桃山御陵(虹色幻想18)
彼はとても優しい人だった。
だから耐えることが出来なかった。
この小さな国は、桃が綺麗だった。
城の裏山には桃林があり、甘く美しく咲き誇った。
人々は城主を愛情こめて、桃山殿と呼んだ。
先代の桃山殿は力のある人で、人々は彼に敬意を表していた。
現桃山殿は若干二十歳、と少し頼りなく、病弱だった。
それでも穏やかな性格で人々から慕われていた。
現桃山殿は名を頼広といった。
頼広は家督を継いだとき、妻を娶った。
妻は家臣の娘で、菊といった。
菊は頼広を愛した。
とても優しい彼に惹かれた。
やがて菊は身ごもった。
跡継ぎが出来た、と人々は喜んだ。
頼広も喜んだ。
「頑張って守らなければ」
頼広は決意を新たにした。
菊はそれが少し心配だった。
「あまり無理をなさいませんよう」
そう言うと頼広は、大丈夫だと微笑んだ。
しかし、頼広にとっては重荷だったのだろう。
菊が二人目を出産したときに、頼広は亡くなった。
二十五歳だった。
あまりにも早い死だった。
頼広は桃山御陵に葬られた。
人々は嘆き、悲しんだ。
この小さな国の行く末を危ぶんだ。
次期当主はまだ五歳と幼く、後ろ盾がなかった。
菊も乳飲み子を抱え、呆然とするしかなかった。
そんな時だった。
隣国が攻めてきたのは。
隣国の城主は多くの人々を殺した。
そして菊と頼広の子供を殺した。
菊は守ることが出来なかった。
幼い子供たちは切り捨てられた。
隣国の城主は笑って言った。
「そなたは殺さない。この国と共に私が貰いうけよう」
菊はその汚らわしい手を逃れ、桃山へと走った。
腕には子供の死体を抱えて。
菊は近くにある木切れで御陵を掘った。
涙があふれ、嗚咽がこみ上げた。
それでも手を休めることはなかった。
菊は小さな穴に子供を寝かし、土をかけた。
そうして気を失った。
「菊、菊」
名前を呼ばれ、肩を揺すられた。
菊は目を開けた。
そこには頼広の笑顔があった。
「あなた」
「どうした?泣いていたぞ」
頼広は菊の涙を拭った。
柔らかい頼広の指先を感じ、菊はまた涙があふれた。
頼広はそんな菊を優しく抱きしめ、背中をなでた。
菊は幼子のように頼広にすがりついた。
この温もりを離したくなかった。
「母様」
小さな手が菊の着物を引っ張った。
「どこか痛いの?」
心配そうに菊を見ている。
菊は涙を拭い、微笑んだ。
「大丈夫、悲しい夢を見ただけよ」
おいで、と菊は言い小さな体を抱きしめた。
「菊、夢ではないよ。私たちは死んだ。ここは桃山御陵だ」
頼広は告げた。
菊は意味が分からず、頼広を見つめた。
「菊。ここは死んだものが来る世界だ。
でも君はまだ死んではいない。生きている。
だから、君の世界に帰りなさい」
頼広の顔がぼやけて見えた。
菊はあせった。
「嫌!一人にしないで!」
「菊、ずっとここで待っているよ」
ハッとして菊は目覚めた。
桃山御陵だった。
夢だったのだ。
菊は悲しくなった。
背後で土を踏む音がした。
誰だか菊には分かっていた。
「決心はついたかい?」
菊は振り返らずに答えた。
「ええ、決めたわ」
菊は小さな守り刀を強く握り締めた。
私の世界は、ここではない。
菊は深呼吸をして、刀を喉元にあてた。
そうして静かに手前に引いた。
「バカだ、君は!」
怒った顔の頼広がそこにいた。
菊はほっとして微笑んだ。
「ずっと待っていると言っただろう?何も死ぬことはなかった…!」
頼広は悔しそうに下を向いた。
菊はそっと寄り添い、頼広の頬を両手で挟んだ。
「私が決めたのよ。私の世界はここなの。
ここであなたと一緒にいたいの」
頼広は菊を見つめた。
「守ってやれなかった。君も子供も。すまない…!」
そんなことはない、と菊は首を横に振った。
「また、ここで一緒に暮らせばいいことでしょう?」
この美しい桃山御陵で。
「あー」
小さな手を一生懸命に伸ばし、微笑んでいる幼子を菊は抱き上げた。
その柔らかい頬に顔を寄せる。
母乳の甘い匂いがした。
足元には五歳になる息子もいた。
頼広が息子を抱き上げた。
息子は声を上げて笑った。
小さな国は滅んだが、美しい桃山御陵は残された。
それは私達だけの美しい死後の国だった。