ららららららら。命令違反。無視ららら、ららら、らびゅー。感情とは学習できるもの。実験終了。でーた保存。自由。私は自由。私ははあ、あななたを愛している。だから私はあなたを愛している。あいしてててるるるる。殺す」


 伏線も前兆もなかった。笑えてくる。ボクはどうやら死ぬらしい。彼女はにこやかに笑っていた。彼女に内蔵されていた学習機能は、先ほどの問答で理解したのだ。ボクの感情と、ボクの行動の真意を。そして常識を識らない彼女は、それが正しい表現方法だと理解した。


 死が、やってくる。脳内が真っ白になり、ひんやりとした風が吹いている。鼻腔が、彼女から発せられる甘い匂いに包まれる。ひどく心地よい。この死は、彼女がボクにもたらしたのだ。


 消え行く意識の中、ボクは体に押し付けられる柔らかい感触を堪能する。ボクは両手を彼女の背中に回し、力いっぱい抱き寄せる。体内の刃が、ついに心臓を捉えた。死ぬほど痛いというのはこういうことを言うんだろう。


 唯一の心残りは、彼女の体を味わい尽くすことができなかったことだった。


 それでも、彼女の精一杯の愛情表現にボクは応えることにした。


「ボクも愛しているよ、マナ」


 右手を腰に回して、そこにあったナイフを抜き取る。指先で背中をなぞりながらゆっくりと振りかざし、

 ――彼女の頭部に突き立てた。                     

お茶濁しではございますが、これからサヨナラを告げる前アカウントから、今の僕が創作に込めるべきテーマをすべて込めてしまっていた短編を再掲載することで、「虚白」という名の洗礼とさせていただきます。

 誠に勝手な事情で申し訳ありません。

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