30 老獪な御婦人と初めて作るスープ(4/4パート)
※2016.1.21 22:00更新 4/4パート
※第1パートからの続きです。まだお読みでない方は第1パート(前話)よりお読みください。
翌日の朝、イメルダとソフィアの二人が、喫茶店『ツバメ』の個室にて並んで腰を掛けていた。
イメルダは、はつらつとした表情で隣に座る孫娘へと声をかける。
「いやー、どんな料理が出てくるか楽しみだねぇ。ソフィアもそう思うだろう?」
「え、ええ……」
力なく返事するソフィア。その目の下にはクマを作り、やや疲れた様子を見せていた。
それもそのはずだ。昨日はあまりの急展開に頭の中が全く整理できず、ほとんど眠れていなかったのだ。
仕事の関係であれば1日ぐらい徹夜しても持つのだが、昨日に限っては精神的な疲れが大きい。
ソフィアは、赤く染めた目を擦りながら料理が出るのを今や遅しと待っていた。
しばらくの後、扉からコンコンコンという音が聞こえてきた。イメルダが、どうぞ、と声をかける。
ガチャリと開かれた扉の向こう側には、リベルトの姿があった。その後ろにはタクミが控えている。
リベルトは、普段タクミが付けているような黒いカフェエプロンを身に纏い、その手に一つのトレイを持って部屋へと入ってきた。
「イメルダ殿、ソフィア殿、お約束の朝食です。カップは大変熱くなっていますのでお気を付けを。ではどうぞ、ご賞味ください。」
二人の前に差し出されたのは、一つのカップであった。
その表面は焦げたチーズで覆われており、香ばしい香りを漂わせている。
「ふむ、見た目はまぁまぁってところかな。 じゃ、冷めないうちに頂くとしようかね」
イメルダは独り言のようにつぶやくと、両手を胸の前で合わせて食前の祈りを捧げた。
祖母に合わせてソフィアも両手を組んで黙想する。
シンと静まり返った部屋の中で、リベルトはじっと二人を見守っていた。
「なるほど、中に入ってるこれはブレッドかい。しかしこのスープ、結構濃い色をさせてるね……。」
カップを覆っているチーズを突き崩しながら中身を確認したイメルダが、リベルトに尋ねた。
カップの中には焦げ茶色に近い濃い色をしたスープがひたひたに注がれていた。中央には大き目に切ったマイスブレッドが浮かんでいる。
ブレッドも茶色に色を変えており、たっぷりとスープが染みこんでいるようであった。
「まぁ、とりあえずお召し上がりください。感想は後程ということで」
リベルトに促されるまま、二人はスープを一口掬って口元へと運んだ。
寒い廊下を二階の個室まで運んできているはずなのに、そのスープを口元に近づけるだけでしっかりとした熱気が感じられる。
口の中を火傷しないかな……とソフィアは少し不安になりながらも、意を決したように眼を閉じてスープを口へと含んだ。
スープの熱気が口の中いっぱいに広がる。ソフィアは思わず口をすぼめて、はふはふと息を継いだ。
多少行儀が悪いかもしれないが、そうでもしないと火傷しそうであったのだ。
「ふわっ! またこりゃアツアツだねぇ!しかし、熱い分、より温まるさね。それにしても、しっかりとした旨みのあるスープだねぇ」
ソフィアと同じようにはふはふとしていたイメルダが声を上げた。
カップに注がれていた濃い茶色のスープからは、甘みと旨味がたっぷりと感じられた。
具材として入っているのはクタクタになるまで柔らかく煮込まれたセボーリャのみと非常にシンプルだ。スープの甘みと旨味も、このセボーリャから生み出されているものであろう。
実に奥深い味わいだ。
スープの味を確認したイメルダは、続いて中央に沈められていたマイスブレッドを突き崩す。スープをたっぷりと吸ったブレッドはトロトロに柔らかくなっている。
舌で押しつぶすだけで、マイスブレッドの香ばしさが移ったスープがじゅわっと染み出してくる。
表面に載ったチーズのパリッとした食感との対比も非常に楽しい。
深いカップに入っているおかげでスープは冷めることなく、美味しい熱さが持続していた。
二人は、黙々とスープを口に運んでいく。やがてカップは空となり、スプーンを置く音が静かにカチャリと響きわたった。
「さて、感想を言う前に、このスープの作り方を教えてもらえるかしら?」
イメルダが、口元を拭きながらリベルトへと尋ねる。
リベルトは一つコクリと頷いてから、直前まで悪戦苦闘していた調理の手順を説明し始めた。
「このスープは“セボーリャのグラタンスープ”というものだ。作り方はいたってシンプルだ。まずスライスしたセボーリャをしっかりと炒め、十分に色づいたところで別に作っておいた鶏のブイヨンを注ぐ。そして、塩コショウで味を調えてからそのまま煮込み、スープにセボーリャの甘みと旨味を移すのだ。
