40 言い争う二人と仲裁の料理(2/3パート)
※第1パートからの続きです。
その後も二人は滞りなく食事を進めていた。
時に静かにタクミの料理を堪能し、時には楽しく談笑する二人。
一つの事件が起こったのは、二人のプレートの上が概ね片付いたところであった。
先に食べ終えたリベルトが口元を拭いていると、ふとソフィアの手元のプレートが眼に入った。
彼女も概ね食べ終えているが、そのプレートの上にはミニオムレツが半分ほど残されている。
表情をちらりとみると、どうやらお腹いっぱいになってしまったようで食べあぐねてしまっているようだ。
その様子を察したリベルトが、ソフィアに声をかける。
「そちらのミニオムレツ、もし良ければ頂いてもよろしいか?」
「あら、ごめんなさい。分かってしまいました? いえ、どれもとても美味しかったのですが、少々量が多かったようで、食べきれなくなってしまいましたわ。でも、食べさしですがよろしいのでして?」
「何も問題ない。では、遠慮なく……」
リベルトはそういうと、ソフィアの方へとフォークを伸ばす。
ソフィアも、取りやすいようにそっとプレートを差し出した。
ミニオムレツを口へと運び咀嚼するリベルト。
すると、先ほどまで穏やかだった顔色が一気に変わり、眉間にしわを寄せる。
そして慌てて水を口に含むと、ミニオムレツごと一気に流し込んだ。
「ど、どうされましたか?」
リベルトのただならぬ様子に、ソフィアが顔を真っ青にしながら立ち上がる。
リベルトは居住まいを正しながら、慌てるソフィアを手で制した。
「い、いや、失礼した。ちょっとオムレツの味に驚いてしまってな……」
「え? 何かおかしかったですか?」
「う、うむ。このオムレツ、砂糖と塩が間違っておらぬか? やたら甘かったのだが……」
「え? オムレツは甘めの味わいが基本ですわよね?」
「なんと!? オムレツが甘いとな?」
驚きのあまり大きな声を出してしまうリベルト。
ちょうど食後の飲み物を運んできたタクミが、そっと声をかけた。
「申し訳ございません。もう少し声を落として頂けますと助かります」
「っと、済まない。少々興奮してしまったようだ。 そうだ、タクミ殿。ソフィア殿のオムレツ、妙に甘かったのだが作り間違いではないか?」
「いえいえ、こちらはソフィア様のお好みに合わせて作らせて頂いております。リベルト殿の方も、これまでのお好みに合わせて味付けを変えております」
「なるほど、そう言うことだったのか……。しかし、甘いオムレツとは驚いた……」
リベルトの言い回しに、ソフィアがむっと口をへの字に曲げる。
「あら? オムレツはほんのりと甘さを持たせてこそ美味しいのではありませんか? 他の料理との組み合わせにもよりますが、今日は他のお料理がやや塩味がございますので、全体のバランスを考えますと、この甘いオムレツがお口直しの役割を果たしてくれると思いますのよ」
やや強めの語気で語るソフィア。
すると、つい先ほどまで楽しそうな表情を見せていたリベルトまでもが、真顔になって反論する。
「確かにその言い分も分かるが、このオムレツは少々甘すぎやしないかね? お菓子ではないのだから、食事に余分な甘みは不要というもの。素材からにじみ出る甘味を含め、あくまでも味わいのバランスを整える範囲に納めるべきものであろう」
「そうは言いますけど、甘みを中心とした食事はたくさんございますわよ。例えば、ブルストを使ったマイスドックも周りの皮は甘みが中心ですし、そもそも、以前に『ヒラソル・オムライス』を召し上がった時には美味しい美味しいって仰られていたではないですか」
「いやいや、マイスドックは食事というよりもおやつに近いものであろう? それに、『ヒラソル・オムライス』は卵をケチャップで炒められたアロースと一緒に食べる料理だったではないか。確かにあの玉子は甘めではあったと記憶しているが、ケチャップ味のアロースの塩味や旨味と合わせて食べることが前提であり、全体としてちょうど良いバランスとなるよう工夫されていたのではないか」
「それなら今日のオムレツだって同じことですわ。塩味の強いブルストやケチャップを添えることでちょうど良くなるのではありませんか?」
「いや、それは違うであろう。今日の料理はあくまでもオムレツ単品として味わうべきもの。単体で味のバランスがとれていなければ、それはまた違ったものになってしまうのではないか?」
「それではメニューの組み合わせの面白さを感じることが出来なくなってしまいましてよ?」
喧々諤々と議論を続けるソフィアとリベルト。
徐々に声が大きくなっていく二人を嗜めるように、タクミが割って入る。
「お二人とも、そのあたりで矛を納めて頂けませんでしょうか? 他のお客様が驚いてしまいます」
「む……、確かに。いや、失礼した」
「ごめんなさいタクミさん、つい興奮してしまって……」
素直に謝罪する二人にほっと息をつき、タクミはいつもの微笑みを取り戻す。
そして、二人を前に“タクミだけが知る事情”について説明を始めた。
