4 無口な常連客とプレートランチ
本日も当駅をご利用いただきまして誠にありがとうございます。ウッドフォード行き最終列車は、16時の出発予定です。改札は、出発の10分前を予定しておりますので、ご乗車のお客様は、改札口横にございます待合室にてお待ちください。
―――なお、併設の喫茶店『ツバメ』のラストオーダーは15:30までとなっております。お気軽にお立ち寄りください。
「これ、ホントうまいっすね! どれだけでも入っていきそうっす!」
ロランドはこう言いながら、チキンカレーを豪快にガツガツと食べ進めていた。13時15分の上り第2列車が出発してから14時半の下り第2列車が到着するまでの間は、いったん客足が途切れることが多く、この時間の合間を見て交代で賄いを食べるの喫茶店『ツバメ』の定番であった。ニャーチは既に賄いを食べ終えて駅舎の清掃作業に入っている。タクミも、誰もいなくなったフロアの様子を気にかけつつも、自分用の賄いの用意を続けていた。
その時、フロアの方からチリリリーンという音が響いた。 フロアの扉につけられたベルの音 ― 扉が開いたという合図だ。 賄いを準備していたタクミは、いったん手を止めてフロアへと向かう。 すると、タクミがよく知る、黒い7分袖の立襟シャツに同じ黒のロングパンツを纏った、背が高くやや彫が深い壮年の男性が扉の前に立っていた。 タクミは、浅く会釈をして、この店に何度も足を運んでいただいている“常連のお客様”を席へとご案内した。
「いつものでよろしいでしょうか?」
タクミは、席に着いたお客様に声をかける。この男性客が注文するものはいつも同じ「日替わりのCランチ」だ。男は、差し出された温かいおしぼりで顔を拭くと、黙って頷く。オーダーを確認したタクミは、表情を普段以上に引き締めながら、キッチンへと戻っていった。
◇ ◇ ◇
「この時間にランチのお客さんですか? 珍しいですね」
ロランドは、予想外のお客様の来訪に慌ててチキンカレーを掻き込もうとする。タクミは、急がなくても大丈夫ですよ、とやんわりとロランドを制して、オーダーの品の準備に取り掛かった。
喫茶店『ツバメ』のランチメニューは3種類。カレーやシチューといった『ご飯もの』の“Aランチ”、タコスやピッツア等のトルティーヤにサラダを添えた『軽めのランチ』の“Bランチ”、そしてワンプレートにメインのおかずや副菜、パン、サラダ等を一枚の皿に盛り合せた『プレートランチ』の“Cランチ”だ。“Cランチ”は『ツバメ』のランチの中で最も高いものである一方、最も手間暇をかけているメニューでもある。
ランチメニューの提供は手際が重要なポイントとなる。タクミは、まず本日の“Cランチ”のメインの品であるロール煮を大鍋から取り出し、温め用の小鍋へと移し替え、オーブンストーブの上に置く。このロール煮は前日に仕込んだものだ。豚肉と牛肉をそれぞれ細かく刻んだうえで包丁でたたいてミンチにしたものに、セボーリャとアピオのみじん切りをよく炒めたものを合わせ、卵、塩、胡椒、そして少しだけナツメグを入れてよく練り合せる。こうしてできた具材を、一枚ずつ剥がして茹でて柔らかくしたレポーリョの葉でしっかりと巻き、中身がこぼれないようしっかりとタコ糸で縛る。この時、巻きやすいようにレポーリョの葉の硬い芯の部分は取り除いておくのだが、この芯の部分も捨てずに後から刻んでスープに入れてしまうのがタクミ流だ。