そして十分に煮込んだところで、カップにスープを注ぎ、切り分けておいたマイスブレッドを浮かべてからチーズをたっぷりと載せてオーブンストーブのグリルでじっくりと焼き上げれば出来上がりだ」
「なるほど、それでこれほどアツアツだったのですわね。寒い朝にぴったりの温かさでしたわ」
先程までの緊張が癒されたのか、ソフィアが少しだけ普段の元気を取り戻したような声でリベルトに話しかけた。
リベルトも、ほっとした表情でソフィアに笑顔を見せる。
その間に割って入ってきたのは、やはりイメルダであった。
「しかし、聞いてみればずいぶん簡単な料理だねぇ。それでこんなに旨みが出て来るもんなのかい?」
いぶかしげに尋ねるイメルダに、リベルトは丁寧に答える。
「ええ、そのためにはとにかく徹底的にセボーリャを炒めることが必要だ。白いセボーリャがこのスープのように濃い褐色になるまで丁寧に炒めることで、この独特の甘みと旨味が出てくるのだ。それに、炒めた鍋の中にブイヨンを注ぎ入れることによって、セボーリャの旨味を逃さずスープの中に溶け込ませることができるというのも大事な点だな」
立て板に水のごとく話すリベルト。その言葉はいつものように自信に満ち溢れていた。
そんなリベルトの様子に、イメルダが眉をひそめて釘を刺す。
「なるほど、そうタクミ殿に教えられたということだね。タクミ殿に指導を受けて、アンタが作った。そんなところではないかい?」
「ああ、イメルダ殿の仰る通りだ。アドバイスは求めたが、“手出し”はさせていない。それだけはここに誓おう」
リベルトの言葉に、タクミもフォローを入れる。
「確かにこのスープの作り方についてはアドバイスをさせて頂きました。しかし、実際にセボーリャを刻み、鍋の中でじっくりと炒め、スープとして仕上げたのはリベルト殿です。練習の際には味見もしましたが、お二方にお出ししたスープについては調味も全てリベルト殿にお任せしております。正真正銘、これはリベルト殿がお二方のためだけに作ったスープです」
「ああ、分かってるさ。この男はズルが出来るようなタイプじゃないしね。“手出し”という言葉を使ったのは、どうやらヒントを与えすぎたみたいだけどねぇ。ところで、なんでこのスープを選んだんだい?他にも簡単に作れる料理はいくらでもありそうじゃないか?」
ニヤッと笑いながら尋ねるイメルダに、リベルトも口角を持ち上げて応戦する。
「理由は二つあるな。一つは手順がシンプルで、料理経験のない私でも何度か練習すれば作れそうな料理だったということ。そしてもう一つは、タクミ殿から教わった候補の中で、これが一番“自分の拙い腕でも味が深まる”料理に思えたからだ」
「ほう、というと?」
「このスープの肝は先ほど言ったとおり”徹底的にセボーリャを炒める”ことに尽きる。ただ、正直言ってこのセボーリャを炒めるのがものすごく大変なのだ。最低でも1時間、焦がさないように火加減にゆっくりと注意しならが、ヘラでかき混ぜ続けなければならん。材料がシンプルだからこそごまかしも効かない。だからこそ、自分というものを最も感じてもらえる料理だと思ったのだ」
「なるほど、そういうわけかい。しかし、それで失敗したらどうするつもりだったんだい?そんなに時間がかかる料理なら、そうそう練習もできやしなかっただろう?」
「なあに、今日のこの約束の時間まではゆうに半日以上あったからな。少なく見積もって15時間と考えても、10回以上は練習できる時間があったぞ」
「え!? でも、そうしたらお休みになる時間が……」
何でもない風に装ったリベルトの発言、ソフィアが思わず声を上げた。
ふとリベルトを覗きこむと、彼もまた目の下にクマを作り、目を充血させていた。
「なぁに、心配はいらぬ。一日二日であれば徹夜を厭わない体力はあるつもりだ。ただ、ヘラをずっと回していたせいか、少しばかし腕は張っているがな」
リベルトはそう言うと、自分の腕をポンポンと叩く。
その姿は、ソフィアの目にはとても頼もしく感じられた。
「まぁ、根性だけは認めるとするかね。さて、ずいぶんと御託を並べさせちまったけど、そろそろ判定といこうかい。んじゃ、ソフィア、判定はアンタにまかせたよ」
「えっ! おばあ様っ? 二人で判定するというお話だったのでは?」
大切な判断を唐突に任され、ソフィアは眠気も吹き飛ばして素っ頓狂な声を上げてしまう。
「私はアンタの判断に従うよ。アンタの目がどれだけ確かか、この祖母に見せておくれ」
たじろぐソフィアをやや突き放すようにしながら、イメルダは判断を委ねる。
“好きにすればいい”というような白紙委任ではない。
祖母の納得がいくような結論をしっかり導き出すよう迫られたのだ。
ソフィアの気持ちだけで言えば、もちろんYesだ。手間暇をかけて、じっくりと作られたこのスープからは、リベルトの気持ちがしっかりと伝わってきた。
しかし、それだけでいいのか……、ソフィアは逡巡する。
