32 戸惑う少年と新たなチャレンジ(1/3パート)
本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
ウッドフォード行き一番列車は、明日の朝9時の出発予定です。改札は、出発の10分前を予定しておりますので、ご乗車のお客様は、改札口横にございます待合室、若しくは喫茶店『ツバメ』にてお待ちください。
――なお、喫茶店『ツバメ』の商品のお持ち帰りをご希望のお客様は、スタッフまでご相談ください。
少し日が長くなってきたある日の夕方、ハーパータウン駅へと続く道を一人の少年が歩いていた。
狐耳を生やした銀髪の少年、フィデルだ。
セントラル・ストリートでの露店営業を終えた彼は、当日分の支払いと翌日の仕入の準備のためにハーパータウン駅に併設されている喫茶店『ツバメ』を訪れることが日課となっていた。
(はぁ……。どうしよう……)
普段は若者らしい元気の良さで、肩で風を切るように通りを闊歩するフィデルであったが、この日ばかりは様子が違っていた。
トレードマークである狐耳はペタンと倒れ、足取りもずいぶん重い。
フィデルは、視線を下に落として夕闇が迫る駅前の通りをとぼとぼと歩いていた。
―――――
「こんちわー。今日の分ですー」
喫茶店『ツバメ』へと到着したフィデルは、裏口から店内に入るとキッチンの中へと声をかけた。
その声に、キッチン内の掃除を始めていたロランドが反応する。
「ういーっすっ! ってなんだ、フィデルか」
「なんだとはなんだっ……って、ふぅ。 あ、タクミさんはいる?」
「あ、今日は“駅長”さんとホールで打ち合わせしていますっ。呼んできましょうかっ?」
フィデルの質問に言葉を返したのはルナだった。
いつものように目をくりくりっとさせながら声をかけてくるルナの様子に、ささくれだったフィデルの心が少しだけ癒される。
「ああ、ルナちゃんありがとう。 うん、大丈夫。 ここで待たせてもらっていい?」
「良いと思いますけど……ロランドさん、大丈夫ですよねっ?」
上目づかいにお願いをしてくるルナに、意地悪の一つでも言ってやろうかと思っていたロランドの気がそがれる。
おかげで、口を突いて出たのは普段に比べればごく軽い皮肉程度だった。
「チッ、しゃあねぇな。ルナちゃんに免じてここで待つことを許してやろうじゃないか。さぁ、俺に感謝したまえ」
「うっせぇデカウサギ!……ってまぁ、あんがとな。じゃ、こっちで待たせてもらうわ」
いつもならもっと噛みついてくる場面のはず。しかし、今日のフィデルは様相が違っていた。
ロランドの言葉に元気なく答えたフィデルは、キッチン脇にある小テーブルの椅子に腰を下ろすと机に突っ伏すようにしてもたれかかる。
その様子を目の当たりにしたロランドは、怪訝な顔でルナと顔を見合わせると、フィデルに近寄りおでこに手を当てた。
「……なんだよ」
「うーん、熱はないようだな」
「……別に風邪ひいているわけじゃないさ」
おでこに当てられた手を振り払うフィデル。
しかし、その緩慢な動きは普段の彼からは想像がつかないものだ。
やはり何かがおかしい ―― そう感じたロランドが、フィデルを問い詰める。
「チビキツネ! 何かあったんだろ?」
「いいんだよ。ほっといてくれ」
「よくねーよっ! テメェがそんな調子だとこっちまで調子狂っちまうんだよ!」
「だからほっといてくれって! テメェに言ったって何にも解決しねえんだよ!」
バンと机を叩いてフィデルが立ち上がった。
ロランドも負けじとフィデルを睨みながら声を荒げる。
「なんだと水くせぇ! そんなウジウジして腐っているような奴には、俺様の渾身の商品を扱わせねぇぞ!」
「!!!」
ロランドの言葉に、フィデルがぐっと言葉を詰まらせた。
そして、ロランドを突き飛ばすようにして乱暴に振り払うと、先ほど座っていた椅子にどかっと腰を下ろした。
「ってめぇ!」「喧嘩しちゃダメですっ!」
ロランドとルナの声が同時にキッチンに響き渡る。
その様子に、ちょうどキッチンへ戻ってきたタクミが声をかけた。
「ほらほら、どうしたのですか? ちょっと騒がしいですよ?」
