30 老獪な御婦人と初めて作るスープ(1/4パート)
本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。この列車は当駅が終点となります。改札口にて乗車券を拝見いたします。到着いたしました列車は車庫に入ります。お手荷物などお忘れ物がございませんよう、ご注意をお願いいたします。
―― なお、お客様対応のため出札口が込み合うことがございます。ご容赦いただけますようお願い申し上げます。
本日二番目の到着列車が定刻通りにハーパータウン駅へとやってきた。
プラットホームへと滑り込み、速度を落とした蒸気機関車から汽笛がポーッと鳴らされる。
その音を合図にして、所定位置にて列車の到着を見届けていたテオが大きな声で指さし確認を行った。
「入線ヨシ、停車位置ヨシ! はい、オッケーです。今日もお疲れ様でした。」
「おう、しっかり声が出るようになったじゃねえか。 良い傾向だな」
窓から顔を出して入線時の安全を確認していた車掌が、テオに言葉をかけた。その言葉に、テオは思わず顔をほころばせる。
「ありがとうございます! じゃあ、早速お客様の誘導、いってきます!」
「よーし、しっかり頼むな!」
先頭車両へと駆け出していくテオは、背中で受けた車掌のかけ声に手を上げて応える。
一等車である先頭車両からは、ちょうど一人の乗客が降りてくるところだった。
パッと見た感じ御婦人、それもかなり年配の方のようだ。手に大きなトランクバックを抱えているせいか、少し段差のあるプラットホームへと降りるのに苦労している様子を見せていた。
お客様の下へとかけよったテオは、いつもの調子で老婦人の乗客に声をかける。
「お婆さん、荷物を運ぶのをお手伝いしましょうか?」
「あんだって? こんな素敵なレディを捕まえてお・ば・あ・さ・ん? お前さんの眼は節穴なのかい?」
老婦人から返された意地の悪い答えに、思わず固まってしまうテオ。一方の老婦人は、そんなテオの様子に構うことなく早口でまくしたてた。
「で、それはそうとこの荷物を運んでくれるんかい? ならお願いしようかね。よっこらしょっと」
そういうと、老婦人は手にしていたトランクバックをテオに差し出した。
展開があまりに急すぎて、テオの反応が一瞬遅れる。すると、老婦人からさらに皮肉のこもった言葉がかけられた。
「ほら、持ってくれるんじゃないんかい? やだねぇ、いくら私が美しいからって見とれてるんじゃないよ」
「あ! し、失礼しました。それでは、お、お預かりします。では、どうぞこちらへ」
予想外の言葉を次々と浴びせかけられ、テオは動揺してしまっていた。
しかし、それでも何とか仕事を果たしていこうと気を取り直したテオは、額の汗をぬぐいながら老婦人の荷物を預ると、出札口へと案内していった。
他のお客様の様子も確認しながら、ホームを歩いていくテオ。その時、横を歩いていた老婦人が声をかけてきた。
「ところで、この辺りにスズメだかカモメだとかいう食べもん屋があるという話を聞いてるんだけど、アンタ、それはどこのことかわかるかい?」
「スズメやカモメですか? うーん、そういう名前のお店には心あたりがちょっとありませんね……。ツバメという喫茶店なら、この改札を出たすぐ横にございますが……」
「ああ、それそれ、ツバメだったわ。って、この駅にあるの、駅に食べ物屋があるなんて珍しいさね。じゃ、私はそこに行ってるから、荷物をよろしくね」
「はい、かしこまり……ええっ! 私が運ぶんですかっ!?」
余りにも自然な老婦人の言葉に、半分まで了承の返事をするテオ。しかし、その頼みごとがおかしいということに途中で気づき、思わず大きな声を上げてしまった。
しかし、テオの叫び声にめげることなく、老婦人はテオを覗きこむようにして畳み掛ける。
「何? こんな年老いた身にこの重ーーーい荷物を運べと? 嫌だねぇ、薄情だねぇ、男じゃないねぇ」
「し、しかし、これからお客様の出札業務がありますので……」
「それもそうね。 じゃ、出札が終わってからでいいわ。はい、切符確認お願いね」
老婦人から切符を差し出され、いつの間にか出札口まで来ていたことに気づくテオ。
老婦人の対応に追われていたこともあり、出札口には行列が出来かけていた。テオは慌てて出札口のラッチの中へと入る。
「は、はい。長らくのご乗車お疲れ様でした。どうぞお通り下さい」
