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6 待たされた男とサービスのランチ

乗客の皆様、長時間のご旅行お疲れ様でした。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。到着いたしました列車は、整備点検の上、折り返し、ウッドフォード行き2番列車となります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。

――― なお、改札口は大変混雑いたしますので、順序良くお並びいただけますようお願い申し上げます。


「ほいよ。一斉電信だとよ」


 モーニング営業のオーダーに目途をつけたタクミは、ホールでの接客をニャーチに任せ、プラットホーム上にて車庫からやってきた始発列車を出迎えていた。いつも通り出発時刻の10分前に入線してきた始発列車の車掌へ挨拶をすると、車掌から一通のメモを手渡された。電信による連絡があったようだ。タクミが“駅長代理”を務めるハーパータウン駅には専属の電信士が置かれていないため、車庫の待機所が電信での連絡を受けることとなっている。とはいえ、定期的な業務連絡以外で電信を受けることはほとんどなく、特に今回のような「臨時の一斉電信」が発報されたというのは、タクミがこの駅舎で働くようになってから初めての経験であった。


 タクミは、受け取った電信の内容を確認すると、眉間にしわを寄せた。そして、ひとしきり思考を巡らせた後、丁寧にメモをたたんでポケットに入れる。そして、一つ大きなため息をつき、気持ちを切り替えて改札口へと向かった。既に改札口には乗車を待つ多くのお客様が集まっていた。


「お待たせいたしました。ただいまより、本日の始発列車の改札をはじめさせていただきます。ご乗車の皆様は、お手元に乗車券をご用意いただきまして、改札口までお越しください」


 タクミは、普段と同じように改札を通るお客様を笑顔でお出迎えする。雑踏のにぎやかな雰囲気の中で、改札鋏のカチカチカチという音が小気味よくリズムを刻んでいく。常連さんのお顔を見れば、流れが滞らないよう配慮しながらも、一言ずつ声をかける。一見のお客様にも、どうぞ、お気をつけて行ってらっしゃいませと声を掛けるのを忘れない。一人一人のお客様を笑顔でお出迎えし、お見送りの時にはお客様を笑顔にする、タクミは“駅長代理”として最初に教えられた心得をしっかりと守れるよう努めていた。






◇  ◇  ◇






 始発列車の改札業務を終えたタクミは、第1便が到着するまでの間に急いでランチ営業の支度を行う。最初にとりかかったのはランチ用の付け合せの準備だ。キッチンに戻ってきたタクミは、ロケットストーブの火にかけられた寸胴鍋の蓋をあけて中身を確認する。始発便の改札業務を始める前、モーニング営業と並行して仕込んでおいたものだ。寸胴鍋の中には、きれいに皮が剥かれ、4つに割られたパタータ(じゃがいも)が、熱湯の中でグラグラと踊っていた。


 パタータの状況を確認したタクミは、水桶の中に沈めて置いた深い緑色のペピーノ(きゅうり)と、鮮やかな橙色のサナオリア(にんじん)、そして真っ白な新物のセボーリャ(玉ねぎ)を取り出した。ペピーノは縦に6つに割り、サナオリアは皮を剥いてからやや細めのスティック状にすると、それぞれ細かく刻んでボウルの中に入れ、軽く塩をふりかけてなじませる。セボーリャは皮を剥いて半割にし、こちらはごく薄くスライスするように刻んで濃いめの塩水につける。新物のセボーリャであればヒネ物よりも辛みは弱いが、食べやすくするために行っているひと手間だ。


「マスター、おはようございます! 今日は何からすればいいっすか?」


 ランチの準備を進める中で、元気のいい挨拶とともにロランドが到着した。タクミも、おはよう、今日もよろしくね、と声を返す。手早く身支度を済ませ、入念に手洗いをするロランドに、タクミは今日のメニューと段取りを説明する。ロランドのいつもの受け持ちはAランチ用のライス―― “こちらの世界”ではアロースと呼ばれている長粒種のコメだ ―― を茹でる(・・・)ことと、BランチやCランチとして提供するパンやトルティーヤをトーストすること。これに、その日のメニューに合わせた下準備の作業が割り当てられる。


「じゃあ、今日は例のソースから作ってもらいましょうか。 丁寧な作業が必要ですが、任せても良いです?」


「了解っす! 頑張るっす!」

 