「あ、す、すいませんっすっ。いや、フィデルの様子がちょっと……」
師匠に注意されたロランドが、慌てて姿勢を正して報告した。
横からルナも会話に加わってくる。
「そうなんですっ。いつも元気なフィデルさんが、なんか今日は様子が違って……」
ルナはそう言いながら小テーブルの方へ視線を送る。
タクミがそちらへ視線を送ると、確かにフィデルが元気なさげな様子で椅子にもたれかかっていた。
眼はうつろで、視線は空中をさまよっている。
二人が言う通り、確かに普段とは違う様子だ。
タクミは、ふぅむと一つ頷いてからフィデルに近づいて声をかける。
「お待たせしました。今日は少しお疲れでしたか?」
「あ、タクミさん……いえ、すいません。あ、今日の分ですね」
至近で呼びかけられることでようやくタクミの存在に気づいたフィデルは、手持ちの袋の中にもぞもぞと手を入れる。
そして、小さな布袋を取り出そうとするが、しっかりつかめていなかったのか手の中から滑り落ちてしまった。
慌てて掴み直そうとするフィデルだったが、時すでに遅し。
床へと落下した布袋からは、ジャラーンと音を立てて硬貨が散らばり出てしまった。
「あっ! す、すいません!」
フィデルは慌てて席を降り、硬貨を拾い集める。
しかし、焦っているせいか、床に落とした布袋を蹴飛ばしてしまい、さらに中身を散らばしてしまった。
いらだつ様子を見せるフィデルに、タクミはかがんで一緒に硬貨を拾い集めながら声をかけた。
「落ち着いて拾えば大丈夫ですよ。 ところで、露店の方でなにかございましたか?」
タクミの呼びかけに、フィデルの手がピタッと止まる。
黙ったまま俯くフィデルの肩はかすかに震えているようだ。
しばらく様子を見守っていたタクミが、そっと言葉を掛ける。
「何か気を已むようなことがあるのなら、お話いただけませんか? 困ったときはお互い様なのですし、フィデルくんは私たちの仲間なのですから遠慮は無用ですよ」
その言葉に、フィデルの肩が大きく震えた。
慟哭とともに、雫がこぼれ落ちる。
ただならぬ様子を見せる親友を、ロランドは心配そうに見つめていた。
―――――
ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻したフィデルは、タクミの勧めもあって営業を終えた喫茶店『ツバメ』のホールに移動してきていた。
同席しているのはタクミと“駅長”の二人。
つい先程まではロランドやルナがキッチンから心配そうに覗きこんでいたのだが、フィデルの気持ちを慮ったタクミがキッチンの中で待っているよう命じていた。
タクミから差し出された温かいミルク・シナモン・コーヒーを口に含み、フィデルがようやくほっと一息つく。
しばらくの沈黙ののち、フィデルがようやく重い口を開いた
「えっと……、俺、あの場所で……、今やってる露店を……、出せなくなるっぽいんです」
ぽつりぽつりと言葉をこぼすフィデル、
その内容に、タクミがふむ、と一つ相づちを入れた。
「今日もいつもとおんなじように、セントラル・ストリートの駅馬車乗合所のところで露店を出していたんですが、そしたら駅馬車の会社の人がやってきて、あの乗合所に新しい建物を建設することになったとかで、来月から使えなくなるって言われたんです」
「ふぅむ、それは大変ですね……」
「そうなんです、もちろん俺としても、周りの露店仲間たちにとっても死活問題なんですが、建物が立つとなると使えなくなるというのはどうしようもないんですよね。かといって、他に移る場所といってもいい場所は他の人たちが陣取ってますし、俺、どうしたらいいか分かんなくなっちゃって……」
「なるほど、そういうことですか……。補償の話とかは出ていないんですか?」
タクミの質問に、フィデルは力なく首を横に振る。
「全然なにも無しです。まぁ、俺を含めて、あそこで露店をやっていた連中は駅馬車の会社とかに場所代を払っているわけでもなかったので、仕方が無いんでしょうが……」
「それにしても急な話じゃのぉ」
黙って横で話を聞いていた“駅長”が、二人に聞こえるような大きさでそうつぶやいた。
