33 持ち込まれた厄介者と珠玉の品々(1/3パート)
本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。到着いたしました列車は車庫に入ります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
―― なお当駅舎では間もなく改装工事が始まります。ご不便をおかけいたしますが何卒ご了承ください。
「おはようございますっすーっ! 師匠ー、ちょっといいっすかーっ?」
ある日の朝、タクミがいつものようにキッチンでランチの仕込みをしていると、裏口から自分を呼びつける声が聞こえてきた。
どうやらロランドが出勤してきたようだ。
「はいはい、おはようございます。どうしましたか?」
「おお、タクミさんご無沙汰しております。いつもうちの小倅がお世話になっております。ほら、お前もちゃんと頭下げて挨拶せんかい!」
「いたっ!! オヤジ、痛いって!!!」
日に焼けた肌とがっしりとした体格を持った壮年の男性に頭を抑えられ、ロランドが悲鳴を上げる。
タクミは、久しぶりに会ったロランドの父に対し、作業の手をいったん止めて挨拶を始めた。
「ああ、これはディエゴさん、ご無沙汰しております。いつもロランドさんには大変お世話になっております」
「いやいや、ワシの方こそ随分久しぶりになってしまって申し訳ない。コイツでも少しは役に立っとりますか?」
「だーかーらー、痛いんだってば!! この馬鹿力のくそオヤジ!!」
ぎゅうぎゅうと押さえつけられているところから何とか逃れようとするロランドだが、父ディエゴの腕っぷしの強さになかなか逃れられない。
タクミは、そんな父子の様子を微笑ましく想いながら、率直に言葉を返す。
「いえいえ、ロランドさんはすっかり料理の腕を上げて、今やこのお店になくてはならない存在です。本当に助かっています」
「おお、そうか! ならいいんだが、もしちょっとでもたるんどる時があったらビシビシとしごいてやってください!」
「ったく、いい加減にしろって!! ほら、それより本題だろ! この時間は忙しいんだから、とっとと話してくれって!」
ようやく父親の手から逃れたロランドが、ボサボサになった頭を整えながら話を切り出すように促した。
「っと、そうだったな。いや、タクミさん、実は今日は一つ頼みがあってきたんだが……。とりあえず、コイツを見てもらえんかね?」
ディエゴはそう言うと、一つの木箱をタクミへと差し出す。
その中には、真っ赤な殻と長い髭が特徴的な大型の海老がずらりと並んでいた。
何匹かの海老は髭がまだピクピクと動いているところを見ると、どうやら今朝とれたばかりのもののようだ。
“高級食材”を目の当たりにしたタクミが、ほう、と感嘆の声を漏らす。
「これはずいぶんと立派なイセエビですね。このあたりだとランゴスタって仰るとか。 ディエゴさんが獲られたのですか?」
「ああ、今朝は網を投げても投げてもコイツばっかりが引っ掛かってしまってなぁ。おかげで今日は開店休業状態、商売あがったりさ」
ディエゴが苦笑いを見せながらボヤく。
頭をポリポリと掻く父親に、ロランドがあきれた様子言葉を
「ったく、ほどほどで網を入れるのを諦めればいいのに……」
「とはいっても、漁に出た以上なんか良いモンを捕まえねぇとよぉ。おまんま食い上げだぜ?」
「だからといって限度っつーもんがあるんだろ!?」
言い争いを始めてしまう父子の間に、タクミが割って入った。
「まぁまぁ、お二方とも落ち着いてください。でも、こんなに立派なランゴスタなのに商売にならないってどういうことなんです?」
「うーん、こいつはどうにも買い手がつかないヤツなんだよ。いや、俺としちゃあ、新鮮な奴なら捨てたもんじゃねぇとは思ってるんだけどよ……」
タクミの素朴な質問にディエゴが眉間に皺を寄せながら答える。
その言葉を補う用に、ロランドも横から言葉を続けた。
「獲れたてのを焼くなり茹でるなりすれば、それなりに旨いとは思うんすよ。でも、今の時期なら一日ぐらいは持つっすけど、もう少し暖かい頃になったらあっという間に変な臭いが出ちまうんっすよね。それに、正直食べるところも少ないっすし……」