 タクミは、ロランドに、必要な食材や調味料を用意するように指示を出した。ロランドが用意したのは、今朝届いたばかりの新鮮な卵にコルザ(菜種)油、砂糖、塩、それと白ワインビネガーだ。今日作るソースは、卵の黄身の部分のみを使うため、ロランドはよく洗った卵の殻を慎重に割って、2つにきれいに割れた殻を使って白身と黄身を別のボールに取り分けていく。最初はまるで手品のように感じたこの作業だが、賄いや試作品の準備の際に何度も練習させてもらったおかげで、今ではすっかり手慣れたものとなっていた。


「卵の黄身、用意できました!」


「ありがとう、味付けは覚えてます?」


「えっと…砂糖と、塩、それにビネガーっす! 入れたらしっかり混ぜるっす!」


「うん、それでOKです。じゃ、一度味付けしてみてください。味付けは薄めで、一度濃くなったら戻せませんから、気を付けて」


 タクミは、自身の段取りを手際よく進めながらロランドに指示を出す。ロランドは、タクミの指示通り、ボウルの中へ砂糖、塩、白ワインビネガーを加えてよく混ぜ合わせた。泡立て器でよく混ぜられた卵の黄身は、わずかに白みが入り、もったりとした卵液となっていた。


「これでどうっすか?」


 ロランドからボウルを渡されたタクミは、一舐めして卵液の味を確認する。ほんの少しだけ塩を足したら、うん、と笑顔で頷いてOKサインを出す。


「これでOKですね。さて、ここからが大変ですね。急がなくていいので慎重にお願いします」


「了解っす!」


 ロランドはタクミから戻されたボウルの中へ、糸を垂らすようにほんの少しずつコルザ油を入れながら、泡立て器でしっかりと混ぜ合わせていく。このソース作りの最大の難所であり、出来栄えを大きく左右するポイントだ。最初の頃は、油が一度にたくさん入ってしまって、卵液の水分とコルザ油を上手く混ぜることができなかった。とにかく少しずつ、慎重に、ロランドは細心の注意を払って少しずつコルザ油を投入していく。投入する油の量は卵黄3個に対して手つきの小さなボウルに一杯。その間、ボウルの中身を泡立て器で混ぜ続けなければならず、体力的にも大変な作業だ。それでもロランドは、根気よく、丁寧に作業を続けた。


 5分ぐらいかけて半分ほどのコルザ油が入ったところで、油と混じりあった卵液が重たさを増していき、もったりとしたクリーム色になっていく。ここまでこれば一山超えたといったところだ。ロランドは、少しペースを速めながら、コルザ油を投入する。泡立て器を動かす腕を一切の休みなく動かし続けていくと、さらに中身が硬さを増していく。こうして全てのコルザ油を投入し終えれば、クリーム色をした風味豊かなソース ―― マヨネーズが出来上がった。ロランドは出来上がったソースをスプーンで少しだけ掬い取り、手のひらに載せてペロッと舐める。白ワインビネガーの酸味と油の甘さを持ったコクとが卵黄の豊かなの風味に包まれ、まろやかな味わいに仕上がっていた。


「マスター、ソースできましたっす!」


 ロランドは、出来上がったソースをタクミに渡す。何度やっても緊張する瞬間だ。タクミもロランドと同じように手のひらにソースを取り、一舐めする。丁寧な作業のおかげで、十分に乳化されているようだ。酸味もきつくなく、これなら十分な出来栄えだ。


「うん、バッチリです。じゃあ、次はこちらを手伝ってもらいましょうか」


「了解っす!」


ロランドは、タクミの指示に従って穴が開いたレードルでパタータをひとつ残らず大きなボウルに移し替えると、ボウルの両端をしっかりと押さえた。タクミは、ロランドが抑えているボウルの中のパタータを素早く木べらで潰しながら、先ほど作ったマヨネーズを混ぜ合わせていく。すると、パタータとソースがしっかりと合わさっていき、黄色みが混ざった白いペースト状になっていった。ある程度なめらかなペースト状になったところでロランドに混ぜ合わせ作業をバトンタッチ。その間に、タクミは、先ほど細かく刻んで塩をしておいたペピーノとサナオリアをさらし布で包み、ぎゅっと水分を絞った上でボウルの中へ入れていく。同じように、セボーリャのスライスも水分をしっかりと絞ってからボウルに投入し、全体をさっくりと混ぜ合わせる。 最後に、もう一度全体の味を確認してから、塩、胡椒、そして柔らかい辛みが特徴の種子であるモスターサ(マスタード)で調味。 淡黄色のペーストの中に緑と橙色が鮮やかにちりばめられた、見た目にも美しいペピーノサラダが出来上がった。


