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タコ女  作者: 陸奥
Peace of the "Asunaro" town
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006話 「おさらはわれるもの/朝食は静かに、ね」

 寝室に入って秋も当分はあちらでテレビを見ていることだし、母さんに電話をかけようと考えた。定期的な連絡は、あちら側が切実に欲しがっているらしい。

 ジーンズのポケットに入れていたスマホを取り出す。けれど、押せども押せども電源はつかない。黒のままの画面はそのままに、充電切れの様だった。

 コンセントに差しっぱなしの充電器にケーブルを繋げて、本体が動く状態になるまで待つ。何もしていない時間は只々暇だった。ベッドに横になろうともせず、座ろうともせず、窓を開けて外をぼんやりと眺めて過ごした。

 縁に頬杖をつき、目を瞑ってしまおうかとした時に、耳をつんざく甲高い音が居間から聞こえた。そして数十秒遅れて、秋の泣く声もする。

 私は電話のことなど頭の内から捨てて、慌てて寝室から駆けて出ていった。静かな時間は、どうやら終わりを告げたらしい。

 居間に入るなり目についたのは、顔面蒼白の様になり手を真っ赤な血に染めながらへたり込んで泣く秋の姿だった。すぐさま近寄って介抱した。何があったか聞く前に、まずは傷の処置と本人をなだめさせることが先決だ。

 抱きかかえたまま、真っ赤な右手をシンクに強引に突き出させ、水で洗った。

「浸みるが少し辛抱しろよ…」とは秋の耳元で言ったつもりだが、水で晒された瞬間に秋は痛いと何度も連呼して悲痛の叫びを上げた。その悲鳴をいつまでも聞いていられる筈もなく、すぐさまそこから撤収して、寝室へ向かった。救急箱はそこにある。

 ベッドの端で座らせようとしたが、私の腕から秋は降りようとしなかった。空いた左手でぐっとシャツを掴み、頑なに離そうとしない。けれど、その状態はさらに深刻になってきているようで、秋の叫びが止まることは依然としてなかった。仕方がなく、私は片手で戸棚の引き出しを開け、消毒液に包帯、テープ等を用意し、口を使いながらその傷を手当てした。多量の血が出ていたのは、手首付近を切っていたからだった。けれど出血の状態がそれだけで完治する筈もなく、滴り落ちる滴の対応に追われながら何度か、包帯を替えてやる。そして、何度もその上から自分の手で力強く握った。直接圧迫法というのを、どこかで習った気がする。しかし実践でする機会など、なかなかお目にかかれない。本当にこのやり方を今実行していいのかすら、まったく分からない。

 自分の手にも乾いた血が幾重にも層を作って濡らしたてている。そんなことを思っていたころ、包帯の白の部分の方が赤の部分よりも範囲が広いことに気づいた。止まりかけていたのだ。

 出血の方は何とか治まったかと胸を撫で下ろす気分でいたが、秋自身の方はいまだ事態の収拾がついていないらしく、泣きじゃくっていた。けれど、先ほどまでの「痛い」ではなく、今は「怖い」の一点張りになっている。

 あの時を思い出しているのだろうか――。いや、記憶には無い筈だ。

 大粒の涙が何滴も頬を伝って落ちる横顔を見ていると、自分が今まさに何をしてやればよいのだろうか、という気持ちになった。けれど、何も思い浮かばない。つくづく自分の非力さには反吐がでる。

 

 昼は過ぎたのだろうか、と呆然と考えていた。そうやっているとようやく血の出は止まる。包帯を取って生々しい傷を見てしまう。秋は震えながらただ自分の右手を差し出すだけしていた。新しい包帯を巻いて、「大丈夫だ」と一声かける。そして、落ち着いたころ、ベッドに横たわらせた。私はその横であぐらをかきながら手を握るだけしていた。

「あの、そのな、聞いちゃまずいことなのかもしれねえけど…。何があったかだけ教えてくれねえか?」と私は秋に言う。

「…おさらがぁ…。あきを…いじめ…たの…」と秋は答える

「ああ…」

 嗚咽交じりの秋の答えに、曖昧な返事をするしかなかった。

「その…、皿は自分で割ったのか? あいや、いじめられたのか?」

「えだぁいよぉ…えだぁい…うう…」

 ため息を吐いた。悟られない程度に小さく。

「ここに一人でいられるか?」

 秋は返事とも取れる頷きをだけをして返す。握っていた手は解かれた。というよりは、一瞬の気の緩みからか、力が入らなくなってしまったかのようだった。

 寝室を出て居間に向かう。現場が台所で、先ほどまで滴っていた秋の血痕が床に溜まっている。よくもまあ大量出血で死ななかったものだ、と思う。

 頭を掻きながら、食器棚の下に落ちている割れた皿の破片を発見した。薄くだが血もついている。これで切ったのだと即座に分かった。

「派手にやったなぁ…」

 独りでに感心しながら皿の破片をほうきと塵取りで除き、乾いた血痕は濡らしたタオルで拭いて綺麗にした。タオルは速攻でゴミ箱行き。どこかの殺人現場のようだ。そして、それを見ているとどことなく頭痛がする。吐き気もした。すぐに終えてその場を離れる。結構な時間がたったと思った。終わったのは夕暮れ時だったし。

「おにぃちゃん…。おさらさん、もういない…?」と秋が掃除を終えてソファーでくつろぐ私の元へと寄ってくる。

「ああ、いねえよ」と私は言う。「それよりな、おさらさんはむやみやたらにいじりまわすなよ?あんまりやってると、さっきみたいに怒りっぽくなって割れるんだ」

 秋は俯きながら包帯の巻かれたその腕を見ていた。

「あきは…わるくないもん…」

「晩飯抜きにするぞ」と脅しをかける。

「ごめんなさい」

するとこいつは案外にも素直になる。

「うん。でな、それでだ」

 秋は黙る。私の前で無表情で突っ伏したまま、次の言葉を待っている。

「お前の体から今、血は殆どない状態だ。生きていられるのも不思議なぐらいに」

 秋は自分の体を隅々まで見る。まるで生きていることを再確認しているかのような行動だ。

「血を作るのにもっとも手っ取り早いのは、食べることだ」と私は言う。「それも肉を」

 秋は静かに佇んでいた。けれど、顔の方は少しだけ期待をしているようにも見える。

「焼肉でも食べに行くか。久々というか、殆ど初めてだけど」

 少しの間がある。

「やったぁーー!」と秋は叫んだ。

 そこらをぴょんぴょんと飛び跳ねる秋。子供だから、食に関しての欲求が人より強いのだろう。

「あんまり騒ぐなよ。傷口開いたら行けなくなるからなー」

 私の言葉に気づいた秋は、徐にこちらに寄ってきて、唐突に頬に接吻した。

「おにぃちゃん! だーすき!」

 大声で秋は言った。昔であれば、考えられない台詞だ。頬の接吻然り。

「毛布とか取り込んでくるから、支度してな」

 ベランダに行く私を秋は後ろで見守っている。泣きじゃくった後のせいなのか、袖で目をまたもや擦っていて、目はもっと充血しているようにも見えた。


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