「そうなのですか。うーん……?」
ロランドの言葉に疑問を覚えるタクミ。
どうやら、ランゴスタに対して持っているイメージがずいぶんかけ離れているようだ。
頭の中に疑問符を巡らせていると、ディエゴが再び声をかけてきた。
「で、自分の家で食べきれない分は捨てちまおうって思ってたんだけどよ、コイツが“捨てるくらいなら、一回師匠に見てもらうだけ見てもらったらどうだ”って言い始めてな……」
「これまでも師匠はすごい料理をどんどんと生み出してたっすから、もしかしたらこのランゴスタも何か良い食べ方を編み出してくれるんじゃないかって思ったんすよ! だから、とりあえず一回タクミさんに見てもらってからにしようって……」
「こんなことでタクミさんの手を煩わせるのもどうかとは思ったんだが、もし本当にそんなのがあるんだったらこのランゴスタも浮かばれるんじゃねぇかと頭によぎっちまってな。いや、いくらタクミさんでも無理なもんは無理で構わねぇんだ。仕込みで忙しい時間帯に申し訳なかった。ほら、お前も謝れ!」
さっさと結論を出してしまったディエゴが、再びロランドの頭を押さえつけようとする。
タクミは慌ててそれを制すると、ディエゴに言葉を返した。
「いえいえ、こんな立派なランゴスタを捨ててしまうなんてもったいないですよ。むしろそういう話であればぜひ引き取らせてください。 ええっと、この量だとおいくらになりますでしょうか?」
「いやいやいや、こっちが押し付けに来ちまったようなもんだし、金なんて貰えねぇって! というか、ホントに旨い喰い方でもあるっていうのか? タクミさん、無理なら無理って言ってくれていいんだぜ?」
すっかり恐縮してしまったディエゴが、その大きな身体をぎゅっと縮こませる。
それを宥めるように、タクミが微笑みながら言葉を続けた。
「全然無理なんて申し上げておりません。本当に、ぜひお譲り頂きたいのです。というのも、私の故郷ではランゴスタは高級食材の一つとされていまして、こんなにも大きくて立派なものなんて貴重過ぎてめったなことでは口に入らないぐらいだったのですよ」
「へーっ! こんなのが高級食材なんっすか!?」
「そうです。 本当にいいものは超一流のホテルやレストランでないと手に入らない貴重品でしたよ」
「マジっすか!?」
タクミの言葉一つ一つに、ロランドが驚きの声を上げる。
あまりのギャップの大きさに、ディエゴも固まったまま言葉を発せられずにいた。
そんな二人にタクミがもう一度素直な想いを伝える。
「こんなに立派なランゴスタですから、私としても腕の振るいがいがあります。きちんと対価はお支払いしますので、ぜひお譲り頂けませんでしょうか?」
「本当に本当なんだな。よっしゃ、そしたら俺としてもお代を頂くわけにはいかんから、いつもロランドがお世話になっているお礼と、あと、うちのランゴスタのサンプルって形で納めさせてくれ。それでどうだい!?」
ディエゴは一歩も譲らずガンとした態度を見せる。
思わずうーんと唸ってしまうタクミだったが、これ以上好意を無にしてはならないと考え直し、ゆっくりと口を開いた。
「分かりました。そこまで仰るのであれば有り難く頂戴させて頂きます。そうだ、折角ですのでこのランゴスタを使った料理をいくつかご用意いたしますので、もし良ければ召し上がっていかれませんか?」
「を、それは嬉しいね! ぜひに……と言いたいところだが、今から家の方に戻って漁師仲間たちとの会合に出なきゃいかんのよ。悪いが、夕方に出直してきても構わないか?」
「もちろん構いません。もし良ければ、ご家族の皆様でお越しください。何種類かご用意させて頂きますので、ぜひ皆様でお楽しみ頂ければと存じます」
タクミの言葉に、それは……と言いかけるディエゴ。
しかし、タクミの表情を見た瞬間、言葉をぐっと飲み込まざるを得なかった。
穏やかに微笑んでいるように見えつつも、有無を言わさない強い意志が込められた視線。
一見すると優男のようにも見えるタクミだが、なかなかどうしてポートサイドの漁師仲間でも類を見ないような硬骨漢のようだ。
ポートサイド一の強面の男は、ニヤッと笑ってからタクミの申し出に首を縦に振った。
