36 手を取り合う二人と想いを伝える手料理(2/3パート)
※1パート目からの続きです
※話タイトルを変更させていただきました。
温かなポトフの味わいのせいか、夕食の間は詳しい話をする雰囲気とはならなかった。 食後のコーヒーを運んできたタクミが、先ほどまで座っていた席へと戻る。
「さて、ではお話ししようかの……」
カップを口元へと運び、琥珀色の液体から立ち上る香りをしばし堪能してから“駅長”がゆっくりと口を開いた。
“駅長”の話によれば、事件が起こったのはここから二つ離れたウッドフォード駅を出発してしばらくのことであった。
―――
定刻通りに出発した下りの二番列車は、爽やかな天候の中で順調に鉄路を進んでいる
その時、列車の中央、二等客車にて女性の悲鳴のような叫び声が上がった。
それに続いて、咆哮のような野太い怒号が響き渡る。
ガタンゴトンという走行音を切り裂く悲鳴と怒号に、列車に乗り合わせた乗客たちはにわかにざわめきだった。
そして悲鳴と怒号の中心は列車の先頭方向と移っていく。
背後から迫る男性から逃れようと、一人の女性が車両を繋げる通し扉を通って一等車へと駆け込んでいた。
逃げ場の少ない車両の中、男性に追いつかれた女性は、腕を掴まれて連れ去られようとしている。
しかし、女性もそこから逃れようと必死の様子で抵抗を続けていた。
そのただならぬ様子を見かねたのか、一等車に乗っていた唯一の乗客が二人の間に割り込む。
「そして、その乗客がピシリと男性の手を叩き、女性を自分の背後に回らせて庇ったそうじゃ」
「それがリベルト様……ということなのね」
ソフィアの言葉に、駅長が首肯する。
被害者の女性の話では、どうやら男性は彼女に一方的な思慕を抱いていた奉公先の常連客とのことだった。
最初のうちは自分のことを慕ってくれるお客さんという雰囲気だったが、次第に後をつきまわされたり、身を寄せている奉公先の下宿の前で待ち伏せられていたりと、日に日に行動がエスカレートしていったらしい。
あまりにしつこい態度に、彼女自身もその男性に“その気が無い”ということを何度も伝えたようだ。
しかし、その言葉は一向に聞き入れてもらえず、それどころか、下宿先に忍び込んだ男性に襲われかけるという事件が起きてしまったのだ。
この際には下宿先の大家さんご夫妻が気づいて駆けつけてくれたため、幸いにして難を逃れることが出来たようだ。
しかし、このまま奉公を続けていては彼女の身が危険であるということになり、実家へと戻ることになったとのことだ。
奉公先の主人が手配した切符でハーパータウンへと向かう列車に乗り込む彼女。
しかし、どこから見張られていたのか分からないが、列車に乗り込む彼女の姿を見かけた男が、彼女の後を追って列車に乗車する。
もちろん切符など購入していない、無賃の不正乗車だ。
「列車が動き出してしまえば彼女に逃げ場はないし、あとは彼女を捕まえて列車から飛び降りてしまえばいいと考えておったらしい。なんとも浅はかな考えじゃ」
「でも、その浅はかな考えはもろくも崩れ去り、リベルト様のいる一等車に逃げ込まれてしまった、そういうことなのね」
眉間に皺を寄せ、浮かない顔を見せるソフィア。
その言葉に駅長もゆっくりと頷く。
「リベルト殿は、なおも女性へ襲いかかろうとするその男をあっさりと返り討ちにしたそうじゃ。車掌が駆け付けた際には床に倒れ込んでいるような状況だったようじゃよ」
「そうでしたの。でも、それでは一件落着ではございませんこと?」
ソフィアの言葉に、“駅長”がうーむ……と口を真一文字に結んだ。
そしてじっくりと言葉を選びながら、説明を再開する。
「倒れた男を連行しようと車掌が抱きかかえた瞬間に目を覚ましたらしくてな。逆上した男が懐に隠し持っていたナイフを持って女性に突っ込んでいったそうじゃ。そして何とも間が悪いことに、女性が男に背を向ける形になっていたらしくてな……」
「先に気づいたリベルト様が女性をかばった拍子に刺された、ということね……」
「誠に申し訳ない。車掌がもう少し慎重に対応しておればこんなことには……」