「ありがとう。じゃ、後でよろしくね」
老婦人はそう言うと、荷物をテオの下に残したままさっさと喫茶店『ツバメ』へと向かってしまった。
一瞬声をかけようとすものの、これ以上他のお客様を待たせることはさすがに憚られる。やむなく、ラッチの中に老婦人の荷物を取り込んで、お詫びの声をかけながら出札を行っていくテオであった。
―――――
「お待たせしました。お預かりしておいたお荷物でございます」
出札業務を終えたテオは、喫茶店『ツバメ』で待つ老婦人の下へとやってきた。
運んできた大きな荷物を老婦人へと差し出すと、老婦人は重さを気にする様子も無く片手で受け取る。
そして、荷物を隣の椅子にひょいっと載せてからテオに言葉をかけた。
「ありがたいねぇ、助かるねぇ、男だねぇ。じゃ、コレはお礼よ。とっておきなさい」
そういうと、老婦人は懐から一枚の硬貨を取り出し、テオの手に握らせる。そっと手を開くと、そこにあったのは白く輝く大きなコイン ―― 銀貨だった。
銀貨は金貨とともに古い時代に使われていた硬貨である。紙幣が一般的に使われるようになってからはほとんど使われることがなくなってきているものの、それでも貨幣として有効であることには変わりがない。
そしてその価値は500ペスタ相当 ―― 『ツバメ』のモーニングなら、10人分頼んでもまだ“紙幣”でお釣りが支払われるほどだ。
想像もしていなかった高額な“お礼”を渡され、テオの顔に焦りの色が浮かび上がった。
「ダメですダメです! こういうものは規則で受け取れないことになっているんです!」
「何が規則だい。 こういうのは好意としてしれっと受け取っておくもんだよ。 ほら、今のうちにポケットにしまっちまいなさい」
老婦人はそういうと、テオの制服のポケットに手を突っ込んで強引に渡そうとする。
さすがのテオもこればかりはマズイと、失礼にならないよう頭を下げながら、老婦人の動きを何とか制しようとしていた
そのやりとりに何やら不穏な様子を感じ取ったのか、タクミが二人の下へとやってきた。
二人の間にそっと身体を入れながら、駅舎の責任者としてタクミが老婦人に声をかける。
「失礼いたします。この駅舎の“駅長代理”を務めておりますタクミと申します。お客様、こちらの駅員が何かご面倒をおかけしてしまいましたでしょうか?」
「あら、良い男だねぇ。いやね、この駅員くんにお礼をしようと思っても、なかなか受け取ってくれないんだよ。アンタみたいな上役に見つかる前にすっとポケットにしまっちまえばいいのにねぇ」
老婦人はそう言うと、テオへと視線を送る。
その表情はどこか楽しそうであり、その仕草にはどこか妖艶な雰囲気を感じさせるものであった。
説明を受けたタクミがテオの方へと顔を向けると、テオは慌てるように小刻みに首を横に振る。
その様子に、部下が間違った対応をしていないことを確信したタクミは、老婦人へと頭を下げた。
「申し訳ございません。駅舎に勤める者はお客様より個人的に金品を受け取ってはならないという規則になっておりまして、ここで受け取ってしまうと私の方からもきつく指導をしなければならなくなります。お心遣いには大変感謝いたしますが、彼のためにもどうかご容赦ください」
顎に人差し指を当て、タクミの言葉を静かに聞く老婦人。初めは若干口をへの字に曲げていたが、やがて口角を持ち上げてクックックと小声で笑い声を上げた。
「仕方ないねぇ。まぁ、からかって悪かったさ。ところでアンタ、その格好を見るとこの店の仕事もやってるんかい?」
「ええ、“駅長代理”とこちらの喫茶店『ツバメ』のマスターを兼任しております」
「そうかいそうかい。そうしたら、なんか軽めの食いもん出してもらえないかい? さっきメニューもみせてもらったんだけど、けったいなものばかりで何が何だかさっぱりだったんだよ」
「それは失礼いたしました。そうですね……どのようなものがお好みですか?」
「この通りの婆さんだし、小腹が空いている程度だから、あんまりこってりしたものはきついさね。あと、やっぱり暖かいものがうれしいねぇ」
「かしこまりました。内容はお任せ頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、よろしく頼むよ。時間はあるからゆっくりでいいさ」
そういうと、老婦人は鞄の中から手帳を取り出して何やら確認を始めた。