「しかし、このソース……えっと、まよねーずでしたっけ? これ、ホントすごいっす!」


「そう? 自分が昔住んでたところだと、普通に食卓に上ってたんですけどね。瓶とかに入って売ってましたし」


「そうなんっすか?じゃあ、この店でも売ったらいいんじゃないっすか?」


 ロランドの素直な言葉に、タクミは思わず苦笑いしてしまう。


「そうできればいいんですけどねぇ…残念ながら、これは、常温だとあんまり日持ちがしないんです。そもそも、これをたくさん作るとなると、正直大変じゃないですか?」


 タクミは腕をさすりながらロランドに尋ねる。


「あっ……そうでしたっす。自分、腕パンパンっす。こればっかりになると無理っす!」


 今度はロランドが苦笑いをしていた。そんなたわいもない会話を続けていると、ニャーチがホールとキッチンを繋ぐ入口の扉を勢いよく開けて、声をかけてきた。


「ごっしゅじーん! でん…しん…? なのなーっ! 車庫の人が届けにきてくれたのにゃー!」


 今日2度目のイレギュラーの電信だ。タクミは、ニャーチが預かったメモを受け取ると、内容を確認する。その内容に、1件目の電信と同様、厳しい表情となる。


「マスター? どうしたんっすか?」


 ロランドが心配そうにタクミを覗き込む。


「んー、ちょっとね……。 んー…………」


 タクミは腕組みをしてひとしきり思案する。そして、今日のランチに向けて用意していた食材をもう一度一つずつ確認する。キッチンテーブルには、食料庫から昨日のうちにヨーグルトに漬け込んでおいた鶏のモモ肉が置かれていた。ヨーグルトの酵素の働きで柔らかさを増した鶏肉は、本日のCランチのメインに使われる予定だった。


「ふぅむ…よし、急で申し訳ないですが、メニューを変更します。今日はCランチはお休みにして、AランチとBランチの2つで行きますね。 とりあえず、ロランドはいつものようにアロースを茹で始めてもらえますか?」

 

 ロランドは、タクミの唐突な言葉に驚き、思わず聞き返してしまう。


「マスター、どうかしたんっすか?」


「うーん、ちょっと今日はこの後ひと波乱ありそうな感じでして、たぶん“駅長代理”の仕事の方に引っ張られそうな感じになってしまいました。で、ロランド、今日のランチ営業のキッチン仕事、任せてもいいですか?」


「え? ま、まじっすか!?」


 タクミの思わぬリクエストに、ロランドは大きく目を見開いて驚愕する。


「うん、Aランチの煮込みはもうできてるので、いつものように盛り付けてもらうだけで大丈夫です。Bランチのサンドも最後に挟むだけの状態まで準備出来るでしょうから、そっちも何とかなるでしょう」


「で、でも、まだ一人で仕上げって…」


 ロランドが不安そうにタクミを見上げる。


「大丈夫、いつも通り落ち着いてやればちゃんと出来ます。盛り付けとかはニャーチにも手伝わせますし、余裕があれば私も確認しますしね」

 

 タクミは、ロランドを励ますように話しかける。ロランドは、いや、それでも…と不安そうだったものの、最後には迷いを振り払うかのように頭を大きく振って、こう宣言した。


「わかりましたっす!じゃあ、今日のキッチンは任せてくださいっす!!」


 タクミは元気を取り戻したロランドの声に大きく頷き、普段と少しだけ違うランチ営業に向けて準備を進めながら、ロランドへ注文が入った時の作業手順を説明する。ロランドも、気を引き締めながらしっかりと段取りを確認し、頭の中で反復練習を繰り返した。