テーブルに頭をこすり付けんとばかりに、“駅長”が頭を下げる。
列車の運行にかかわるタクミとしても、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
駅長の謝罪の言葉の後、ソフィアはしばし目を瞑り、黙想する。
そして、再び目を開くと、ゆっくりと口を開いた。
「……不慮の事故ですわね。“駅長”さんが謝る筋合いはございませんわ」
「い、いや、しかし……」
話しかけようとする駅長の言葉を遮るように、ソフィアが首を横に振る。
「いいえ、偶然が重なっただけの不慮の事故ですわ。確かに車掌がしっかりと抑えてくれていればとか、お金も払わずに乗り込むのを見逃さなければいう気持ちは湧きあがってきます。でも、それは全部後から考えたから分かることなのですわ」
早口でまくしたてるソフィア。
“駅長”もタクミも、その言葉をじっと黙って聞き続ける。
「それに、その女性とリベルト様が同じ列車に乗り合わせたことはもちろん、一等車の方へ駈け込んで来たのも偶然ですわ。そもそもそんな不埒なことを考えて、暴力に訴えようとしたその男が一番悪いのですわ!ねぇ、タクミさんもそう思いませんことっ?」
ソフィアからの呼びかけに、タクミは目尻を下げながらただ黙って微笑む。
その反応に構うことなく、ソフィアの口から思いがほとばしる。
「だいたい、リベルト様もいけないのですわっ! きちんとトドメを差さないからこんなに合うんですわよ! それとも、女性に見とれて油断でもなさってたのかしら? そうですわ、きっとそうに違いませんわ!」
声を荒げてまくしたてるソフィア。
いつしかその目元からは大粒の涙が零れ落ちていた。
「……ごめんなさい。しばらく一人にさせてくださいませ」
嗚咽が漏れ出てしまう口元を押さえながら、ソフィアが席を立つ。
二人は、二階へと向かうソフィアをただ黙って見守るのであった。
―――――
その日の夜、ソフィアはタクミに用意してもらった二階の個室にそのまま一晩泊まることとなった。
用意してもらった部屋のベッドにうつぶせになってみるものの、なかなか寝付くことができない。
結局、ソフィアはうつらうつらしただけで十分に眠ることなく翌朝を迎えてしまう。
『ツバメ』のホールへと降りてきた彼女の目の下には、うっすらと隈が出来ていた。
「あ、ソフィアさんおはようございますなのなっ! ごっしゅじんは駅舎の方の準備にいってるのなっ。ごっしゅじんが用意してくれてる朝ごはんをよそって来るから、そこに座ってちょっとまっててなのにゃーっ!」
「ありがとう、何から何までごめんなさいね」
お礼の言葉を口にしてから席へと着くソフィア。
普段お店で見かけるのと変わらないニャーチの様子に、つい微笑みがこぼれる。
そういえば、モーニングは何度か頂いたことがあるが『朝ごはん』は初めてだ。
そんなことに気づけば、少しだけ食欲がわいてくる。
眠りが浅く疲れは残ってしまっているが、朝ごはんを頂いて元気を分けてもらおう ―― ソフィアは椅子にゆっくりと身体を預けながら、ニャーチが戻って来るのを静かに待っていた。
「お待たせなのなーっ! ニャーチの分も運んできたから一緒に食べるのなっ!」
カウンターから戻ってきたニャーチが手にしたトレイの上には、大き目のボウル皿と小さなプレート皿がそれぞれ2つずつ用意されていた。
ニャーチは運んできた料理をテーブルに並べてからソフィアの隣に腰を掛ける。
そしてそのまま、普段通りの元気な声で食前の挨拶を始めた。
「いっただっきますなのにゃーっ!」
ニャーチが唱える独特の食前の祈りを横耳で聞きながら、ソフィアも胸の前で手を組み神への感謝と祈りを捧げる。
今日の朝ごはんは、ボウル皿に注がれた具だくさんのスープがメインのようだ。
添えられた小プレートには、小さ目のオムレツとエピスナーカの炒め物が添えられている。
湯気が立ち上るスープを木匙で掬うと、中から白い粒状のものが現れた。
「これは……アロースかしら?」
そうすると、これはリゾットのような料理なのだろうか?