真剣な表情で手帳を見始めた老婦人に、タクミはあえて声をかけずに一礼する。そしてテオにも仕事に戻るように促しつつ、キッチンへと向かっていった。
――――
しばらくの間手帳に意識を集中させていた老婦人が、ふーっと息をつきつつふと視線をあげる。
壁にかかっている柱時計をちらりと見やると、先ほどから四半時ほど時間が経っていた。思ったよりも料理に時間がかかっているようだ。
やたら凝ったものが出てこないといいが……老婦人は少し心配を抱く。ちょうどその時、トレイを手にしたタクミが再びテーブルへとやってきた。
「お待たせいたしました。豚肉と野菜のスープ、お茶漬け仕立てです」
タクミはそう声をかけると、一つのスープ皿を老婦人の前へと置いた。そのスープ皿からは心地よい感じで湯気が立ち上っていく。
少し濁りのあるスープには、大き目に刻まれた豚肉やレポーリョ、薄くいちょう切りにされたサナオリア、スライスされたチャンピニオンがたっぷりと入れられていた。
漂ってくる香りから想像するに、恐らくスープは鶏をベースとしたものであろう。
確かにこれならさっぱりとしているし、具材もたくさん入っているのでそれなりにお腹に溜まりそうだ。
何より室内とはいえ冬の寒さが厳しく感じられる時間帯、温かさを感じられるスープという選択はなかなかに心憎い演出だ。老婦人は満足そうに頷いた。
「ありがとう、では早速いただこうかね」
老婦人はスプーンを手に取ると、まずはスープのみを掬って口へと含んだ。
音を立てずに静かにスープを喫するその姿はなかなかに優美だ。
「あらま、ずいぶんと野菜の甘みが出てるね」
驚きの声を上げる老婦人。急な注文、そして僅か四半時ばかりの時間で作られた料理だというのに、スープからはしっかりと野菜の甘みと旨みが感じられたのだ。
ランチのメニューにはスープが付くとかかれていたので、ベースのスープ自体はそちらを流用したものかもしれない。
しかし、それにしても野菜の旨みが強い。どうやら、単に具材の肉や野菜をスープに入れただけではないようだ。
シンプルなのに、なかなかに面白い料理じゃないか……老婦人は心の中でほくそ笑みながら、今度は具材も一緒に掬って口へと運んでいく。
スープの味わいからさぞしっかりと野菜が煮込まれているのであろうと予想していたが、思ったよりもしっかりした歯ごたえが感じられた。
さすがに生野菜のようなシャキシャキという歯ごたえとまではいかないものの、しっかりとした噛みごたえだ。
咀嚼を繰り返せば、野菜の美味しさと一緒に入っている豚肉の旨さが口の中で一体となり、とても心地よい気分に包まれる。
何とも不思議な野菜スープだ。特別な材料は使われていないはずなのに、予想を何度も越えてくる。
この料理がいたく気に入った老婦人は、どこか挑戦的な、しかし楽しげな表情を見せながらタクミへと質問を投げかけた。
「大した料理じゃないか。見た目はシンプルなのに、随分と面白いね。いったいどうやってるんだい?」
「お褒め頂きましてありがとうございます。とはいえ、大した工夫ではございません。先に深めのフライパンを強火にかけて具材をある程度炒めて置いてから、ランチ用のスープを注いでおります」
「ほう、フライパンにスープを注ぐといったね? 鍋にスープを入れて、具材を炊き込むのとは違うのかい?」
「ええ、強火にかけたフライパンの方へスープを注ぐことで一気に沸騰しますので、具材の旨みをより強く引き出せるかと存じます。私の故郷でよく食べられていた“タンメン”という麺料理の技法を応用しております」
「メンというと最近流行のパトとかいうやつかい。しかし、これにはパトは入ってないようだけど?」
「小腹程度ということをお伺いしておりましたので、今日はパトの代わりに別の仕掛けをさせて頂きました。どうぞ今度は底の方から掬って召し上がってみてください」
「む、そうかい?どれどれ……」
タクミからの提案に素直に従った老婦人は、スープ皿の底の方にスプーンを差し入れて掬ってみた。
すると、スープ皿の底からやや長細い形をした白い粒状の食材が現れる。炊いたアロースだ。
老婦人は、ふむと一つ頷いてからアロースを口へと運んだ。
底に沈められえていたアロースはたっぷりとスープを吸い込んでいる。
噛み締めるたびに、スープの美味しさ、野菜の旨み、そしてアロースが持っている甘みが口の中一杯に広がった。
