38 常連様からの依頼と姿を変えるランチ(1/2パート)
本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。
到着いたしました列車は車庫に入ります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
―― なお、団体でのご利用の際には事前にご予約を頂けましたら幸いです。
「こんにちは。タクミさんはいらっしゃるかね?」
ランチタイムの賑わいが落ち着いたある日の午後下がり、喫茶店『ツバメ』の扉から声をかけてくる男性の姿があった。
カウンターにいたタクミが、帽子が似合う初老の常連客に気づいて軽く頭を下げた。
「いらっしゃいませ。あ、サバスさんお久しぶりです。どうぞお好きな席へ」
「ありがとう。では、とりあえずいつものコーヒーを一つ。それと、後でちょっと相談したいことがあるのじゃが、お願いできるかな?」
「ええ。もう落ち着いた時間になりましたので大丈夫ですよ。シナモンコーヒー一つ、承りました。それでは、少しだけお待ちください」
タクミはそう答えると、キッチンへと声をかけた。
ふにゃーという独特の声がサバスの耳にも届く。
やがてコーヒーを運んできたタクミに、サバスがお詫びの言葉を口にする
「ニャーチ殿は休憩中だったようですな。いや、申し訳ない」
「いえいえ、ちょうど休憩が終わる時間でしたので大丈夫です。お気遣いありがとうございます。まずはご注文のシナモンコーヒーです。添えております堅焼きのガレータはそのまま召し上がっていただいても構いませんし、お好みでコーヒーに浸して召し上っても美味しいかと存じます」
「ほほう。これはまたご趣向ですな。では早速……」
タクミの言葉に頷いたサバスは、やや厚手に焼き上げられたガレータを軽くコーヒーに浸す。
そのまま口へと運ぶと、コーヒーを含んだガレータがほろりと崩れた。
コーヒーの苦み、ガレータの香ばしさと甘さ、そしてさわやかなシナモンの香りが口の中で混然一体となる。
口に残る粉を流すようにコーヒーを啜ると、今度はふくよかな香りが鼻孔をくすぐった。
ふぅ、と一つ息をついてから、サバスが口を開く。
「なるほど、今日も素晴らしい味わいです。しかし、相変わらず面白いことを思いつきますな」
「ありがとうございます。単に私の好きなようにやらせていただいているだけですが、楽しんでいただけたのでしたら、とてもうれしいです。ところで、今日は何かご相談があるとお伺いしましたが……」
「そうそう、肝心な話を忘れるところじゃった。いや、実はですな、今度商会組合の大きな会合がこの街で開かれることになりましてな。その関係でタクミ殿、いや、この喫茶店『ツバメ』に一つお願いしたいことがあるのですが……」
サバスの説明によると、商会組合とは各都市や街にある商会が多数所属している組織であり、年に一度、全体会合が開かれるとのことだ。
開催地は毎年持ち回りで決められるが、今年はハーパータウンで行うことに決まり、その仕切りを、サバスが幹部を務めるシルバ商会にて任されることになったそうだ。
全国から百名以上の関係者が集う全体会合の準備は急ピッチで進められ、無事に開催の段取りは整いつつあった。
しかし、大きな会合には突発的な変更はつきもの。
テネシー国との交易や新たな工場の建設で急速な発展を見せるハーパータウンの街をこの機会に視察したいというものが後を絶たず、希望者を対象とした視察ツアーを別途行うこととなったそうだ。
「でな、そのツアーが全体会合の翌日から翌々日にかけて組まれることになったのですが……。ちょっとこのスケジュールを見てくれますかね?」
サバスはそういうと、一枚の紙をタクミに手渡した。
視線を落とし、内容を目を通すタクミ。
“こちらの世界”に来てから数年がたち、タクミも読み書きに不自由しない程度には文字を理解することができるようになっていた。
その紙に書かれていたスケジュールはかなり詰め込んだものとなっていた。
新しい工場や交易拠点となっている港、それに中心街であるセントラルストリートや観光や保養の地として最近人気が上がってきているスプリングサイドまで巡る予定となっている。
スムーズに移動できたとしても、相当に駆け足となるのが目に見えていた。
「これは参加される方もなかなか大変そうですね。で、私にお願いというのはこちらのことですね」
タクミはそう言いながら、スケジュールの最後、赤いインクで○がつけられた箇所を指で指し示す。
そこには、“昼食後、ハーパータウン発長距離列車 第二便に乗車”と書かれていた。