こうしてロールレポーリョが全て準備出来たところで、厚手の平鍋の中に敷き詰めていく。巻き終わりの部分を下にしてスキマがないようにしっかり敷き詰めていくのだが、レポーリョの葉を破ってしまわないように注意が必要だ。敷き詰めた淡緑のクッションの上には、真っ赤に熟したトマトの角切りを大量に載せ、ひたひたになる程度の水と、赤ワインを少々、さらに香りづけによく用いられる木の葉であるローレルと、小粒だが絡みの強いピミエント、それにスパイスを数種類を隠し味程度を合わせる。 最後に塩・胡椒で味を調えた上で蓋をしてしっかりと煮込んで完成だ。こうしたロール煮のような煮込み料理は前日から作り置きができる上、Cランチの主食となるコーンブレッドとの相性も良いため、『ツバメ』では定番のメニューの一つとなっていた。
タクミは、ロール煮を温めなおしている間に、副菜の準備へと取り掛かった。卵を2つボウルに割り入れ。そこに砂糖、塩、毎朝届けてもらっている新鮮な牛乳、そしてレポーリョザ油を少々いれて、泡立て器でよくかき混ぜる。準備ができたところで、オーブンストーブの中央の最も温度の高いところで予め温めておいた鉄のフライパンにバターを載せる。バターはフライパンの熱でトロリと溶けていき、辺りが乳製品独特のまろやかな香りに包まれた。
タクミは、十分に溶けた頃合いを見計らい、先ほど溶いて味付けした卵を投入。 そして、その卵が固まらないうちから竹製の菜箸 ―― “こちらの世界”で特注で作ってもらったものだ ――でかき混ぜていく。少し固まり始めたところで、水切りザルの中で出番を待ち構えていた、千切りにしたサナオリアと、こちらも千切りにしたもの辛みは全くないがやや独特の癖のある大きな緑のピミエント、非常に薄くスライスされたセボーリャを、黄色い卵の絨毯の上にそっと載せる。そして、それをフライパンの向こう端に寄せると、左手で柄を持ち、右手でトントンとたたいて振動を与え、きれいに巻き込んでいく。その後、余熱で固まるのを少し待ち、フライ返しで取り出して、プレートの上へと盛り付ける。野菜たっぷりのオムレツが、今日の副菜だ。
オムレツの隣、メインのブロックには先ほど温めておいたロール煮を赤いソースごと盛り付ける。本日の盛り付け用に使った角が丸いプレートは、仕切りで区画分けされているので、汁気が多少あってもお互いの味が混ざり合うことはない。メインブロックの右上にある一番小さなブロックには、濃い緑色と少し赤みがかった根が印象的なエスピナーカを食べやすい大きさに刻んだものに、ロケットストーブの強火で炒めて油をよく取り出した豚の塩漬け燻製肉を和えたエスピナーカのサラダを盛り付けた。
メイン、副菜、サラダをプレートへと盛り付けたタクミは、先ほどオーブンストーブの下室に入れ、軽くトーストしていた2枚のコーンブレッド取り出し、小さな白い角皿に乗せる。コーンブレッドの黄色い色が、白いプレートの上でひときわ輝き、トーストにより香ばしさを増したトウモロコシの香りが辺り一面へと広がっていく。スープカップには、濃いカラメル色をした本日のスープ ―― セボーリャの飴色スープを盛り付ける。これは、Aランチのカレーのベースとして取っておいたチキンブイヨンをベースに、セボーリャを飴色になるまでフライパンでじっくりと炒めたものをたっぷりと合わせたものだ。胡椒を効かせた飴色スープは、鶏の旨みとセボーリャのコクと甘みを楽しむことができる、タクミお気に入りのスープだった。これで“Cランチ”の準備は整った。
ちょうど賄いのカレーを食べ終えたロランドが声をかけてくる。
「マスター、本当にあっというまの手際ですよね! あ、僕が運ぶっすよ」
「いえ、今日は私が運びますよ。後片付けの洗い物だけお願いできますか?」
タクミは出来上がった料理をお盆の上に載せながら答える。そして、もう一度表情を引き締め、自ら男性客のテーブルへと“Cランチ”を運んで行った。
◇ ◇ ◇
「お待たせいたしました。 本日のプレートランチでございます。本日のメインはこちらのロール煮です。それでは、どうぞごゆっくりお寛ぎください」