◇  ◇  ◇






「いや、先ほどは本当に申し訳ございませんでした。私の不注意で大変なご迷惑をおかけしてしまいました。」


「いえいえ、不可抗力ですし、仕方がないですよ。商品も無事でしたし、本当にもう大丈夫ですよ。ちょっとヒヤッとしましたけどね」


 ランチ営業中の喫茶店『ツバメ』のホールでは、整った身なりの年配の男性が、チェック柄のハンチング帽を被った若い男性に恐縮そうに話しかけていた。本日最初の到着便の出札業務を終え、ホールでの接客に回っていたタクミが二人の男性客に声をかける。


「先ほどはお手間を取らせまして申し訳ございませんでした。ニコラス様、ロドリゴ様、お怪我はございませんでしたでしょうか?」


「ええ。ちょっとびっくりしましたが、おかげさまで」


ニコラスと呼ばれた若い男性客がタクミに答える。続いて、年配の男性も答える。


「ええ、ありがとうございます。みっともないことでお手間を取らせてしまいまして申し訳ございませんでした」


「それは良かったです。当鉄道としても今回の件をきちんと報告し、今後このようなご迷惑をおかけしないよう注意したいと存じますので、ご容赦いただけますようお願い申し上げます。では、ご注文の品が出来上がりますまで、少々お待ちください」


 タクミは深々と一礼して、二人の男性客の席から離れた。時間は少し遡る。本日最初の到着便がハーパータウン駅に到着したとき、ちょっとした“事件”があったのだ。二等車から降りようとした乗客 ―― ロドリゴが客車とプラットホームの段差によろめいてしまい、前にいたニコラスを押し倒してしまったのだ。その際、ニコラスが持っていたカバンが宙に放り出されてしまい、地面に強く打ちつけられてしまったのだ。


 悪いことに、ニコラスが持っていた革製の頑丈なアタッシュケースには、商売の品である懐中時計や宝飾類が多数入っていたのだ。出札対応中だったタクミは、ニコラスが大慌てで荷物を確認する様子を見かけるとすぐに駆け寄って事情を把握し、いったん駅長室に入っていただいた。その際。悪気はなかったとはいえ、万が一何かあったら…とロドリゴにも残っていただいていた。結果としては、全て荷物は無事だったのだが、確認が終わるまで大幅に時間がかかってしまったため、二人が乗り継ぎ予定であった馬車鉄道は先に出発してしまい、次の便を待たなければならない状態であった。


 ロドリゴは、サーブされた水をゴクゴクと飲み干すと、ニコラスに話しかける。


「しかし、お若いのに素晴らしい商売をされているんですね」


「いえいえ、私などまだまだ若輩者で。たまたま良いご縁を頂いているだけですよ」


 ニコラスは、謙遜しながら応える。ニコラスの言葉を借りるとすれば、宝飾品や細工物の高級な懐中時計などを取り扱う個人商人とのことだ。腕の良い職人からこれらの商品を買い付けては、街から街へと旅をしながら、商品を求める人たちへ“ご縁を繋いでいる”とのことだ。


 ロドリゴは、ニコラスの旅の話が面白いのか、興味深そうに質問を投げかける。ニコラスも、聞き上手なロドリゴのペースにすっかり気分をよくして、あの街ではこうだった、あそこの街ではこんなことがあったと楽しそうに話をしていた。そんな二人の会話に割り込むように、タクミは声を掛けた。


「お話中失礼いたします。ご注文のBランチでございます」


 タクミは、一声だけかけると、ニコラス、ロドリゴの順でBランチをサーブする。二人がオーダーしたBランチは2種類のサンドイッチセットだ。一種類目は、食べなれたコーンブレッドに緑や橙色のものが混ぜられた白いペーストが挟まれたもの。もう一つは、あまり見かけない丸いパンに、ちぎったレチューガやスライスされたトマト、それに何か鶏肉に粉を振って調理されたものと、白いソースが挟まれていた。


「ペピーノサラダサンドとチキンタツタ風バーガーのセットです。どうぞごゆっくりお召し上がりください」


 タクミはメニューの説明を終えると、一礼をして席を離れた。ニコラスは、出された料理をしげしげと見つめる。いろいろなところに旅してきたニコラスだったが、このような料理を見るのは初めてだった。どちらから食べようか目移りをしていたニコラスに、ロドリゴが声を掛ける。