すなわち、サバスの依頼とはこの喫茶店『ツバメ』で昼食を出してほしいということであった。
タクミの言葉に、サバスが首肯する。
「ご覧いただいた通り、順調に進んでいったとしてもかなりタイトなスケジュールとなっておるのです。これだけの人数での動きになるので、いろいろと予定通りいかないこともあるかと。昼食の時間帯で調整できるよう多少の余裕は設けているつもりではおるのですがが、果たしてどうなることやら……」
シルバ商会内での立場を考えれば、実質的には実務の責任者となっているのであろう。 いつも穏やかなサバスをして、その表情は珍しく苦いものとなっていた。
この店が始まってからの常連であり、“パト”をはじめとして『ツバメ』の営業に必要な様々なものを調達してくれているサバスは、『ツバメ』にとって、そしてタクミにとって大切な“恩人”である。
その恩を返すためにも少しでも力になれれば ―― タクミは自ら協力を申し出た。
「わかりました。このお店で対応できる限り、お力になれればと存じます。必要であれば二階の個室もご利用ください。ところで、今のところ何人ぐらいのご予定になりますでしょうか?」
タクミの問いかけに、サバスが顔を上げる。
先ほどよりも少し表情が明るくなったものの、何か言いにくそうに口をもごもごとさせるサバス。
小首をかしげながらタクミが言葉を待っていると、やがてサバスが重い口を開いた。
「それがな……随分と人数が膨らんでしまい、全体で四十人前後となりそうなのですじゃ」
「四十人ですか……、それはなかなか大変ですね……」
サバスから告げられた人数は、この店の大半の席を埋めてしまうものであっだ。
列車の運行に合わせてやってくるお客様が多く、比較的営業のピークがはっきりしている『ツバメ』ではあるが、さすがにそれだけの人数を一度に迎え入れたことはない。
一度に料理を提供するための段取りも組まなければならないうえ、もしこのホールを使うと知れば実質的に貸し切りしなければならないであろう。
しかし、最近の『ツバメ』は多くのお客様で賑わっている。
特にランチ時などは、近隣からやってくる常連のお客様に加え、列車の発着に合わせて『ツバメ』へとやってくるお客様が重なり、しばしば満席となるほどだ。
サバスの頼みには出来る限り応えたいが、かといって、他のお客様をお断りするような状況もできれば避けたいところであった。
腕を組み、うーんと思案するタクミ。
その様子に心配になったのか、サバスがおずおずと声をかける。
「いや、無理を申し上げるつもりはござらん。難しいのであればそう仰っていただければ……」
「いえ、こちらこそ失礼いたしました。皆さまをお迎えする席をどのようにさせていただこうかと考えておりました。ランチの時間帯に重なっておりますので、この人数ではホールでのご対応が難しそうなのです。かといって、二階の個室では部屋が狭く一部屋でのご案内が出来なくなってしまいます」
「なるほど、確かに四十人ともなるとこの場所をほとんど借り切ってしまうことになってしまいますなぁ……うーむ……」
タクミの指摘にサバスも考え込む。
世話役の立場であれば、予算を積み増して貸切の形で依頼することもできなくはない。 しかし、出来ればそのような形は避けたいとサバスは考えていた。
無論、予算の問題ではない。
『ツバメ』を愛する常連客としては、他のお客様を遠ざけてまで自分たちの都合に合わせることはしたくなかったのだ。
やはり断るしかない……、そう考えたサバスが口を開こうとした刹那、横から明るい声が飛び込んできた。
「お代わりもってきたのなっ!」
「おお、ニャーチ殿、今日も相変わらず元気そうですな」
「サバスさんは眉間がしわしわになってるのなっ。ごっしゅじーん、サバスさんをいじめちゃだめなのなよっ?」
「いやいや、困らせておるのは私のほうですぞ。タクミ殿、無理難題をけしかけて申し訳ない」
「とんでもない。こちらこそせっかくお声掛けいただきましたのに、きちんとお答えできず申し訳ございません」
互いに頭を下げ合う二人を目の当たりにし、ニャーチがふにゃーと首をかしげる。
それを見たタクミが、事情を説明し始めた。
「ああ、先ほど団体のお客様のご予約のお話を承ったのですが、詳しくお伺いするとどうやらこのホールが一杯になるほどのお客様とのことで、ランチをどうやって対応しようか悩んでいたんですよ」
「ふむふむ、それなら簡単なのな!」
「えっ? 何か妙案でもあるのですかな?」
ニャーチの言葉に驚いたサバスが身を乗り出す。
一方のタクミは、うーんと微妙な表情になりながらニャーチの次の言葉をじっと待っていた。