その言葉に、フィデルが大きく頷く。
「これが、例えば半年ぐらい後、いや、せめて三か月ぐらい後で使えなくなるという話であれば何とか手を打つこともできると思うんです。でも、一か月足らずの期間となるとさすがに苦しくて……」
喫茶店『ツバメ』からサンドイッチや蒸しブレッドを仕入れるようになって売上を大きく伸ばしていたフィデルだったが、それでも手取りだけでは楽に暮らしていけるほどの稼ぎにはなっていない。
もし、露店の移転先がスムーズに見つからなければ、一気に生活に窮することになるのは明白であった。
フィデルの抱えている事情はタクミにも容易に予想できる状況であった。
しかし、問題が問題なだけに、タクミが力を貸せることはさほど多くはない。
もちろん、フィデルをこの駅舎に住まわせてしばらくの間生活の面倒を見ることは可能だ。
しかし、それも対症療法とはなるが、抜本的な解決にはならない。
そもそも、これまで独力で道を切り拓いてきたフィデルにとってこのような手助けが望ましい形であるかどうか、タクミ自身にも測りかねていた。
その時、タクミの脳裏に一つのアイデアが思い浮かんだ。
(そうか、折角ならあのプランをフィデルに協力してもらえれば……)
タクミは、いつかこの『駅舎』で実現したいと胸に秘めていたプランをこの機に乗じて披露する。
「駅長、実は以前から考えていたことがあるのですが、お話してもよろしいでしょうか?」
「ほほう? それを今話すということは、フィデル君にも関係する内容ということかね?」
“駅長”の尋ねに、タクミは首をこくりと縦に振った。
「その通りです。実は以前から、この駅舎に『売店』を設置することが出来ないかと考えていたところでした。最近ではいろんな方が列車を利用するようになっており、駅舎を訪れるお客様も増えております。そういったお客様に向けて様々なものを販売するようなお店が合っても良いではないかと考えております。」
「ふむ、例えばどんなものを扱うのかね?」
「メインはこれから列車に乗車されるお客様になるかと思いますので、食べ物や飲み物、それに旅のお供になるようなものが良いかと存じます。それに、訪問先やご自宅に持って行って頂けるようなお土産物もあると喜ばれるかと」
「すると、それなりの品ぞろえになるな。多少のことであれば、ここで一緒に扱えばとも思っていたが、そうはいかぬようだな」
駅長の指摘はタクミの想定していたものであった。
タクミは、再び首を縦に振ると、さらに言葉を続ける。
「仰る通りです。特に、列車の出発前の時間帯ともなりますとお客様が集中いたしますので、かかりきりとなります。最近はこの駅舎や『ツバメ』の営業も忙しくなっておりますので、売店を運営するだけの人材を割り当てることは難しい状況です」
「なるほど、そこでフィデルくんというわけか」
“駅長”は得心がいったように鷹揚に頷いた。
タクミも、もう一度首を縦に振る。
「売店の売り子の仕事は、短時間に集中的に押し寄せるお客さまを手際良くさばく腕前も必要ですし、お客様の興味を引いて呼び寄せる力も求められます。 その点、フィデルさんであれば露店でも大きな実績を出しておりますし、申し分ないかと思っております。ということでフィデルさん、突然ではございますがこのようなお話はいかがでしょうか?」
話を振りながらタクミがフィデルを見やると、少年はまるで頭からプスプスと煙が出ているかのように呆然となっていた。
タクミの話を聞く限り、売店というのはどうやら屋根付き部屋付きの大規模な露店のようなもののようだ。
確かに最近はこの駅舎を利用している人もどんどん増えており、その動きはますます広がっていくだろう。
もしかしたら列車の本数が増えていくことだってあるかもしれない。
スペースも大きくなれば、それだけ大きな商いが出来るということだ。
頭の中を一つずつ整理していくと、目の前に広げられた提案がとても魅力的に思えてくる。
フィデルは、ゴクリと息を呑んでからタクミへ言葉を返した。
「ほ、本当にできるんですか……? そ、そりゃあもしそんな機会を頂けるならぜひお願いしたいところですが……」