「ここのメニューは、本当に珍しいモノばかりで。いつも驚かされるんですよ。ささ、どうぞお召し上がりください。私もご相伴させていただきます」


 迷惑をかけたせめてものお詫びとしてこの店でランチをご馳走したいとニコラスを誘ったロドリゴは、待ちきれない様子で白いペーストが挟まれたサンドイッチに手を伸ばした。ニコラスも、つられて同じものに手を伸ばす。三角形になるよう二つに切り分けられたサンドイッチの断面は、黄色いコーンブレッドに挟まれた白いペーストの中に緑と橙の星がちりばめられており、見た目にも美しい。


(まぁ、でも食い物は結局味だしな…)


 ニコラスは白いペーストが挟まれたサンドイッチを左手で持ち、一口目をぱくりとかじりつく。ペーストのねっとりとした食感の中に、ほどよい酸味と甘み、そしてペピーノの豊かな風味が口中に広がる。


(うめっ!なんだこりゃ?単にペピーノを潰しただけじゃないのか?)


 予想外の食感と味わいに驚いたニコラスは、二口、三口と一気に食べ進める。挟まれているペーストの基本の味わいは茹でたペピーノをつぶしたものだろう。だが、そこに、自分の知らない“酸味と甘みを兼ね備えた何か”が混ぜられている。風味からすると卵であろうか? でも、卵を混ぜているとすればもっとボソボソするはず…それなのにこのペーストはすごくしっとりと滑らかだ。ニコラスは、この豊かな味わいを持つペーストがはさまれたサンドイッチを夢中になって食べ進めていった。


ニコラスは、続いて、もう一つの鶏肉が挟まれたサンドイッチに手を伸ばし、一口目を齧る。


(こっちもすげえ! なんだ?この白いソースは??)


 ニコラスは、断面からシャキシャキとしたレチューガと真っ赤なトマトの独特の食感と酸味、それにハーブをまぶされて調理されたのであろう鶏肉の味わいまでは予想していた。しかし、ニコラスはこれらとともに挟まれた“白いソース”の甘みと酸味とコクがたっぷりと詰まった味わいに、驚愕をせざるを得なかった。 ニコラスは、思わず白いソースだけを指で掬ってペロリとなめる。最初に感じたのは先ほどと同じような甘みと酸味、それをしっかり下支えしているのが強烈なコクの塊…油の旨みのように感じ取れる。しかし、ある程度の酸味があるせいか、直接油を舐めた時のようなしつこさを感じることはない。むしろ、何か共に入れられたもののおかげで、これらの味わいがまろやかにまとめられていた。


 鶏肉のサンドイッチも、先ほどのペピーノを使ったサンドイッチとは食感も味わいも全く異なるものであった。しかし、ニコラスは、奇妙な親近感を感じていた。先ほどの白いソースとペピーノサラダの味わいにはどこか共通点が感じ取れたのだ。


(そうか! これはペピーノをつぶした物にこの白いソースを混ぜ込んでいるんだ!)


 気付けば、ニコラスは夢中になって食べ進めていた。左手でサンドイッチを取るとむしゃむしゃと豪快にかぶりつき、右手に持ったおしぼりで口元をぬぐう。これを何度か繰り返し、あっという間に皿がカラになった。食べ終わるタイミングを見計らっていたかのように席へと近づいたタクミがニコラスに声をかける。


「食後のコーヒーです。どうぞお召し上がりください」


 その言葉に、ようやく我に返ったニコラスは、あ、ありがとう、と少しどもりながら言葉を返した。出されたシナモン・コーヒーは、独特のさわやかな甘い香りを漂わせており、お腹いっぱいになったニコラスの胃を落ち着かせていた。


「いや、美味かったです。特にあの白いソース、あれが絶品でした。この店のオリジナルですか?」


「いえいえ、私の故郷でよく食べられていたものです。お気に召していただけましたでしょうか?」


「ええ、素晴らしい味わいでした。いや、しかし、私もずいぶん旅を続けてきましたが、このようなソースは初めてですね」


「過分なお褒めの言葉、ありがとうございます。では、間もなく迎えの馬車が到着するかと思いますので、しばしお待ちください」


 タクミが一礼をして席を離れると、今度はロドリゴがニコラスに声をかける。


「時にニコラスさん、先ほどの商品、私にもう一度見せていただけませんか?いや、実は私もああいった品に興味がございまして…」


「ほう、それはそれは、もちろん構いませんよ」


 ニコラスは、アタッシュケースをテーブルに置き、留め金をパチン、パチンとはずす。そして、両手でしっかりと蓋をもち、慎重に開いていく。なかには大小仕切られた区画の一つずつに柔らかい白い綿が敷き詰められ、そこに大きな宝石のついた指輪やネックレス、細やかな細工が施された懐中時計が入れられていた。