「なんか返って面倒かけさせちまって申し訳ねえな。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうとしよう」
「やっぱり師匠っす! ほら、オヤジ、俺の言ったとおりっしょ!」
「なーにをナメた口聞きやがって! タクミさんの懐の深さに感謝するのが先だろ!!」
ディエゴはそう言い放つと、息子の頭を目がけて拳を振り下ろした。
キッチンの中に、ゴン、と鈍い音が響き渡る。
いってぇ!と悲鳴を上げながら頭をさするロランドに、タクミがいつものように微笑みながら声をかけた
「さて、そろそろランチの準備をしないとですね。夕方のランゴスタの料理も手伝ってもらいますから、そのつもりでお願いしますね」
「了解っす! しっかり勉強させてもらうっす! 」
ロランドはそういうと、いつもの所定位置に吊るしてあるエプロンをさっと身に纏った。
ギュッと紐を締めると、とたんに”料理人”の顔になる。
その様子を見ていたディエゴは、ほう、と一言つぶやいた後、ニヤッと口角を持ち上げた。
「タクミさん、少しでもコイツの鼻っ柱が伸びてるようならバッキバキにへし折ってもらって構わねえんで、よろしくお願いしますね」
「かしこまりました。では、また夕方に」
「えっ! そこかしこまっちゃうんすかーっ!?」
父親の物騒な言葉にまさかの肯定で応えられ、思わず動揺してしまうロランドであった。
―――――
「さて、始めましょうか。よく見ながら覚えて下さいね」
「うぃっす! よろしくお願いするっス!!」
ランチ営業が落ち着いた頃、タクミの言葉を合図にランゴスタ料理の仕込が開始された。
タクミのアシスタントに回っているロランドだが、ぽつぽつと入るお客様への注文にも対応しなければならないため、かなり慌ただしい。
しかし、料理を任せてもらえる喜びと新しい料理を知ることが出来る楽しさを感じられるこの忙しさは、今のロランドにとっては何よりも嬉しいことであった。
タクミは、木箱の中からランゴスタを一匹取り出し、まな板の上に載せる。
触角をピクピクと動かしている様子を見ると、まだまだ鮮度は十分なようだ。
タクミは言葉で説明を補いながら、作業の様子を見せていく。
「まずはランゴスタの身を殻から外すことからですね。まず、ここに包丁に入れて……」
ランゴスタの頭をしっかりと抑えたタクミは、頭と胴体の隙間に包丁を差し入れると少しずつ身を剥がすようにしながら動かしていく。
殻のついた腹側のところも慎重にさばいていき、そのままぐるっと一周回したところで頭から胴を引っこ抜いた。
「まずここまでが第一段階ですね。ここから、胴体の殻を外していきます。硬いので気を付けてくださいね。」
腹側を上に向けたランゴスタの殻の両端に、包丁で切り込みが入れられる。
そして、尾びれの付け根にも包丁を入れてから、親指で押し剥がすようにして背側の殻が外された。
同じように親指を入れていくと、腹側の薄い殻も簡単に剥がれていく。
すると、そこに現れたのは、やや透き通った白色に紅色のストライプが美しい新鮮なランゴスタの身であった。
ここまでの作業をしっかりと見つめていたロランドが、感嘆の声を漏らす。
「殻が硬いから生の状態で捌くの大変だと思ってたんすが、こうしてみると意外と簡単なんっすね!」
「料理によっては茹でたり焼いたりしてからの方がいい場合もありますが、こうして身を外すといろいろな料理に使いやすくなりますからね。さて、ロランドもやってみますか?」
「うぃっす!頑張るっす!」
元気よく返事をしたロランドが、タクミと場所を入れ替わって挑戦を始めた。
タクミと同じようにランゴスタの頭をしっかりと抑え、頭と胴体の間へと包丁を差し入れる。
するとその瞬間、ランゴスタがびちびちびちっ、と激しく暴れはじめた。
「うぉっ! コイツ、すごいっす!!」
「活きの良いヤツだったみたいですね。でも、これだけ暴れるのは鮮度のいい証拠。頑張って捌いてみてください」
「う、ういっす!」
思わぬ迫力に戸惑いながらもロランドが作業を続けていく。
暴れるランゴスタと格闘しながら頭と身を剥がすと、胴体の殻はスムーズに外すことができた。