「こちらこそ申し訳ございません。実は今日のオムレツ、ソフィア様のものとリベルト様のものは味付けを変えさせていただいておりました。ソフィア様は甘めの味わいがお好みのようでしたので、砂糖などで甘みを加えております。一方のリベルト様のものには砂糖は入れず、旨みを増すために削ったテーゼを加え、胡椒で味を引き締めております」
タクミの説明を、二人は真剣に聞き入る。
そしてようやく得心が言った様子で、リベルトが声を上げた。
「なるほど、そういうことだったのか。いや、確かに私に出して頂いたものは私好みの味わいだった。だからこそ驚いたわけだが……」
「タクミさんのお気遣いがこもった料理だったのですわよ? それを作り違いだなんて失礼ですわ」
「いや、それは本当に申し訳ない。しかし、オムレツを甘くするという発想は私の中ではちょっと衝撃が大きすぎたのだ」
「それはそうかもしれないですけど、私の中では甘味のないオムレツというのが信じられませんわ。玉子の味わいは甘みがあってこそ引き立つと思うのですけど……」
「うーむ、それを言われるとやや心外だな。玉子というのはもともとまろやかで味わい深いもの。玉子本来の味わいを堪能したいのであれば、少々の塩味があれば十分であろう。ほら、こちらの店でも出しているゆで卵、あれに砂糖をつけて食べるものなど見たことが無い。タクミ殿、そうではないか?」
「確かに仰る通りです。私の知る限り、ゆで卵に砂糖をつけられる方はいらっしゃらないですね……」
リベルトから話しを振られ、タクミが苦笑いをしながら答えた。
その回答に満足そうに頷くリベルト。
しかし、ソフィアも黙ってはいない。
タクミに視線を送りつつ、反論の切っ先となる質問を投げかけた。
「あら、そんなことを言ったら、こちらの定番のソースであるマヨネーズには確か砂糖が入っておりましたわよね? それに、フランはもちろん、カスタードクリームも玉子と砂糖の味わいを重ねてこそ美味しく仕上がるのですわよね?」
「それも確かに仰る通りではございます。が……」
「そうですわよね? ほら、玉子と甘みはやっぱり相性が良いのですわよ」
「いやいや、それはあくまでもソースやデザートの話であろう? 食事としての卵であれば、やはり甘味よりも塩味で頂く、これが一番なのだよ」
「もう、リベルトさんったらずいぶん強情なんですわね……」
「ソフィア殿こそ意地っ張りにも程があるのではないかね……」
気づけば、ソフィアとリベルトは厳しい表情を見せながら互いに睨みあっていた。
徐々に言葉が少なくなり、二人の間に張り詰めた重い空気が流れる。
しばしの沈黙の後、何やら目で会話をした二人は、うんと一つ頷いてからそれぞれに口を開いた。
「こうなったら、タクミ殿に決着をつけてもらうしかないか……」
「そうですわね。玉子に必要なのは甘みか塩みか、はっきりさせて頂きましょう……」
その不穏な空気を察した、タクミが眉をピクリと上げる。
しかし、時すでに遅し。
タクミが反応する前に、二人が詰め寄るようにして話しかけてきた。
「タクミ殿。明日の夜に予定していた昼餐で、一つリクエストしたい料理がある」
「リベルト様と私の意見のどちらが正しいか、タクミ殿が美味しいと思う方のご用意をお願いしたいと存じます」
その言葉に、タクミはうーんと考え込んでしまった。
眉間にしわを寄せ、しばらく悩むタクミ。
その様子を見守っていたリベルトが、さらに言葉を重ねる。
「どちらに気を使う必要もない。タクミ殿が信じる“よりおいしい”ものを出してくれればいいのだ」
「お手間を取らせますけど、今日のように私たちの好みではなく、タクミさんが一番美味しいと信じるものもぜひ召し上がってみたいですわ」
「……そこまで仰られるのでしたら、承るしかございませんね。ただ、一つだけ条件がございます。ご予約いただいている明日の昼餐は、いつものようにミニコースとして準備しております。そちらの料理との兼ね合いもございますので、ご用意させて頂くのはオムレツではなく『卵をメインとした料理』という形でお願いしたいと存じます。それでよければご用意させて頂きますが、いかがでしょうか?」
「ああ、それで構わない。ソフィア殿も了承いただけるかな?」
「ええ、もちろんですわ。タクミさん、急なお願いで申し訳ないのですけど、よろしくお願いいたしますわ」
二人の言葉に、タクミは黙って首肯した。
そして二人は、やや冷めてしまった飲み物をくいっと飲み干すと、同時に椅子から立ち上がる。
「甘い玉子など邪道ということ、きっと明日の昼餐でタクミ殿が示してくれるであろう」
「あら、ギャフンというのはそちらですわよ。その強気が見られるのも明日までと思うとちょっと残念ですわ」
「ふん、そっちこそどうやって負けを認めるか、ちゃんと言葉を纏めておくことだな。では、また明日」
「ええ、ごきげんよう」
二人はそのまま連れ立つようにして『ツバメ』を後にした。
タクミはいつものように微笑んで送り出そうとするが、どうしても眉間のしわが拭い去れない。
すると、テーブルの片づけに来たニャーチが、立ち尽くすタクミにそっと声をかけてきた。
「ごっしゅじん……。がんばるのなっ!」
「ニャーチ、聞いていたのなら助け船出してくれても良かったのですよ?」
営業中にもかかわらず、珍しく妻にボヤいてしまうタクミであった。
※第3パートへと続きます。