険しい表情で待っていた壮年の男性客にサーブを終えたタクミは、やや深めに会釈をして席を離れた。男は、険しい表情を崩さないままタクミの言葉に黙って頷くと、早速メインのロール煮をナイフで半分に切り分け、口の中へと運んで行った。味を堪能するかのように目を閉じ、静かに咀嚼をしていく。
(…肉にはトマトの鮮やかな味わいが染み渡り、また、ソースには肉の旨みが混然一体となっている。両方の旨みを吸ったレポーリョの葉も十分に柔らかく食べやすい。それに、まろやかになりがちな全体を味を、隠し味程度に入れられたピミエントのピリリとした辛さが引き締めている。 上出来の味だ。これなら…)
次いで男は、ロール煮を一口サイズに小さく切り分ける。そしてコーンブレッドに手を伸ばし、4分の1ほどにちぎると、切り分けたロール煮にたっぷりとソースを絡めてから上に載せ、そのまま一緒に口の中に運ぶ。 男は眉に皺をよせ、真剣な表情を崩さない。
(…なるほど。トーストしたコーンブレッドに、肉の旨みが効いたトマトのソースが染みてちょうどいい塩梅だ。それに、この肉の食感とブレッドの歯触りもおもしろい食感だな。)
続いてフォークを伸ばしたのは、オムレツだ。ナイフを入れると、鮮やかな黄色をした半熟の卵から、緑と橙の細いストライプが現れる。男は、一口大に切り分け、口に運ぶ。やや甘めに調味された卵のまろやかな風味が口の中に広がるとともに、シャキ・シャキ・シャキと緑色のピミエントと橙色のサナオリアがにぎやかな音を奏でる。
(…ふむ、これは面白い。 甘めに仕上げられた柔らかな卵の味わいで、ロール煮でやや塩辛くなっていた口の中がリセットされるようだ。 それに、野菜の千切りの歯触りがなんとも心地よい。ピミエントの少し苦味のある味わいとサナオリアの独特の風味が、口の中をさっぱりとしてくれる。)
そして男は、先ほどと同じように、オムレツもちぎったコーンブレッドの上に載せて食す。二口、三口とかみしめるその表情に、笑顔は一切浮かばない。
(…うーむ、この卵の優しい味わいだと、トーストしたコーンブレッドの香ばしさにはやや劣るか。それに、ブレッドの硬さのせいか、こうして共に食べるとすると野菜の硬さがかえって際立ってしまう。これは、ブレッドと合わせずにそれぞれ別々に食すのが良いか…。)
男は、今度はエスピナーカのサラダに手を伸ばす。柔らかなエスピナーカの濃緑の葉に、炒められた塩漬け燻製肉から出た油が艶を与えている。 口に入れれば、柔らかい葉やシャキシャキとした茎から生まれる少し苦みを伴った味わいと、塩漬け燻製肉の油のコク、そして適度な塩味が混然一体となって、口の中いっぱいに広がった。
男は、半分になったコーンブレッドへ、エスピナーカのサラダを載せ、半分に折りたたむ。そして、豪快にガブリと一口。齧り付いた後には、黄色のコーンブレッドの間から濃緑のエスピナーカが覗いていた。そして、黙々と食べ進めると、一つ、二つ、うん、うんと頷いた。
(…やはりこのサラダはこうして挟んで食べるのが良いな。ブレッドの生地の甘みと、エスピナーカの独特の風味、それに炒めた塩漬け肉のコクのある味わいが見事にマッチしている。)
エスピナーカを挟んだコーンブレッドを一気に食べ進めると、スープに手を伸ばした。濃い飴色になるまで徹底的に炒められたセボーリャの甘みがスープ全体に染み渡り、ベースとなるチキンブイヨンとともに、しっかりとしたコクのある味わいだ。男は、最初の一口を口に含み、難しい表情のまま、ゆっくり丁寧に味わう。すると、男は、残っていた1枚のコーンブレッドを半分ほどちぎり、スープの中へ入れ始めた。
(…これは、まさにブレッドに合わせるために作られたようなスープだな。鶏から出る旨みに、しっかりと炒めたセボーリャの甘みとコクが絶妙だ。それに、粗挽きの黒こしょうのせいか、かなりパンチがきいている。スープ単品では少し濃すぎるかもしれない味わいだが、こうしてブレッドを浸せば…)