「どうでしょう、何かお気に召すものは?」


 ニコラスは、指輪や懐中時計をロドリコから渡された白い布地のハンカチーフで包むように丁寧に手に取り、興味深そうに確認していく。そして、いくつかの商品を見比べた後、重そうに口を開いた。


「うーん…いや、どれも素晴らしいものばかりなのですが……」


 その言葉に、ニコラスは思わず目を見開いて、ロドリゴの顔を見つめる。ロドリゴは言葉を続ける。


「いや、例えばこちらの懐中時計。これはバルラガン社製のものですよね? それに、こちらの指輪やネックレスはエルモーソやヴィセンテといったところでしょうか? どれも確かにいいものですが…例えば、この列車に乗ってローゼスシティの百貨店まで出向いたとしたらどうでしょう?」


 ニコラスは、ロドリゴの目利きに思わず感嘆する。


「…いや、脱帽です。確かにこちらの商品は良い品ではありますが、比較的手に入りやすい出回りの品です。まぁ、ローゼスシティのような都市に出られる人はまだまだ限られていますので、こうした商品でも十分喜ばれるんですけどね」


 ロドリゴは、ニコラスの言葉のニュアンスを捉え、ニコラスに鋭い視線を投げかけながら言葉を発する。


「つまり、あなたの本当の力は他にあると?」


 ニコラスは、その言葉を待っていたかのようにニヤッと笑い、懐から一つの包みを取り出す。


「…たとえば、このような品であればいかがでしょうか?」


 ロドリゴは、そっと受け取りながら恭しく包みを開いていく。中におさめられていたのは非常に細かな細工が施されたゴールドの土台に、銀貨を2つ並べたほどの大きなティアドロップ型のどこまでも透き通った白い石 ― ダイヤモンドが置かれたペンダントトップだ。丁寧にカットされたダイヤモンドは、まばゆいばかりの輝きを放っていた。


「先日手に入れたばかりの逸品です。ロドリゴ様のお眼鏡にかないますでしょうか?」


 ロドリゴは真剣な表情で渡されたペンダントトップを見つめる。ダイヤモンドの大きさもさることながら、土台に施された非常に細やかな彫刻も素晴らしいものだ。ロドリゴは、このペンダントトップが記憶の中にあるものと一致することを確信した。


「これは、もしや……?」


 ニコラスは、ロドリゴの反応にニヤリと微笑む。そして、ロドリゴから返されたペンダントトップをもう一度丁寧に包んで、懐へと戻しながら言葉を返す。


「ええ、お察しのもので間違いないかと」


「なるほど……いや、感服いたしました。ぜひ、こちらについてお話をさせて頂きたいのですが、このあとお急ぎということでなければ、ご一緒頂けませんでしょうか?」


「急ぐ旅路でもございませんでしたので、問題ございませんよ。私としてもせっかくのご縁ですし、ぜひお願いしたいところです」


「では、ぜひお願いいたします。っと、そろそろ参りましたかな」


 ロドリゴがテーブルの向こうを眺めると、タクミが近づいてきていた。タクミは、ロドリゴに一枚のメモを手渡すと、二人に話しかける。


「大変お待たせいたしましたニコラス様、ロドリゴ様。お迎えが参りました。ご一緒ということでよろしいでしょうか?」


「ああ、先ほどそのような話に…ってなぜご一緒することになったことをご存じで?」


 ニコラスは、タクミの言葉に違和感を覚え、聞き返す。タクミが何か言葉を発しようとしたのを制し、ロドリゴが答える。


「ニコラスさん、あなたは私と共にいかなければならないんですよ。っと、マルコス・ベルナルドさんとお呼びした方がよろしかったでしょうかね?」


 ロドリゴの言葉にニコラスは大きく目を見開く。次の瞬間、ニコラスはテーブルの上に置いておいたアタッシュケースを乱暴にひったくると、出口へ向かって駆け出した。その動きを予測していたかのようにタクミがニコラスの進路をふさぎ、足をかける。勢い余ったニコラスは、派手に転倒して床を転がった。アタッシュケースが転がり、派手に飛び散る。すぐさま、ロドリゴがニコラスの背に馬乗りとなり、背後から腕を絞め上げた。