「お店が狭いのならお店を広げればいいのなっ!」
すがすがしいほどシンプルな提案をするニャーチ。
これにはサバスも苦笑いだ。
「うーん。確かにニャーチ殿の言う通りなのじゃが、お店を広げるというのはそう簡単にできるものではありませぬぞ?」
「そうなのにゃっ? だって、お外はいっぱい広いのなっ。だから、そこをお店にすればいいのなっ!」
「しかし、お店となると屋根も壁も作らなければなりませぬしなぁ……」
「いえ、もしかすると……うん、意外といい発想かもしれません」
とても現実的ではないと思われたニャーチの提案に、恐らくは常識的な考えの持ち主であろうタクミまでもが同調する姿勢を見せた。
予想外の展開に、サバスは驚きの色を隠せない。
「そんなことが可能なのですか? こちらからお願いしていて何なのですが、予定日まではあと三週間ほどしかないのですぞ?」
怪訝な表情で顔色を伺うサバス。
タクミは、静かに一つ頷くと、微笑みながら答えを返した。
「この時期であればという限定にはなりますが、一つアイデアが出てまいりました。まず、このホール自体は、窓際の一部の席を除いて皆様のために貸切とさせていただきます」
「いや、それは有り難いのだが、それでは他のお客様が困ってしまうであろう?」
先ほどの懸念点を再び取り上げるサバス。
しかし、タクミは既にその解決策を見つけていたようだ。
「ホールを貸切にする代わりに、外の広場を使いまして臨時のテラス席を設けます。気候も良い頃ですし、この時期であれば外での食事も楽しんで頂けることでしょう」
「なるほど、しかし、机や椅子などはどうするのかね? それに雨が降ってしまったら難しいのではないか?」
「テラス席であれば簡易的なベンチやテーブル代わりになるものを手配出来れば大丈夫でしょう。木箱を並べて布をかぶせるだけでもそれなりの雰囲気になりますしね。それに、屋根については大きな帆布と支柱になるものがあれば、駅舎から渡す形でテント式の屋根も作ることができるかと思われます。ただ、急ぎでの手配になりますのでサバスさんにもご協力頂けると助かりますが……」
タクミから提示された条件は、シルバ商会の力でなんとかなる物ばかりであった。
サバスは鷹揚に頷く。
「それはもちろん。帆布や支柱になりそうなものなら何かしら用意出来るでしょうし、ベンチやテーブルになりそうなものも探してみましょう。最悪、木箱ならどれだけでも用意できますので、そちらでもよろしいですかな?」
「ありがとうございます。資材の目途がつくのであれば、大丈夫かと思われます。あとはスタッフの方ですね。こちらでも手配させて頂きますが、もしお願いできるのであれば、サバスさんの商会の方から二人ほどお借りできませんでしょうか?」
「それくらいはお安いご用じゃ。最近、なかなか見どころのある若いのが入ったから、この機会にタクミ殿の下で勉強させて頂こうではないか」
「そんな勉強だなんて。しかし、お力を借りられるのであれば心強いです。ありがとうございます」
「なんのなんの。こちらこそ、ご無理を申し上げている訳だから、出来ることであればどんどん協力させて頂きます。いや、感謝を申し上げるのはこちらの方です」
サバスがそう言いながらテーブルに手をついて頭を下げた。
それを慌ててタクミがとりなす。
「頭を上げてください。こちらこそ、いつもお世話になっているサバスさんにお力になれるのであればこれほど嬉しいことはありません。精一杯努めさせていただきますので、どうかよろしくお願いたします」
タクミの言葉に、サバスがうんうんと何度も頷いた。
その時、二人のやりとりを眺めていたニャーチが、声を上げた。
「ほらっ! ニャーチの言ったとおりなんとかなるのなっ!」
「こらこら、威張らないの」
なぜか胸を張って自慢げな態度を見せるニャーチを、タクミがたしなめる。
シュンとうなだれるニャーチに、サバスが目尻を下げながら声をかけた。
「確かにニャーチ殿の発案がきっかけになりましたな。いやはや、ニャーチ殿、ありがとう」
サバスから褒められ、にまぁっと表情を崩すニャーチ。
そのゆるんだ表情のままタクミの方を向き、目で何かを訴える。
「……はいはい。ニャーチのおかげです。ありがとうね」
根負けしたように一つため息をついてから、タクミがニャーチの頭をなでる。
言葉のニュアンスとは裏腹に、ニャーチを見つめるその表情はなんとも優しげだ。
最初にこの駅舎で出会った頃から変わらぬ二人の様子を微笑ましく想いつつ、少し冷めてしまったコーヒーを啜るサバスであった。
※第2パートに続きます。