作業を一段落させたロランドが、ふぅ、と息をつく。
「いや、見ていると簡単そうなんっすが、やっぱりやってみるのは大違いっすね」
「そうですね。特にこうして活きたままで捌くときには、やっぱり暴れるものもいますしね」
「まぁ、コイツらからしたら生きるのに必死っすもんね。だからこそ、美味しく料理してあげなきゃいけない、そうっすよね?」
ロランドの言葉に、タクミは無言で大きく頷いた。
ロランドをこの『ツバメ』のキッチンに迎え入れてから何度も何度も繰り返してきた言葉が、今やすっかり彼の身に染みこんでいる。
そのことが、タクミには何よりも嬉しく感じられることであった。
「で、使うのはこの身だけっすよね? 殻とか頭は捨てちゃっていいっすか?」
ロランドが何気なく発した言葉に、タクミは静かに首を横に振る。
「いえいえ、この殻とか頭もちゃんと料理の方法がございます。後程使うのでそれぞれ分けて取っておいてもらっていいですか?」
「え?こんなに硬いのに食べれるんっすか?」
「もちろん、そのまま食べるというわけではありませんけどね。まぁ、後の楽しみにしておいてください。じゃあ、胴体の殻はこちらのザルに。頭からはミソ……中身を取り出してこっちのボウルに移しておいてください」
「う、ういっす!」
どうやって料理するのか皆目見当がつかないロランドは、首をかしげながらも師匠の指示に従って殻や頭の中身を取りわけていく。
その様子を確認したタクミは、ロランドに活きたランゴスタの下処理を続けるよう指示を出しつつ、自身は次の作業へと取り掛かった。
続いてまな板の上に載せられたのは、美しい紅色に染まった茹でランゴスタだ。
ディエゴから譲っていただいた朝の段階で鮮度の状態を見極め、夕方まで持たないと判断したものは先に塩茹でされていた。
生のままではどうしても臭みが出てしまうが、こうして塩ゆでをしておけば一日ぐらいは味持ちがする。
また、殻のまま茹でることによって旨みを外に逃がしにくくなるという利点もあった。
茹でたランゴスタの場合、首をねじるようにすれば簡単に頭と胴体を切り離すことが出来る。
そして、活きたものと同じように腹側から殻の両端目がけて包丁で切れ目が入れられ、殻から引き剥がされた。
茹であがったランゴスタの身は、白と赤のストライプ模様がより一層美しく映えている。見るからに旨そうだ。
身を剥かれた茹でランゴスタの方も、頭の中身や殻をそれぞれ取り分けておく。
そして、タクミは、殻つきのまま残しておいた茹でランゴスタをまな板に並べると、ドンっと打ちつけるようにして包丁を入れていった。
頭から尻尾にかけて真っ二つに割られたランゴスタを見て、ロランドが楽しそうに声を上げる。
「うわっ!これは豪快ですね!」
「これも殻が硬い時には包丁が滑る時があるので、十分に気を付けてくださいね」
「ういっす!!」
ロランドから戻ってきた小気味の良い返事に頷きながら、タクミは半身にしたランゴスタの身を外していく。
そして、一口大になるよう身をぶつ切りにすると、元の殻へときれいに納めていった。
「あれ?それは戻しちゃうんっすか?」
「ええ、これはこの殻を生かした料理にしますから、いったん元に納めます。そうじゃないと、きれいに盛り付けられませんからね」
「なるほど。どういう料理になるか、今から楽しみっす! あ、こっち終わったっす!」
担当分の下ごしらえを済ませたロランドが、タクミに確認を求める。
ランゴスタの身は外されており、頭の中身や殻もそれぞれ丁寧に取り分けられている。
タクミは、ロランドの呑み込みの速さに感服していた。
一度見ただけでしっかりと手順を覚えられるのは、料理人にとって大きな才能である。
ここから先、様々な経験を積んだロランドが、身につけた技術を“自分のもの”として発揮できるようになったとき、彼の本当の力が発揮されることであろう。
しかし、自分も一介の料理人としては負けるわけにはいかない。かつての暮らしの中で得た知識や経験に安住せず、一層精進しなければならない ―― そのような想いを感じさせてくれるロランドの存在が、タクミにとってますます励みとなるのであった。
※第2パートへと続きます。