「なるほど、パトの代わりのアロースという訳か。しかし、スープで煮込んだものとは違うようだね。どういう仕掛けだい?」
二カッと笑いながら老婦人が尋ねる。その言葉に、タクミも自然な微笑みを浮かべて応えた。
「予め炊いておいたアロースをいったん水であらい、ぬめりを取った後で先ほどのフライパンとは別の鍋に入れたスープで軽く温めております。スープの実の感覚で食していただけるよう、できるだけ粘りが出ないように仕上げました」
「なるほどねぇ、面白いねぇ、こんなの初めてだねぇ。いや、アンタなかなかいい腕してるじゃないか。気に入ったよ」
「その言葉が何よりでございます。ありがとうございます」
老婦人から贈られた賛美の言葉に、タクミは頭を下げて礼を述べた。
その後も老婦人はゆっくりとスープを堪能していく。そして、ふと思いついたようにタクミへ一つの質問を投げかけた。
「ところであんた、一人もんかい?」
「いいえ、妻がおります。あちらにいるのがそうですね」
手をそっと差し出した方向には、キッチン前のスペースでコーヒーを立てるニャーチの姿があった。
妙な気配を感じとったのか、作業の手を止めてこちらを見るニャーチ。しばらくキョロキョロと辺りを見渡すと、小首をかしげていた。
「ありゃ、まだ娘っ子じゃないかい。ずいぶん歳の差があるんでないかい? しかし、ヨメさんがいるんじゃあアカンね。もし一人もんならうちの孫でも紹介しようと思ったんだけどねぇ」
「それは光栄なお話でございますが、うっかり承ってしまうと妻に怒られてしまいますね」
老婦人の話をかわすように、タクミは笑みをたたえてそっと言葉を返した。
「アンタなら随分しっかりしていそうだし、うちの孫にぴったりだと思ったんだけどねぇ。まぁ、こればかりは仕方が無いさね。世の中そうそう上手くはいかないね」
「ずいぶん自慢のお孫さんのようですね。そんな素敵なお孫さんなら、引く手あまたなのではございませんか?」
「まぁ、身内のアタシがいうのもなんだけど、なかなか気立てもいいし、美人だし、それに家柄もいい。ちゃんと見合い相手を探せばワンサカ寄ってくるだろうさ。ただ、如何せん、本人にその気がなければどうしようもないね。全く誰に似たんだか……」
ぶつくさとこぼす老婦人に、タクミがそっと声をかける。
「そうなのですか。でも、こういうのはご縁とタイミングと言いますから、いつか良いご縁が巡って来るのではないでしょうか?」
「そうだといいんだけどねぇ……あの子も仕事一筋で来たから、悪い男にコロッと騙されるんじゃないかしらってね」
「いえいえ、きっと大丈夫ですよ」
老婦人とそんな話を続けていると、『ツバメ』の入り口の扉からカランカランカラーンという音が聞こえてきた。来客を告げるベルの音だ。
その音を聞きつけると、条件反射で扉の方へと視線を送るタクミ。そして、お客様の姿を確認すると、いつもの調子でいらっしゃいませ、と声をかけた。
扉から入ってきたのは、明日、2ヶ月に1度のご予約を頂いているお客様 ―― ソフィアであった。
ソフィアもタクミの姿を確認し、軽く会釈をしながら声をかけてくる。
「こんにちわ。タクミさん、今年もよろしくですわ」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願い申し上げます。では、こちらのお席にどうぞ」
そう言って、タクミはいつものように空いている席を手で指し示した。
しかし、案内されたソフィアは普段と違っていた。なぜかわからないが、タクミに ―― より正確にはタクミの脇に視線を送ったまましばらく固まっていたのだ。
思わぬ様子に、ソフィアさん?とタクミが呼びかける。
その呼びかけでソフィアはようやく我に返ると、目をぱちくりとさせながら首を横に振り、少しずつ後ずさりしながらタクミに言葉を返した。
「っと、タクミさん、ごめん、急用思い出し――」
「なんだい、化けもんでも見つけたような顔をして。そんなにアタシと会いたくなかったのかい?」
「そ、そんなことはございませんわ。おばあ様こそ、遠出とは珍しいですわね……」
「まぁ、私はアンタに用事があって来たんだけどね。別に急ぎなんてないんでしょ? ほら、こっちに座んなさい」
「は、はい……」
老婦人に促されて、隣の席へと腰を掛けるソフィア。その表情は、思いっきり引きつっていた。
※第2パートに続きます。




