31 白く包まれた駅舎と温かな振る舞い(2/3パート)
※2016.1.29 22:00更新 2/3パート
※第1パートからの続きです。まだお読みでない方は第1パート(前話)よりお読みください。
「ええっと、私は何をお手伝いすればいいですかっ?」
手を洗い終えたルナが、タクミにこの後の作業内容を尋ねる。
タクミは、にっこりとルナに微笑みかけながら、最近新しく備え付けた“弱火専用”のロケットストーブにかけていた大きな鍋の蓋をひょいっと持ち上げた。
「ルナちゃんには、こちらの鍋の中の豆をつぶすのを手伝ってもらおうと思っています」
タクミに手招きされるがまま、ルナはタクミが蓋を外した鍋の中をひょっこりと覗き込む。
その中では、人差し指の先ほどの大きさをした茜色の豆 ―― フディーアがコトコトと煮込まれていた。
フディーアとは、この地域一帯でよく食されている赤豆である。
この辺りで最もポピュラーな豆の一つであり、ルナにとっても馴染みの食材の一つだ。
水で戻して使われる乾豆のほか、最近では手軽に使えるようにと開発された水煮にしたフディーアの瓶詰も値ごろで手に入るようになってきている。
サラダの上に散らしたり、他の食材と一緒に煮込んだりする形で食されることが多いフディーアだが、いずれも“粒”のまま使うのが基本だ。
フディーアをつぶして料理に使うということは、少なくともルナにとってはこれまで聞いたことが無い話であった。
ルナは不思議そうに首をかしげ、タクミに質問を投げかける。
「これってフディーアですよね? つぶしちゃうんですかっ?」
「ええ、今日の料理ではつぶしちゃうんですよ。一口食べてみますか?」
タクミは微笑みながら言葉を返すと、菜箸でひょいっと豆をつまんで小皿に載せ、ルナに差し出した。
ふっくらと炊き上げられたフディーアから小さく湯気が上っていく。
ルナは、やけどをしないように注意しながらフディーアをちょんとつまむと、口の中に放り込んだ。
すると、予想外の味わいが口の中に押し寄せる。
その味わいに驚いたルナが、パッと目を見開いた。
「えっ、甘いっ! これ、甘くしてあるんですっ?」
「ええ、豆の種類は違いますが、私の故郷にはこうして赤い豆を甘く炊いて使うことがあるんです。食事というよりは甘味……デザートの部類ですけどね」
「そうなんですねっ。じゃあ、今日のもそのデザートを作るんですかっ?」
ふむふむと頷きながら尋ねてくるルナに、タクミもうんうんと首を縦に振る。
「その通りです。このあと到着する列車の皆様向けにこの豆を使った温かい甘味をご用意しようかなと考えました。この他にも、温かいドリンクもいくつか用意する予定です」
「温かいものづくしっすね!」
アロースを炊いていたロランドが、二人の会話に割り込んできた。
タクミが相づちを打ちながら、言葉を続けた。
「これだけ冷え込んでしまっていますし、列車の暖房も十分に効いていないと思われます。お客様たちはきっと寒さで体を震わせていると思いますので、到着した後にはなってしまいますが、少しでも暖まってもらいたいですしね。それに、めったにないことですので、少々多めにサービスをしても大丈夫ではないかと……」
「さすが、師匠、男前っす!」
軽妙なトーンで呼びかけるロランド。
するとタクミは、うーん、と少し照れを浮かべながら、話を本題へと切り替えた。
「さて、お話はこれくらいにして、そろそろ作業に取り掛かりましょうか。ロランドはアロース炊きの続きをお願いしますね。ルナちゃんは、こちらで一緒に豆つぶしを進めていきましょう」
「うぃっす!」 「はいっ! 頑張りますっ!」
続けて元気よく声を返す二人。
その仲の良い様子につい顔をほころばせたタクミは、アロース炊きへと戻るロランドを横目で確認しつつ、ルナの横に並び甘味作りへととりかかった。
キッチンテーブルの上に新しい鍋を用意したタクミは、その上にザルを置き、弱火のロケットストーブにかけていた両手鍋の中身をあけていく。
すると、新しい鍋に注がれていく煮汁から、真っ白な湯気が勢いよく立ち上った。
