007話 「夜のお話」
「ねぇねぇ。おにぃちゃん何してるの?」
秋はベランダで外を見ている彰浩に尋ねます。
「酒飲んでる。」
「さけ? あきものむー。」
「お前未成年だろ。駄目だ。」
「じゃ、なにかのむー。」
秋は駄々を捏ねました。丁度その時、軽く夜風が吹いたのです。レースが掬われるようにたなびきました。
「冷蔵庫にオレンジジュースでも入ってるから、それ取ってきな。」
秋は目をキラキラさせて、台所へ向かいました。
彰浩はそんな秋を見て、「寝てた筈じゃなかったのかよ…」と小声で洩らしました。
「ねぇねぇ、おにぃちゃんみたくしたい。ねぇねぇ、ねぇってば。」
秋は彰浩のパジャマのズボンを何度も引っ張ります。多分、秋はベランダの手すりに腕を置く動作がしたいのでしょう。いち早く察した彰浩は、邪魔されないが為に、椅子を持ってきてそれに秋を立たせます。ぎりぎり、間に合いました。
「これでいいか?」
秋は満足そうにしています。
「おそらきれいだねー。」と秋は無邪気に言いました。
「ああ。」
「あきもおにぃちゃんとおなじかっこーしてるんだよー。」と秋は彰浩を見て言います。
「ああ。」
「かぜがきもちいいねー。」と秋は抑揚の無い声で言いました。
「ああ。」
秋から、笑顔は消え去ります。
それから、二人は喋らなくなりました。
「おさらさんにいじめられたきず、なおってるかな…。」
秋はそう言って右手首に巻かれた包帯を取ろうとします。けれど、すかさず彰浩はそれを止めに入りました。駄目だ、決して俺が言うまでは取ってはいけない、と、力強くその手を握って言います。秋は、少しほっとしました。
「早く治るといいな。」
「うん。」
秋は頷きました。
しばらくして、二人は大きな欠伸を殆ど同時にしました。寝ようか、と言ったのは彰浩です。秋は一足先にベランダから出ていきました。椅子は彰浩が戻します。
程なくして二人はベッドに入りました。秋は兄の胸の中で安心して今日も寝られます。秋はこの時間が、一番幸せを感じる時でした。
丑三つ時かそこらになって、秋は彰浩が寝室から出ていく姿を見ました。眠気眼でその姿を追います。けれどドアを閉めていく、その間に見える背が、どことなくいつも見ている実の兄には見えなかったのです。あれとは違う、安心できる背中ではありません。とても恐ろしいことです。だから秋はそれが夢だと思いました。それから夢の中でもう一度寝たのです。さっきのは見なかったことにして。
するとどうでしょう、朝にはやはり彰浩は秋の隣ですやすやと寝ているのです。朝食を早く作ってくれと無理やり起こそうとしましたが、やはり止めておきました。何故か、どこからか嫌な匂いがするのです。食欲の減退は、そこから起きていました。
それを言おうともしましたが、面倒なので、もう一度寝て解決しようと考えました。いい香りがする枕に顔を押し付けて目を瞑っていると、すぐさま眠りに就くことが出来ました。
そして、いつもの日常が、これから始まるのです。