男は、たっぷりとスープを含んだコーンブレッドを口の中へと放り込む。ひとたび咀嚼をすれば、ブレッドが含んでいた飴色のスープが口の中いっぱいに広がる。そのまま飲んだ時とは異なり、スープの中にコーンブレッドの風味と香りが移り、また違った味わいを醸し出していた。男は、ここでようやく満足そうに大きく頷き、一口、また一口と堪能するかのようにフォークを進めていった。
◇ ◇ ◇
「食後のシナモン・コーヒーでございます」
タクミは、男が食べ終える頃合いを見計らって食後のドリンク ―― シナモン・コーヒーをテーブルへと運んだ。男は、黙って会釈をすると、白いソーサーカップを手に取り、口元へと運ぶ。大柄な男の手には、普段のサイズのカップもずいぶんと小さく見えた。普段ならサーブを終えるとすぐに下がるタクミであったが、今日は違った。 タクミは、男が発する一言を待っていた。
「…スープは?」
男は、タクミの目を見据え、一言だけ口にする。
「ええ、今日のスープは少し煮詰まったきらいがあり、濃い味わいとなっていました。ただ、その分、ブレッドとの相性は良くなっていると思っていますが…」
タクミの言葉に、男は黙って頷く。そして、しばしの沈黙がこの場を支配し、タクミと男は互いに視線だけの会話を繰り広げる。やがて、男は満足そうに微笑んだ後、持っていた布をタクミに渡す。タクミが受け取った包みを解くと、中からは二つの丸いパン ―― 普段のコーンブレッドよりも小ぶりだが、見た目にもふわっと仕上がっているものが現れた。
「…後で試してくれ」
男の言葉にタクミは頷いた。恐らく、トウモロコシ粉に小麦粉を合わせて焼いたパンだろう。“こちらの世界”ではわずかな輸入品しかなく、それゆえに超高級品扱いとなっている小麦粉を使ったパンを、この男は自分のためにわざわざ試作してくれたようだ。先日この男の店に立ち寄った際の立ち話が、職人としてのプライドに火をつけたのかもしれない…タクミはそう思うと、この男の職人としての真剣な心構えにただ感服するばかりであった。
男は、テーブルにランチの代金を置き、そのまま黙って席を立った。タクミは、静かにそれを見送る。男が扉の前に向かう途中で、先に扉がバターンと開き、静寂のひと時が突如として終わりを告げた。
「たっだいまなのなぁーっ! あ、サルバドールさんいらっしゃいなのなーっ♪ 今日もパンの配達かにゃ?いつも美味しいパンをありがとうなのなっ!」
サルバドールと呼ばれた男は、どんな時でも変わらないニャーチ明るい声に思わず苦笑いする。そして、娘を見るような細い目をして、その大きな手でニャーチの頭をポンポンと撫でる。
「…今日は、特別なパンをもってきたから、ニャーチさんもあとで試してな」
「わーいっ! どんなパンなのかなぁ? 楽しみなのなぁ! あ、帰るところをお邪魔しちゃったっぽいのなっ! ありがとうございましたなのなーっ!」
サルバドールは、再び苦笑いをしながら、片手をあげて別れを告げた。タクミは、扉の外に出て、この店の最も基本的な食材ともいえるパンの供給を一手に担ってくれている職人サルバドールの後ろ姿を見送っていた。サルバドールは、この店の大事なパートナーであり、かつ“常連客”でもあった。サルバドールは時折このようにふらりと『ツバメ』に現れ、タクミの料理をじっくりと味わっていくのだが、これは“自分が自信を持って焼き上げたパンに見合うだけの料理の腕を保っているかを確認するため”であり、また、“この店の味わいにもっともよく合うパンを開発するため”であることをタクミは知っていた。サルバドールの信頼と心意気に応えるためにも、これからますます料理の腕に磨きをかけよう…心の中で改めて誓うタクミであった。