それにしてはスープがさらりとしている。
もし、リゾットであればもう少しとろみがつくはずだ。
すると、これはどんな味がするのだろう……。
好奇心を刺激されたソフィアは、想像を巡らせながら木匙で掬ったスープを口へと運んでいった。
「……あぁ」
無意識のうちにため息がこぼれる。
しみじみと染み渡る美味しさとは、まさにこのことだ。
ベースは昨日頂いたポトフというスープであろう。
一晩寝かせたことで味わいがまろやかになっており、鶏肉や野菜の旨みも一層増している。
その深い味わいのスープに、今朝加えたと思われるトマトの角切りが新たな爽やかさを加えていた。
そして加えられたアロースの味わいも絶品だ。
普段頂くリゾットだともったりとした仕上がりとなるが、今日のスープはとろみがついておらず、さらりと仕上げられている。
このスープだからこそ、ソフィアも喉を通すことができたと感じられた。
サイドに出された小さなオムレツはふんわりと仕上がっており、やや甘めの味わいが心地よい。
エピスナーカにはバターで炒められているようで、少しこってりとした味わいが、程よく食欲を刺激してくれた。
(きっとこれは、私を気遣ってくださったのね……)
一見するだけでは、何気なく感じられる朝食。
しかし、その一つ一つにタクミの気配りと優しさが感じられた。
ソフィアは、静かに感謝を捧げつつ、スプーンを進めるのであった。
―――――
ゆっくりと時間を賭けて朝食を食べ終えたソフィアは、せめてものお礼にとキッチンに入ってニャーチと共に食後の後片付けを手伝っていた。
洗い場に仲良く並んで食器の片づけを進めていると、ニャーチが話しかけてきた。
「ソフィアさんは、リベルトさんのことが好きなのなっ?」
そのド直球の質問に、ソフィアは思わず吹き出し、手にしていたお皿を落としそうになってしまう。
しかし、つぶらな瞳で訴えかけてくるニャーチに、つい素直な言葉がこぼれ出た。
「きっとそうなのですわね。だって、こんなに眠れない程心配だったのですもの」
「そうなのなっ! あのねっ、リベルトさんもきっとソフィアさんのこと、好きだと思うのにゃっ。 だから、もしソフィアさんもリベルトさんのことが好きなら、ちゃんとと好きって伝えるのがいいのなっ!」
あまりにも純粋な言葉に、ソフィアは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
確かにニャーチの言う通り、リベルトのことは憎からず思っている。
しかし、そうそう話は簡単にはいかないだろう。
リベルトは元公爵家の現役大使閣下だし、自分自身もそれなりの家柄を持つ銀行家だ
お互いに好き同士だけでは済まされない。
互いの家の発展はもちろん、場合によっては国通しの修好ということも考えなければならない ―― ソフィアはそう理解しているつもりだった。
そう伝えようと思い口を開きかけたソフィア。
しかし、きょとんとした表情で見つめてくるニャーチに、言葉を詰まらせる。
ニャーチの視線は何かを訴えかけてきているようにも感じられた。
「昨日、ソフィアさんいっぱいいっぱい悲しいの顔になってたのなっ! それくらいリベルトさんのことを大切に思ってるなら、やっぱり一緒にいないとだめなのなっ! リベルトさんの気持ちは、ニャーチが保証するのな。これはおんなのカン……?なのにゃーっ!」
ずいぶんと根拠の薄い保証に、ソフィアの口元からくすっと笑みがこぼれる。
でも確かに、リベルトのことを思うと今でも心が張り裂けそうになる。
早く目を覚ましてほしい、声を聞かせてほしい……。
いつしかソフィアは、手にしていた手ぬぐいを胸元でギュッと握りしめていた。
その時、キッチンの扉が勢いよく開かれた。
バーンというけたたましい音に、びくっとなるソフィア。
音のした方を振り向くと、そこには肩で息を切るテオの姿があった
「リ、リベルト……、リベルト閣下が……」
「ど、どうされまして!?」
よほど慌てて走って来たのか、息も絶え絶えにするテオ。
しかし、ソフィアはそんなテオの様子に構うことなく詰め寄っていく。
吉報なのか、それとも……、ソフィアの胸は、今にも飛び出さんとばかりにバクバクと高鳴った。
ようやく呼吸を取り戻したテオが言葉を発したのは、その直後であった。
「リベルト閣下、目を覚まされました!」
※第3パートへと続きます。
※筆者の都合により第3パートの更新は3/31(木) 22時過ぎの予定となります。
お待たせすることになり申し訳ございませんが、何卒よろしくお願い申し上げます。