祖母が昨日課した宿題は『私たち二人を満足させる朝食の一品』だった。客観的に見て、これがその言葉に相応しい料理であるかどうか、しっかりと見極めなければならない。
ソフィアはしばし目を瞑り、考えを巡らせる
そして、一つの結論を導き出すと、目を開き、リベルトをしっかりと見据えて話し始めた。
「……答えは保留、いえ、再試験とさせてくださいませ」
「なんだい? アンタじゃ決められないってのかい?」
孫娘から出された“曖昧な結論”に、イメルダがあからさまに不満げな声を上げる。
リベルトも顎に手を当てて、ふぅむ、と不思議そうにソフィアを見つめた。
そんな二人の様子に、ソフィアが結論の意図について説明を始める。
「リベルト様が作っていただいたスープ、とっても温かくて、丁寧に作られていて、本当に素晴らしい物でした。言葉にはされていませんでしたが、きっと寒い冬の朝にやってくる私たちを気遣ってこのスープを選ばれたのだと思いますわ。それだけで、私は胸がいっぱいになるほど満足させていただくことができました」
「ほう、なんだか歯が浮くほどの大絶賛だねぇ。なら、それで満足、でいいんじゃないかい?」
孫娘の言葉にイメルダが首をかしげる。
しかし、ソフィアは首をゆっくりと横に振りながら言葉を続けた。
「でも、それだけではダメなのです。リメルト様はすごく頑張って下さったと思うのですが、それでもやはりたった一日では限界がございます。セボーリャの炒め具合にはわずかにムラがありますし、調味もやや塩気が強くて丁度良いバランスにはなっておりませんわ。もちろん、ここまで素晴らしいスープをたった一日で習得されるのだけでも素晴らしいのですが、これでは“味わい”の面で合格点を出させていただくわけにはいきませんわ」
「そうかい?私には十分美味しく感じたんだけどねぇ」
想像以上の厳しさを見せる孫娘に、イメルダの方がかばうようにして言葉をかける。
しかし、ソフィアは“優秀な若手銀行家”の顔を覗かせながら、改めてリベルトへと向き直し、言葉をかけた。
「だから……だから次の機会こそ、気持ちも、味わいも全てを満足させてもらう料理を頂きたいのです。私を満たしてくれるまで、何度でも何度でも試験させていただきますわ」
気持ちが高ぶったのか、ソフィアは目元にうっすらと涙をにじませる。
その言葉と共にソフィアの気持ちを受け止めたリベルトが、得心がいったようにうんうん、と二度頷いてから、片膝をつき、ソフィアの手をとって声をかけた。
「分かった。ソフィアが満足するまで何度でも何度でも料理を作ろうではないか。そしていつの日か、きっと貴女の心を満たしてみせよう」
力強い言葉がソフィアの胸に響く。俯き、涙をこらえながら、ソフィアはコクリと頷いた。
しばらくの間、二人だけの世界に浸っているソフィアとリベルト。やがて我慢が出来なくなったのか、イメルダが大きな声で二人を現実へと引き戻した。
「かーっ! 甘い、甘いねぇ! ちょっと、タクミさん、塩っ気のあるなんかもってきてくれんかい?」
「そうですねぇ、岩塩の塊でもお持ちしましょうか?」
「そりゃしょっぱそうだね。って、冗談はさておき、いつ私が二人のことを認めると言ったかい?」
イメルダはそう言うと、口元を大きく持ち上げた。
その言葉に、ソフィアが慌てて反論する。
「で、でも、おばあ様!先ほどは私に任せるって!」
「ああ、そういえばそんなことも言ったね。じゃあ、しゃあないか。まぁ、アンタの覚悟とやらは見せてもらったよ。後はうちの孫娘を頑張って口説いておくれ。ただ、この娘は、ちょいと奥手で初心だけど、人を見る目は厳しいからね。アンタもしっかり選ばれるようにせいぜい励むこったね」
イメルダは早口でまくし立てると、大きく背伸びをしながらあー、やれやれ、と肩を叩いた。
そして続く言葉で、追加注文をリクエストする。
「さすがにスープ一杯じゃお腹が膨れないね。ここはモーニングとかいうのをやってるんだっけ? それを持って来てくれないかな。あ、三人前ね。 ほら、いつまでそんなところで突っ立ってるんだい。アンタは、さっさと席に着いた着いた」
孫娘の相手候補を、イメルダは手招きして呼び寄せる。恐らく彼女との将来を築く上でキーマンに理解を得られたことを確信したリベルトは、深く一礼してからソフィアの正面の席へと座った。
ようやく気持ちの整理ができたのか、リベルトの仕草を見つめるソフィアの表情は、とても穏やかなものとなっていた。
「それでは、モーニングを三人前、飲み物はシナモン・コーヒーでよろしいでしょうか?」
「ああ、出来るだけ早く持って来ておくれ」
「かしこまりました。それでは、今しばらくお待ちください。」
オーダーを確認しながら、心の中で二人の未来に対する祝福を送るタクミであった。