そして両手鍋の中身を全部移し終えると、タクミは火傷をしないようさらし布を当てながら、ザルを引き上げる。
そのザルの中では、ふっくらと炊きあがった茜色のフディーアが艶やかに輝いていた。
「では、温かいうちにフディーアを潰していきますね。使うのはコレとコレです」
そう言ってタクミは二つの器具をルナに渡す。
一つは木で出来たヘラ、もう一つは細かな網の付いた丸い器具だ。
一見するとアロース粉やマイス粉を振るう時に使うような細かな網のふるいにも見える。しかし、それにしてはずいぶんとしっかりとした作りにも思えた。
タクミがこの道具の使い方の説明を始める。
「この網は今からやってもらう豆つぶしのような“裏漉し”という作業に使うものです。やり方は簡単です。この網をボウルの上に置いて、こうすると……」
そう言いながら、タクミはルナの眼の前でこれからの作業をやってみせた。
ボウルに裏漉し用の網をかぶせて、その上にふっくらと炊かれたフディーアを少量とりわける。
そして、フディーアが外にこぼれないように気をつけながら、木べらでギュッギュッと押しつぶしていった。
すると、押し付けられたフディーアは網を通ってボウルの中にポタッポタッと落ちていく。木べらで少しずつ押しつぶしていくと、やがてボウルの中にはフディーアと同じ少しくすんだ茜色のペーストが溜まっていった。
「こんなに滑らかになるんですねっ! 面白いです」
素直に感想を口にするルナに、タクミがにっこりとほほ笑む。
そしてあらかたフディーアを潰し終わると、裏漉し網の表面には剥がれた皮がたくさん残っていた。
「ある程度潰していくとフディーアの皮が網の表面に残りますので、時々こそぎとってください。潰す豆はこちらに移した分だけで大丈夫です。こちらに取り分けた分は粒のまま使いますので、残しておいてくださいね。では、ちょっと大変ですが、手分けしてやってしまいましょう」
「はーいっ! ご指導よろしくお願いしますっ!」
新しい体験にワクワクしながら、ルナは早速作業に取り掛かった。
タクミに教わった通りに裏漉し網をボウルにかぶせたルナは、網の上に少しずつフディーアを載せ、木べらでギュッギュっと押しつぶしていく。
網で濾されたフディーアが、滑らかなペーストとなって少しずつボウルへとたまっていった。
時々網の表面に残った皮を取り除きながら、繰り返し作業を続けていくルナ。その横ではタクミが真剣な表情を見せながら同じ作業を進めていた。
慣れた手つきで手際よく進めるタクミに比べると、同じ時間でも半分ぐらいの量しか進められていない。
ペースの差についつい焦ってしまったルナは、力んで網をひっくり返しそうになってしまった。
「あっ!」
こぼれそうになるフディーアをルナはなんとか両手で抑え込む。フディーアが纏った甘い汁で、手がべたべたになってしまった。
慌ててバタバタするルナに、横で作業をしていたタクミが優しくたしなめる。
「大丈夫ですか? 焦らなくても大丈夫です。ゆっくりと自分のペースで進めていってもらえばいいですよ。二人でやればあっという間ですからね」
「は、はい! ありがとうございますっ!」
タクミにそう言われて、ルナはホッと一息をついた。
手を洗ってから再び作業に戻るルナ。 タクミが言った通り、二人がかりの作業をすれば思いのほか早くフディーアの山が小さくなっていった。
そして、最後のフディーアをつぶし終えたルナは、ボウルの中身をタクミに見せて確認を求める。
「これで大丈夫ですかっ?」
ルナが見せたボウルの中には、濾されたフディーアの滑らかなペーストがしっかりと出来上がっていた。
タクミは親指を立てて、ルナに大きく頷く。
「これでばっちりです。 じゃあ、ボウルはこちらに頂きますので、網と木べらをきれいに洗ってきてもらえますか?」
「はいっ!」
出来栄えを褒められたルナが声を弾ませた。
洗い物作業をルナに任せたタクミは、次の作業へと取り掛かる。
二人がかりで作ったフディーアのペーストを鍋の中に戻したタクミは、取り分けておいた粒のままのフディーアもその中に合わせた。