少しつっかかりながらもしっかりと自分の想いを伝えるフィデルに、タクミはうんうんと頷く。
そして、改めて“駅長”に先ほどのプランについての判断を仰いだ。
「この通り、フィデルさんも前向きに考えていただけているようです。然るべき準備をした後となりますが、この駅舎のさらなる発展を目指すためにも、ぜひ売店の出店をお許し頂けませんでしょうか?」
二人の会話をじっと聞いていた“駅長”は、白い髭の生えた顎に手をやり暫し考え込む。
そしてしばらくの沈黙の後、“駅長”がゆっくりと口を開いた。
「確かにこの駅舎も利用客が増えてきており、売店についても一定の需要はあろう。タクミ殿の言う通り、旅に必要なものやお土産などをこの駅舎の中で販売することは、お客様の負担を軽くする良い策といえる」
「で、では、やらせてもらえるのですかっ!?」
ずずいっと前のめりになるフィデル。
慌てる若者に、まぁまぁ落ち着きなさいと駅長が制してから話しを続けた。
「とはいえ、まだまだこの駅舎も発展途上。列車を利用されるお客様もまだまだ限られておる。そのような中で商売を成立させるというのは、なかなかに大変であろう。 フィデル君、君がやるとしたらどのようなものを扱うのかね?」
“駅長”の質問に、フィデルはぐっと喉を詰まらせた。
今聞いたばかりの話であり、まだ確固たるイメージがあるわけではない。
しかし、それでも新聞売り時代からの“売り子”の経験から、頭をフル回転させて必死に答えを探り出す。
「……タクミさんがおっしゃっていた通り、一番利用いただけそうなのは、これから列車に乗る予定のお客様だと思います。列車の中での食事であれば、今まで販売していたサンドイッチや蒸しブレッドで対応できると思います。飲み物も扱いたいのですが、大荷物を持っている中であまり邪魔になることがないように工夫しなければなりません。また、列車の中で長時間過ごすことを考えると、新聞や雑誌と言った時間をつぶせるものも扱っても面白いかもしれません」
「ふむふむ。もう一つ、タクミ殿はお土産物についても言及していたが、そちらはどうかね?」
駅長が質問を重ねる。
その表情はいつになく真剣だ。
鋭い視線を投げかけられ、フィデルは思わずたじろぐ。
「……すいません。正直お土産物まではすぐにはアイデアが出てきません。ただ、せっかくここで扱う以上、ぜひタクミさんはじめ喫茶店『ツバメ』の皆様とも協力して、何か新しいお土産物を作り出せればよいかと思っています」
今の自分の精一杯を正直に話し、さらに気持ちを伝えるフィデル。
若者らしい素直さは、“駅長”の心をくすぐるものであった。
「あい分かった。それであれば、今日のところは結論をいったん保留としておこう。その代り、一つ宿題だ。この駅舎で売店を始める際に扱う“土産物”、これを考えてもらうとしよう。喫茶店『ツバメ』の皆々にも協力を仰くことは構わないが、フィデルくん自身が中心となって何を扱えばいいか真剣に考えてみてくれたまえ。そして、このワシが納得する商品が出来た時、お主に売店を任せるとしよう。それでいかがかね?」
いきなり高いハードルを突き付けられ、フィデルは一瞬怖気づいてしまう。
しかし、ここでチャレンジしなければ大きなチャンスはつかめない。
もう一度気合いを入れ直したフィデルが、“駅長”に、そして“タクミ”へと力強く宣言した。
「……やります! やらせてください! タクミさんも、ぜひお力をお貸しください!」
その言葉に、“駅長”が、うむ、と一つ頷く。
続けてタクミも、うんうんと二度頷いてから、声をかけた。
「こちらこそ、出来る限りの協力はしますので、遠慮なく仰ってください。ただ、今回はフィデルさんがメイン。どんな商品にしたいかは、私の方からは口だししませんからそのつもりで」
「わかりましたっ! 俺、頑張りますっ!」
もう一度力強く答えたフィデルは、席を立って深々と一礼すると早速キッチンへと向かっていくのであった。
※第2パートに続きます。
※「鬼っ娘温泉へようこそっ!(通称おにおん)」も本日更新しております。
合わせてお読みいただけましたら大変幸いです。