「マルコス!残念だったな!」


 ニコラスと名乗っていた男 ―― マルコスは、床に突っ伏したまま醜く顔を歪めていた。






◇  ◇  ◇






「いやー、マスター、びっくりしましたよ。うちの店であんな大捕り物になるなんて」


 ランチ営業を終えたキッチンで、ロランドが後片付けの皿洗いをしながら、タクミに話しかける。タクミはやや苦笑いをしながら答えた。


「まぁ、本当にこんな流れになるとは思いませんでしたけどね。それに、他のお客様にご迷惑をおかけしてしまいました。まだまだです」


「でも、ご主人はどうしてあの人が悪い人ってわかったなのな?」


 ホールの床掃除をしていたニャーチがキッチンを覗き込みながら訪ねてくる。


「ああ、それはコレのおかげだね」


 タクミは、ポケットから2枚のメモを取り出し、ヒラヒラと見せる。


「これって、ランチの仕込中に届いたやつです?」


「そうそう。あともう一枚は朝一で届いたモノですね。この電信のおかげで、事前準備をすることができたんです」


 タクミは今日一日の出来事を振り返りながら説明する。朝一で届いた電信には、ローゼスシティにて詐欺事件が発生したことと、その犯人と思われる人物が列車に乗って逃走を図っている可能性があることが伝えられていた。そして2通目の電信で、犯人と思われる人物の詳しい人相と、“鉄道保安官”がその人物をマークしていることが伝えられていた。


「でも、なぜ保安官さんはその列車内ですぐに捕まえなかったんです?」


「それは、その時点では確実な物証がなかったからだよ」


 ロランドがタクミにぶつけた素朴な疑問は、キッチンの裏口から入ってきた人物 ―― ロドリゴが代わりに答えた。


「もし列車内で逮捕しようとすれば、当然激しい抵抗にあうだろう。それに、唯一の物証ともいえる例のペンダントトップをどこに持っていたかもわからなかったしな。万一、窓から投げ捨てられてしまったらマズイことになるのもあった。それで、奴さんが駅を降りたところで、なんとか足止めして、現物を確認してからの逮捕という流れを持ってきたかったんだよ」


「だから、わざとよろめいてぶつかったのなのな。なるほどなのにゃ!」


 ニャーチも耳をピクピクさせながら興味深そうに話をきいている。


「とはいえ、駅舎から出られてしまうと“鉄道保安官”としては逮捕権が無くなってしまう、だからこの喫茶店に引き込んだ…タクミもそれをわかって準備してくれていたみたしな」


 ロドリゴがタクミの方を向いてニヤリと笑いながら声を掛ける。それに対し、タクミは若干照れくさそうにしながら頷きながら答えた。


「喫茶店で食事を一緒にしてもらえれば不自然さは減るでしょうからね」


 ロドリゴがうなづきながら話を続ける。


「まぁ、狙い通りってわけだな。で、奴さんの最大の誤算は…」


「電信、でしょうね。こちらに連絡されていたことはきっとご存じなかったかと」


「そうだな。でも、奴さんも、ある意味歴史に名を遺せたってことになるんじゃないのか? “世界で初めて、電信で先回りされて捕まった犯人”としてな」


 ロドリゴの軽妙な言葉に、タクミは苦笑して応えざるを得なかった。話題を切り替えるようにタクミがロドリゴに話しかける。


「さて、ロドリゴさん、鉄道保安官としてのお仕事がまだ残っているんじゃないですか? 逮捕のご報告なら“電信”でもできますよ」


 今度はロドリゴは苦笑いする番だった。


「まぁ、その前にコーヒーを一杯飲ませてもらおうか。さっきはさすがに緊張で味わうどころじゃなかったからな」


「かしこまりなのにゃーっ!」


営業が終わった喫茶店に、一日の騒動を吹き飛ばすような気持ちの良いニャーチの声が響き渡った。


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