そして、弱火用のロケットストーブの上に鍋を載せ、取り置いておいたフディーアの甘い煮汁を少しずつ注ぎながら、木べらでゆっくりとかき混ぜる。
ゆっくりと加減を調整しながら温めると、滑らかに伸ばされたフディーアの汁から湯気が立ち上ってきた。
フディーアの汁から徐々にフツフツと泡が立ち、甘い香りが立ち上ってくる。
タクミは、何度も濃度と味を確認しながら煮汁や砂糖を少しずつ加え、最後にほんの一つまみ塩を足して味わいを微調整した。
(よし、これくらいの味わいですね……)
仕上がりを確認したタクミは、キッチンテーブルの上にクシャクシャにした新聞紙を広げる。
そして、フディーア汁の入った鍋を火から降ろすと、先ほど広げておいた新聞紙の上に置き、何重にも包んでいった。
さらにその周りにさらし布もグルグルと巻きつけて、最後にしっかりと紐で結わえる。
その時、ちょうどご飯を炊き終えたロランドが声をかけてきた。
「あれっ? なんでそんなことするんすか? そのまま火にかけて置いちゃダメなんすか?」
「ええ、火にかけっぱなしだとどうしても煮詰まっていってしまいますので、あまり長時間かけて置くのは避けたいのですよね。とはいえ、そのまま火から降ろすだけだとあっという間に冷めてしまいますので、こうしてしっかりと保温しながらしばらく置いておきます。煮物を作るときにゆっくりと味を染みこませたい時なんかにも、この方法は使えますよ」
「へーっ! 勉強になるっす!」
感心仕切りの様子のロランドが大きな声を上げる。
そこへ、洗い物を終えたルナが戻ってきた。
「洗い物終わりましたっ!」
「はい、ありがとうございました。じゃあ、せっかくなので二人とも、一度味見してみますか?」
「わぁい!」「その言葉、待ってったっす!」
二人の元気のよい返事に微笑みながら、タクミは先に小皿に取り分けておいたフディーア汁を差し出した。
小皿の中にはとろみの付いた茜色の液体が注がれている。二人は、それを啜るようにして口の中に入れた。
先に驚きの声を上げたのはロランドであった。
「ん、んんーーーっ? 思った以上に甘いっすね。ちょっとびっくりっす!」
豆を甘くして食べることがないせいか、その不思議な味わいに悩ましい表情を見せるロランド。
一方のルナは、先ほど粒のままの甘い豆を試食していたせいか、素直に受け入れることができたようだ。
「粒のままのとは全然味わいが違いますねっ。滑らかで、甘くて、なんだかほっとする優しいお味ですっ」
ルナがそうつぶやきながら満足げな表情を見せる。
しかし、もう一口味見をしたところで、ふと何かに気づいたように眉間に皺を寄せた。
その表情の変化に、ロランドが声をかける。
「ん? ルナちゃんどうしたっすか?」
「うーん、これってこのままだとお豆とお砂糖の味だけですよねっ? もちろん素朴で甘くて美味しいんですけど、ちょっと味わいが強いというか……いっぱい食べると飽きちゃうんじゃないかなって……」
眉間に皺を寄せ、難しい顔を見せるルナ。その指摘はロランドにも響くものであった
「んー、確かに言われてみればそんな気もするっすね甘いだけって感じもするっすね。うーん、コーヒーと一緒に食べればそうでもないと感じるのかな……」
二人はお互いに顔を合わせ、うーんと唸る。
そして、しばし考え込んだ後、心配そうな表情でタクミに視線を送った。
その指摘はもっとものものであった。これだけなら確かに“フディーア味の甘い汁”にすぎない。
“完成品”とするためには、これにもう一つ加えるものがあるのだ。
一口味見しただけでそのことをちゃんと見抜いた二人に嬉しさを感じるタクミ。
うんうんとゆっくりと相づちを打ってから、二人に説明を始めた。
「ええ、このままでは確かに二人の言う通りです。もう一つ、このデザートには加えるものがあります。折角ですのでそっちは三人で準備を進めましょうか。 ルナちゃんももうひと頑張りよろしくお願いしますね」
「はーいっ!」
ルナの元気な声がキッチンに響き渡る。
ここからどんな風に仕上がるのだろう……完成が待ち遠しいルナであった。
※第2パートに続きます。 明日1/30(土)22時頃の投稿予定です。




